第59話 1ー4

 とある日の深夜。もちろん夜なのだから外は魑魅魍魎が闊歩している。そんな中、あるビルの一室である二人組が戦闘訓練をしていた。というよりはそこはビルのフロア丸々ぶち抜いて、戦闘訓練をするためだけの場所という見解が正しい。

 高さ以外は京都校にある実技棟の一室と何ら変わりはない。むしろ名家であればこの程度の訓練場はいくつか所持しているものだ。もちろん難波も所持している。ビルの中にあるわけではないが。


 京都に根を張る名家であれば自分たちの土地にこうした訓練場を用意している。それももっと広く、様々な用途のある場所を。つまりここは外様の名家が使用するような場所だ。

 隠すまでもなく、桑名の訓練場だ。

 一人は今年高校二年生になったばかりの桑名雅俊。もう一人は雅俊の叔父でありここの所有者である桑名賢吾。その二人が桑名家の秘伝とも言える術式を用いて戦闘訓練をかれこれ二時間は続けている。


 この戦闘訓練は様々なパターンを想定しつつ退魔の術式を鍛えるもので、できないことを解決策もなくがむしゃらにやるくらいなら、できる人に補助をしてもらって自分たちにしかできない唯一無二の長所を伸ばそうという、丸投げノウキンプランを実施している二人だった。

 まあ、この結論には早い段階で桑名という本家は行き着いていた。興し人たる始祖の血と才能と特性をそのままに受け継いでしまった桑名一派は、根本からして退魔に特化していて、攻撃術式以外はからっきしなのだ。何代も続く苦悩を努力で覆せないのであれば、やるだけ無駄だろうと。


 できることは戦闘と退魔だけ。陰陽師という在り方から離れることになっても、それしかできない一族なのだ。

 だが、できることを突き詰める。苔の一念岩をも通すでもないが、彼らは退魔においては誰にも匹敵させない存在になろうとしていた。魑魅魍魎という魔がそこら中にいるのも事実。

 根本的解決・・・・・ならもっと別なアプローチをしなければならないが、それは表側や本家たる難波に任せている。分家には分家の意地がある。根本的解決に必要な壁程度にはなろうとしている。役割の問題だ。

 ではこの二人の戦闘訓練に目を戻すとして。やっていることは、対陰陽師を想定した術比べと言うべきか。様々な攻撃術式をまるで法則などないようにばら撒いている叔父に対して、それらを全て相殺するように対処しているのが雅俊。


 炎だろうが雷だろうがただの霊気の塊だろうが、明たちに見せたような光──つまり退魔の力だけで消していた。

 この退魔の力。魑魅魍魎や妖、更には悪霊憑きに対して絶大な効果を誇る。どれだけ弱い力であっても、相手が強大であっても、通常の術式よりもよっぽど効く。本当に小さな光しか当たっていないのに、大鬼の腕が吹き飛ぶこともある。この力から桑名は難波の分家だが、呪術省からの覚えはめでたい。


 桑名の力の正統後継者がいれば、戦局は一気に有利に傾くとまで言われているからだ。

 明たちには言わなかったが、先日のAの襲撃の際。多くの凄腕が姫の元へ向かってしまったという事実もあるが、実のところキルスコアは八匹と教師や護衛にいたプロも含めてトップの成果。呪術省の言も間違っていないということだ。


 そんな彼らの退魔の力。それは陰陽術であろうが、霊気を纏わないただの包丁だろうが、悪意があれば正しく浄化の力が作用する。攻撃術式ならその術式ごと、刃物であればその刀身が剥離する。

 これは晴明や金蘭も感じていた通り、魔という根本に関わる力だ。この力こそ、魔を証明する力と言ってもいい。


 そんな審判を下せる力だからこそ、桑名家は術式を使える者が公正公平な人物になるように教育を施すのだが。そんな一つの法でもある力を持つ者が己のことしか考えられないのであれば、根幹が崩れてしまう。

 もっとも。この長い歴史でそのような堕落者を一人も輩出しなかったのだが。産まれついてそのような心を持っていたら退魔の力など発現しなかったのかもしれない。


「おおおおおおおおおっ!」


 雅俊の眼前に炎の塊が三つ迫る。それを右手で放った光が消し去り、左手で違う術式を使おうとしていたが、その術式が発動する前に桑名は全身が焼き尽くされていた。

 幻術ではあったが。


「ここまで!……悪意に関する感知は十分。だが対処がまだまだ甘いな。あれが幻術じゃなかったら全身大やけどで陰陽師生命絶たれてたかもしれないぞ?」

「はぁ~……。退魔の術式と他の術式が並行して使えないんです。攻撃術式二つなら同時に使えるのに」

「マルチタスクはプロの陰陽師としても優秀な才能だがな。お前は次代の桑名当主だ。茂ちゃんにも鍛えるように言われてるから、高校卒業までに退魔との両立と、三つの術式同時展開くらいまではいきたいんだがな」

