第46話 4ー1

 そこは京都の遥か上空。飛行機も魑魅魍魎を恐れて飛行していない夜中の澄んだ空。京都を一望できるその場所には、二人の人間と二匹の鬼がいた。

 霊気で足場を作り、眼下を覗き込んでいる。それは顔を仮面で隠した白いタキシードの男だけで、鬼たちは将棋を打ち、もう一人の着物を着た少女はくつろいでいる。


 今日は襲撃をする日。つまりは明たちの学校で新入生歓迎オリエンテーションが行われる日だ。

 その中で着物を着た少女、姫は空の上で将棋をしている二匹を覗き込む。姫は一般教養くらいの知識はあったが、駒の動かし方などは正確には分からない。

 だが、見覚えのない物が多い。盤もいささか大きく感じた。


「……あれ?これ、普通の将棋とはちゃうん?」

『おう。今のは九マス×九マスだろう?こいつは平安大将棋って言って、十三×十三だからな。今よりも駒の数も多い』

「ちゅうことは難しいんとちゃう?そんだけ数増えとると」

『お前ら現代人と同じにするなっての。オレらの頃はこれが普通だったんだよ。まさか街中の骨董品屋に売られてるとは思わなくてな。買っちまったぜ』

「……その姿でうたん?人に迷惑かけんかった?」

『なわけあるか。妖御用達の店なんだよ。店主も妖だ。それにテメエ、オレの美貌の前に困る奴がいるってのか?ええ?』


 そう言ったのはAのもう一匹の式神である外道丸。鬼の象徴たる角が二本あることは伊吹と同じだが、美形はどちらかと聞かれれば外道丸と答える者が絶対多数だろう。それほどまでに色香を放つ魔性の鬼であり、生前は数々の女性を恋の虜にしてきたとか。

 そんな女性を気まぐれに持ち帰って喰らった悪逆非道の、鬼の中の鬼。それが外道丸だ。酒が好きで浴びるように飲むが、伊吹よりは理性的であり、頭も回る。

 現に、伊吹と指している平安大将棋は外道丸の方が勝っている。伊吹も頭を捻りながら指しているが、外道丸はすぐに次の手を指す。時間がかかっているのは明らかに伊吹の方。


「別にあんさんがイケメンかどうかなんて関係ないわなぁ。そのままあんさんしか見えなくなったら喰われるんやろ?」

『ああ。そんなつまらん女はいらん。オレの思い通りにならなかった女は二人しかいねえよ。その内の一人は神だったか。なあ、A?』

「玉藻も金蘭も晴明に執着していたからな。他の男には靡かないだろう」

『A、いつまで待たせるんだよ?さっさと攻め込もうぜ?向こうのイベントが始まる前にぶっ潰せばいいだろ。暇すぎて眠りそうだ』

「わかってないな。必死に作り上げたものをぶっ壊すのが楽しいのに。達成感を感じた頃に圧倒的な暴力で潰すのが醍醐味だろう。今までそういうことをお前たちもしてきただろう?それと伊吹。あと四手以内にどうにかしないと負けだぞ」

『四手?……あっ』


 Aに教えられて気付く。伊吹はどうにか逆転の芽を探すが、残っている駒と状況を見て、両手を挙げた。


『投了だ。ひっくり返せねえよ、これ』

『そうかあ?残ってる駒全部使えば引き分けまで持ち直せるだろ』

「諦めるん?伊吹」

『引き分けなんざ負けと同義だろ。生き残ることが勝利なら逃げるが、これは軍議で、王が逃げることは許されない。なら部下のことも考えて早めに負けるのも一手だ。余興もここまでで良いだろ。A、いつまで待たせるんだ?』

