第70話 4ー3

 そこは外界と閉じた世界。そこの景色はそこの主によって決められ、外界の昼夜を問わず一定の景色が存在するだけだった。物もその世界の広さも、全て主が決める。この中に入れる者も主が選別できる上、絶対的権利が主にはあった。

 だが、無から有を何もかも産めるわけではない。力には全て制限があったが、数々の同じ場所でも、ここはとりわけ使える力の規模は大きかった。

 そんな昼も夜もない場所だったが、今は人間界の夜空を投影していた。煌めく星々と蒼白い光を放つ三日月が浮かぶ中、水面に映すように反転した景色が上に映っていた。その様子を確認しながら、一人の少年の奮戦をここの主は眺めていた。


『あー、クゥちゃん吹っ飛ばされた!』

『オオカミさん頑張れー!』


 そう、ここは伏見稲荷大社から繋がる神の御座。宇迦様の社だった。こちらに明が向かおうとしていたのは知っていたが、今夜大天狗の一団が攻め込むのも知っていたのでここにはたどり着けないことも知っていた。

 では、そんな明たちの様子を見てこの神様は何を思ったのか。


「やっぱりまだこの霊脈と龍脈を掌握しておらんねえ……。片方はAの所の娘が。もう一つも人間が管理していたかえ?そうなるとハルは霊脈しか扱えぬか……。となると、その術式はちょっと無理やえ」


 宇迦様が見ているのは明の使おうとしている術式。それは禁術扱いだが、いざという時は使っていいと父親に言われていたので今回も使おうとしていた。一回使ってしまえば二回使うのも変わらないと。

 それに術者への負担を除けば禁術たる、禁止する理由もない。蟲毒のように他の存在を危険に晒すという代物ではないからだ。

 だから宇迦様は、まだ一人では発動できないであろうその術式へ手を差し伸べた。


「妾が認めたのに、そう簡単に死なれては困ります。ハルや、受け取りなさい」


 宇迦様が手を伸ばすと、それは一つの光となって明へ降り注いでいった。まるで流星のようだと後日話題になったが、それの正体を知っているのは明と珠希だけだった。

 誰もそれが、神様からの施しだとは気付かなかったまま。その光は目的の場所へ突き進む。


────


「ハハハハハハ!この程度か⁉勇ましく仕掛けてきた割に、これしきか人間!いやいや、最初のアレが最大火力だったか?それは悪いことしたのう」

「クソ……」


 俺も桑名先輩もできるだけの火力を持って攻め立てているというのに、どれも傷をつけられるほどのものじゃない。直撃は何度かしているのに、まるで堪えていない。虚像にでも攻撃しているかのように手応えがない。

 そして最初のアレが最大出力なのもたしかだ。何が効くかわからないからできるだけ手札を切っているが、全く通用しない。それは桑名先輩も同様。

 火も水も光も影も、幻術も罠も小細工も何も効かない。本当に精々がゴンと銀郎の攻撃というのが辛い。またいつものように補助しかできなかった。

 なら、戦い方を変えるべきだ。言葉が通じる理性の塊に、弁論で挑むのも一つの手だ。相手の心理も知りたいし。


「大天狗様!あなたは何故今になって人間へ戦いを挑むのですか?先日、揺り戻しはたしかに起こりました。それが一つの契機だったのでしょうか?」

「ふむ?語り合いは望むところよ。できれば最初からそうしてほしかったがのう。で、質問の答えじゃが。まもなく一千年という節目を迎えるからだ。十年、百年、五百年と幾度も眺めてきたが、内乱ならまだしも、とうとう他国に攻め込まれ、この国を汚した。それに我慢ならなかったということだ」

「……すでに戦争から七十年近く経っているのに、今ですか?」

「国の立て直しというのはそれだけ時間がかかるものだろう。人間は矮小だからな。それにこの前の戦争は規模が大きすぎたというのも知っている。長めに見積もったというのもあるだろう。儂らは時間の流れに疎い故な」


