第62話 2ー2

 食事を終えた俺らは、周辺で一番有名な稲荷寿司を置いているお店で持ち帰り用を三つと、すぐに食べるゴン用を買って目的の場所へ向かった。

 稲荷神社。京都にしては珍しく狐を奉っている社だ。千をも越える朱い鳥居が連なる様や重軽石など、見所多数なために狐を信奉しているという多大なマイナス点があっても観光名所として京都の観光案内に記されているほどだ。


 外国人観光客からしたら、狐を信仰してようが、日本の八百万の神を信仰していようが関係ないのだろうが。そこは土着の思考だから、外国からしたら訳のわからない風習なのだろうけど。

 外国は日本とはだいぶ違うらしい。世界の事はニュースなどでも取り上げられるが、日本の状況で手一杯なのに何を気にしたらいいのか。国のお偉いさんなどは来たり行ったりしているが、それがどうしたである。どうせ海外の人間に魑魅魍魎のことを対処させようとは考えていないのだから。


 まあ、そうは言っても日本人の観光客ももちろん多い。今はそこまで狐批判が強くないということだろう。それかここで何を祀っているのか知らない無知かのどちらか。歴史的な意味合いはあっても、この神社はそれ以外にあまり価値のない場所というのが呪術省の言う公式見解だ。

 だが、ここに来れば嫌でもわかる。今では感じられる人間も多いかもしれない。これはあの日に広がった力の一つ、神気が溢れる場所だと。ここまで濃いのは日本全国どこを探してもないだろう。それだけ敷地の外まで神気が漏れ出ている。


 そんな場所も、日本人外国人関係なく訪れる観光名所だ。外国人なんて霊気も神気もまともに感じられないだろう。魔術とか、その国独自の陰陽術のようなものがあるようだが、根本が違う。概要は軽く知っているが、霊気を感じられるとしたら中国人と韓国人くらいのものだろう。

 その二つはまだ日本に近しいものがある。というか、大元は中国大陸だ。その中国もインドの影響を多大に受けたらしいが、遥か昔の時点でインドと中国の開きは大きくなっている。日本は中国大陸から様々な文化を学んだので、近いのは中国大陸のことであり、更にその大元のインドでは少々勝手が違っている。


 いくら大元とはいえ、中国人が日本の霊気や霊脈について詳しく認知できるかと言われると、おそらく無理だろうが。日本人でも千年経って理解できていないことを大元だからと理解されてしまったら、この長年の研究は何だったのかという話だ。豊臣秀吉辺りは陰陽術も含めた文化を得るために朝鮮出兵したらしいが。

 こういった理由から、外国人はただ珍しい文化を見に来ただけで陰陽術関連ではないだろうと推察する。この考えにはゴンも賛成してくれた。なんだか伏見稲荷神社は日本の観光名所一位を取ったようで、かなりの人が集まっているらしい。


 俺たちは正規ルートとも言える表側から行くのではなく、山の裏手側、千本鳥居がある方ではなく森林浴ができそうなほど木が生い茂った道を歩いて行く。


「明様、どうしてこちら側を行くんですか?表参道はこちらじゃないですよね?」

「こっちはたしかに裏道だけど、こっち側にウチの鳥居があるんだよ」

「ウチの鳥居?」

『ここの鳥居は、お金の寄付で建てることができるんですよ。770年ころからある神社らしいので、安倍家はもちろん、難波も土御門も賀茂も寄進しているんですよ。坊ちゃんが行こうとしているのは難波の鳥居ですね。っていうか坊ちゃん、知ってたんですか?』

「父さんに聞いた」


 銀郎が説明してくれたが、つまりはそういうことである。山頂には行くのだが、その前に難波の鳥居を見ておきたいというだけだ。場所とあるという事実くらいしか知らないが、京都から離れた難波がいつ寄進したのか気になる。

 安倍家の鳥居はどこにあるか知らない。土御門は把握しているはずだが、父さんは教えてくれなかった。京都にある晴明神社とかそういう晴明に関連するものは基本的に呪術省か土御門が管理している。ここの鳥居もそうだろう。


 そういうわけで裏道を行くと一気に人がいなくなった。歩いている人数が段違いだ。表参道は人がぎゅうぎゅう詰めになって歩いていたのに、こっちは平然と行きあえる。楼門や熊野社も表参道にあるんだから、そっちに行くのが当然っちゃ当然だが。

