第51話 4ー6

『かーっ……。オレの負けかよ。ここまで生前のスペックに戻して、そんで負けるなんて初めてじゃねえの?』

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 地面の上で大の字で倒れている外道丸。口調こそは余裕があるが、身体はボロボロ。それはそうだろう。玄武に肉弾戦を挑み、その間あいだでマユから強烈な陰陽術を五発は受けた。これでまだ身体が残っている外道丸がおかしかった。

 一方のマユは息絶え絶えだ。霊気をかなり使ったこともそうだが、これほどまでに死を肌で感じる戦いは初めてだった。今までも修羅場はいくつか超えてきていたが、死闘と呼べるのは今回が初めてだった。

 玄武から外道丸がもう起き上がってこないと聞いていたために膝に手を乗せながら休憩していた。マユの方は目立った外傷はない。玄武が全部攻撃らしい攻撃を防いでくれたからだ。


『強くなったねえ、外道丸。でも、やっぱり、二対一は卑怯だった……?』

『んなこったあねえよ、玄武。数の差ってのは圧倒的な実力があればひっくり返せる。同じ二対二だったらオレが勝っただろうが、相性もあるからな。今回は負けを受け入れてやる』

『……もう、マユは君と戦わないと、思うよ?』

『今後も玄武を続けてたらいつかは戦うだろうよ。そん時は勝ってやる。できればもっとAから霊気をせしめねえとな。あいつは他にも色々雑多なことに霊気を使いすぎなんだよ。もっとこっちに寄越しやがれ』


 戦闘が終わっているからか、小さくなった玄武と外道丸が呑気に会話していた。まだ騒動は収まっていないのでマユはこれからもやることがあるが、その前の一休みだ。

 その間なら玄武が何をしていても何も言うつもりはなかった。


『マユ。お前当分京都にいるのか?暇見付けて襲いに行っていい?』

「ダメです!何故私の所に来ようとするのですか⁉」

『お前気に入った。呪術省に置いておくのもったいねーわ。今日は負けたけど、今度は攫いに行くわ。瑞穂に頼めば気配ぐらい消せるだろ』

「……あの瑞穂さんは、本当に瑞穂さんなのですか?」


 マユも映像を見ただけで直接見たわけではない。それと、瑞穂という人物についても過去のデータにあったから知っているだけで本人と面識は一切ない。

 大峰翔子のことは知っていても、瑞穂のことはあまり知らないのが現状だ。


『呪術省があいつのことをどこまで正確に知ってるのかまでは把握してないからこちらからの見解になるわけだが。あいつは本物だぞ?』

「……死後に、あの天海って人が式神にしたのですか?」

『そうだ。優秀な駒だろう?人間にしては』


 死後、式神になる存在は一定数いる。だからこそ降霊術と式神という技術は成り立っている。だが、それでも人間で式神になったという前例はほぼないに等しい。それほど、まず降霊術で人間を呼び出すことが難しいからだ。