 存外手を止めて、話し合いに乗じてくれた。こんな簡単に話し合いが成立するなら、呪術省は最初っから話し合いの可能性を模索しておけよ。向こうは最初から話し合うつもりだったのかもしれないし。


「契機になったのは日本に再び神気が溢れるようになったからだ。だが、日ノ本の人間は退化したな。今これだけ数を増やしながら、陰陽師はそこまで多くない。神気を感じ取れる人間もごくわずかだ。神も碌に信仰せず、しまいには土地神を殺す始末。最後に呪術省の対応だ。儂らにいきなり攻撃をしてくるとは。最近の人間は短気すぎんかのう?」

「平に謝罪させていただきます。おそらくあなた方を正しく理解できていない俗物の蛮行。いえ、謝罪して済むことではないでしょう。ですが、今の世はそれほどまでに神という存在を信じていないのです。人間ではない存在は排除すべき存在。そう捉えているためかと」


 頭を下げながらそう述べる。妖と魑魅魍魎の区別はついているのだろうが、妖と神の区別がついていない。神気を感じ取れないものばかりなのだから、異形は全て抹殺しようとしているのだろう。陽が昇っても消えない異形は全て妖だと思っている可能性がある。

 それに、神気を帯びているということはそれだけで能力の質が変わってくる。霊気よりも優れた神気で構成された身体というのは、たとえ同じ生物同士でも全く異なっている。神気の方が、より強くなる傾向がある。


 だからもし土地神に会ったとしても、強力な個体と思われて討伐されたという話だろう。全く擁護できないし、土地神殺しには強い怒りを覚えるが、過去は変えられない。過失を認めて頭を下げ続けるしかない。


「人間が愚かなことは重々承知の上じゃ。そして自分本位だということもな。で、だ。本来頭を下げるべきはお主ではなく呪術省の重鎮か、先ぶれで来た愚か者どもの走狗がすべきじゃろうて。お主のような立場の人間がそうも容易く頭を下げるではない。表からも裏からも軽んじられるぞ?」

「ですが、立場も相手も関係なく、頭を下げるという誠意を見せなくてはならぬ時があります。それが今です。たとえ我が身が軽んじられようと、為すべき義がございます」

「呪術省のために頭を下げることが、お主の義か?」

「いいえ。私の愛する女性を傷付けぬために、です」


 時が止まったかのように、誰もが身じろぎもしなかった。静かな、風を切る音だけが辺りを包み込む。

 まさか、銀郎とゴンまでこちらを見てくるとは思わなかった。桑名先輩、アンタもか。

 顔を少し上げながら大天狗様の顔を確認すると、ようやくこの静かな空間を破壊してくれた。大爆笑と破顔を添えて。


「ワハハハハハハッ!いやいや、潔いのう!そういう素直な人間は好きじゃ。愛するおなごのためじゃと?結構!それはたしかに、どのような些事よりも大事じゃのう。つかぬことを聞くが、そのおなごの名前を聞いても構わんか?」

「はい。那須珠希。分家の子で、私と同い年です」

「ほうほう。分家の娘と。嘘偽りなく話すことは大事じゃ。あの男もそれくらい素直なら良かったのじゃが。して、その娘が一緒ではないのはおなごだからか?それとも何かしらの理由で離れておるのか?」

「今日は体調を崩しておりまして。そのため休ませております」

「防備も完璧にしてきたと。なるほど、漢じゃのう。だが、そのおなごはただ守られているだけの、お人形さんかのう?籠の中の鳥は、ずいぶんと窮屈じゃぞ?」


 こちらの心の内でもわかるのだろうか。話してもいない内容が次々と察せられて会話がポンポンと続く。千里眼のようなもの、もしくは神としての権能だろうか。

 どんな力にしても、相手の機嫌を損ねるような嘘を言うべきではない。それで惨殺されたら溜まったもんじゃない。


「籠の中の鳥、ですか……。大切にすることは間違っているのでしょうか?」

「それは否定せんよ。だが、そのおなごの気持ちも確認せねばなるまい。お主が前に出て身体を張ることをおなごはどう思うか。儂もおなごの心内まではわからぬが、蝶よ花よと守ることは正しいのか。本人に聞くと良い」