「あと二十分といったところか。魑魅魍魎も今か今かと待ちかねているな」


 足場の周りには数々の魑魅魍魎が集まっていた。本当に小さく、一匹とカウントできなさそうな魑魅魍魎もいれば、三メートルを平然と超える大きな見た目の者もいた。

 その数は悠に百体近く。誰もいないと思われている空の上に、百鬼夜行ができあがっていた。


「悪の親玉みたいやねえ」

『鬼を式神にして、百鬼夜行を率いている呪術師なんてその単語の羅列だけで悪だろ』

『人攫いと嘘ばっか並べる舌と、そんでもって幼女と一緒に寝てるんだろ?完全に悪人じゃねえか』

「ちょ、それは関係ないでしょう⁉」


 思わず素に戻って顔を真っ赤にする姫。外道丸が述べていることは事実なのだが、それを他人に言われるのは恥ずかしい。

 見た目的には人間社会では完全にアウトだろう。人間社会から離れているAたちには関係のない話だが。


『ただの戯れだろ。なあ?A』

「そうだな。この前の姫の表情と来たら……」

「話す気⁉バカなんですか!バカなんですね⁉」

『睦言くらい聞かせろよー。閨のこととか、おれらに隠れてするもんだから一切わかんねーしさ。おれたちなんて基本肉がないからそういう肉欲も発散できねーんだぞ?』

『オレら死んでるからな。生前みたいに女をどうこうしようなんて考えが浮かばん』

『たしかに。喰いてえとは思うけど、犯したいとは思わねーな』


 Aには揶揄われて、鬼どもは好き勝手所感を述べている。霊気によって肉体を再現しているだけで、肉欲や痛みなどの感覚まで再現しているわけではない。鬼の本能として喰らうという行為はしたいようだが、肉欲には溺れないらしい。


『モデル?とか女優とか見てみたけどよ。玉藻を知ってるからか?全く何とも思わん』

『姫は……あと十年頑張れば近寄るんじゃないか?』

「死人に成長を求めるとか何様やねん」

『鬼』

「……せやね」


 伊吹の言葉に呆れながら、まともな返答が帰ってくることを期待したのが間違いだった。外道丸ならまだしも、伊吹は脊髄反射で答えてばかりだ。それでも生前はついてくる鬼がたくさんいた。

 鬼の中でのカリスマと、人間社会でのカリスマは違うものなのだろう。それにさっきの将棋の内容から、部下を大事にはしていたようにも見受けられる。


「外道丸。将棋に勝ったんだから外からやってくる有象無象を好きにしていいぞ。鴨川の方面に被害を出さなければどう暴れても良い」

『珍しいな。暴れるなんて何年振りだよ?』

『あーっ!外道丸との勝負奨めてたのはこれを決めるためか!くそっ、勝っておきたかった!留守番じゃねえか!』

「外には青竜と玄武。内には麒麟。どっちがいいかはわからないだろう。まあ、私もゲームマスターとして争いには参加しないから、護衛の伊吹も戦わないだろうが」

『麒麟は姫が戦うんだろ?あー……。おれだけ暇じゃねえか……』


 伊吹が不貞腐れているのか、ごろごろと転がり始めた。最近は呪術省の施設に攻め入ったりもしていないので、暴れるのは本当に久しぶりのことだった。

 その久しぶりの機会を失ったら、暴れることが生きがいの鬼は不貞腐れるのも仕方がないのかもしれない。


『青竜と玄武ってどんな奴だ?』

「青竜は筋肉質の男やね。霊気で身体能力あげて式神と一緒に殴り込んで来る脳筋。玄武は可愛い女の子」

『うっわ。つまんなさそう……。玄武のことはあまり情報がないのか?』

「表に出ない子やからね。活動もあまりしてへんし、珍しいことに玄武の子が赴任する地ではあまり事件起きないんよ。だから戦闘記録がほぼなかったわ」

『その不思議なラッキーもここまでってことか。外道丸、痛みつけてやれよ?』

『当たり前だろ。邪魔する奴は殺してなんぼだ。……殺しちゃまずかったんだったか?』

「四神は殺さないでくれ。先代麒麟が余計な苦労を背負うだけだ。四神は存在しているだけで価値がある」


 姫は事実を伝えているが、知っていることを全ては話していない。落ち込んでいつつ、そこに歓喜のスパイスがぶちまけられたら外道丸が喜ぶと思ったからだ。比重としてはAの方へのご褒美のつもりだが、外道丸にも御裾分けだ。

 散々バカにされたり弄られたりしているが、それでも一応恩情のようなものは抱いている。あとは、ネタバラシをしてしまって楽しみを減らされたと折檻を受けるのを避けるため。


