三章 大天狗襲来
第55話 プロローグ
「兄者!どうして里から下りてはならぬ。困っている人々が山といるのだぞ!」
「何故と問うか。本家の次男たる貴様が」
とある山奥の一軒家。現代から六百年前ということを考えれば、それはずいぶんと趣のある家であるということがわかる。柱がいくつもある大きな屋敷など、地方ではかなりの権力者及び地主でなければ建てられない。
事実この屋敷はここら一帯を治める領主の家だったために、この辺りでは一番有名な屋敷で尊厳でもあった。もっともその領主は華美なものを嫌い、だが世間体を保つためにそこそこの屋敷を建てていたが。
そこの一室で二人の兄弟が言い争いをしていた。兄の方は机に向かって何かしらの文を書いているのか、視線を弟に向けることもなく筆を滑らせている。
一方の弟は真剣に申し立てしているのに興味を持たないような兄の態度に苛立ちを募らせていた。
この世には魑魅魍魎という魔が蔓延っている。そんな惨状を正義感が強い弟は見過ごせなかった。家督を継がない次男という理由もあったかもしれない。
この一家、実は子に恵まれないことが多い一族だった。このご時世、産めよ増やせよの精神であり、労働という人手を得るためということもあるが、魑魅魍魎という人間以外の外敵が存在したため、とにかく子供を産むのが常識だった。
だが、この一族は何故かそこまで子宝に恵まれない。血筋の分家であってもそれは変わらなかった。二人産まれれば良い方という。一人は確実に産まれてくれるが、二人目以降がそこまで産まれない。
ここ四百年。この一族が興されてから代々続く悩みだった。
大きな一族ではあるが、都のように確実に子孫を残すために第二夫人のような一夫多妻制を採っていないというのも一つの要因ではあるのだろうが。
話は逸れたが、この一族領主としても才覚があったが、それよりも陰陽師としての力が秀でていた。地方にいるにしては珍しく、だが確実にその身に流れる血が関係していた。この土地を治めている理由も日本有数の霊地ということもあるが。
その霊地が優良すぎるために近付いてくる魑魅魍魎も多い。それを祓っているのが弟だ。兄に無断で領地から離れて、魑魅魍魎を倒したりもしている。そのことを兄は気付いていたが、黙認していた。
「この地は良質すぎる。魑魅魍魎に妖、土地神も訪れる人外の休息場になりつつある。それにこの地にあの方が休まれておられるのはわかっているだろう?我らはこの土地の怨嗟をどうにかしなければならない。民たちの安全は分家に任せているだろう?」
「兄者がいるのだから、俺は分家の者と同じように魔を祓ってもよかろう!」
「本家の人間として使命を果たしてもらいたいのだがな。まだかの祭壇は怨嗟に塗れている。それを祓う方を手伝ってほしいものだ。いつまであの怨嗟が蔓延るのか検討もできん。私の代で終わりにしたいが、おそらく無理だろう。百年でも甘い。一千年はさすがにかからないだろうが、まだまだ時間はかかるということは確かだ。そんな災厄を鎮めるのを本家のお前は見過ごすのか?」
「だからと言って、無辜の民草を無視はできぬ!」
おそらくこのままでは平行線。それがわかっているからこそお互い態度も変えず、顔も合わせぬまま。
いつもならこの会話がしばらく続いただろう。兄が取り合わず、弟が突っかかる。使用人も毎日のように繰り返されるその諍いを仲裁しようともせず傍観していた。
だが、今日は。少しばかり違う結果となった。
「なるほど。土地より民草の方が大事というわけか」
「そうだと毎回言っているだろう」
「うん。ではお前は難波本家を名乗れないな。他の分家と同じように取り扱おう。新しい名は
桑名と書かれた半紙を弟に見せる。
分家とはすなわち血筋だ。当主になれなかった者を分家として、本家以外の人間として取り扱うのは有名な家では珍しくもない。
難波という、陰陽師の始祖の血筋であればさもありなんということだ。分家は本家とは異なり、土地の維持をしていない。それは本家の仕事で、厄災を祓うのは本家の秘中の秘。
兄が当主になった時点で、いつかはこうなる運命だった。
「通達もこちらでしておくし、必要なものは言っておけ。用意させよう。我が家に伝わる宝物と文献以外なら何でも持っていくがいい」
「あ、兄者?」
「きちんと領民には伝えろよ。あと、都には近付くな。あそこは権謀術数渦巻く魔都だ。土御門と賀茂が幅を利かせているから元難波が行けば批難轟々だろう。伊豆あたりがいいんじゃないか?対立する幕府と都のだいたい中間だ。街道が整備されているから、情報も物資も集まって移り住むには良い場所だろうな。侍者を探しておけよ。一人じゃ長い旅路は破綻する。男が良いぞ?