「はい。そうさせていただきます」

「うむ。善きかな善きかな。では一つ約定を結ぶか。その那須珠希がおる学校には攻め入らぬ。儂らはまず人間側の回答が欲しくて、その結果人間をある程度滅ぼす可能性も出てくるが、最初は陰陽師を統括する呪術省の言葉が欲しい物じゃな」


 神からの約定というのはまず破られることはない。こちら側が何かしらやらかさなければいいのだが、今回は俺が素直に答えたことに関する報酬のようなものだから、ミクの安全は確保されたと見て問題ないだろう。

 問題は、大天狗様のもう一つの要求。呪術省からの回答を用意するのは文書にしろ言葉にしろ難しいだろう。最初の回答が武力行使だったんだから。

 さて、どうしたものか。ひとまず頼りになる先輩に聞いてみよう。


「桑名先輩。呪術省に懇意にしている関係者いませんか?大天狗様と交渉の場を設けられるような人が良いのですが」

「……呪術省に勤務されている方は何人か知っているけど、そこまで役職は高くないかな。結局は土御門と賀茂の関係者で上層部は固められちゃってるし、僕も難波の一族だ。退魔の力を優遇はされても、中枢には関われないよ」

「そうですか……。ダメもとで連絡とっていただけますか?」

「わかったよ」


 桑名先輩が携帯電話を取り出して確認を取り始める。大天狗様以外の天狗の様子も確認してみるが、独自行動を取るような存在はいないようだ。軍隊として、トップの言葉を遂行するということが刷り込まれているのだろう。

 連絡はついたのか、いくつか話していく桑名先輩。その顔色を見ると、とても話が良い方向に進んでいるとは思えない。

 通話が終わり、桑名先輩が携帯電話をポケットにしまう。ダメだったみたいだ。


「一応聞きますが、どうでした?」

「立場的に上申は難しいけどやってみるそうだ。だけど、呪術省の基本方針としては殲滅を望んでいるらしい」

「……まあ、でしょうね。じゃないと五神が出張っていることに説明がつかない」

『カッ。いかにも人間様のやりそうなことじゃねえか。自分たちの力を過信してるんだよ』


 ゴンが呆れたように言う。ゴンも迫害された身だから呪術省がいかに愚かかわかっているんだろう。

 というか、呪術省は現場をキチンと見ているんだろうか。マユさんと大峰さんに白虎、それに何故か星斗と実力者が揃っているのに、天狗を倒しきれずに撃退させるのが限度だ。それ以上の戦力なんてないだろうに、何を悠長にしているんだか。

 さて、一応結果を言わなくては。ホント、Aさんが呪術省を潰そうとする理由がよくわかるよ。


「大天狗様。呪術省はあなた方という存在を理解しようとせず、愚かにも戦いを続けることを選択したようです。彼らは言語を扱えぬ猿に退化したのでしょう」

「そうか。まあ、予想はしていた。では呪術省は本格的に潰そう。それに人間はやはり増えすぎたのう。間引くか。晴明の子孫どもよ。約定は違えぬ。例の学校を除いて、都を更地にしよう。もし大切な者がいるのであれば、その学校に避難させるがいい」


 やっぱり呪術省だけを売り飛ばすってわけにはいかないか。どうにかその怒りを呪術省だけに向けてほしかったんだけど。

 あと、学校のキャパ的に京都全ての人たちの避難なんて無理だ。時間的にも余裕がない。さっきバカ正直に言ったように、何かしらの要因で大天狗様を説得できないだろうか。最悪、次の行動に支障が出るレベルで負傷させるとか。