「さて、準備は良いか姫?一番の面倒を任せることになる」

「構へんよ。あたしとて今の麒麟には現実を突きつけておきたいし。あんな小娘が陰陽師最強なんてありえへんよ。あたしの時代なら四神にすらなれてへんわ」

『ああん?愛する男のために、だろう?』

「黙りんさい。わかって言っとるん?」

『あー、今の麒麟のことか?わかってるよ。人柱だろう?人間によくある風習じゃねえか。オレたちもよく貢がれてたし』


 外道丸は頭の回転が良い。だから情報さえ与えれば一人で真実に辿り着く。わかっているのに揶揄いを入れてくるのは鬼の習性か、外道丸の趣味か。


「うん?視られているな。珠希君に、明もか?珠希君は直感で、明は……そこか」


 Aが振り返る。そこの空間には何もない。だが姫も鬼たちも視られているという感覚は察していた。術式ではなく、偶然ということも。


「やあ、明君。これから宣言通り、ちょっとした余興を始める。悪いが時間がないんだ。まともな高校生活は諦めてくれ。そういう星の元に産まれてしまったんだから」


 返答などない。そもそも視えているだけで、会話などできる状態ではないのだから。

 合図もなく、Aは地上へ飛び降りる。それに続くように鬼たちと姫も地上へ飛び立った。さらにそぞろのように連なる百鬼夜行たち。数々の異形が天から降り注ぐ様は、昔話の絵巻に描かれているような、到底頭の追いつかない非現実的な光景。


 それを見てしまった人々は、京都の終わりを予感した。いつもの百鬼夜行とは異なる、今までの日々はただ生き永らえていただけだと。何かの気まぐれで見逃されていただけだと。

その気まぐれを何かの拍子に崩してしまった。ただそれだけのこと。

 その地獄の始まりを、市民たちはすぐに思い知る。


────


 金曜日というのは、何を思うだろうか。人によっては週末に休みが待っているために、最後に頑張る日か。逆に世間では休日だからこそ、仕事が忙しくて嫌な気分になるか。

 家族サービスができるために喜ぶか、自分の時間が取れなくて悲しむか。

 ただの週で六日目のことか。それとも他の日と何ら変わらない365日ある内の一日のことか。


 受け止め方にもよるのだろうが、曜日で考えただけでも様々な考えが出てくるだろう。それが日にちなどになっても変わってくる。一日一日は変化していくものだという考えもあるだろう。

 昨日と今日。今日と明日。星と星。全ては流転し、常々移り変わるものだと。

 何が言いたいのかというと。


「頭痛ぇ……」

「明様、頭痛薬飲まれますか?どちらかというと総合風邪薬ですが」

「いや、いいよ。ありがとう、タマ」


 頭がガンガンして、さっきまでの授業もまともに頭に入ってこなかった。ミクに頭下げて授業のノートを後で写させてもらうことになった。それほどまでに、今のコンディションは最悪だ。

 中休みも終わって、これから新入生歓迎会オリエンテーションだというのに。


「明、本当に大丈夫か?無理なら早退しろよ」

「いや、大丈夫だ……。原因もわかってる。よりにもよって今日来るなんて思わなかったから霊気を合わせるのに苦労してるだけ……。今日のは、一段と激しくてな。情報量多すぎて……」

「情報量?」

「霊気を浴びすぎたんだよ。霊気不足の逆で、過剰な霊気浴びるとそれはそれで体調崩すんだな。初めてだ」


 そもそも霊気の譲渡をしたことはあっても、譲渡を受ける側に回ったことはなかった。治癒術の過剰なかけすぎで逆に体調を崩す人がいるというのは知っていたが、経験するのは初めてだ。

 治癒術が必要なほどの怪我をしたこともない。

 今回の過去視を視た後から、何故か霊気が満ち溢れている。その霊気が多すぎて戸惑っていたが、それでもようやく身体が慣れてきた。


 今回の過去視もやたらおかしかった。以前までの過去視なら、自分がどこにいて、どの視点でその場面を視ているのかわかったのに、今回は完全に金蘭の視点でその情景を思い浮かべていた。

 金蘭が目にしていた光景もそうだが、心情すら読み取っていて驚いたほどだ。あれは過去視というよりも、金蘭が記した日記を暴いているかのよう。金蘭の過去を追体験しているかのようだった。


 その内容どれをとっても、今の呪術省が発表しているものを覆しかねない爆弾ばかり。妖と交流を深めていたのは知ってたけど、まさか子どもの誕生祝いに国宝級の代物ぽんぽん渡すほどの仲とかわかるか。