 そして、降霊されることも式神になることにも、本人の意思が必要だ。本人が拒絶すればどんな凄腕の陰陽師でも降霊することはできない。


「呪術省は、何を隠しているのですか?立て続けに離反者を出して……」

『おっと。それには首を突っ込まない方が良い。お前、殺されるぞ?』

「呪術省に、ですか?」

『そうだ。お前は麒麟のように個人としての情報を抹消したわけじゃねえだろ?Aのように全国指名手配されるな。殺されなかったとしても』

「むしろ麒麟の方々は個人情報がなかったからこそ、ただ追放されただけ……?」

『追放だけで済めばよかったがな。もっとも?十二のガキを見殺しにした組織がまともだと思ってんのか?』


 マユも瑞穂が十二の時に亡くなっているのを知っている。当時からしても十二歳を争いの場に出すことは異常だ。それがたとえ、誰よりも強かった瑞穂だとしても。


「……呪術省は、何故破綻しないのでしょう?」

『大きな闇を偽善っていう大きな光で隠しちまってるからさ。今頃ズブズブの闇が巣食ってるぜ。あのハリボテの塔にはよ』

「それでも……あの人は止めます。学生を襲うのは間違っていますから」

『おう、いけいけ』

「ゲンちゃん、いくよ」


 玄武を抱えてマユは校門から敷地内へ入っていく。それに続いて他の陰陽師たちも突入しようとしたが、霊気を再び与えられて回復していた外道丸がそれを許さなかった。


『ここを通れるのはオレに勝った奴だけだ。そこら辺の影でビビりながら見てただけの腰抜けを通すわけにはいかねえよなあ?門番って、そういうもんだろ?』

「う……うわあああああああああああああッ‼」


 雄たけびを上げながらも勇敢に立ち向かうプロたち。だが、それは勇敢ではなく無謀の間違いだった。

 外道丸はまさに一騎当千。彼からすれば、四神に劣る陰陽師などまさしく一千人いなければ相手にならない。


「ゲンちゃん、さっきから感じる大きな霊気は何……?霊気とはちょっと違うけど、大きくて、どこまでも広がっていきそうな強い力……」

『これが神気だよ。この神気が満ちれば、魑魅魍魎も妖も神様もぼくたちも活性化するねえ……。これがAの狙い、だったんだ』

「これが、神気……?」


 霊気よりも澄んだ力。今までは漠然と捉えていたマユだったが、今回ははっきりと感じていた。この力が京都を包んでいるのだが、違和感を覚えるわけでもなく、むしろ温かみすら感じていた。

 不快ではない。だからこそ、不思議に思う。こんな力が日本を覆うように広がっていくのは今じゃないといけなかったのか。どうしてこのタイミングだったのか。


 それを考えながらも敷地内を進んでいくと、大きな霊気がこちらに向かってくるのを感知した。玄武を降ろしてすぐに大きくする。上空からやってきた式神が足で玄武に襲いかかろうとしたが、堅い身体がその足を弾いた。

 弾いた対象を見る。それは独自の翼で浮かんでいる岩の形をしている日本の竜。先ほど見た青竜と比べても遜色ないほどの竜。今だからこそマユは気付いたが、その竜は神気を纏っていた。


「黄龍……?」

『だねえ。あの瑞穂って子が呼び出した式神だよ。ぼくたちの、邪魔に来たんだねえ……』

「倒さないと先に進めないってことですか……」


 大分霊気を消費していたが、それでも事態解決のために目の前の竜と対峙する。相手に主が近くに居なくて、こちらも霊気が万全ではない。

 だからこそ、五分五分の状態。その中でも早期に倒さなくてはならない。

 ここはまだ道半ば。終着点ではないのだから。


────


「この程度なん?現麒麟は。……やっぱり、あの子に比べたら数段劣るやん」

「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 講堂の屋根の上。幻術で眠らされた都築はすでに他の者たちのように場外へ飛ばされ、そこにいるのは姫と大峰、そしてそれぞれが呼び出した式神のみ。

 状況も対照的だった。平然と立って袖から出した扇子を顎に当てて呆れている姫と、膝はついていないがすでに満身創痍の大峰。悠然と浮かんでいる黄龍と発する雷も鳴りをひそめ始めた麒麟。


 二人の争いをダイジェストすると、はっきり言って弄ばれていただけ。式神同士のぶつかり合いも出力の差から押し切られ、術者同士の争いも常に先手を取られて後手後手の対応を取って時間を稼いでいた程度。

 五神と呼ばれるだけあって、式神としての能力なら麒麟は群を抜いている。銀郎で苦労し、ゴンなら抑えられるくらいの実力だ。他の四神たちにも本体性能は引けを取らずに圧倒できる。ただし、本体が実体化している玄武は除くが。