「申し訳ありません。私の立場として、京都を更地にするのは看過できません」

「うむ?愛する者以外の理由があるのか?」

「はい。私も我が家も陰陽どちらも均等を為さなければなりません。呪術省という悪と、都の人間のほとんどでは均衡が崩れるからです」


 人間全てが善とは言わない。だが、同じように呪術省も悪だけではないとも言いたい。全国の陰陽師を統率している機関だし、なくなればそれなりに困ることもあるだろう。潰れてもいいとは思っているが。

 それに京都を更地にするってことは、宇迦様の社もたぶん消し飛ぶってことだし。京都で暮らし始めて一か月くらいだけど、ここで出会った人たちの中でも消えてほしくない人たちはいる。俺の感傷なのかもしれないけど、俺の言動で守れる人がいるのなら守りたい。さすがに京都市民全員はやり過ぎだと思うし。


「なるほど。正しく調停をしている者からすれば今回のようなことは少々目を瞑れないのか。お主たちが日ノ本の平定をせぬか?」

「表舞台に立つのは厳しいでしょう。表も裏も見張れる、今の立ち位置が相応しいかと。日ノ本に生きているのは人間だけではありませんから」

「その発言を聞くに、やはり呪術省が表の顔というのは間違っていそうだがな?……ふむ。では呪術省を潰す。その過程で少し人間も減らそう。これならどうだ?」

「あなた方の邪魔をするのなら致し方ないでしょう。ですが、無抵抗な人間はやめていただきたいのです。神の御力は、人間の目には強大に映りすぎますから」


 この辺りが妥協点だろう。呪術省の言いなりになって死ぬ陰陽師までは庇えない。さすがに大天狗様を見て陰陽術も使えない一般人が攻撃したりしないだろうから、大天狗様を鎮めるために呪術省には犠牲になってもらおう。

 むしろ俺たちが呪術省へ向かう大天狗様たちの誘導を買って出る?そうすればプロも手が出しづらいような気がするけど。


「……あいわかった。その上で儂がAの掌の上で転がされているということもな。あ奴め、これを目の当たりにして、儂を踏み台にしおった」

「え?Aさん?」


 何故そこでその名前が出てくる?知り合いなのはいっそ気にならないけど、これまでの会話で何でAさんの掌で転がされていることになるんだ?

 俺が呪術省を潰す方へ誘導したから?Aさんは呪術省を潰そうとはしていたけど、それは本人たちだけでできる。わざわざ大天狗様を利用してまでやる事とは思えない。

 他に何か目的があった?だとすれば何が。俺との会話で分かるようなことなんてあったか?


「業腹じゃが、もう少しあ奴の台本通りに進めてやるかのう。明よ。儂らはお主たち橋渡しにこそ、存在を証明するためにお主と争おう。安心せい。殺しはせぬ。だが、運が悪ければ長い間寝込むことになるじゃろう」

「……私が貴方の前に来た時点で、争いは避けられなかったと?」

「そうじゃのう。全てAの筋書き通りじゃ。あの者と縁を結んでしまったことを恨むがよい」


 相手がそう決めてしまったのであれば、これ以上話していても結論は変わらないだろう。むしろぐずついていると命すら保証されないかもしれない。すでに攻撃は仕掛けてしまったのだから、新生は避けられなかったってことだ。