 安倍本家の宝物殿に奉納された品々。あれ、難波家の倉庫に無造作に置かれてた覚えがあるんだが……。それを使ってミクと遊んでたぞ。ゴンも傍にいたけど何も言ってこなかったし。


 当時最高峰の呪術師だった法師を捕まえて程度と言い、越えなくてはならないとまで言わしめた。法師の実力が劣っているようには見えない。霊気も見えていたが、ミクと同等ほどの霊気があった。そんな存在に対して、越えなくてはならないとは。

 鳥羽洛陽についても何かをしようとしていたのはわかった。日本の神様だから日本での信仰や土地を失うのがマズいということも納得しよう。そのための俺たちの土地での御霊送りと、泰山府君祭という永遠の命を得る術式についても。


 だが、安倍晴明が永遠の命を得たとして。その上で難波家を利用してまで金蘭がやろうとしていることとは何だ。安倍晴明と一緒に姿を消しているのだろうが、玉藻の前の再誕なら難波家と協力してもおかしくはない。むしろ、そういう役回りの家だと思ったのに。

 子孫を見守っているという吟は?吟にも術式をかけたと言っていた。長生きの術式を?生きているならどうして難波にも土御門にも知らせない。いや、土御門だけ知っていて俺たちに伝えていない可能性もある。


 だが、そうすると土御門がウチに攻めてきた理由がわからない。安倍晴明の意思を継いでいるなら玉藻の前を再誕させることが目的のはず。協力していいはずなのに。

 他にも色々あるが……。


「頭、痛ぇ……」

「明様、膝お貸ししましょうか?横になると少しは楽になると思いますが……」

「いや、いいよ。もうすぐオリエンテーション始まるだろうし」


 今はオリエンテーションの開会式のために体育館へ向かうため、廊下で整列しているところだ。これから開会式に向かうために立ち上がったら一気に疲れが押し寄せてきたというか。

 さすがにこんな廊下で膝枕してもらうわけにもいかないし。恥ずかしい。

 頭痛い時に考え事とかダメだな。痛みが強くなるし、考えが纏まらないし。

 ほら、なんか視界が暗くなってきた。


『愛する男のために──』


 男の声。聞き覚えがない。こんなダンディーな声の男性いただろうか。俺の知らない先生の誰かだろうか。鮮明には聞こえないけど、こんな時間に恋愛相談を受けている先生が?


「明様?」


 ミクの声が遠い。近くにいたはずなのに、どこか別の場所から囁かれたような感覚に陥る。俺、今どういう表情をしてるんだ?表情筋が動いてる感覚が、ない。


「わかってて──」

『今の麒麟の──』


 姫さんの声?ようやく視界が安定してきた。星が、とてつもなく近い。飛行機に乗ったことがないから、こんなに空が近い様子を見たことがなかった。高い塔とかに登ったこともないし。

 いや、一度だけこんな空を見たことがある。過去視で、平安の夜はこれほどまでに澄んでいたのに。それだけ星の光が暖かい。

 星ばかりを見てばかりだったから、その周りに気付かなかった。霊気の尋常じゃない渦巻。その中心にさらに大きな四つの霊気。四つの霊気が異常なだけで、周りにいる魑魅魍魎も異常だ。百鬼夜行と変わらない。


「うん?視られているな。珠希君に、明もか?珠希君は直感で、明は……そこか」


 視線が合う。いやいやいや。俺さっきまで学校の廊下にいたよな?何で夜空のど真ん中で足場を作り上げている連中を上から眺めているだなんて、転移でもしたんだろうか。

 いや、肉体の実感がない。幽体離脱、のようなものだろうか。今の状況が今一掴めない。ミクの声も聞こえるのに、Aさんたちの声が鮮明に聞こえてくる。


「やあ、明君。これから宣言通り、ちょっとした余興を始める。悪いが時間がないんだ。まともな高校生活は諦めてくれ。そういう星の元に産まれてしまったんだから」


 その言葉と共にAさんたちが飛び降りてくる。百鬼夜行もそれについて落ちてくる。それを見届けた瞬間にブツンという切断したかのように視界が戻る。急のことすぎてよたついたが、ミクが支えてくれた。