 一般人にはこの山道も大変だろうが、そこは腐っても陰陽師。肉体強化の術式を使えばこの程度の山道はどうってことないし、山頂に行くまでに一時間半もかけていられない。だからさっさと登りあがる。

 驚異的な速度で登っていくために周りの観光客が何事かとこちらを見てくるが、一切合切無視する。ちょっと足が速いだけの集団だ。ちゃんとした観光はまた今度すればいいし。


『あれ?ここの鳥居の奉納って江戸時代から始まったんじゃなかったかニャ?』

「瑠姫、それは一般人の話。京都の名家は昔から寄進してるよ。寄進がなかったらこんな大きな神社維持できないし、全国にある神社の総本山にもなれないだろ。安倍家や土御門はそういう最初期に寄進した家なんだよ」

『ほえー。勉強になったニャ』


 まあ、そんな最初期の寄進なんて寄進って名前じゃなかっただろうし。氏子からの出資で、それが多額だったから鳥居を建てたとかいう、今の形の元になっただけだろう。

 それよりも意外なことは土御門と賀茂という狐嫌い二大巨頭がここへ寄進している事。狐をむしろ祀っているこの場所へ寄進する理由を考えたが、おそらくは狐を受け入れてくれているから。厄介ごとを全て一身に受け入れているから、そのお礼として寄進をしているのだろう。たぶん。


 こちらの裏道にももちろんいくつかの鳥居があった。朱色というのは魔除けの効果があり、結界を意味する。さらに鳥居というものは本来境界を視覚化するもので、そこを超えた先が黄泉の国、もう片方は現世という意味もある。

 では、これだけある鳥居の意味とは。鳥居が境界だというのなら、膨大な境界を作り出すことで目指すことは境界の複数化。もしくは偽装だろう。

 複数化は単純に、黄泉の国と現世だけではなく、神の座する神の御座への連絡路の構築もあるだろう。これは神社なら複数鳥居がある場所では自然な事象だ。神を祀る場所なのだから当然だろう。


 だがここは、悪い意味で狐を信奉されてしまっている。つまり、悪意が神の御座への道を閉ざしてしまう。それを防ぐために複数入り口たる鳥居を置くことで解決しているのだろう。

 偽装は本物の道を隠すためだろう。昔に比べれば狐嫌いも収まってきたから、悪意も薄れて道もちゃんとできているだろう。それを隠すためのダミーがあの千本鳥居だと思う。その道は神気を感じ取れる人間なら見付けられるとゴンが言っていた。昔であれば神気を感じ取れる人間はそこそこいたらしいので、そんな人間が迷い込まないようにした処置なのだとか。


 歩いているとかなりの数の祠を見つけた。これ一つ一つが神であったり狐を祀っているものだとしたらかなりの数だ。ここまで祠がある神社も他にはないんじゃないだろうか。規模からして最大級の神社だろうが。

 景色も確認しながら登っていくと、中腹あたりで巫女服を着た少女を見かけた。その少女は白髪を靡かせて楽しそうにスキップをしていた。神主さんの子どもだろうか。

 だが、その少女の頭を良く見るとその考えが間違っていたと知る。頭の上に狐耳が付いていたからだ。それにその身に宿しているのも神気だ。ゴンほど多くもないが、神の一柱に間違いないだろう。


「ゴン」

『ああ。あいつは神じゃなくて神の遣いだ。表参道の入り口にいた狐の像があっただろう?あれの実体だ』

「あれが……」


 見た目年齢は八歳くらいだろう。この稲荷神社自体が神気を多分に含んでいるために、一見しただけではあの少女が神の遣いだとわかるわけがない。髪の色も霊気をたくさん持っているからで納得してしまう。

 だが、良く見れば気付けてしまうのも本当で。こうして人目につくように歩いていいのだろうか。


「あれって姿を偽ってるのか?さすがにケモ耳の少女がいたらわかるよな……?」

『あいつの姿を見ることができるのは決められた存在だけだ。一般人やただの陰陽師には姿すら見えてねーよ。あいつのことを見つけることそれ自体が試練の一環だ』

「試練ですか?」


 ゴンの言葉にミクが首を傾げると、例の少女がこちらを見つけてニパッと笑った。そのままこちらにとたとたっと近付いてきて、俺とミクの手を取った。


『お兄ちゃん、お姉ちゃん待ってたよ!こっちこっち!』

「待ってた?」


 その言葉を疑問に思いながらも引っ張られていき、その後をついていく。ここに来ることは決めていたとはいえ、手紙や式神の使いを出すようなことはしていない。なのにわかっていたような口振りはどういうことだろうか。

