第52話 4ー7

 ゴンの背中に乗って疾走する。指示を出して駆けてもらい、辿り着いた先には辺りを容赦なく壊しながら一人の人間をボコボコにしている一匹の鬼だった。見覚えのある殺気を放った鬼。そしてその鬼が今首を掴んでいる人間は土御門光陰だった。

 三秒ほど助けなくていいかと思ったが、結局鬼を止めないと校舎が破壊され続けるだけなので、止めることにする。

 向こうもこちらに気付き振り向く。首は絞めたまま。


『おっ、明に天狐に銀郎じゃねえか。姿見えねえとは思ってたけど、どっか別の場所で戦ってたのか?』

「えーっと、とりあえずそいつ離してくれますか?ウチの生徒なんで」

『あん?何でお前が土御門を助ける。理由なくね?』

「ないけど……。もしそいつがやらかした結果あなたが戦場に出ているなら、釈明してもらわないといけないんで」

『ああ。こいつがAを攻撃したからおれが暴れてるんだけどな?こいつ、外付けの呪符やらなんやらでいくらぶん殴っても挽肉にできなくて飽きたんだ。くれてやるよ』


 鬼は土御門をこちら側に投げ捨てた。鬼の握力で首を絞められていたのに傷一つない。何か特別な呪具を持っているんだろう。

 というか、Aさんに攻撃するとかバカかよ。実力差わかってないのか。手を出さないって宣言してた相手に喧嘩売ってどうすんだか。厄介ごと産み出す天災かよ、くそったれ。


『さあ、やろうぜ。雑魚虐めるの好きじゃねえんだよ。ブランクあけの相手としちゃあお前らは上玉すぎる』

『坊ちゃん。端から全力で行かせてもらいますぜ。さすがにあいつ相手には出し惜しみなんてできないんで』

『少し離れてろ、明。伊吹と戦ってたらお前の身の安全までは保障できないからな』

「わかった。伊吹、ねえ。二匹の鬼で、伊吹っていったら……」


 伊吹童子、だろうか。大江山の鬼の棟梁。そして伊吹山も縄張りにしていたとされる、鬼の中の鬼。どちらかというと酒呑童子の方が知られる通り名ではある。

 平安最強の鬼であり、茨木童子と組んで平安を脅かした、無類の酒好き。女を惑わす美貌と、一説によると八岐大蛇の子どもでもあるという混じり者。伊吹山と八岐大蛇は密接な関係があり、伊吹と名乗っているのはそれが由来なのかもしれない。


『明には名乗ってなかったか?んじゃあ改めて。平安に生きた鬼、大江山の棟梁の伊吹だ。今じゃAの式神やってるが、あいつには色々と借りがあってな。この前の鬼、あれおれの部下の一匹だ。人間風情と契約するなんて地に落ちたもんだぜ』

「……まるであの人は人間じゃないみたいですが?」

『Aは混じり者の半端者だからな。だからこそ、妥協してるんだ』


 背中にしょっていた大剣を取り出す。あのサイズの鬼と戦うのは初めてだ。小鬼よりは大きく、中鬼よりは小さい。だが、その能力は大鬼以上。全力でゴンと銀郎を補助するとしても、どこまで引き下がれるか。


「銀郎、四式の解放」

『ええ』

『四式?前の六式じゃねえのか?あれ、対鬼専用の形態だろ?』

『大鬼なら迷いなく六式使うんですがねえ。あんたは的としちゃ小さすぎる。なら四式の対獣形態が一番だ』


 銀郎が一本の刀を抜いて構える。普段の銀郎とそこまでの差異はなかったが、人型としての理性をかなぐり捨てるのが四式だ。むしろ狼としての野性を取り戻した形態が四式と呼べる。