「先は長い……。でも、やってみせます。僕より年下の彼が本家として頑張っているんですから」

「ん?それは難波の次期当主かい?」


 叔父の言葉に雅俊は頷く。ゴンと銀郎を見たことで、あの二人を式神行使することがどれだけ大変か、式神を扱えない雅俊でも理解できた。あれほど強力な式神二体を使役するどころかそれぞれに補助術式を用いて自分も援護できそうだったら何かしらの術式を使う。

 あれは桑名が目指しているマルチスキルの完成形だった。式神行使を一体ならまだしも、二体同時に行うのは簡易式神でもない限り、他の難度の術式を常時展開していることと変わらない。その上補助術式に攻撃術式となると、四つもの術式を同時に発動していることになる。


 これを成人したばかりの学生が使っているのだから、同学年でできる者はほぼいないし賀茂との術比べで驚かれるわけだ。

 陰陽師とは基本的に術式を使い捨てる生き物だ。一つ一つの術式を使い切って次へ次へと繋げることが主流で、右手と左手で違う術式を用意して使うということはプロの八段以上でも稀にしかいない。それほどマルチタスクというのは高難易度技術だ。


 実のところ、明の父親である難波康平でもそこまでのマルチタスクはできない。銀郎に主を置いて補助術式と自分の攻撃術式まではできるが、さらに銀郎クラスの式神を同時に使役するのは不可能だ。

 だからこそもう一体の瑠姫は家内に任せ、雑多なことは簡易式神に任せていたのだが。


 難波の分家は式神行使について一人前と呼ばれるのは三つの術式まで。四つというのは明と天狐であるゴン、そして桁外れの霊気から馬力で多数の術式を同時発動できてしまう珠希くらいしかいない。三つを完璧に使えるように教育するというのは難波の分家の教育体制の高さと伝統から来る素晴らしい成果なのだが。

 四神という凄腕はそういうマルチタスクができるからこそ強力な式神と身分を得ている。そこが最低条件で、できない者には式神を預けられないために四神がいない時期というものが存在する。


 他の陰陽師は使い捨ての呪符や呪具を用いてほぼラグがないように術式を矢次早に展開しているだけで、術式の保存という呪符の機能がなければそこまで術を連発できないしまともな連携というものを個人ではできない。

 そのための隊編成をプロは行っているのだ。一人でできないのであれば人数で補えばいい。それが人間という生き物だ。


 また、呪符や呪具は消耗品であるため消費が激しい。しかし実戦で使える代物──学生が練習で使う簡易の物を除く──であればそれなりの性能でなければならないし、品質の維持をするためには使い捨てとはいえ高額にならざるを得ない。

 それを購入しようとすれば陰陽師へ払う給料は相当高くしなければならず、安月給では装備を整えられなくなる。命を懸けているため、保証や娯楽のためにも給料を高額に設定していては日本の経済が回らなくなる。


 陰陽師ばかり高給取りになって一般人が生活できなければ、日本という国は存在意義をなくす。陰陽師のたしかな才能なんて日本全国を見てもかなり少ない。霊気を持っている人間は多いが、術式を使えるレベルを基準とすると総数がぐっと減る。

 こういった事情から呪具や呪符を作る会社には国から予算を出して価格を抑えることにしている。そのおかげで税金は少々高いが、経済は順調に回っている。

 これらのことから、簡易術式とはいえ呪符に頼らず補助術式を連発できる明や呪符がなくても大規模術式が使える珠希、呪符など用いずとも破格の術式をその身に宿した桑名がどれだけ希少な人間であるか。


「ライバルがいるとは、良い環境ではないか。京都に来て良かったな」

「ホントやねえ。実力ある本家の子と近い歳だなんて、幸運なことや」


 入口の方から、無断で入ってくる一人の綺麗な女性。髪と瞳は変質した銀色と翡翠色で、そのスタイルの良さから若干赤みがかった着物が似合っていない、二十代くらいの女性。

 この女性が来ることについて、叔父も雅俊も文句は言えなかった。勝手にこの場所を見つけ出し、許可も取らず入ってきてアドバイスをして帰っていく嵐のような人。

 そのアドバイスが的確だからこそ、血筋でもないのにこの場所へやってきても何も言えなかった。もちろんこの場所は簡単に見つけ出されないように様々な呪具で隠蔽を施しているし、他の誰にもバレたことはないのだが。