 つまり影の状態であっても、他の一般的に知られる式神に後れを取らない超高性能。それが麒麟という式神の実力だ。

 それに比べて黄龍は五竜と呼ばれる、あくまで五神には及ばない存在だ。五神の眷属とも呼べる。青竜のみ兼任しているが。つまり単純な式神のみの性能を比べればこの二体には確実な壁がある。

 その差が埋まって黄龍の方が優勢に戦ったのは、結局のところ主の差、信頼度の差と言えた。

 厳密には黄龍と黄竜は別物なのだが、その話は今は保留しておく。


 姫と大峰の差は、顕著だった。

 詠唱破棄を大抵の術式で行う姫と、必ず詠唱する大峰。大峰も簡単な術式ならもちろん詠唱破棄できるのだが、詠唱破棄した術式は威力が減衰し、まともに術がぶつかり合わずに破却される。

 そうなると詠唱省略でどうにかするしかないのだが、そうするとどうしても詠唱する分のラグがある。そこを詰将棋の如く突かれて、小さい積み重ねが圧倒的な差へと変貌していった。


 結果、優位性を保ったままの姫たちと大峰たちでこうして大きな差が出た。むしろ真の実力者たちの何が差異を産み出すかは、ほんのわずかなことなのかもしれない。


「あんさん負けたことある?たぶんないやろ。何で瑞穂って名乗ることを許されてるのかわからんわ。あの家がそこまで耄碌したとは思えんし、こんな時代とはいえ十三代目を襲名させる必要あるん……?その時代に瑞穂がいないなんてザラやのに」

「ボクはちゃんと、襲名している……!あの家ではボクに敵う人はいない」

「うーん……?A様が戻ると、あたしのように知っていた……?爺様方なら知っていてもおかしくあらへんけど」


 姫は大峰の言を信じていない。姫がいなくなって約二十年になるが、四百年耐え忍んできた家がその程度で変わるとは思えなかったからだ。

 つまり内的要因ではなく、外的要因。世の中が変化することを察知していたか、教えられたかのどちらか。ちなみに姫自身は何もしていなかった。


「まあ、ええわ。天狗になってた長い鼻はちゃーんとポッキリ折れた?最強無敗の自尊心は砕け散った?未来も過去も視えないその瞳に、ちゃーんと現実を映すようになった?」

「……あなたには敵わないと、頭ではわかっていたんだけどね」

「想像以上に開きがあった?絶望しはった?なら一層人々のために身を粉にしぃ。敗北を知らない存在なんて、神様だけで充分なんよ」

「あの天海内裏って男も、敗北を知っているわけ?」

「もちろん。むしろあの人こそ負け続けてるんとちゃう?」


 その言葉を大峰は信じられなかった。こんなことをしでかして、強力な鬼を二匹従えていて、目の前の姫すら従順している存在が負け続けているなど。

 何かの悪い冗談としか思えなかった。


「あの人は混じり者の半端者やからなあ。接近戦なんてできへんから鬼たちには負けるし、存外星見の精度もよくあらへんね。重要なことは結構見逃してたりするし。携帯電話は使えるんやけど、パソコンは苦手ゆうてたな。それに最高峰の陰陽師を知っているからこそ、そこには届かないってわかっとるし。寝起きはホントダメやね。頭が回っておらんから。あとお酒もダメ。二杯以上飲んだら言動怪しくなるし。そのくせ、かっこつけたがりやから色々と手出したり、しょうもないことに意地張ったりしはるし」


 楽しそうに笑いながらAの恥辱にまみれた私生活を赤裸々に語る姫。その様子が、陰陽師として最高峰の相手というよりは年相応の女の子にしか見えなかった。

 だからこそ、大峰は聞いてしまう。


「瑞穂さん……。なんか、惚気ていません?」

「せやね。そういう人間っぽいところがたまらなく愛しいんよ」


 完全に恋する乙女の顔だった。そんな顔を大峰は全く知らなかった。恋愛なんてものに現を抜かすこともせず、ひたすらに研鑽を積んできた。その結果が今の麒麟という立場に自分を押し上げたと思っていたからこそ。