『刀身変化四式・狼王招来。天狐殿、好き勝手外野からやってくれていいんで。どうせ気にかけられないし、珠希お嬢さんか瑠姫が治してくれるでしょうから』

『ああ。先に謝っておくぞ。悪い』

『こちらこそ』


 銀郎が前衛、ゴンが中衛、俺が後衛。一番攻撃力が高い陣営だ。防御を捨てていると言ってもいい。


『来な!難波家の人外ども!』


 銀郎と伊吹が同時に駆け、そして大剣と刀が交じり合う。キィンッ!と甲高い音が聞こえるが、それも一瞬。伊吹が持っている大剣のような耐久性は銀郎の刀にはあらず、大剣の腹の部分を弾いた際に出た音だった。

 銀郎が伊吹の下へもぐりこんだ瞬間にゴンが放った陰陽術の雷撃が伊吹へ直撃する。それと同時に銀郎が真下から斬り上げるが、それは足の裏で止められてしまった。


 伊吹の体表は化け物か。いや、鬼だった。とはいえ、刀の刃を普通足の裏で止めるか?裸足だぞ、裸足。ゴンの術もまるで効いてないし。

 それに呆気に取られず、俺も呪符を用いて催眠術式を放つ。効くとは思わなかったが、何が効くかわからなかったので物は試しだ。もちろん効くわけもなかったが。

 銀郎が刀を持っていない左手で、爪で喉元を引き裂こうとしたが伊吹にはバク転で避けられてしまう。ゴンも飛びついて噛みつこうとするが、片手で顔を押さえられてしまった。


「ON!」


 目晦ましとして閃光を伊吹の真ん前で起こすが、それをいとも容易く無視し、俺に合わせて斬りかかった銀郎も大剣で受け止めてしまう。

 三方向から攻撃してるっていうのに、どれ一つとして決定打にならない。伊吹にいたっては笑みさえ浮かべる余裕がある。それほどまでに実力差があるということだ。

 早まったかもしれない。いくら俺が本調子ではないとはいえ、力押しが通じないなんて。


『オラァ!』


 ゴンが全身から狐火を放って、ようやく距離を取れた。その狐火でちょっと火傷した程度。これで倒せというのは無理だ。誰ならできるんだか。

 ゴンの狐火の火力はかなり高い。星斗の大鬼ですら倒せるほどの威力がある。全開で放ったわけではないとはいえ、火傷しか負わせられないとは。


「平安の鬼ってここまで理不尽なのか……?」

『バーカ。ここまで理不尽なのはこいつともう一匹くらい……。いや、もっといたな?アレだ。後世に名が残ってる鬼どもはだいたいこんなもんだ』

「これを倒してた武士って何者なんだよ……」

『一人は人間じゃなかったな。人間側に回った異形だったか』

『あー、そいつの名前出さないでくれ天狐。別に裏切り者とかそう言うつもりはねえけどよ。あいつとはおれら遺恨残ってるからな。正義の味方が実は鬼の同類でした、なんざ知れ渡ってほしくないだろ?あの時代ならまだしも、今は奇異の目で見られるだけだからな』

『……そうだな』


 知己の人物で、実は人間ではなかった誰か。それを聞いてもどうにもならないが、その人物のことは知己の人物たちは知っていて当然だったのか、これも呪術省が隠したのか。その人にとっても、隠していることが正解だったのか。

 何が正解かわからない世の中だからこそ、過去と未来を知る陰陽術が重要視されるべきなのに。


『フゥーッ!フゥーッ!』


 隣のうめき声を確認してみると、前傾姿勢の銀郎が荒い呼吸を繰り返していた。四式に身体が馴染んできた証だ。ここから銀郎にはほぼ指示を出せなくなるだろう。それが野性に戻るということ、四式の真骨頂だ。

 敵味方の判別はつくが、本能のままに行動するためにこちらと連携がとりにくくなる。だから先程二匹で謝っていたのだ。

 身体能力がかなり上がり、小型の敵と戦うにはうってつけではあるのだが。それは一対一に限定した話で今回のように味方が複数だとそうとも言えない。だが、目の前の鬼に対抗するにはこれが良かったというのも事実で。