「明様!」

「ああ……。祐介!式神を召喚しろ!賀茂、お前もだ!」

「え?あ、おう!」

「いきなり命令しないでくださいます?まずは状況の説明を……」

「そんなこと言ってる場合じゃない!もう、奴らがくる!」


 校庭に地響きが鳴り響く。それとともに、さっきまで感じていた霊気が降り注ぐ。祐介が犬の式神を召喚していたが、この霊気を浴びて完全に身体が硬直していた。

 マズイ。初手を完全にミスった。

 向こうが攻めてくる前に出来得る限り状態を整えたかったはずなのに、本当に頭が回ってないらしい。

 ゴン、銀郎、瑠姫も実体化して俺の周りに現れる。いくら一騎当千の式神とはいえ、同じような鬼がいる時点で拮抗するだけ。引き分けても勝てはしない。こちらの勝利条件なんて死人を出さないことだろうが、もう無理そうだ。


「ゴン、あの群れにどれだけ対応できる……?」

『倒さなくていいならいくらでも、と言いたいが今日のお前の体調じゃ無理だ。そんな状態のお前から霊気をもらって動けると思うか?』

『そうニャ。さすがにその状態の坊ちゃん戦わせられないニャア。あたしの傍が安全だと思うから、離れない方が良いニャ』


 銀郎とゴンがいればある程度対応できるのに。戦力になるはずの俺が動けないというのは申し訳ない。

 周りはあまりの霊気の波動に尻すぼみしている。いつぞや天海に見せたゴンの霊気以上のものが学校全体に伝わるように波のように広がっていく。この霊気の圧を受けて動ける人間は少数だろう。

 そういう意味ではすでに選抜が始まっていた。静けさと圧の暴力が織り交ざる中、その男の声は良く響き届いた。その場にいないことは分かっているのに、耳元か頭の中へ直接音声を届けているかのようにその魅惑の声が頭から離れない。


「あー、京都にいる民よ。聞こえているか?うん?聞こえている?なら良し。君たちに朗報だ。我々は同胞を探している。今の世の中に不満を持つ若人諸君、共に呪術省へ反旗を翻そうじゃないか。この遅滞した混沌の時代を変えるわけでもなく、むしろ混沌を更に撒き散らそうとしている呪術省へ、ストライキをしてみないか?」

『おーい、オレたち名乗ってないぞ?いいのか?』

「おっと、そうだった。私の名前は、以前はAと名乗っていた。何十年前だったか?呪術省の軍事施設を鬼二匹と一緒に襲った呪術犯罪者だ。鬼の姿を確認すれば本人だとわかるだろうが、呪術省はまだこの術式の特定をしている頃か?全く、先代の陰陽師の頂点はすでに私を捕捉しているというのに」


 聞いたことのない、いや、正確にはさっき少しだけ聞こえてきた男の声と、Aさんの声。たしかに聞こえてくるのは耳元だが、本人はどこにいるのかと探してみたらミクがすでに見つけていた。

 開会式が行われる予定だった講堂。その屋根の上にAさんと鬼が二匹、並び立っていた。学校の敷地内には魑魅魍魎がわんさかと溢れかえっていた。この学校には魑魅魍魎が入ってこないように強力な方陣が敷かれていたのだが、それは容易に壊されていた。

 仮面で顔を隠したままのAさん。顔を隠しているために本人確認なんてできないだろうが、それでも何年生きているとしてもあの鬼を従えられるのはあの人しかいないだろう。


「Aなんて名前を名乗っていたのは時期尚早だったからだ。長年準備を進めていたが、ようやく時が満ちたので我が名を明かそう。私は裏・天海家第十二代当主・・・・・・・・・・・天海内裏あまみだいりという。本家の天海とは異なり、陰の道を歩み、表舞台からは去って裏から支える立場になったものだ。もう表舞台から隠れるのはやめだ。我々の支援をなくして、呪術省が立ちゆくのか見届けよう。裏世界の住人たちよ。もう影から日本を支える必要はない。呪術省は表側の仕事を放棄した。自分のやりたいようにしろ」


