第56話 1ー1
神の御座。それは神々が住まういと高き場所とされているが、そこに辿り着いた人間はいないとされる。それもそのはずで、神々が住まう場所であり、あとは精々が神々の世話役である小間使いや配下の者がいるくらい。
神が住むための場所であるのだからそれも当然。椅子や調度品、殿に至るまで全てが神の規格に合わされているし、この神の御座はそれぞれの神の御座に通じているが、人間の住む下界とは通じていない。
神がもしも下界に降りようものなら、自ら道を作って降りなければならない。そんな酔狂な神は日本において両手で収まるほどしかいない。海外の神々ではむしろ主神こそが下界に頻繁に降りているが。
日本神話においても、下界に降りようとする神はいるわけだが。基本は神の御座にいて、使いを送って下界に介入するのが一般的な神の在り方だ。
この神の御座は、下界とは隔絶している。神以外に行き来は到底難しい、というより不可能と言い切ってしまえるほどだ。小間使いたちもお互いの神の許可があってようやく他の神の御座に行けるというシステム。
そんな神の御座の一つである、西風殿。そこは神々に類する天狗が住まう御殿。今も大小様々な天狗が仕事をしている。料理を運んだり、箒で掃除をしたり、巨大な団扇で主へ風を送ったり。
一見すれば人間の豪邸で行われている事と大差ないのかもしれない。または高級ホテルか。だが、それらをやっているのが天狗であり、それらの主が十五メートルを超えそうな大天狗というのは決して下界では見られない光景だろう。
しかも表情が死んでいる。かなり不機嫌そうであればなおさらだ。
「で?晴明。お前の言い分をもう一度聞かせてもらおうか」
「力を貸してもらえたことには平に感謝申し上げるが、下界への侵攻はやめていただきたい。様々な土地神が起きて、すでに下界は元の様相を取り戻している。そこであなたまで戻られたら、人間が生きる意味をなくすだろう」
「意味、か。人間には誅罰を与えねばならぬ。その意味がお前にわからぬはずもなかろう?人間はただ生きるのではない。神への信仰を持って、神へ感謝し生きるのだ。一千年前に犯した罪は、今を生きる人間に灌いでもらわねばならぬ」
正座をし、頭を下げている仮面を外したAに対し、胡坐をかきながら見下ろしているのはここの主である修験道のような、山伏のような服に身を包んだ大天狗。
朱色の盃に注がれた上質の酒ですら、煽ろうとせず。
この場では、最強の陰陽師とはいえAは頭を下げる立場だった。連れてきた外道丸と伊吹は一人と大天狗の会話を無視して好き勝手している。運ばれている料理や酒はもっぱら鬼二匹が消費している。
なにせここは神の御座。存在するもの全てが至高の一品。地上にて勝るものは創れないとさえ言われるほど完成された場所。ここには八百万の神が居ます居城。それぞれの専門分野に関しては他の追随を許さない。
食材から器、家具や武器に至るまで。揃わないものがないとされる存在の終着点。だからこそ下界に降りる神は少数なのだが。
「では、その誅罰をあなた様自身が行う理由は?大天狗たるあなた様が行わなければならない理由もないはず」
「ああ、ない。ないが、神の誰かが行わなければならぬ。ただ儂が都に詳しいからだ」
「大天狗様。あなた様が下界を知っていたのは一千年も昔。それまでに一度でも下界に降りたことがありましたか?」
「ありはせん。だが、元凶くらいは降りればわかる。先兵としては儂は適任だろう?」
その物言いに呆れてしまうA。事実、大天狗なら降りてから元凶たる呪術省を見つけ出し潰すことも容易だろう。
そして先兵ということは、神の中では人間を滅ぼすことが確定しているような、そんな言い草だ。Aとしては京都を潰すつもりはなく、呪術省を潰したいだけだが、神は京都という街を潰すつもりらしい。
少し都合が悪いが、話がまだ通じそうな大天狗でこれなのだ。あと話が通じそうな神は何柱かいるが、どうこうできそうにない。これが精々混ざり者の人間であるAの限界だ。