『ウヲオオオオンッ!』

『オウッ⁉』


 雄たけびを発しながら銀郎が刀で斬りかかると思ったらそれをフェイントにして回し蹴りを放つ。かすりはしたがすんでのところで避けられた。そのまま連撃を重ねる。

 爪で切り裂く、噛みつく、頭突き。刀で振るつもりが刀を投げて空いた手で殴る。浮いた刀は足の指と指の間で掴んで振り落とす。正直見てる側としては次どうやって攻撃するのか判断がつかない。

 まさに考えずに、身体が勝手に動いている感じだ。


 それを伊吹も上手く捌く。時に大剣で、時に腕全体で、時に身体全体で。防ぐ時もあれば大きく後退して避けることもある。

 伊吹も両手で大剣を回し、遠心力で得た力で力任せに振り回す。銀郎もかろうじて避けるが、その勢いが強すぎて今度はこちらが手を出せなくなった。

 ゴンが陰陽術で大規模な岩塊をぶつけても容易に消し飛ばす。力という意味では鬼に敵わない。それほど筋力という意味では群を抜いた存在だ。対抗できるのは土蜘蛛くらいしかいないとかって文献に書いてあった気がする。

 正攻法が効かないなら裏技だ。


「ON!」


 足元に機雷型爆発術式を仕込む。呪符を術式で機雷へ変え、それを踏めばドカンだ。

 だが、相手は銀郎の刀を裸足で止める規格外。それを踏んでも顔色一つ変えずにこちらへ突っ込んできた。


『オラオラオラオラァ!この程度か?もっと粘ってみせろ!』

「本当にバケモノだな!」


 質量の暴力、純粋な力の差の暴力だ。

 正攻法じゃどうやっても敵わないなら、裏技でどうにかするしかない。というよりは、それしか使える手がない。だとしたら、その裏技が効くような隙を見つけるしかない。

 銀郎とゴンにどうにか凌いでもらいながら観察する。相手は鬼とはいえ、人型だ。身体の構造自体は人間と大差ない。

 つまり、大剣のような大きな物を振るうにはある程度決まった動きが必要だということ。そこを突けば動きを止められる。その止められそうな箇所目掛けて、術式を用いる。


「ON!」

『あ?』


 振り上げた腕にぶつかるように四角い障壁を設置する。むしろ高速で動く腕だからこそ、邪魔されると一気に動きが止まる。その動きが縮こまった瞬間に銀郎が通り抜けざまに刀を振り抜く。

 右腕に一閃。腕を落とすことはできなかったが、腕から緑色の血が零れる。これで両手を使っていたあの動きはできないはず。


『へえ?自分の血なんていつぶりだ?一千年もあって、そこそこ戦ってきたが平安以降はまともな奴がいなかったからな。人間どもの争いは傍観してたし』

『平安京がなくなるのと同時に妖共も人間の世から姿を消したからな。戦う相手がいないのも当然だろ』


 その流れている血もすぐに止まり、傷も治っていく。自然治癒能力が高いのか、それともAさんが何かしているのか。どれにしても、超高火力で一気に攻めないとすぐに立て直されるということだ。

 一千年戦ってきたって、つまり平安が終わった後もずっと?そうなるとAさんは一千年前から生きている?だからゴンとも交流があった?