姫様・・!来てくださったんですか?」

「なーんか色々きな臭くなっとるからね。忠告しよかと思って」

「きな臭い?あの事件以降たしかに世の中変わりましたが……」

「同じ規模の面倒事、また京都にあられもない暴風が吹き荒れるんよ」


 何というか、いきなり予言めいたことを言われたが、雅俊たちは困惑することもない。姫様は星詠みで、さらに仕事は京都の治安維持組織とのこと。京都は他の霊地とは異なり前の事件で変化する前から昼に魑魅魍魎が現れる特異な場所だった。

 その関係で呪術省傘下ではなく、民間企業がセミプロを雇って様々な土地を調査している。そういった企業は殊の外多く、百鬼夜行が起きた場合は一般市民の避難などを担うのもこういった民間企業だ。全てを公務員やプロに任せていたらとてもではないが手が足りなくなる。

 その企業で調べたことも含まれているので、雅俊たちは信用したわけだ。


「それって、また呪術犯罪者が事件を引き起こすということですか?」

「ううん。違うんよ。目を覚ました方々の準備ができたってだけ。四神がようやく対処できるような妖も京都に近付いて来とるし、実際地方ではもう暴れてる。元を辿ればあの天海ゆう男のせいなんやけど、たぶん何かのきっかけがあったらあの妖たちは知らずに起きてたからねえ」

「あれがきっかけに過ぎなかったと?もしあれが先兵だったとしたら、それこそ日本の終わりだ」

「先兵どころか、末端の末端やろ。なーにが敵か、わからへんで?」


 叔父の言葉に姫様はくったくなく笑う。あれで末端であれば、事実日本は瓦解する。なにせ確実に青竜がやられ、たくさんの陰陽師が殺されたのは隠しようのない事実だからだ。

 姫様は袖からタブレット式の携帯端末を取り出す。それの電源を入れて、ある映像を二人に見せた。

 それは、麒麟と麒麟が戦う姿。


「なんとか撮れてるやろ?先日の一件の一部始終や。そんでもってこれ、何かわかるやろ?」

「先々代の麒麟と、当代の麒麟ですね。あの瑞穂が二代前の麒麟だとは知っていましたが、今代もいたんですね」

「先々代が敵に回ってることはいいとして。今代が全く敵っておらん。五神がこれじゃあ、きっとこの先苦労するで?なんせこの先々代、十数年前の亡霊なんやから」

「この人、本当に死者で式神なんですか?叔父から聞きましたが、明らかにこの当代より強いじゃないですか……」

「この瑞穂は俺たちの一回り下の世代だが、それでも世代最強ではなく、日本最高の陰陽師と呼ばれたんだ。麒麟になる前の、九歳の時点でな。技術、術式のレパートリー、戦場での心構え。様々な術式の組み合わせに星見に風水までこなす麒麟児。いやあ、彼女は俺たちのアイドルだった」


 感慨深そうに頷く叔父。その言葉を聞いてあははと乾いた笑いを浮かべる姫様。雅俊は画像の女の子を見て、叔父の言葉に頷いていた。


「たしかに。こんなに可愛くて実力があったのならアイドルって呼ばれても良いと思います」

「あの天才が姿を消すなんてありえないって、九歳の時は本当に捜索隊が結成されたほどだ。それで見つけた場所は日本各地の激化していた戦場。そこでさっきの麒麟を従えていたから麒麟の存在と彼女の正体は我々の世代では暗黙の了解だった。ですよね?姫様」

「話題になってたのは知っとったけど、捜索隊まで結成されていたのは初めて知ったわ……。もしかしてその捜索隊、十二歳の時も結成されたの?」

「もちろんです。結果は出ませんでしたがね」


 叔父は悲しそうに呟く。そんなアイドル的な子どもが消えて、当時を知っている陰陽師はやるせない気持ちになったのだとか。彼女の実力はそれほど抜きんでていて、そんな十二歳のこれからという子どもが死んだと知って。


「麒麟って正体を世間的には隠しているんですよね?どうしてその、死んだってわかったんですか?一緒にいた陰陽師が死体を確認した……?」

「いんや?彼女の実家が葬式をやる旨を書いた手紙を、麒麟を呼び出すための特別な呪符付きで呪術省に送ったんよ。それを運悪く情報規制について緩かった当時の職員が漏らしちゃったというのが真相。呪術省の根回しのせいでそこまで広がらへんかったけど」