「……人間が全員いなくなれば、あなた方の維持も難しいのでは?今日これだけの贅を賑やかしていられるのも私が世界を揺り戻したから。すぐにこれはなくなるでしょう。土地神を妖と、魔と断じている者ばかりだというのに」
「以前語っていた計画があっただろう?混じり者の発言だが、効率がいい。全てが必要なわけではない。一割ということは、一千万は残るのだろう?一人が一柱信仰すればいい。平安に比べれば多い方だろう」
「複数の神を信仰したり、その逆も然りですが……よろしいので?」
「人間という個については期待していない。全体を口減らしする必要もなかろう。であれば。一つの街が地図から消えたところで何と為す」
「どうもありませんな」
Aは諦めた。元々からやろうと思っていて、人手が足りないから神を巻き込もうとしていた計画。今まで散々乗り気ではなかったのに、世界が変わった途端にこれだ。それを責めるつもりは毛頭ないが、今の下界なら介入する価値ありと思ったのだろう。
一千年前にほぼ全ての神が下界から撤退して妖も身を隠すようになったので神気も霊気も一気に減少した。神は神気を基に動くものなので今まででは下界で活動するにはかなりの制限がかかってしまっていたが、今となったら権能全てを使える。
人間に鉄槌を喰らわすには機が熟したということだろう。
「もし私が死んでほしくない人間がいるとしたら、自分の手で守れということですね?」
「そこまでは面倒を見きれぬ。そんな者がおるとはな?」
「下界でしか暮らしていないもので。神の御座では私の想いも生き方も完結しないのですよ」
「それもまた然り。では次は下界になるか?……あと、そろそろこの神の御座に忍び込むのをやめよ。お主にその権利がないことはわかっていよう?」
「混ざり者ですからね。よっぽどがなければもう来なくて済むとは思いますが」
Aは立ち上がり、どこからともなく出した仮面とシルクハットを被る。神ならそういった、無から有を産み出すことも容易だが、Aは神そのものではない。いくら神の御座にいようと、神と同じことはできないはずなのに。
「その術はいつ見ても便利だな?」
「人間の線引きをするための小細工でしかないですよ。これを戦に用いるようになった時点で、線引きから武力になってしまった。しかも、選ばれた者にしか用いれない、優越感を産み出す俗に成り果てた」
「惜しいのう。便利な物差しが変質してしまうのは。この扇が竜巻を起こすだけの武器として使われるということだろう?これはそんな物ではないのだがな……」
隣に置いてあった大きな緑の扇を取る。縁に緑色の鳥のような羽根が付いた、形状的には団扇というべきだが、この扇の名称が「大天狗の鳳凰扇」なので扇で統一する。
この扇は秘宝と言うべき神が創った、唯一無二の物。この秘宝を人間が手にしたらそれだけで狂喜乱舞するほどだ。なにせ手に持ち、霊気をかなり込めれば小さな街を容易に破壊できる竜巻を起こすことができる。
込める霊気の量の割には破格のコストパフォーマンスを誇る、そして範囲殲滅もできる優れもの。戦闘面だけで見ても優秀なのだが、それ以外の面こそが本当の扇の能力なのだが。それはきっと人間ではわからない。
「人間と神では思想も物の捉え方も異なりますので。海向こうでは神は一柱のみとか、場所でも異なりますからなあ」
「ふん。妖たちも異なる上、土地神と我々でも異なる。神ですら思想は色々だというのに、人間が一つに纏まるとは思っておらぬ。我々ですら全知全能ではないのだから、人間など以ての外だろう」
「その不完全性こそを愛するのだと思いましたが?」
「それだって全てではないだろうよ」
趣味嗜好は神であっても異なる。犬が好きな神もいれば、猫が好きな神もいる。人間を好む神もいれば、人間など絶対に信じないと頑なに決めている神もいる。
それどころか、神同士でも好き嫌いがある。主張が合わない、自分の妻を取った、大事にしている娘の恋心を奪われたなど理由も様々。そんな神の間でも下界の人間九割抹殺計画は浸透しているのだからよっぽどのことだ。