「兄者!」
いきなり進む話に、弟が待ったをかける。いくら何でも準備が良すぎる。それに話まで具体的過ぎる。
この土地の守護から離れるということはこの近辺から離れて暮らすことになるとは覚悟していたが、兄の治める領地外へ出て行けと言われるとは思っていなかった。これでは分家へ落とすではなく、追放だ。
この領地は中々に広い。分家もそこそこ散りばめられた配置で暮らしているが、それでも領地全体を覆っているかと言われればそうではない。まだ穴がある。
その穴を埋めるのかと思っていたが、そうではないと知り弟は困惑していた。
だが、こんなことになっている理由は分かっている。兄にはできて弟にはできないこと。それを考えればこの準備の良さにも納得できる。
未来視。正確には占星術。その腕前は都に居る陰陽師よりも上だという。都の情報はこの田舎にあまり来ないので眉唾ではあるが。
だが、何故今日なのか。普段と変わらないやり取りしかしていない。弟は何か変わったことをしたわけでもないし、兄の準備の良さから数日前から準備をしていたことは確実。
「お前が考えている通り、未来を視た。とはいえ、視たのは幼少期のことでな?お前のことだと知らずに誰だコイツとずっと思っていた」
「おい、未来とはいえ弟の顔だぞ」
「未来なのか過去なのか現代なのかすらわからないのにどう判断しろというんだ?とにかく、お前が民草のことを大事に思っているのはわかっている。それと、そろそろ都の状況や幕府のことも知りたくてな。俺は情報が知りたい。お前は民草を守りたい。利害は一致しているだろう?」
「だが、伊豆か……」
兄は当主になる前に一度都へ行っていたが、弟はこの国から出たことがなかった。だから場所はなんとなくわかっても、どんな場所かまではわからない。
地図なんて詳しい物がまだできておらず、世間知らずな弟からしたら未知としか言いようがない場所だった。
「周りにはどう言う?分家といえども、そこまで離れた場所へ行くのは俺が初めてだろう?前例がないのは……」
「そういうことは気にするな。向こうで落ち着いたらたまに文を寄越してくれればいい。その文も、精々三百年ほどでいい。それだけ経てば街道が整備されて都への往復も容易くなるだろう。もっとも、その頃には都が遷都しているわけだが」
「都が?幕府が勝つと?」
「いや、新しい幕府が立つよ。そういう流れになる。うん、時代は
未来視の精度が凄すぎるからか、弟は兄に敬意を抱いていた。
そもそも兄は占星術を外したことがない。遥か先の未来を視ていたとしても驚きはしない。星を詠むにはかなりの才覚が必要だ。たとえ同じ血が流れていても星が詠めるとは限らない。弟は全くそっち方面の才能は芽生えなかった。
「……伊豆っていうのも、未来を視たからか?」
「お前の、おそらく子孫が活躍していてな?桑名って名乗ってたし、たぶん」
「兄者が、本家が決めた名前を名乗るのはしきたりだし、そこは構わないのだが……。本当に俺の子孫なのか?」
「お前のあの術式を使っていたからな。一族でも都を見てもあんな際物術式使う奴はいないぞ?」
「千里眼で調べてもそうなのか……?一体俺のこの力は、何なんだろうな?」
「それを調べるのもいいだろう。それに、その力はこの土地では薬にも毒にもなる。毒にならないように精進してほしかったが、あんな未来を視たらこの地に引き留めるのも悪いだろ。お前の力がちょっとこの土地と合わなかったってことにしとく」
弟も自分の力がイマイチわかっていなかった。兄も本家に伝わる書物や千里眼を用いて調べてみたが、ここまで陽の力が強い人間は見たことがなかった。難波が特殊な家とはいえ、こんな異常事態は初めて。
その弊害か、基礎的な術式に問題が起きた。その欠陥からして兄に家督を譲ることになったのだが。
「まあ、そういう力なんだ。本家の仕事より魔除けの方が合っているし、分家の仕事は微妙だろう。あとはお前が踏み出すことで、未来でたくさんの人が救える。あまり未来のことは言わないのが星見の鉄則だが……。個人を指定していないし、色々不明瞭にしてるから大丈夫だろ。それに俺が視た未来の通りに全て進むわけじゃない」