 わからん。気になってしまうが、それは戦い終わった後に考えればいい。


『そうそう。この一千年暇すぎてよ!精々が土地神との交渉が失敗して争ったくらい?いやー、Aの隣は飽きないぜ。神に喧嘩売るとか、生きてた頃は考えなかったからなー。とはいえ、暇な時はとことんひ──』

「ウン!」

『ま?』


 話している最中に、上から滝のような水流を喰らっていた。

 土御門が呪符を用いて攻撃したようだが。それ、漁夫の利でもなんでもなく、ただ伊吹を逆上させるだけの行為ってわかってやったのか。

 怒髪天だ。髪が完全に逆巻いている。


『……飽きてよ。歯牙にもかけねえゴミ屑だから生きてても捨て置いたってのに。楽しい闘争に旧知の仲の天狐との語らいを、何の価値もねえ肥溜めの分際で邪魔してんじゃねえぞ、アァン⁉ちょっと霊気があって、生まれが名家ってだけで、あとは道化の無能が!てめえらは晴明に頼まれたくせに、一千年経っても人間を纏められなかった口だけ野郎がイキがってんじゃねえぞ!裏の存在も知らねえバカが、土台を組み上げてもらってその上を歩いてるだけのウジ虫が何勘違いしてんだよ!』


 まともな状態だったら勝ち目はなくても、善戦はできただろう。足止めという役割なら全うできただろう。

 だが、キレた鬼なんてただの災害だ。そんなもの、人間に止める術はない。鬼の扱いは気をつけろって教わらなかったのかよ、お坊ちゃん。

 そんな伊吹へ、さらに邪魔が入る。銀郎だ。あいつも今理性を失ってるから、隙があったら斬りかかってもおかしくはない。


『銀郎……ッ!あー、こいつ頭ぶっ飛んでるんだった……。これだから外付けの強化方法は嫌なんだよ。純粋に戦う方が、楽しめただろうに』


 刀を納めていた鞘を左手で抜いてそれで叩くが、軽く腕でいなされてしまう。そのまま銀郎が連撃を加えるが、それを全て伊吹は受け止めていた。後ろへ回り込んだ攻撃も、伊吹は後ろに目があるのではないかと思うほど完璧に防いでいた。

 どれだけ不意をつこうが、攻撃を重ねようが簡単に防がれてしまう。むしろタイミングが重なりすぎて伊吹は楽しそうに受け止めるほどだ。


『明ぁ!教えてやるよ。おれは考えて攻撃の手順を踏むとか、戦術をもって攻め込むとか苦手なんだわ!んで、大体戦いってやつは直感で進める。人間の集落襲うとかってなればちゃんと考えるぜ?こういう個々の争いなら、直感任せってことだ』

「つまり、野生で襲いかかっている銀郎の攻撃は手に取るようにわかると?」

『そういうことだな!理詰めの争いの方が苦手だ。この四式使ったのは失敗だったな!今さら形態変えるか?他に適した形態があれば良いけどなあ!』


 端的に言って、ない。四式だって肉体強化を施しているが、それ以外に適した形式は存在しない。伊吹ほどの強敵に対抗できるものなんて数少ない。

 今の状態でも時間稼ぎ自体はできている。だから銀郎にはこのまま頑張ってもらうとして、だ。携帯で時間を確認すると、残り約三時間。


「ゴン、このまま三時間保つと思うか?」

『厳しいだろうな。おそらく校内の魑魅魍魎を倒した方が早い。特殊な奴は残ってるが、強い奴はもういない』

「そうは言っても、ここ離れられないしなあ……」

『オレらが足止めしてるから他の連中が魑魅魍魎を狩れるんだ。無駄じゃない。珠希や天海の小娘が何かやってるようだし、そっちはそっちに任せろ』

「だな」


 ふと顔を上げると、浮かんでいるAさんと目が合った。仮面をつけているから正確には目とはわからないが。

 その表情は穏やかだ。ここに攻め込んでいる人間の顔には見えない。何がそんなに面白いんだかわからない。

 本当にあの人は観戦しているだけなんだな。それに手を出した土御門はアホというか。


「土御門。賀茂のように足止めできるような式神は?」

「封印と式神しか取り柄がなかった落ちこぼれが僕に指図するな!京都を守ってきたのは僕たち土御門と賀茂だぞ⁉」

「知らねえよ。それはお互いの先祖であって、俺たちのことじゃないだろ。そもそも。お前が伊吹をこうして野に放ったからその尻拭いをさせられてるのは俺なんだけど?責任取れねえなら莫迦な真似すんじゃねえよ」