 まさか、神様だからこそわかっていたとでもいうのだろうか。だとしたら、失礼がないように一層気をつけなければ。


 引っ張られて連れて来られた場所には朱色が少しはげた小さな鳥居と、やはりこじんまりとした祠。先ほどの場所からそこまで離れてはいなかった。

 その鳥居の側面に彫られた文字を見て納得する。難波家が寄進した鳥居だったからだ。年は彫られていないが、鳥居の状態から相当古いものだということは分かる。


『お兄ちゃんたち、こっちだよ!クゥちゃんも早く!』


 少女の声を確認すると、鳥居の内側に白い空間が出来上がっていた。その中に入り込み、半身を出している少女だが、もう半分は白い空間に入り込んでいて見えなかった。

 その少女は促しておいてその空間に一足早く入っていってしまった。


『ププーッ!またクゥちゃんって呼ばれてるニャ!』

『うるせえぞ、瑠姫。……この中は神が座する社の内部だ。お前らはオレらの神気で慣れてるから大丈夫だと思うが、この先は神気が溢れたまさしく神のための場所だ。人間の身には厳しいものがあるかもしれない。用心して中に入れ』

「わかった。そもそも神様相手に用心しないで会おうとは思わないよ」


 ゴンの言葉に頷いて、ミクの手を取って鳥居の先へ行ってみる。白い空間に包まれた瞬間、今までの比ではない程の神気を全身に受ける。それは暴流のようで、全身を波打つ塊が打ちつけてくるのと同時に細い針のような神気も身体の穴という孔を刺してくる錯覚に陥る。

 いや、これは錯覚じゃなくて現実だ。これが神の座に人間が入るということなのだろう。ただの人間では神の座に入ることそのものが毒であるように。霊気とか神気に耐性がなければ、それだけで圧死してしまう。鈍感な人間でも、感じ取れないものでも、これは触れただけで消し飛ぶ。


 そんな流れに逆らうように進んでいく。その時間は刹那だったか、それとも数時間あったのか。一歩踏み出すたびに、足が重くなる。感じ取れるものがミクとつないだ手しかない。ゴンや銀郎と繋がっているはずの霊線が感じ取れない。全身に神気を浴びるとここまで感覚が鈍くなるのか。

 そもそも、今進んでいる方向が合っているのかすらわからない。ゴンはここに来たことがあるはずだが、一切教えてくれない。さっきの子も先導してくれるわけでもなく、一面真っ白な景色が続いているだけ。


 足を進めれば、それだけで思考が塞がっていく。何をしても、歩いていることしかわからない。五感がだんだんと奪われていく感覚は、まるで人間からこの場に相応しい存在へ変革していっている奇妙さを覚える程。

 だが、ミクとつないだ手だけは確実にここにある。一度振り返ってミクの顔も全身も確認して、そのミクが平然としていることに少し微笑んでからもう一度歩みを再開する。進む方向は直感任せだ。


 そしてやはり時間感覚がわからずに進んでいくと、途中から針と弾丸の嵐から、身体を包むような暖かいものに変わる。それを感じ取りながらも、おそらく進んできた方向が合っていたのだろうと思って歩幅が大きくなる。痛みに近い感覚がなくなってから足を進めることが苦ではなくなる。


「遊び過ぎたかえ?まあ、久しゅう狐の子に会ってなかったもんで、遊んでもうたわ。でもこれも通過儀礼として目ぇ溢してくんなまし」


 耳元で囁かれるお淑やかな声に、足を止める。聞いたことのない声のはずなのに、温かみの感じる落ち着く声。母性を感じるとか、そういう包み込むような。これが神様の声というものなのか。

 動いていないはずなのに、辺りの景色が変わっていく。霧ではないが、晴れていくようにまるで位相が変わっていく。白い空間から緑の草原へと。穏やかでそこには静寂しかないような安寧の地へ移り変わったようだ。

 そこに平然と寝そべっているゴンと瑠姫、正座した銀郎。


「いやいやいや。何で俺たちより先にここにいるわけ?後ろにいたんじゃないのか?」

『オレたちは分け御霊とはいえ神の一柱だぞ?人間が通らないといけない道をわざわざ試練込みで歩くわけあるか。オレらはあそこをくぐった時点でこの場所に出るんだよ』

「なんか理不尽だ……。俺とタマだけ苦労したとか」

『珠希はあんま疲れてないみたいだが?』


 そう言われてミクの顔を見てみるが、たしかに疲労は見て取れなかった。えー、俺はこんなに疲れてるのに。そんなのってあり?


