第60話 2ー0

 その日、安倍晴明は引っ越してきたばかりの都を一人で散策していた。簡易式神は傍に侍らせていたが、生者という意味では一人だった。

 母親がちょちょいと奸計を企てて手に入れた都の一軒家。屋敷と言っても過言ではない場所を何の身寄りもない母子が手にしていたが、誰一人として気にすることはない。生活費というか、食事にありつくためにとある占い師に弟子入りはしているが。


 それも世間体を気にしているだけで、財はかなり所持していた。それでも無駄遣いはよくないと働き始めたのが最近の事。

 都の中だというのに貧富の差が激しかった。富んだ暮らしをして、球蹴りや女あさりをしている貴族の男たちもいれば、屋敷に篭って美を探求する女もいる。

 貧困層ともなると、そのまま道の端で野垂れ死んでいる者もいれば、盗みをして食い物を得ている人間もいる。晴明は仮にも貴族として最低限の姿をしていたために、そういった浪人たちに目をつけられている。


 襲いかかってきた人間は霊気で吹き飛ばしたり、護衛の簡易式神が殴り飛ばしたりと、誰も近付けてすらいなかったが。

 そんな元服したばかりの少年晴明は物珍しさで貧困層を眺めていた。

 彼らも少し前までは都から離れた村に住んでいた。正確にはその村から更に離れた小さなあばら家に住んでいたのだが。


 だから貧しいということを珍しがっているわけではない。人間の貧しさこそを面白がっていたというべきだ。安倍晴明という存在は混ざり者であり、歪だ。その発想は稀代の天才と言われている陰陽師の賀茂をして計り知れない才能を持つと称されるほど。

 そんな少年が眺める貧困層は、何とも悍ましく感じた。晴明たちは村の離れのあばら家に住んでいたのは事実だが、一切合切貧乏ではなかった。


 母が与えてくれる衣食住は村では考えられない程の豪勢な物であったし、貧しいなんて感じる隙間もないほどに充実していた。だが、どうしてもやるべきことがあったために上京しただけで、ただ生きるだけであれば村の離れでも問題はなかった。

 だから彼は貧しいという状況を知らない。身も心も満たされていた。そんな存在が人間の貧しさなんてわかるはずもない。貧しかった村には近寄りもせず、自分たちの生活だけを優先してきたからだ。


 まさしくそこにいただけ。彼らは村という集落にこれっぽちも溶け込んでいなかった。むしろ、彼らがいたなどとあの村の人間の誰が気付いたものか。

 では、そのいつでも恵まれていた少年が、住む場所も食事も衣服でさえ困ったことのない人間が、都という日ノ本でもっとも繁栄しているとされる都の一画にうじゃうじゃといる人間とは言えそうもない生への執着心を持った薄汚い存在を目に映せばどう思うか。


 彼は魑魅魍魎や妖という人間以外の存在を良く知っている。むしろそちらの方が縁深い。人間からしたら異形とも言える姿をした者たちだが、それらを晴明はこよなく愛していた。そんな彼らは好き勝手生きている。自由とも言える。その奔放さが楽しそうで、愉快で、羨ましくて。

 それと比べると、人間の醜さと欲深さのなんたることか。他人が持つものにすぐ嫉妬をし、それを得るために何でもする。力づくで奪うことは否定しないが、盗もうとするのは違うだろうと。


 自分が持たない物を、貧弱な存在のくせに、強者から奪おうとする。その浅ましさが気に喰わない。分相応の暮らしをしようと思えばできるだろうに、それ以上を目指し、自爆する。そうした欲望はほんの一握りしか達成できない。大半はどうにもできない。

 その馴れの果てが、今少年の瞳に映っている連中なのだろう。どれもこれも、晴明の着ている衣装や容姿に嫉妬している。奪おうと、傷付けようとしている。


 それらを手に入れようと、生物的努力をしたのかと問いたい。それもせず、分相応な物へまず手を伸ばしたのかと。それを積み重ねた結果貴族になり財に物を言わすことができていればこんな場所でくすぶっていないだろうと。

 見たいものは見た。こんな場所は母上にも玉藻にも見せられないと判断し、踵を返そうとしたところへ、ある霊気を感じて足を止める。その方向へ足を伸ばすが、今まで何故その霊気を感じなかったのか疑問を浮かべていたが、それよりもその存在を見たくて歩幅が広くなる。


 通行を邪魔する阿呆を一蹴し、それに近付く。それはまさしくゴミの山の中にいた。それを汚いと思うこともなく、頭から掴みあげた。銀髪に黒曜石を思わせる瞳。そして掴むことで理解する。


「何だ、死にかけていたのか。心音が止まっていたから霊気も止まっていたと」

「……」

「おい、返事しろ。身体は今治してやってるだろ」


 拾った生き物は晴明が片手でも頭を掴んで目線を合わせられるまで持ち上げられるほど小さな体躯の、年端もいかない男の子。ボロ布も要所要所を隠しているだけで、着ているというよりも前時代的な葉っぱと同じだ。見たくない、見せたくない所だけ隠れている。