「玉藻の前を京都に放とうとしたんだぞ⁉見過ごせるものか!」


 ははあん。何でAさんを攻撃したのかはわかった。単独行動してその意図に気付くように会話をしていたのかは理解できないが。そうやって泳がせてたのもAさんの脚本の上だったんだろうなあ。

 というか、俺の実家ではよくて京都だと嫌だって?とんだクソ野郎じゃねえか。


「わかったわかった。じゃあ賀茂と合流して他の魑魅魍魎を倒してくれ。伊吹に手も足も出なかったってことは、対抗手段がないんだろ?」

『あるわけねえだろ、明。伊吹はそれほど頭のおかしい妖だ。銀郎はよくやってる方だぞ』

「そこの狐も僕をバカにするのか⁉頭がおかしいのは平安京を滅ぼした狐を神と崇めている貴様ら難波だろう⁉」

「頭がおかしくて結構。今必要なのは伊吹を止められる戦力だ。それがないならお前に用はない。首席殿はさっさと退散してくれませんか?」


 土御門家は代々バランスの良い家系だ。全ての出来事を満遍なくこなす。星斗がそれに近いとも言える。正直九年前の星斗より実力が劣るとなんとなくわかってしまって、底が見えたからこそここにいても意味がないとわかった。

 あと、同じ空間にいたくない。蟲毒の事件の首謀者と一緒になどいたくない。証拠さえ出せれば今すぐにでも八つ裂きにしたいほどだ。


「難波には難波の連携がある。それを中途半端な術式で邪魔されても迷惑なだけだ」

『あ?逃がさねえよ。その味噌っかすはもう道化としての価値もねえ。Aからも殺していいって言われてるからな。呪術省の後釜も死ぬってことだし、ちょうどいいだろ』

『やらせねえよ。味噌っかすだとしても、殺すのは正当な罪科を立証してからだ。それを捌く権利は康平にある。Aやお前らにはないぞ』


 ゴンが尻尾から銀郎と伊吹だけを取り込む狐火を放ち、誰にも邪魔されない炎の壁を作りだした。そこまで保つものではないだろうが、土御門を逃がす時間は稼げる。こいつにはきちんと謝罪をさせないといけない。

 俺たちの心情もあるが、父親を呪術によって洗脳されて犯罪者に仕立て上げられた天海はどうなる。こいつが生きていなければ、犯罪の立証もできなくなるというのに。


『さっさと失せろ。お前がオレらの土地でやったこと、隠し通せると思うなよ』

「何のことだかわからないな。狐風情の言葉を、誰が信じる?」

「その狐風情に助けられてるのはどこのどいつだ。余計なことする前にマジでどっかいけ。賀茂の大鬼でも伊吹には敵わないんだから、それ以下の式神出しても霊気の無駄だ」

「……これは戦略的撤退だ。あの鬼よりも倒すべき相手がいる」

「あの男にはもう手を出すなよ」


 舌打ちをしながら光陰は去っていく。鬼を戦場に出したのもお前だろうが。何であんなにも偉そうなんだよ。ただ鬼に殺されるなんて、そんな英雄的な殺され方許容できるか。犯罪者が英雄になるなんて、特に俺たちにしでかしたことを考えれば見過ごせるはずがない。

 賀茂と土御門はなんというか、似た者同士すぎる。賀茂が犯罪を犯したかは知らないが。


 問題は土御門がやったっていう証拠をこっちが提示できないこと。銀郎が匂いを覚えていたり、祐介が顔を見ているからと言って写真やビデオの確たる証拠がない。信頼できる過去視の人に立証してもらえないものか。

 そう考えていると、炎の壁が伊吹の大剣によってかき消されていた。大鬼ならずっと閉じ込めていられるぐらいの代物なんだけど、何で銀郎と戦ってる片手間であっさりやってのけるんだか。