反対派は少なく、大半が天罰を喰らわせるべきという考え。
日本における最高神とされている天照大御神。その分け御霊を悪魔として排除したことを神は永劫許すことがないだろう。
信仰を失ってでも下界から手を引き、恩恵を与えなくなった。この神の御座が廃れようと、気にしなかった神が今は喜んでいる。神の御座へ豊かさが戻ったとしても、その豊かさを捨てて人間を摘み取ることを選択する。
決定権は人間ではなく、神が所持しているのだから。
「外道丸、伊吹。帰るぞ」
『あー?どうせなくなるならここにある物全部食ってからでも良いだろ?』
『そうだそうだ!おれらは神の御座に来たの初めてなんだから、もう少しゆっくりさせろよ!』
「……よく妖をこの場に連れてきてくれたな。追放ものだぞ?」
「そもそも追放される権利もありませんが」
勝手に入り込んでいるのはAたちの方だ。気配を偽り、勝手に道を繋いでここに来ている。人間がこの神の御座にいることが異常なのだ。昔は神の方からAを招待したこともあるが、今は無断で来ている。
大天狗には一応アポを取ったが。外道丸たちを連れていくとは言わなかったが。
「ああ。貴様が無断でやって来るだけだからな。……もうやめておけ。特に主神たちに気付かれたら面倒だろう?」
「たしかに。兄弟、家族という括りのはずなのに何も動かず、ただ撤退を決めただけの神とは金輪際関わりたくありません」
「……それだけ貴様らを信用していたという裏返しだ」
「どうだか。大天狗様、一つお願いを。私の霊気を感じたらその場所は攻めないと。色々下界に仕込んでいるものでして」
「それぐらいはな。その鬼どもに持って帰らせていいから、さっさと出て行け」
Aはもう一度お辞儀をして、外道丸たちが持っていきたそうにしているものを全て陰陽術で包む。駄々をこねられても向こうが認めていない限り強制的に神の御座から排出される。
そうならないようにAが繋ぎ止めているだけ。その繋ぎも、大天狗に干渉されたらすぐに解かれる脆いもの。何も持って帰れないよりは少しだけ持って帰る方が上策だ。
大天狗が拒否するもの以外をとにかく下界のアジトへ送り込む。運ばれていく品々を見て外道丸たちは文句を言わずに帰り支度をし始める。
「では」
「うむ。お前たちは儂の襲撃に合わせて何かするのか?」
「今回は特には。無様な人間の姿でも見させてもらおうとは思いますが」
「それでよい。お前は働きすぎだ。少しは休め」
「これでも休んでいるんですが。三百年前とかは妖が起きても放置していましたし」
「本来はそれぐらいでいいのだ。お前は他を頼らないからな。頼ってきても我々は何もしてやらぬが」
「だから個人的に動くしかないんでしょう?」
Aが本名で動けるはずもなく、頼れるのは一千年前から根回しをしている裏の住人だけ。それ以外にも暴れる連中はいるわ、人間は内乱するわ、政治闘争で実質的な都を二つ作るという真似もするわ。
戦場へ渡り歩くこともあれば、海外の情報を集めたり、新しい術式を作ったり。
神の御座で状況を確認したり、葦原の中つ国に赴いたり。
Aでなくてはできないことが日本には多すぎる。任せられる部分は裏の住人に放り投げたりしていたが、表側が不安定すぎて奔走する羽目になったのは記憶に新しい。
神とは情報共有こそできても、何かを代わりにやってもらうということはできなかった。下界を捨てた存在に下界の物事なぞ頼めるはずがない。気にしている神もいるが、大半は下界など滅んでいいと思っている神ばかり。
今回の一件でその割合も若干変わったが。それでも引きこもりの神もいて、神の御座がなくなろうと勝手にしろという存在も多い。八百万もいるのだから仕方がないが。
Aは鬼たちを引き連れて帰っていく。後にも先にも、神に為り上がった者を除いて半端者の存在がこの神の御座に辿り着くというのはA以外に現れはしなかった。
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