 裏・天海家に、裏世界の住人?また情報が増えていく。今朝だけでもいっぱいいっぱいなのに、これ以上増やさないでほしい。ただでさえ、頭が回っていないのに。


「あーっと、薫ちゃん?裏・天海家とか存在知ってた?」

「い、いえ……。私の家も本家ではなくて分家なので……。本家は東京にありますし、分家の数も多くて把握してなくて……」

「血筋でも知らないって、本当に実在するのかよ……」


 祐介と天海が話し合っているが、そんな呑気に確認している場合じゃない。学校の中を魑魅魍魎が囲み、あの鬼たちがこっちを見ているというのに。


「遅いなあ、呪術省。我々は国立陰陽師育成大学附属高等学校にいるぞ?今から征伐を開始する。陰陽師の卵を守りたければさっさと来い。全員、生きていると良いな?」


 随分と広かった領域への事象改変術式が解除される。だが、この学校に仕掛けた広域伝播術式はまだ展開されたままだ。それはつまり、俺たちに向けられた説明はまだ続くということだ。


「さて。国立陰陽師育成大学附属高等学校に存在する人間諸君。今回の選抜に当たり、疑似的な百鬼夜行を用意してみた。こちらとて出来得る限り優秀な駒が欲しい。この程度、京都では日常茶飯事だろう?九十九匹の魑魅魍魎と、私の式神一人。これを相手にして夜明けまで生き残るか、できないとは思うが式神を除く魑魅魍魎の撃破。これを成し遂げれば我々は撤退しよう。では、瑞穂みずほ


 Aさんの隣に、一人の少女が舞い降りる。いつもの艶やかな着物ではなく、巫女服を着ていた姫さん。姿が見えないとは思っていたが、この演出のためだったのか。姫とも呼ばれていなかったが、本名だろうか。


「この瑞穂こそ、今回君たちへ課す陰陽師の手本だ。彼女を何人がかりで止めるのかが見物になりそうだが。では、余興を始めようか。この学校の敷地内全てに九十九匹の魑魅魍魎を放った。特別サービスであと何体残っているのかこちらで知らせよう。余興は誠実であってこそだ。私は嘘つきだが約束や遊びの規則くらいは守ろう。事細かく状況を知らせる簡易式神を備え付けた。そいつらに聞けば大体の状況がわかるだろう。ああ、私は戦わないのでそのつもりで。観戦させていただくが、もしこちらに攻撃を仕掛けてくればそれ相応の対処をさせていただこう」

『お、A。さっそく呪術省のバカ共が来たらしいぜ?オレが迎え撃っていいんだよな?』

「ああ、任せる」


 術比べを見に来ていた方ではない鬼が敷地外へ飛び出した。誰がここに向かっているのか知らないが、あの鬼はゴンより強い。その鬼に勝てる人がいるだろうか。

 簡易式神は蝶のようで、そこら中に浮かび始めた。これが子機になってAさんの情報を発信するのだろう。嘘はないと思うが、これでは本当に遊びだ。向こうは勝っても負けても良い。ただ目的の人材を見つけたいだけ。


「では、ゲームを始めよう。なあに、ちょっと死ぬ可能性のある、君たちの実力を知らしめるただの戦場だ。今の陰陽師は戦う者になったのだろう?ならば、戦って勝ち残ってみせろ。私は本当に力のある者を望む」


 その宣言と共に、魑魅魍魎が暴れ始める。近くにいた人間や建物へ襲いかかる。建物ごとにも方陣は組まれていたはずなのに、容赦なく破壊されていく。

 すでに大惨事だ。姫さんは動いていないが、この学校が取り壊しになるのも時間の問題だ。


「銀郎、奴らの殲滅任せる。霊気を持っていっていい。教師を除いたら対応できるのは銀郎とゴンぐらいだろ」

『防衛には天狐殿がいた方がいいですからねえ。あっしは狩ることしかできない能無しなんで』

『さっさと行くニャ。坊ちゃんたちのことはあたしに任せるニャ』

『……お前の防衛力は信じてるがよ。お前は珠希お嬢さんの霊気で動けるとはいえ、天狐殿は傍に置いておいた方が良い。今日の坊ちゃんは不安定だ』


 銀郎が駆ける。駆けた先でとぐろを巻いていた大蛇へ斬りかかる。蛇とは古来より竜とも見做される存在だ。特に規格外の大きさであった場合、まさに竜に等しい暴威を振るう。それを率先して止めにいった銀郎の判断は正しいだろう。