「明様、大変だったのですか?そうおっしゃってくだされば、前を代わりましたのに……」

「いや、タマの壁になれたのならそれでいいさ。それにあの神気の奔流をタマがまともに受けたら気が狂ってたかもしれないぞ?」

「それはあらぬな。あの空間は通る者全てに等しくあの荒波を受けてもらう。あの場所を通って平然としているそこの娘は、お主よりも神気に近しいのか慣れとるということかえ。ただただ、器の違いゆうこと。憑いてるものがものやしのう」


 俺たちの会話に入ってくる知らない声。そこへ目線を向けてみると白髪のお狐様がその場に凛と立っていた。体長はゴンよりも大分高く、俺たちの腰ぐらいはありそうだ。そのお狐様に先程の少女と、少女に瓜二つなもう一人の少女が張り付いていた。


「初めましてや、次期難波の坊ちゃんと狐憑きの少女。わらわこそがここの伏見稲荷大社に住まう宇迦之御魂うかのみたまの大神おおかみ。気軽に宇迦様と呼びい」

『宇迦サマ宇迦サマ。コト、お兄ちゃんとお姉ちゃんここまで連れて来たよ?褒めて褒めて』

『コトずるーい。ミチ、ずっとここで宇迦サマ守ってたのに』

『守護はコトたちの使命だから仕事じゃないモーン』


 ここの主神の挨拶と共に、脇にいた少女たちが姦しくし始める。そのせいで挨拶のタイミングを外した。名を告げられたのだから、こちらも返さなくてはならないのに。

 それを気にせず宇迦様は、綺麗な一本の尾で器用に二人の頭を撫でていく。宇迦様は九尾ではなく、尾は一本だけのようだ。


「はいはい。二匹とも少し静かにしーや。もう少し落ち着いたらどうなん?あんたら、クゥよりも年上でしょう」

『クゥちゃんは拗ねてるから真似したくなーい』

『クゥちゃんはツンデレさんだから参考にしたくなーい』


 ぶーたれる少女たち。ここの成立年からしてそうだとは思っていたが、この少女たちゴンよりも年上だったか。そもそもゴンって天狐としても比較的に若い方とは言ってたから、そういう別格の存在からするとかなり下の方なのかも。

 今のやり取りにまた爆笑している瑠姫を無視して、俺とミクはその場に正座をして頭を下げて挨拶をした。


「初めまして宇迦様。私が難波家次期当主の明です。こちらは分家の那須珠希」

「初めまして、宇迦様」

「頭をあげい。……ふむ。確かにその名も真実。良い名を親にもらったようやえ。でも、真名がちゃんと二人の間にはありんしょう?ここは神の御座。真名があるのならそちらで呼ぶがよい。なあ?ハルにミク」


 さすが神様というか。どうやって知ったのかわからないけど、俺たちが約束した名前で呼び合っていることを知っていた。宇迦様に隠し事はできないというのなら、機嫌を損ねないためにも言う通りにするのが正しいのだろう。


「わかりました。この場ではそうさせていただきます」

「うむうむ。素直なことは良いことだぞ。妾もハルとミクと呼ぼう」


 上機嫌に笑う宇迦様。狐の姿をしているが、間違いなく神様なのだ。女性、だろう。男神には見えない。


「して。今日は何用だったのかえ?来ることは知っていんしたが、挨拶だけではないのも承知の上。妾はこの山を取り仕切っているとはいえ、京都の守護神というわけでもありんせん。この場所の土地神が精々の、権能も狐についてのみ。して、用向きは?」

「狐の取り纏め役、というだけで我々が来る理由があるでしょう?難波とは、そのための家なのですから」

「ハル。お主は狐を好いておる。それも人間以上にだ。……それほどまでに、人間は嫌いかえ?」

「正直に言えば、そこまで好きではないのかもしれません。特に京都に来てからはそれが顕著になっているかもいしれません。信じられる人が少なく感じるからでしょう。狐に裏切られたことはないので、相対的に見れば人間は嫌いでしょう」