「あの時はネットのファンクラブは酷かったな。その職員のおかげで呪術省の裏取りもできちゃって、彼女の死が事実だと知れて皆して大号泣。今でも彼女の命日とされる日にミサが開かれてたりな」

「へ?は?ファンクラブにミサ?……何やそれ?」


 姫様が二人には見せたことのないような呆けた表情を向ける。所作から出で立ちまで全てがどこかのお姫様のようだから姫様と呼ばれているのだが、そんな彼女があり得ないというような顔をするのは初めてだった。

 その証拠を見せようと、叔父は携帯端末を出して見せる。


「これが瑞穂ちゃんのファンクラブのHPで、これが今度のミサの予定地ですね。彼女がどこで亡くなったのかわからないので、日本全国でミサをしているんですよ。今度は三重らしいですね」

「そりゃあ実家が認めたからそれが真実なんやろうけど、彼女が亡くなったのも十七年前のことやのに、毎年ミサなんかやっとるん?」

「他殺か自殺か事故か、何一つ原因がわかっていませんからね。それに麒麟になるのも戦場に出るのも、成人してからで良かったでしょう。そんな小さな子を失ってしまった戒めとして、我々の世代には深く根差していると思いますよ」

「叔父さん、やっぱり会員なんだ……。これ会員専用ページじゃん」


 雅俊が携帯端末を覗き込んで言う。ファンクラブもそうだが、会員にまでなっていた目の前の男に姫様は深く深く溜め息をついていた。


「やっぱりあの人に言ってネット関連も調べさせなきゃあかんなあ。あたしにやらせるかもしれへんけど、今の時代ネットもバカにできへんし……」

「情報社会ですからね。全部を鵜呑みにするのも危険ですが」

「そうやね。……そしたらこの前なんて酷かったんやない?なんせ当時の姿のまま本人が生きてたようなもんなんやから」

「ええ、酷かったですよ。見ます?」


 叔父が移動した場所はHPに設けられている雑談掲示板。そこにはそのスレが建てられた日付も書かれていたが、最近だけで60近くのスレが建てられていることがわかる。


「……暇なの?」

「バカ言うな。ほぼ全員俺と同世代だ。暇なわけがないだろ。三十代四十代ってことは、今が仕事で一番忙しい時期だからな」

「えーっと、何々……?


『うをおおおおお!瑞穂たんがあの時のままの姿で動いてる!生きてる!』

『いつ見ても綺麗な術式だなあ。あとうなじ。ペロペロ』

『巫女姿とか、初めてじゃね⁉求ム、ミズホ秘蔵ファイル!』

『ほらよ。俺の瑞穂たんファイルが火を噴くぜ。ちなみにご推察の通り巫女は初めてだ』

『ああん!あの竜みたいにほっぺ撫でられた~い!』

『っていうかアレ、青竜に匹敵する竜じゃね?岩石だからたぶん黄竜』

『いや、黄龍だ。たぶんただの竜よりも格上の存在だぞ。そうじゃなきゃ麒麟とやりあえるか?』

『キタ!呪術に自信ニキ!解説ヨロ!』

『五竜っていう、朱雀とかの配下というか、五行で語られるそれぞれ司る存在がいるんだが。何で麒麟を隠しているのかっていう話は長くなるから端折って、とにかく五行それぞれに属する竜がいるんだ。その内麒麟である土に属するのは黄竜なんだが、どうやら竜には竜と龍がいるらしい。この龍の方が格上の存在だ』

『講義始まったンゴ!大学生としても目から鱗の内容だから続けてクレメンス』

『格と簡単に言うが、これを分ける差は単純なものだと戦闘力。俺はこれからこの岩石竜が龍だと判断したわけだが、その他にも式神として呼ぶなら霊気の消費が全くないことや、内包する神気の量が違うことも挙げられる。あとは神に近い存在だから、土に所属するくせに火を吐いたりとか』

『カミキ?初めて聞く言葉だ』

『シンキ。神様が持つ力だ。神社とかで凄い澄んだ霊気を感じたことないか?あれが神気』

『おお、感じたことあるで!ワイ陰陽師の才能ないけど』

『ワイもや。ワイはあるけど。最底辺だけど』

『自虐やめーやw』

『やっぱり瑞穂たんは凄いんやな!解説ニキあんがと!』


……いや、ためにもなりましたが、これ本当に酷いですね」

「想像以上だったんやけど……」


 二人して息をつく。というか、中には大学生が混じっていたり、本当に詳しい陰陽師がいたり。麒麟のはずなのに本当に様々な人に愛されているというのはどういうことなのか。

 ちなみに、この映像がネットに上げられているのはAの仕業だったり。明にあげたものとは別物を編集し直してネットに送り込んでいる。呪術省の言い訳を封殺させるためと、様々な議論を呼び起こすため。あとは呪術省の在り方に疑問を浮かべさせるためだ。