 ゴンも銀郎も、今は戦闘準備に移っている。でも、桑名先輩には言っておかないと。


「すみません、先輩。交渉は失敗してしまいました。死にはしないみたいですけど、死ぬ目に遭うと思います」

「わかりきってたことだよ。しょうがない。……さっきから出てくるAって人物は誰だい?もしかしてこの前の事件の首謀者?」

「はい。天海内裏を名乗っていた人物ですよ。何故か目をつけられていまして。あの人が今回も裏にいるみたいです」

「とんでもない御仁だね。……それにしても、仲が良いとは思ってたけど、那須さんとは恋人だったのかい?」

「いえ、付き合っていませんよ。でも、好きです。ちょっと乗り越えないといけない壁が多くて」


 聞かれていたのは仕方がない。でもミクと付き合うには解決すべき問題が多々ある。そもそもミクは俺のことどう思っているんだろうか。周りにせっつかれているだけで、俺のことは何とも思っていないのかもしれないし。

 まあ、こんな考え事も無事に帰ってからだけど。


「桑名先輩。ゴンを強化するためにある禁術を使います。だから禁術を使うことを見過ごしてほしいのと、俺が術式を発動している間守ってほしいんですが、お願いできますか?」

「禁術って……。それは危ない術式じゃないのかい?」

「危険な術式ではないですよ。ただ霊狐を呼び出す術式だから呪術省からは禁術指定を喰らっているだけです。誰にも危険は及びませんよ」

「わかった。じゃあ、その術式を使ってくれ」

『明、ここは京都だが、できるんだな?』


 ゴンが聞いてくる。式神降霊三式は地元でしか使ったことがない。それほど地元の土地柄と霊脈が俺の波長に合っていたってことだろうけど。あっちで三回ほど使っていて失敗したことはないけど、こっちで試すのは初めてだ。成功する保証はない。

 地元で成功できたのも、俺が次期当主として内定していて、あの場所の霊脈を理解していたからだ。京都は霊脈が広すぎるというか強大すぎるというか、いまだに理解できていない。そんな状態で使って大丈夫なのかという質問だ。


 だけど、現状でゴンも銀郎も決定打を打てない。そうしたらゴンを強化して、どうにか格を大天狗様に近付けないと何にもならないだろう。それこそ一蹴されておしまい。そんなあっけなくやられたら、後はどうなるか。

 全力を尽くさなかったら大天狗様にはバレてしまうだろう。尽くさずに機嫌を悪くさせるよりは、失敗してでも全力で取り組んだ方が良い。


「ああ、やってみせる」

「難波くん。僕にも一つ奥の手がある。ゴン様と銀郎様で隙を作ってくれれば僕がその術式を使ってみる。それも通じなかったら、潔く降参しよう」

「ですね。じゃあ、最初の時間稼ぎ、お願いします」


 ゴンと銀郎が突っ込む。桑名先輩も呪符を取り出して術式を使う。やはり周りの天狗たちは一切手を出さず、状況を見守っているだけのようだ。

 これなら、長時間かかる詠唱も邪魔されることはないだろう。

 懐から、上質な紙で出来た長い紙を取り出す。それを広げ、この辺りの霊脈を感じ取りながらそこに書かれている内容を読み上げていく。


「難波家四十八代目当主、難波明が奉る──。今は眠りし建国の祖を父に持ちし高天原たかあまのはらを統べる太陽神へ捧ぐ、全ての生きとし生ける者の母よ。貴女様の一助として、日ノ本の豊穣を願わくば、我が身は僭越ながら巫女イチコの真似事を御覧ごろうじろう。対価は我が身のささやかなる神気。若輩なる身では禊もできませぬ。貴女様の真名をお借りして、眷属の手助けをここに。──式神降霊三式!」


 祝詞を言い終えると、持っていた紙が燃えて消えてなくなる。そのまま俺を中心にして呼びかけるための霊気が広がる。探し出すのは周囲にいる霊狐。地元にいる時はどこまでも広がっていきそうな勢いがあったが、今はそこまでの広がりが感じられない。

 精々が京都市の周りぐらい。だが、京都は狐を嫌っている文化がそれなりに残っているし、仇敵である呪術省の総本山がある場所なため、伏見稲荷大社があってもそこまで狐がいない。せめて京都府くらいには範囲を広げようとしたが、霊気不足かそこまで広がっていかなかった。