「ふむふむ」


 そう頷いてから、宇迦様は俺とミクの周りを歩いて匂いを嗅いだり、尻尾で触診をしてくる。ゴンよりもボリューミーな尻尾が気持ちいい……じゃなくて。


「ミクが狐憑きというのも大きな理由なのかもしれぬ。あとはクゥが甘やかしすぎだ」

『そんな甘やかしてねえよ。そいつにはきちんと難波の次期当主になるべく正当な教育をだな……』

「悪意のある人間を、教えたであろう?葛の葉と同じ教育をしてどうするのかえ?晴明とは境遇が異なるというのに、根本を同じようにしおって。段階をすっ飛ばしすぎだ。自分で気付かせるような成長という過程を吹っ飛ばして結果だけに執着させる。そのせいでハルは大分歪になってしまっておる。ミクはお主の教育がハルほど濃くなかったからマシよのう。慣れぬことをして裏目に出たな。晴明や玉藻の教えも歪だったと何ゆえ気付かなかったのかえ?吟も金蘭も法師も、おかしかったではないか」

『ぐぅ……』


 反論できなかったようで呻くゴン。本人の前で歪とか言わないでほしいなあ。いや、学校嫌いとか一般人や普通の陰陽師からしてもおかしいのは知ってるけど。

 宇迦様が名前を挙げた人物たちも天才というか、普通という観点からは離れた存在だ。それに対する教育と似たようなことをすれば、偏るのもおかしくはない。


「ハルの在り方は今の世では珍しい。前例などとんと消え去って久しいのう。悪霊憑きよりも数が少ない。おんや?まだそこそこおるのかえ?奈良の方に一族でおるねえ。血は薄まってるけど。──総じて、今の人の世に適合させなかったクゥが悪いのう」

『あーあー!悪かったよ!でも仕方ねえだろ⁉難波って家と、変わっちまった世の中、まともに教育もしたことのないオレと、いつ襲ってくるのかわからないエイへの対処!珠希も産まれてるんだし、何より節目の一千年だ。こうする以外に何か方法はあったのかよ?』


 理由を並べているが、つまるところ言い逃れを考えているらしい。または宇迦様が納得してくれるかどうか。

 それと、ゴンは葛の葉様と生前お会いしたことがあったのだろうか。ゴンが玉藻の前に拾われる頃には亡くなっていたような気がするが。

 その教育は知っていたとして、俺に適応させるのは正しかったのか。今の自分であることに後悔はしていないし、これで良かったとさえ思っている。ゴンにも感謝しているから、宇迦様に反論があるわけではない。


「クゥが人間社会についてもっと学ぶとか、ハルの親と教育方針を話し合うとか、方法自体はいくつもあったでありんしょう?難波家ということはあなたのやることを諫めることはしないんやから。まあ、ハルが気にしていないみたいだからよしとしましょうか」

「はい。今の自分を気に入っていますから」

「もしも。もしも今の世の中が嫌になったらここに来なさい。ミク共々歓迎しますえ。エイの改革が上手くいく保証もなし。神の御座は俗世と隔離されているために、全てを忘れられんしょう」


 それは逃げ、だろう。人間のことはそこそこ失望しているが、父さんたちもいる現世から離れようとは思わない。宇迦様には悪いが、むしろ見捨てるとしたら日本という国だろう。今まで培ってきた人間関係を切り捨てようとは思わないし。

 たとえ海外に行っても大将のラーメン屋には来ようと思うし、宇迦様にも会いに来るだろう。神になれやしない俺が神の御座に居座る方がおかしいし。


「時折訪れようとは思いますが、長居はしませんよ。人間の俺にとってここは少々神気が濃すぎます」

「そうかえ?もし気が変わって神の御座に移り住みたいと思ったら、金蘭に会いなさい。金蘭はその術を知っていんしょう」

「……金蘭様は、まだ生きてらっしゃるのですか?」

「生きているわ。ミク、今度ハルに過去視で視たものを全て話してもらいなさい。過去に生きた存在がまだ生きているのであれば、その人に聞くのが一番早いでしょうから」

「それはAさんも、ですか?」


 金蘭が今も生きているというのは少し驚きなのだが、Aという存在を考えれば可能性はたしかにある。伊吹との会話から、おそらくAさんは一千年前から生きているとは推測していた。そのイニシャルから何となく予想はついているが。