 やっぱり規格外だ。


『土御門のゴミムシ、逃げてんじゃん。いいわけ?おたくらの土地で蟲毒引き起こした大罪人だぜ、あれ』

「それの証明を俺たちとあなたたちでしかできないから、呪術省にはぐらかされて終わりだ。事件そのものが世間的にはなかった扱いにされてる」

『そんなこと姫が言ってたな……。あーあ、嫌だこと。鳥羽洛陽だろうがなんだろうが、都合が悪ければ闇送り。それが歴史ってもんだとしても、人間の歩みも、世の歪さも、妖の世界も、何も載ってない綺麗事を知って何になるんだ。その綺麗事は、本当に綺麗なのか?』

『おー。伊吹が詩的なこと言ってやがる。やっぱりおつむは悪くねえんだな』


 ゴンが茶化す。いや、たしか酒吞童子ってかなり文化的な鬼で、理性的で言葉を操って女性を攫っていった鬼だったはずだけど。


『これでも鬼の棟梁だぞ?教育もちゃんと受けてるんだよ。……うん?マジ?外道丸が玄武に負けたぁ?』

『ほう。あの娘が外道丸を』


 伊吹が頭に手を当てて応対する。おそらく念話で会話をしているんだろうけど。一旦銀郎を傍に戻す。こういう時に邪魔したらダメだってさっき思い知った。

 それにしても外道丸とは。もう一体のあの鬼のことだろうけど、それは酒吞童子の幼名だったはず。すると酒吞童子が二匹いることになるが。どっちかが偽名、もしくはどっちも偽名。またまた、本来は二体の鬼だったのが文献の消失で統合された存在になったか。

 とにかくあの鬼にマユさんが勝ったという事実は喜ばしい。これで正門から援軍が来る。


『あー、残念なお知らせだ。外道丸復活させたし、姫がある式神を呼ぶつもりらしい。お前らの勝利条件は中にいる戦力だけで他の魑魅魍魎共を倒すことか、夜明けまでの時間稼ぎだな。姫はもう、万に一つも負けねえよ』

「式神だからって復活させるのはアリかよ……」


 ルール的にはたしかに援軍を許すとは言われていない。だからまあ復活はいいとして。姫さんは今まで会った陰陽師の中でも群を抜いているが、大峰さんとマユさんの二人がかりなら勝負になると思うのだが。

 そう思った矢先、講堂の方からバカでかい霊気を感じて思わず振り返ってしまった。講堂の屋根の上はこんな真夜中だというのにかなり明るく、その光の大元は一匹の神聖な気配を帯びた一角獣と、その背に乗る巫女服の姫さんから感じた。


 その一角獣にそっくりな生き物が大峰さんの傍にもいる。だが、あまりにも格の差がありすぎた。

 大鬼と目の前にいる伊吹ほど、同じ鬼という種族でも同じ括りにするのが間違っているほどの違いを感じる霊気。そしてその存在から放たれている後光は、まさしく神の降臨と言っても差し支えない程の圧。


 圧、というのも違うのかもしれない。敵対しようと思うのが馬鹿らしくなるほどの、スケールの違いに平伏することが唯一の道だと思考が限定されるような錯覚。

 いくらゴンや銀郎たちで慣れているからって、あれを見てどうにかしようなんて考えたくもない。あれは間違いなく、神の一柱だ。


『ほら、出しちまいやがった。姫があいつを戦いで呼ぶのはおれらと敵対してた時以来なんじゃねえか?あれと戦えるのは天狐と、玄武くらいだろ』

『オレだって戦いたくねえぞ。前も言ったが、オレは戦うのが性分じゃねえんだよ。それは麒麟も同じだが』

「……麒麟?」

『ああ。五神の内の一柱。例のキーくんだ。良かったな、明。オレたちはあれと戦わなくて良さそうだぞ?なにせ伊吹の足止めで手一杯だ』


 麒麟。それは四神と変わらず呪術省から与えられる式神のはず。だが、マユさんという例外もいる。もしも大峰さんに渡されているのが影のままで、本体は姫さんが使役しているとしたら。