「これ、彼女が知って死因を公表したらマズいんじゃ?」

「もし呪術省のせいだったら、呪術省の信頼は地に堕ちるやろうねえ。その日は近いんとちゃう?あの天海って男も呪術省に喧嘩売ってるみたいやし」

「たしかに……。姫様、この天海って人物、昔の呪術犯罪者のAって人と本当に同一人物なんですか?」

「ああ、裏付け取れてるんよ。あの鬼たち、あの男としか契約したことないんや。霊線あの男と繋がってるものしか生えておらん。数十年前の犯人はあの男やね。裏・天海家については調査中や」


 霊線は誰も偽装できない。いくらAでもできないものはできないし、隠蔽術式にも隠蔽できるものとできないものがある。

 呪術省はそんな簡単なことよりも、今の事態と瑞穂が生きていたという事実への対処でいっぱいいっぱいで、Aの正体にまで思考は回せていなかった。


「まあ、わかったら伝えるわ。それにしてもこの前の、誰も名前を言わへんね。まるでその名前を出すのを避けてるみたいやわ」

「呪術省ができてから初めての大失態ですからね。一夜にして死者八十八名。その内訳がほぼ全てプロとして実力のあった陰陽師。青竜は破れて、学校の事態は学校側がどうにかして解決した。良い所がありませんでしたからね。それはまあ、子どもがおねしょばれたみたいに隠しますよ」

「汚点としてその名前も聞きたくないと。最近は報道や新聞とかも堂々と名前出さへんもんね。情報規制でも入ってるんやろか」


 建巳月けんしげつの争乱という名前は、今では目にすることが少なくなった。この事件より、今は活性化している各地の状況の方が報道されやすい。最初の内はコメンテイターを呼んでAの正体についてあーだこーだ述べていたが、それもすぐに終わる。

 終わった一つの事件に構っていられるほど、日本の情勢は平和とは言えなくなってしまったからだ。死者八十八名は多くなかったとは言わないが、それ以上の被害が出ている地域もある。


 今は日本各地どこでも百鬼夜行級の災害が同時に起こっているようなものだ。京都は防衛網がしっかりしているのだから、そこまで取り上げて報道する意味もないとさえ言える。あの事件がきっかけだったとしても、そこにばかり注目している余裕はないと。


「マーくん。頑張ってるようやけど、無理はせえへんでね。今のご時世、特に退魔の力が必要になってくるんやから。無茶してマー君が潰れたら元も子もあらへんよ?」

「はい。気を付けます」

「ほならね。ケンちゃんも体調管理しっかりや。師範が倒れたら示しつかへんで?息抜く時は抜かへんと目に見えへん所が弱る。戦場に立つにはギリギリの歳なんやから無理せえへんで」

「わかりました。姫様」


 姫様は用事が終わったのか、さっさと帰ってしまう。いつも勝手に来て用事が済んだらすぐに帰ってしまう、そんな猫のような人だった。なので来るのも帰るのも引き留めたりしない。この場所をバラすような人でもなかったからだ。

 叔父はそんな彼女の姿が見えなくなってから、視線を雅俊へ戻した。


「じゃあ少し休憩してから続きをやるか」

「はい」


────


「あの動画、ネットに流したのあんさん?ネット使えたん?」

「ああ。私だって日々成長しているのさ。特に瑞穂なんて格好のネタだからな。食いつく食いつく。どうだった?永遠の十二歳のアイドル」

「嫌やわ。というか瑞穂たん秘蔵ファイルって何?盗撮やん」

「そりゃあなあ。熱心なカメラマンが必死に追いかけて撮ってファイル化したものだからな。写真撮ってたのは完全不認識化できる妖で、ファンクラブHP作ってたのはそういう趣味の妖」

「……妖にもあたし、好かれてたん?」

「黄龍とか麒麟見ればわかるだろ?」

「…………あたしがダメだと思った写真は削除させますからね」


 携帯電話を握りながら、そう恨めしい声で呟く絶世の美女が、着物姿で深夜の繁華街をうろついている姿が目撃されたとか。

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