第45話 4ー0
「ほう?もう文字を覚えたのか。頭が良いんだな、金蘭」
「晴明様」
机に向かい、紙にて字の練習をしていた金蘭。手を陰陽術で人間の手へと変化させて、筆を握って墨をつけて描く。その様子を見て晴明は頭を撫でていた。
今では金蘭は、安倍家の一員として身なりもキチンとして過ごしていた。この豪華な家で住むために必要な教養を覚えようとしているところだ。それと、対外的にもただの少女が家に住み着くというのは外聞が悪いために陰陽術も習って弟子としている。
才能があることは晴明も分かっていた。独自の術式を産み出し、運用しているということは確実に弟子たちの誰よりも才能があった。それを彼女に自覚させるために、どうにか晴明は術式の理解をしようとしていた。
金蘭一人が使う分には問題ないのだが、弟子の術式を理解していないのは師として不甲斐なかったので、まずは言葉を覚えてもらって言語化できるかを試みている。
「少々鬼が暴れていてな。数日帰ってこられなさそうだ。玉藻から様々なことを教わってくれ。あと、吟を連れていく」
「吟も?」
「ああ。そろそろ鬼退治くらいさせようと思ってな。なに、ただの中鬼の集団だ。死にはしない」
中鬼というのは大鬼ほどではないが、人間を遥かに上回る体躯をしたバケモノ。人間一人ではどうあがいても倒せない。いや、中には一人で大鬼を斬り裂く人間を辞めているかもしれない武芸者もいる。
だが、吟はまだその段階ではない。刀を振れるのは大したものだが、それでも中鬼を倒すのは難しい。小鬼とかならまだしも、陰陽師の補助なしで倒すのは十歳になったばかりの子どもでは無理に等しい。
それがたとえ、当代最強の剣士と呼ばれる渡辺綱と互角の実力を有するようになる剣客の子ども時代だとしても。
「……吟は大丈夫ですか?」
「大丈夫だろう。現場には法師もいる。法師がいれば負けはしないさ」
「でも怪我はするかもしれないのですよね?……私、法師は苦手です」
「そうなのか?法師は呪術を研究してるだけで頼れる男だぞ?」
「……
晴明の動きが止まる。簡単に言ってしまえば嫉妬。それも金蘭が法師に対して。そんな栓無き事に晴明はおかしくなって笑ってしまった。
金蘭が晴明に弟子入りしてまだ一年も経っていない。だというのに晴明の一番弟子で、今や陰陽界のトップの一人と言われている法師に嫉妬するなんてずいぶんと可愛らしいと思ってしまった。
「このまま勉強を続けていればいつか法師にも並べる陰陽師になれるさ。弟子として一番なのは、当然というかだな……。あいつは私と同格ではあるが、私を超えることはない」
「そうなのですか?」
「そうだとも。金蘭。さっきは並べると言ったが、君なら法師も、私すらも越える陰陽師になれるかもしれない。玉藻を超えることはできないだろうが」
それは本心なのか、それとも子どものご機嫌取りだったのか。それは晴明にしかわからないだろう。だが、この言葉はずっと覚えていた。覚えていたからこそ、数年後に法師の弟子にも正式になったことで精進した。
かならず、どちらかには勝てる陰陽師になろうと。いや、ならなくてはならない使命だと、心に刻んだ。
─────
最近、吟が自分の方が背が高いとうるさい。弟に変わりはないのに。源家の方々に訓練をさせてもらっているらしい。最近同年代の友達ができたとか。その子は瞳が真紅でかっこいいのだとか。
私は武士になるわけでもなく、まだ晴明様のように武士の補助ができるわけではないので武家の方々と会ったことはない。
怪異を倒す、相当な腕の持ち主なのだとか。この前も待ち伏せをしていた鬼を一匹倒したらしい。大きさは小鬼と変わらないというのに、相当な強さだったとか。
山の方も何やら騒がしいみたい。晴明様曰く、鬼の酒宴が行われているのだとか。それでも人に被害が出ていないために放任するらしい。
──────
私も正式に武家の方々と協力する陰陽師となった。他の弟子の方々にはお父様の血筋として紹介されたらしい。一人の高弟の方が睨んできたが、どうかしたのだろうか。
女の陰陽師は珍しく、私しかいなかった。女性は子を産むもの、政治の補佐をする者。陰陽師は学問と言えども、学ぼうとする女性はいないのだとか。だからこそ目立ったらしい。
この前の討伐では、吟と一緒になって大鬼を退治した。最近では吟も体格がしっかりとしてきて、安心して前を任せられる。都からそこまで遠く離れた場所へは行かなかったが、周辺で人に被害を及ぼす相手はかなりの数を減らしてきたと思う。
──────
法師に弟子入りした。端的に言うと、嫌だった。
私は法師が嫌いだ。お父様も玉藻様も法師のことを家族として受け入れているが、私は家族として受け入れられない。
あの人は、少し近すぎる。私の嗅覚や、直感があまり知らない人のはずなのに、安心感を覚えてしまう。何か術にかけられているのではないかとも思ったが、そんな痕跡は見当たらなかった。