 引っ掻き傷に打撲、内出血に骨折。脱臼に貧血、不整脈と視ただけでズタボロなのはわかった。心臓が止まっていたのも納得できる酷さだった。


 だが、この少年は息を吹き返した。それには晴明が気にするほどの霊気を人間如きが保持していたからに他ならない。

 霊気というのは万物に流れる息吹のようなものだ。生者も死者も関係なく流れ、交わり、可視化して物質化させる万能の力。それを神の如く極めた力を神気と言う。

 この少年は、この霊気がなくなったはずの心音を構成して甦った。それだけのこと。

 今は晴明が知識のない子どもが起こした奇跡を整えて、普通に落とし込めている最中だ。


「……あんた、も……あのぞわぞわと、おなじだ……。おれを、食う、つもりだ……」

「食う?それは異なことを。鬼に喰われたら五体満足には──」


 言葉を続けようとして、少年の状態に気付く。気付いてしまったがために、晴明はその少年の構成要素を楽しそうに観察し、口元が自然と吊り上がっていった。

 妖と懇意にしているためか、晴明は怪異や超常現象などに趣が深い。それこそが日常だったと言っていい。そんな晴明でも、掴んでいる少年の今の状態は初めて見る現象だった。日ノ本のことを隈なく見られる千里眼を持っていたとしても、見たことがないと断言できる怪異。

 いや、どちらかと言えば神秘だ。たとえそれが妖怪に等しい存在にやられたとしても。


「ちぇんじりんぐ、だったか?海向こうの妖精なる存在が行う遊びだ。遥か彼方の僻地にそんな小さきものが何用で?お前が選ばれた理由は……気まぐれか。そもそもこれ、純粋な霊気じゃないな。日ノ本と海向こうが混ざっている。俺と同じ、玉藻と同じ混ざり者だ」

「………………?」

「わっかんねえって顔してるな。まあ、自分の内側に向ける意識なんざなかったんだろうが。こんな腐った場所にいたら、自分がバケモノなんて気付かないか」

「ばけ、もの……?」


 少年の目は虚ろになっていく。空腹に栄養失調で意識が朦朧としているのだ。外傷は治したとしても、栄養やら血液やらまではどうにもできない。晴明がいくら莫大な霊気を送り込んでも、果物一つの栄養価にも敵わないのだ。

 ここでは手の施しようがない。そのことに晴明は舌打ちをする。


「おい。お前名前は?」

「な、まえ……?」

「今どきの童は名前すら与えられないのか?……大天狗の旦那がやってた要領でいけるか」


 少年を両手で抱きかかえた晴明は、そのまま口笛を吹くのと同時に都の遥か上空に飛んでいた。その勢いで少年は意識を飛ばしていたので、せっかくの絶景を一瞬たりとも目にしなかった。


「やべっ。しっかり言葉にしないと、人間程度の制御はできないな。真似したのが大天狗の旦那だったのが悪いのか。今度は眷属の天狗を意識しよう」


 今度は制御して貴族区にある自分の屋敷に舞い降りる。そのまま少年を抱えたまま屋敷の奥へ行くと、一人の九尾をこさえた少女が待っていた。

 その少女は晴明と少年の姿を見ると、二人の間を何度も視線を往復させて、両手を胸の前で合わせて満面の笑みを浮かべた。


「まあまあまあ!セイが人間を拾ってきたわ!」

「見たらわかると思うが、同族だ。藻女みくずめ、湯の用意を」

「はい。ウフフ、後天的に為ってしまうのは可哀想かしら?」

「さてな。あのまま野垂れ死ぬのと、こうして拾われて俺たちにいいように使われるの。どちらが幸せかなんてわからんもんだ」


 藻女、後に玉藻の前と呼ばれるその少女は即座に湯を用意して少年を洗い、喉に通りそうな柔らかいものを食事として用意する。こんな立派な屋敷に住んでいるというのに、女中の一人もおずにたった二人で住んでいるため、二人で全てのことをしていた。

 この屋敷は他の貴族の屋敷に負ける要素はなく、内装から庭、調度品まで皇族と変わらない豪勢で巨大な屋敷だった。そこに二人しか生者がいないというのはどこか寂しさも感じる。

 食事も済み、適当な服を着せて床に寝させた少年を傍で見守りながら、玉藻は晴明に尋ねる。


「そういえばこの子の名前は?」

「ないらしい。面倒だ。吟、でいいだろう。髪もそうだが、よく囀る。まともな言葉を話してほしいものだが」

「教育が足りていないのでしょう。学があるのは貴族だけですもの。……悲しい世ですね」

「その貴族は神のことを書物に残す癖に、神を讃えず金や権力に目が行くばかり。街の貧乏人は貴族への恨みから神の存在すら気付かず。まだ村の方がましだ。都の方が位相が悪い」


 吟と名付けられた少年の短い髪を梳くように撫でながら、玉藻は悲しそうに目を伏せる。それほど都の状態は悪い。それを変えようと今晴明がどうにかしようとしているのだが、いかんせん歴史というのは積み上がってしまえば強固になりすぎて崩すのが大変だ。

 そんな暗い話はここまでと玉藻が手を叩く。今日は良いことがあったのだから。家族が増えた日に、過去の重しについての話はいらないだろうと切り上げた。


「久しぶりに川の字になって寝ませんか?お義母さまは今日も帰ってこられないようですし」

「ああ、いいぞ。今日はもう寝るか?」

「そうですね。どうせあの人間、少し星を見ることが得意なだけで今も現実も見えていないのでしょう?」

「ああ。賀茂から学ぶことはないさ。星見なんて才能で、努力でどうにかなるなら賀茂以外の陰陽師が今頃宮廷のお抱えに何人もいるはずだからな」


 食事に使った皿や湯浴み場の掃除をして、晴明と玉藻は吟の隣に蒲団を敷く。まだ陽は昇っていたが、この幻術が仕掛けられた屋敷は外から誰にも中を見られることはない。

 玉藻が吟の手を握ってニコニコとしていたので、晴明も空いているもう片方の手を握る。そういえば母上や玉藻にも昔同じようなことをされたなと思い出しながら、晴明の瞼は閉じていった。

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