 自分を超える存在がこうも見事に恋している姿が信じられなかった。


「あたしはこのまま話していてもええんやけど……翔子ちゃんはそうはいかへんのやろ?」

「そうね……。ボクが負けたら、皆が絶望してしまう。あなたたちには勝てないのだと、思い込んでしまう」

「せやから、あたしらはそこまでのもんやないんやって。あたしと翔子ちゃんの戦いの結果よりももっと面倒なことが起こるし、絶望するんやから」

「もっと、ですか……。それでも、ボクは麒麟として奮闘しなければいけない。逃げちゃいけないんだから」

「立場に縛られるのは可哀想やね。じゃあ一つ朗報。玄武ちゃん、外道丸に勝ったで?」


 それは大峰側からすればたしかに朗報だった。敵の主戦力の一つを倒してこちらに向かって来ていて、しかも戦力としても最強の四神の一人。

 戦況が変わる大きなきっかけの一つだった。


「ちょっとは喜んだ?ならあの子にも刺客を差し向けよか。黄龍、行ってくれる?」


 近くに漂っていた黄龍の首を撫でると、そのまま黄龍は正門の方へと向かって行った。玄武ほどの実力者を止めるにはたしかに黄龍ほどの戦力が必要だ。

 だが、目の前には大峰という現麒麟がいる。最高戦力は全く敵っていなかったが、健在のままだ。


「黄龍っていう最高戦力を手放していいんですか?」

「ん?……ああ。やっぱりあの家はあたしのことをちゃんと秘匿してくれたんやね。優しいなあ、皆」

「何を言って……?」

「黄龍が最高戦力?ちゃうちゃう。あの子はたしかに強いけど、式神の中では二番目なんよ。知らないなら教えとこか。何であたしの姿を見せたら呪術省が過剰なまでに戦力をこっちに送り込んだと思う?あたしのことを知っている人なら知っとるんよ。瑞穂やなくて、もう一つの名前を。おいで、麒麟・・


 さっき黄龍を呼び出した時と同じ。呪符も使わず、詠唱することもなく。ただ霊気を用いただけで式神を呼びだした。

 その式神は純白の毛を煌びやかになびかせつつ、鋭くも捩れた天を突き刺す一本角が太く力強く主張する。四本足の屈強な身体を魅せつつ美も極めたかのようなきめ細やかな色彩の獣。


 その背に慣れた様子で乗る巫女服の少女。それでこそ、一枚の芸術が完成したかのように後光が放たれた。

 その身に宿した霊気──正確には神気──が、感知できる者全員に伝える。それこそが本当の五神の実力。人間の到達点。陰陽師の核となる五行の教えの、その全てを内包する中央の在り方。

 それはたしかに、神の名を冠するに相応しい神々しさと力だと。


「あたしは先々代の麒麟・・・・・・なんよ。呪術省も教えてくれんかったの?……そっか。あたしは死んだ者として、存在を抹消されたから教えなくても構わへんのか」

「あ、あ、な……。何で……?呪符もなしに、あなたがどうやって麒麟を……?」

「物覚えの悪い子やねえ。さっきゆうたばかりやろ。式神は、ちゃんと交友関係を結べばこんな簡単に呼び出せるゆうのに」


 この瞬間に、大峰の心は完全に折れた。麒麟を含む五神を呪符もなしに呼び寄せる。しかも発せられた霊気が確実に、自分の呼び出した麒麟よりも上回っていたからだ。

 絶対の自信を持っていた麒麟を、さらに力をつけて呼び出した天才。最強だと信じている唯一の存在が唯一ではなかった。自分だけの力ではなかった。

 勝つ手段がない。何をしても届かない。それを霊気と脳が理解してしまった。瑞穂という名前も、陰陽師としての実力も、麒麟という切り札も失った。

 もう彼女を支える柱は、存在しない。

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