「外したことのない兄者がそれを言うのか?」
「俺が見つけた星がたまたま未来のことが視えていただけで、他の星が視ている未来は別物かもしれない。俺は、俺たちが住むこの星自体を詠んでいるわけじゃないからな」
「俺は星見についてまるで知らんのだが、それは違うことなのか?」
弟は自身のその力と、星見の才能のなさから全般的な陰陽術の知識がない。星見は高等術式なので知らない陰陽師も多いが。使い手の絶対数が少ないのだ。
教えてできるものかと言われたら確実に首を横に振られる代物。本人の才覚と努力が合わさってこそ使える術式だ。才能だけあっても、磨かなければまともな過去も未来も視えない。
「だいぶ違う。空に浮かぶ星の視た情報を読み取るのが我々が一般的に言う占星術だ。様々な角度、様々な距離から見て取れるこの世界は、それだけで多種多様なこの世界を映す。大地の記憶を詠んでいるわけではないんだ」
「あーっと、つまりは、星々の解釈が入った記憶を学んでいるってことか?」
「そう。だから星々によって伝えてくる情報が異なる。それを統計した結果、おそらく事実だろうということでこの未来に進むのだろうと理解する。お前の未来は複数視ているから、おそらく大丈夫だ」
「はぁ……。なんか、この星も、空の星々も生きているみたいだな」
「みたいじゃなくて生きているんだよ。人間のように言葉を必要としていないだけで、情報は伝達できる。この星は今生きている存在全ての母なんだから、星も生きているって考えた方がしっくりくる」
どんどん話が脱線しているが、これだけ占星術に理解があり、使いこなしている兄の言葉は信じられると弟は思っている。
それに、分家にするという現当主の決定が出てしまった以上従うしかない。弟はここに本家としていてもできることはないとわかっているからだ。
「兄者。根を詰めすぎないようにな。それで俺はいつまでにここを出れば良い?」
「好きにしろ。後悔のないようにしてから発てばいい。いつまでと強制はしないさ」
「そうか。……その半紙、もらっていいか?」
「いいぞ」
弟は兄から新しい名が書かれた半紙を大事そうに受け取る。そして今の兄の顔をしっかりと見てから、弟は目礼して退室した。
言葉にしたいこともあっただろう。表したい嘆きもあっただろう。だが彼は、何も言わず、その思いを表に出さずその場を去った。
それこそが、本家の人間としての、最後の仕事であるかのように。
『良かったんですかい?坊ちゃん』
「いいんだよ、銀郎。都や幕府の状況を知りたいのは事実。それにこんなところで埋没するよりは、数多の人を救う陽の道を進んでほしい」
『陰陽師として、それでいいので?』
「土御門のように盲目にならなければいいさ。それにあいつは本当に陰の力が脆弱だからなあ。弟って普通陰の力の方が濃く出やすいはずなのに」
『特異ですよねえ。それもこの地が為すわざですかい?』
「那須だけに?」
「……坊ちゃん。未来の伴侶にそれはやめた方が良いですからね」
「えー」
実体化した兄のオオカミの式神、銀郎に呆れられる。
坊ちゃんと言われているが、すでに当主を継ぐのは決まっているし、妻がいてもおかしくはない年齢だ。この時代なら、だが。
そんな年齢になっても相手が見つからない二人にはやきもきしていたが、弟の方は見つかりそうだ。問題は本家の方の、兄。
ここら一帯では大地主に当たるのでかなりの良家でなければ釣り合わないのだが、最悪分家の娘と結婚するという手もある。
未来を視ることができるのに、その未来を先延ばしにしがちな陰陽師は、気楽に弟のこれからを想っていた。銀郎は自分の身を固めろと思っていたが、口には出さない。
「そうそう。星ではなく地脈を読み取ることで星詠みのようなことができないだろうか?たしかそういう脈の流れを読むものが海向こうにあったはず……。あの人にも確認してみよう」
『あの男に頼るんですかい?あんまりオススメしないんですけどねえ……』
「まあでも、助かってるのは事実だし」
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