 そもそも、麒麟を使役できる存在ということは。


「姫さんは、麒麟の適性者……?」

『おう。二代前の麒麟だな。あの麒麟を見ればわかるだろ?あいつに勝てる陰陽師は、Aだけだ』

「……本当に、意地が悪い。最初からあの人は勝たせるつもりがなかったんだ」

『そうだな。でもよ、百鬼夜行の方をどうにかすればいいことあるかもしれねえぞ?姫に敵う奴なんてこの学校にいるとは思ってねえしよ。ああやって力を見せつければ愚鈍な呪術省でもわかるだろ。ヤバいって』


 否応なしにわかるだろう。隠したいはずの麒麟の顕現。しかも、今の麒麟ではない人間が麒麟を呼び出せるというのは中々なスキャンダルのはずだ。役職を与えている意味がない。適合者であれば、四神に選ばれなくても呼び出せてしまう。

 おそらくだが、マユさんも四神を辞めたとしても玄武を呼び出せるだろう。というか、玄武こそ本体が出てきているから役職なんて無視して呼び出せてしまう。新しい玄武を任命しても出てくるのはおそらく影で、マユさんの元にしか本体はいかない。

 その場合、今回のように同じ四神が二体同時に現れることになる。呪術省の管理体制に問題があったとかの議論には確実になるだろう。

 今回の一件は、本当に今後の日本を変える一手となった。


「世の中を変えて、あの人は神にでもなるつもりか?」

『Aのことか?そんなわけないだろ。あいつはただあの頃に戻したいだけだと思うぜ。平和だった平安にな』

「平和って……。妖や魑魅魍魎が昼夜問わず好き放題してた時代だろ?」

『それでも楽しそうに生活してたんだよ。玉藻の前っていう神様は』

「ッ!」


 そう、その事実を難波家は知っている。安倍晴明と式神と一緒に過ごしていた玉藻の前は、あんな時代でも幸せそうだった。人が、とか妖が、という話ではなく。

 玉藻の前が生きたあの時代は良い時代だったと。それを証明したいだけのようにも思えた。

 金蘭の視点から見たあの時代は、幸せそうだった。懸命にあの人たちは生きていた。陰陽師と妖が、共存していた。少ないながらも神々がまだ立ち寄る時代だった。最期が近付くまで、玉藻の前は笑顔で生きていた。


『難波としてはおれたちに協力したくなったか?わかってると思うが、今回のこれは前座だ。玄武っていう掘り出し物が見つかった時点で大成功。目的の威圧行為も終わって、こっからはただの消化試合だ。とはいえ、あの狐憑きの女守るためにおれを見逃したりできないだろ?やろうぜ、続き』

「……不本意ながら、続けるしかないのか」


 伊吹は何をやらかすかわからない。鬼の習性として手当たり次第に破壊行動をしかねない。なら、それを防がないとミクたちはもちろん、一般生徒にも被害が出る。

 隣で待機していた銀郎の四式を解く。相手は獣ではなく、本能のままに暴れる災害そのもの。それを相手にして獣特化させる意味はなかった。


『四式解いちまうのか?』

『そうじゃないとお前さんとやり合えないでしょ。あっしも嫌いなんですよ、この自分が変わる感じ。素のままのあっしで倒せるならそれに越したことはないでしょうし』

『そりゃあそうだわな。時間稼ぎならそれでいいのか』

『防戦は苦手なんですがねえ……』


 そう言って再び、ぶつかり合う。講堂の上と正門の方で激しい争いが繰り広げられているのを感知しながらも、そちらへ行くことはできないのでここで踏ん張るために、一度外部の状況を切って、こちらに集中した。

 遊びと言っても本気で殺しに来る。それが目の前の鬼だと悟ったからだった。

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