 地元で行った時はそれこそ日本中に広がっていくような感覚があったのに。術式が安定しない。一気に霊気が持っていかれて身体の制御もできない。術式を使ってゴンを強化するどころじゃない。

 ミクを守らないといけないのに。ミクだけじゃない。このまま呪術省に関わりのある人間全てを排除するというのなら、五神のマユさんや大峰さん、それに星斗たちも殺されてしまうかもしれない。


 それはダメだ。人間が全てとは言わないが、人間が全ていなくなるのも間違っている。それに俺やミクだって、少し特殊だけど紛れもない人間だ。嫌悪することもあれど、同時に守りたい心もある。

 この二律背反の気持ちがあってこそ俺だというのに。それを証明するためにこの術式を発動させて維持しなければならないのに。


 何が足りないのか。霊気か。心か。場所か。相手か。それとも──ミクが隣にいないからか。

 それでも集まってくれる霊狐はいた。だが、数が圧倒的に足りない。今視界に入るのは数十体程度。この程度では、消耗した霊気に釣り合わない。

 そう思っていると、俺の身体に光が降り注ぐ。その光は膨大な神気が込められていたのか、さっきまでの不安定さが嘘のように直されて安定し、範囲も広がっていく。

 ああ、これなら。京都府と言わず、近畿中の狐を呼び出すことができる。


「気張りや、ハル」

「……ありがとうございます、宇迦様」


 そのまま霊気を放出して狐を呼び出す。どんどんと狐が集まってきて、ゴンや俺に霊気を与えてくれた。使っていた分の霊気など悠に回収し終わり、むしろ満ち溢れているくらいだった。

 この術式を見ていた大天狗様は見たことのない術式だったのか興味津々で眺めていたが、この術式を助けるために宇迦様が神気を俺に与えてくださったことに関しては顔を歪めていた。同じ神として、自分の行動を邪魔されたかのようで気に喰わなかったのだろう。


「ゴン!」

『ああ!』

「『不敬とわかりし太古の岩戸よ!今一時、再び彼の者を封じる檻と為れ!五条岩牢ごじょうがんろう!』」


 俺とゴンの合わせ術式で大天狗様の周りに大きな岩でできた牢獄を五つ作る。それが合わさって、いくら大天狗様でも少しの間は出て来られないはずだ。


「桑名先輩!」

「任された!」


 桑名先輩が後ろで何かの術式を用意している。俺とゴンは今使っている術式の維持に力を注がなくてはならなかったし、銀郎はもしも大天狗様が出てきた時に備えて警戒していなければならなかった。

 そのため、その術式は誰も見ない。霊狐から送られてくる霊気を潤沢に回して、この封印術で押し留めなければならなかった。


 この術式、天照大御神が御隠れになったとされる天岩戸を術式によって再現したものだ。だが、特定の条件を達成しないと突破できないといったものではなく、力技でも壊せてしまう物だ。だが、相性的な意味では限りなく正解に近い選択のはずだ。

 この術式は結界術式であるのと同時に、封印術式でもある。難しい術式ということもあるが、結界ならまだしも封印は俺は苦手だ。いつ綻びを産んで壊されるかわかったものじゃない。だから桑名先輩には急いでほしかった。これ以上の術式は思いつかないということもある。


 今だって受け取っている霊気でごり押しているだけに過ぎない。出力をかなり上げているが、こちらはゴンと俺の馬力。向こうは大天狗様というれっきとした神だ。分け御霊と人間の力では、いつか破られるだろう。


「全てを打ち払う克明の光よ!それは全ての戦場を駆け、勝利し続けた戦神の誉れの如く!今、雷轟響け蒼穹の彼方へ!浄破光滅弓じょうはこうめつきゅう‼」


 そうして桑名先輩の手から放たれた光の矢は。

 分厚い岩で囲まれた結界術式ごと、大天狗様を貫いた。

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