「祐介。まともな攻撃術式は?」

「即式は無理だな。どれも決定打にすらならない。ってなると詠唱を重ね掛けしてだが、それを連中待ってくれるかね?」

「待たないよ。そういう対応力も含めて、こっちを測ってるんだ」

「超常の方々が考えることはわかんねえな……。それより明、本当に大丈夫か?今も霊気乱れまくりじゃねえか」


 祐介に言われなくてもわかっている。ここまで霊気の放出も安定化もできないのは初めてだ。まるで呪われているよう。霊気だけなら最高なくらい溢れているのに、その制御は全くといって良いほどできていない。


『坊ちゃん、無理は良くないニャ。それにここにはタマちゃんと、難波家最強の盾がいるのニャ。寝ててもあの大群ぐらい防ぎきってみせるニャ』

「……いつになく頼もしいな、瑠姫」

『耐えることには慣れてるからニャア。朝まで時間稼ぎすればいいんでしょう?そのくらい、天狐殿の手を借りずともしてみせましょう。なにせ今のあたしの霊気は潤沢ですから』

『瑠姫。神の座に引っ張られてるぞ。そっちに行き過ぎるといくら珠希でも霊気が持たん』


 口調と共に神気を纏い始めた瑠姫をゴンが止める。ミクは別段苦しそうにはしていなかったが、式神という性質上瑠姫の本来のスペックに近付ければ近付けるほど主の霊気を消耗する。

 神の座に足を踏み入れる存在はそれだけ、人智の及ばない強大な力を有している。並の陰陽師ではそのスペックを導き出せないために、神に類する式神とは契約をしないのが常識。難波家は式神に特化した家だからこそ、その常識をいとも容易く破っているわけだが。

 その契約をできるような土台作りとして、小さな頃から霊気を鍛え上げる。そうでもしないと神格を帯びた式神を行使なんてできない。


『アハハ、ごめんニャ。でもどこか拠点を作って防衛すべきというのは事実。あの男はこういうことに関して嘘は言わニャイだろうけど、九十九匹倒すのは骨が折れるニャ。銀郎っちが戦ってる大蛇もそう。魑魅魍魎としては特殊なやつが数体混じってるニャ』

「……とりあえず、明。俺は先生たちについていってやれることをやってみる。雑魚なら倒せると思うし、一年の中だったら実戦経験も多い方だしな」

「任せる。瑠姫、近くの教室に立てこもるぞ。戦えそうにない生徒たちも含めて」

『わかったニャ。それでいいかニャ?タマちゃん』

「はい。明様の安全が一番です」


 ミクと天海が中心になって戦えそうにない生徒たちを誘導して教室に入り込み、瑠姫が方陣を張る。先生たちと祐介のような有志の生徒だけが魑魅魍魎の討伐へ向かって行った。いくらここが高等学校の中では最難関の場所だとしても、全員が全員戦えるわけじゃない。

 賀茂はもちろん有志として出て行った。平民を守るのは権力者としての責務だとかなんとか言って。先生たちも着いていってるから大丈夫だろう。

 残った俺たちがやるべきことは何か。それは指示を仰ぐことだ。さすがに先生たち全員が迎撃に当たるわけでもないだろうし。


「タマ、生徒会への連絡は?」

「やってはいるんですけど、すでに迎撃をしているのか繋がらなくて……。生徒会の方々なら講堂に早めに移動されていたでしょうし、あの方々と鉢合わせしてる可能性も……」

「そうか……。天海、こういう緊急時の対応ってどこかに書いてあったりしないのか?」

「生徒手帳に書いてあったはず……。ちょっと待って」


 天海が生徒手帳を広げて確認をしていく。その間に俺はやらなくちゃいけないことがある。瑠姫の方陣は破られないと信じているし、音的にもこの教室に魑魅魍魎が近付いている様子はない。


「ゴン。俺の霊気を吸ってくれ。これは霊気酔いなんだろ?」

『落差が激しすぎて、今回の騒動で動けなくなるかもしれないぞ?しかも原因不明。下手したら誰かの術式の対象にされたのかもしれないのに』

「それでも。……今回の騒動余興で誰かが死ぬのは間違ってる」

『……わかったよ。オレもその絡繰りがわからないから強引な施術になる。それでもいいんだな?』

「ああ、頼む」


 ゴンが術式を展開させたのか、身体から金色の霊気が溢れていく。俺はその術式の行使に、身を任せていた。

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