「ああ、あの子。あの子とはあまり会わない方がええな。Aはなあ、会った子が染まってしまうんよ。悪い呪術師になるっていうことやなくて、そのままの自分で理想だけあの子に侵される。面倒なことやえ」

「会わない方がいいと言われましても……。向こうから来るのですが」

『アハハハハハ!坊ちゃん何故かあの変人に付きまとわれてるからニャア。あれを振り払うのはキツイと思うニャ。実力だけは誰も現状勝てないからニャア』

「金蘭なら勝てるんじゃないのかえ?アレは、玉藻の前を除く全ての陰陽師の上をゆく。それはあの男も例外じゃない。人の世では守りが得意だの言われてるらしいのう。だが、それは晴明と比べてであろう?晴明に比べれば火力はないであろうが、日本を滅ぼせる力はあるぞ?アレは神に匹敵するからのう」


 金蘭の実力はある程度知っている。晴明の高弟と比べても、何もかも勝っていた。晴明に匹敵する陰陽師というのも事実であり、オリジナル術式や防衛に関しては晴明よりも上だった。それを土御門や賀茂が認めなかっただけではないだろうか。

 金蘭はあくまで晴明の式神。従者が主を超えるなど認めてはならなかったのだろう。悪霊憑きが珍しいとされる時代に、その恩恵を全て陰陽術へ回した結果始祖たる晴明に並んだ女性。神である玉藻の前を除き、圧倒的な力を持った陰陽師。その人が今も生きているのなら、Aさんにも勝てるだろう。

 もっとも、一度も難波家に顔も出さずに連絡を取る手段もない金蘭に何をどう言えばいいのかすらわからないが。


「宇迦様のお言葉、しかと受け止めます」

「うむ。善きかな善きかな。ハルもミクもその体質を隠し通すのは大変かと思うが、頑張りなさい」

「「はい」」

「それと……。捧げものがあると聞いているぞえ?そろそろ出してもらわないと、この子たちが限界だ」


 宇迦様の脇でコトとミチがよだれを垂らしながら俺のカバンに入っているであろうモノへ目線を向けている。透視くらいできそうだから、何があるのかわかっているのだろう。

 少し苦笑しつつもバッグの中から稲荷寿司を出す。三人前買わされたということは、ゴンはコトとミチのことも把握していたのだろう。


 一人前ずつ置いていくと、コトとミチは早速タッパーから取り出して口に放り込んでいた。リスのように頬を膨らませながらも、次々と稲荷寿司をほおばっていく神の遣いたち。見た目と相まってとても愛らしいものだった。

 一方宇迦様は尻尾の先端で稲荷寿司をつまみ、それを口元に運んでいた。前足を使って豪快に食べるウチのお稲荷様とは違った上品さだ。


『『おいしー!』』

「ふむ。これは近くの、そう踏切の近くで売っている稲荷寿司ではないのう。伏見で買ったのかえ?」

「はい。伏見でも有名なお店で買いました」

「踏切の所のお店は何度も献上されてるが、これは味が違ったからもしやとは思ったが。うむ、馳走になった」

「いえいえ」


 お狐様に稲荷寿司は安直かとも思ったけど、こうして喜んでくれるならいいか。ただ次来るときは和菓子とか別の物にしよう。

 そして、そんな愛くるしい姿を見ていたらいつもの発作が起きてもおかしくはなくて。


「……はぁ。まったく、難波の血筋はいつもこうなるのね。いいでありんしょう。好きにしなんし」

「……よろしいんですか?」

「捧げもののお礼としましょう。コトとミチも」

『はーい』

『クゥちゃんはダメだからね?』

『しねーよ。オレはされる側だ』

「では遠慮なく」


 血筋だからな。仕方ないよな。初めて見るお狐様だし。それが神様とはいえ三柱目の前にいたらこうならない方がおかしい。


『不敬にならないように、気を付けてくださいよ……』


 銀郎の呟きを守ったかどうか、その後のことは覚えていない。

 ただコトとミチは楽しそうに笑っていて、宇迦様も微妙な顔をしつつも笑っていた。存分にモフらせてもらったが、銀郎は青ざめた顔をしていたし、瑠姫は爆笑。ゴンはむしろいい気味だと嗤っていた。

 ただ、不敬とは言われなかったからまあいいだろう。

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