得体の知れない人なのに、私の大事な人たちから信頼を得て、陰陽術の才能も確かにある越えられない壁。その人から学びを受けて、得られるものを得ようとしたのに。
……後悔した。私は法師に弟子入りをして、法師程度には勝たなくてはいけないと決心する。今やお父様の高弟たちの誰よりも実力があるからと、慢心していた。こんな底辺で足踏みをしている場合ではない。
お父様の真意を知った。法師の役割を知った。だからこそ、私もお父様の後を追う。あの方々を孤独にしないために。
──────
お父様にご子息が御生まれになった。生命の神秘に触れた気分だ。このような小さな身体に、きちんと晴明様を感じる。
私と吟の弟、ということになるが、少し歳が離れすぎている。それでも私たちは、この小さな弟を必死に守っていくだろう。
その日は家中で宴会になった。まさかお婆様や、お父様の知己となった妖の方々まで来られるとは思わなくて、そこまで大きくないお屋敷はぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
食事もある程度は用意していたが、すぐになくなってしまった。特にお酒。天狗の方々が持ってきてくださったが、そんなものは鬼たちに飲み干されてしまった。
ただその宴は、古今東西様々な宝物が贈られ、世界で一番財宝が集まった場所と言えるだろう。
天狗の団扇、鷹の羽根。上質な糸に瑠璃色の宝珠。誰が打ったかもわからない霊剣など、数々の品々が屋敷の倉庫へ奉じられた。
その宝物たちは、来たる時に用いられる。
──────
お婆様が、お父様のお母様が人間に殺された。お婆様は都に住まず、日ノ本を放浪するように暮らしていたようだが、人間に討伐されたらしい。
魂だけは丁重に持ち帰り、お父様が管理する場所で御霊送りをされたようだが、お婆様が拒否され、結局魂だけが残されているらしい。
宮中でもその件が発表され、連日お父様と玉藻様のお顔が暗い。法師は屋敷に飛び込んできて、都を滅ぼそうとしたがお父様がお止めになった。
できるなら私も、吟も都を滅ぼしたかったが、お父様が我慢なさっているために行動に移すことはなかった。
私はこの時の選択を後悔する。
後々の悲劇を知っていれば、この時に法師と協力して都を滅ぼすべきだったと。
都よりも大事なものを失くすのであれば、都くらい滅ぼした方がマシだったと。
──────
お父様が星を詠まれた。何度詠んでも変わることのない未来。その内容を私たちにだけ話してくださった。息子である彼には内密に。
その未来を最善のものにするために、私たちは歩き出す。それが最善だとは思いたくないが、他の未来よりはマシだと信じて。
進むべく未来さえ来ずに、今のままの日常が残ればいいのに。そう思ってもそんな明日は来ない。最悪中の最善へ向かって、石橋を叩く。
この時ばかりは星見の才能がないことを恨む。
お父様と法師の顔は曇るばかり。もっと良い未来はないのかと模索するが見当たらず。都を放置すれば日ノ本は消え去り、都を維持しようと思えばお父様たちが苦しむ。
だが、日ノ本がなくなるということは、玉藻様が信仰をなくしてその存在を維持できなくなる。
ああ、人間はなんと欲深い。
いや、人間ではなく、あれは魔だ。魔が都に満ちようとしている。
妖でも魑魅魍魎でもない。下に恐ろしきは、魔に魅せられ、魔に成り果てる弱き心。
妖たちにも様々な情報を共有する。
そして吟にも、成功するかわからない術式を私と共に施す。
私は、ただ私という存在を受け入れてくれたお父様たちに恩返しがしたいだけ。
──────
その日は、お父様が詠んだ通りの日に来た。一千年という区切りの時に起こる災害。終焉の幕開けともなりえた、未曾有の破滅の音。
そんなことを、都に生きる人間は誰も知らない。晴明様の高弟を名乗る陰陽師たちも、師であった賀茂も。日ノ本がなくなる寸前だったということを、私たちと妖たち以外は誰も感知しなかった。
そして、玉藻様が都から追放される。その討伐隊に晴明様も選ばれ、私たちも同行した。一部を除く
事前に見繕っていた土地にて、玉藻様の御霊送りを敢行する。一度神の座に行き、権能を置いてきて人間の身になってしまったために、信仰を失った今は一度玉藻の前という肉体を捨てて、神へと輪廻しなければならなかった。
権能を取り戻し、もう一度二人を出会わせるために。そのために私たちは、式神として二人が出会える環境を整えなければ。
晴明様は永遠の命を得た。後は玉藻様の再誕だけ。長き時間が必要になるだろう。それでも私たちは誰一人とて諦めていない。何を犠牲にしても、それこそ私は他の何を犠牲にしても、二人のために魂すらも投げだした。
陰陽寮も人間どもも、難波家すら利用してみせる。私は誰に何と思われても良い。
ただ、晴明様と玉藻様だけは。あの頃のような穏やかな暮らしを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます