第43話 3ー2

 四限目。もう辺りは暗くなり、外では魑魅魍魎に対する準備を始めている頃だ。本格的に現れるまではもう少しだけ猶予がある。そんな中俺たちの学年はLHRで各クラスごとに授業をやっていた。

 ウチのクラスは八神先生が講義をしている。配られたレジュメは狐についてというもの。


「さて。お前たちに配った資料は俺が大学生の時に研究した卒論の内容だ。俺の紹介としてこれ以上ないものだと思ってな。質問は最後に受け付ける。これは講義式の授業だ。これから様々な講演会が開かれるだろうから、その予行だと思ってくれればいい」


 パワーポイントまで用いられての授業。たしかにこれなら講演会と呼んでもいいものだろう。入学して二週間経つが、八神先生のことは自己紹介以外のことはあまり知らないのかもしれない。

 この内容もおそらくは偶然じゃない。ミクのクラスの担任をやることになったのはこういう卒論をやってきたという結果があったからだろう。


「お前たちはどういう印象を抱いてるのかわからないが、結論を言うと狐はなんてことないただの動物だ。霊狐って言葉があるように式神などに向いている、陰陽師向けの動物だ。そこそこの霊狐なら元々の金の属性と一緒に狐火を主とする火の属性も持っている。優秀な動物だよ」


 へえ、と言ったような感嘆がぽつぽつと出る。基本的に式神になるような動物は種族によって五行の属する性質が決まっていて、得意な攻撃方法もその属性に則していることがほとんどだ。

 そういう意味では二属性を持っている狐という存在は希少だ。レジュメの該当ページを見てもそこまで種類は多くない。天狗やら鬼やら、式神にするなら上位の生き物たちばかり。


 で、この中で狐だけ迫害されていると。鬼は嫌われていないのに、この差別は本当に受け入れられない。いや、鬼も暴走したら面倒ということで敬遠されがちな存在だけど。その分強さが格別だから許されているんだろうか。昔の話の中にも有名な悪い鬼なんていくらでもいるけど。

 それでもやっぱりゴンは特別だろう。陰陽術を使える式神なんて他に知らないし、五行の五属性全て使えるなんて反則も良い所だろう。天狐ならばゴンのように様々なことができるのだろうか。分け御霊、というだけで権能があるから色々できるんだろうけど。


「では、狐について陰陽師的観点から説明していこう。狐というのは遥か昔から妖怪とみなされたり、神の使徒と思われたり、精霊とみなされていた。陰陽師の前身である巫女や祈祷師、呪い師などには重宝される存在だった。狐が不幸の前兆を知らせてくれるとする民族も北海道にいたとされている。人を化かして騙し悪戯を繰り返す性質もあるという。これが平安以前の狐の認識だ」


 卒業論文、ということで様々な出典先が載っている。そうか、国立図書館蔵書の一般書。陰陽師に関係ない書物ならたくさん蔵書されていて、全ての日本の書物は蔵書するという国立図書館ならたとえ狐に関する書物でも残されているのか。

 国立図書館となると東京か。人口が一番多いのは京都だけど日本の首都は江戸時代からあの場所だ。取り寄せるとなると時間がかかるかもしれない。


「平安の頃もその認識は変わらなかった。しいて言うなら九尾の存在が確認され、一体だけ討伐を確認されている程度。それ以外の狐に関することは末期以外に存在しない。で、狐評に関する変換期だ。玉藻の前、そう自称した九尾の狐の天皇殺害未遂事件。この事件をもって、狐は人類から見放されるようになる。天皇という存在は現在でも日本の象徴の存在として法にも記載されていらっしゃるが、それは当時の都でも変わらなかったようだ」


 鳥羽洛陽。大体の概要は知られているけど謎の事件。玉藻の前はどこから現れたのか。その名前はどうやって知ったのか。皇居にはどうやって現れたのか。何故姿を、正体を見せてしまったのか。

 皇居から追い出して討伐隊が組まれて、日本各地へ追い回されるような何かをしでかした。その内容は言及されておらず、一つの説として天皇を洗脳しようとしたとか。

 安倍晴明が玉藻の前をウチの土地へ封印したことは事実で、その結果命を落としたのも変わらない。陰陽師の祖を殺してしまった存在というのは正しいのかもしれない。でも過去視を視る限りお互い幸せに暮らしてたと思うんだけど。


 八神先生がスライドを次へ移す。そこに現れたのは古い絵で、玉藻の前らしき九尾が天皇らしき存在に呪術をかけているような絵。玉藻の前の顔が狐で、人型の大きさに着物を着ているという、なんというか頓珍漢な姿をしていた。出典を見る限り書かれたのは江戸時代。推測で描かれたものだとしてもあの玉藻の前はない。

 もっと美人だったし、そもそも狐顔じゃない。正真正銘の神様をこうして悪として描くなんて。悪神じゃなかったはずなのにな。やるせない。


「皆も知っていると思うが、鳥羽洛陽だ。資料提供などがないために鳥羽洛陽については詳しく説明できない。情報がほぼ推測の根拠がない資料しかないからだ。陰陽師大学に行っても、一学生の俺程度には鳥羽洛陽の詳細な情報など入手できなかった。だから推測になるため口にするのは憚るが、この頃から狐は迫害され始めた。狐が虐殺され始め、一時的に姿を見せることがなくなった。狐は頭の良い生き物だからな。人間に近寄ることを避けたんだろう。狐の知能指数を表す実験が外国で盛んに行われている。正確には日本にそんな資料がなかっただけだが」


 狐はイヌ科ということもあり、犬と同等の知能はあり外国の研究チームは賢い動物だと結論を出したようだ。日本では毛嫌いされているからか狐を研究しようとする流れ自体が少ない。

 だから八神先生はかなりの少数派だ。公平な資料も少なかっただろうによくここまでの卒論を作ったものだ。これを作ることに許可した教授も、これを卒論として認めた大学側も、プロのライセンス取得の材料にしたライセンス協会もすごいな。


「俺は過去視なんてできないし、過去視を使える知人も知らないために詳細な情報は知らん。だから鳥羽洛陽については一切合切説明できないが、この事件で重要なのは玉藻の前の凶行ではなく、当時最高の陰陽師を二人とも同時に失ったこと。狐を恨むのが人情ってもんかもしれないが、安倍晴明だっていつかは死んだ。それに混乱しすぎた結果が都の衰退だ。その醜態に耐え切れずにもう一人の蘆屋道満は都を去ったそうだが」

「先生。まるで狐は悪くなく、今の呪術省の前身である陰陽寮を否定するかのような発言は控えるべきでは?事実、安倍晴明様が殺されたのは玉藻の前のせいですわ」


 挙手をして発言をした賀茂。教室中の視線が賀茂に集まった。呪術省を敵に回すのが何だって言うんだ。いや、ここは呪術省のお膝元だからマズいのかもしれない。

 その発言に八神先生の動きも止まる。そして一気に眉が跳ね上がり、頬の筋肉がピクピクと引きつっていた。


「……賀茂ぉ。誰が発言を許可した?こういう講演会式の発表は挙手しようが司会の人間が指名しなければ発言できない。今回は司会がいないから発表者の俺が司会も兼ねている。指摘の前に常識を疑われる言動はよせ」

「あら?これは忠告ですわ。教師の立場から不適切な発言が出ましたので。それに鳥羽洛陽について呪術省では公式見解を発表しております。玉藻の前が天皇に呪術をかけようとしたところ、安倍晴明様の高弟によって防がれたと。ご存知なくて?」

「ああ。知ってるよ。星見の方々が否定した公式見解とやらは。土御門に残された古文書に書かれていただっけか?その古文書も公表せず、星見の方々が一斉に否定されたことを、教師として正式なものとしてお前ら生徒に教えることはできない。不鮮明だから発言を避けたんだ。都の衰退と蘆屋道満の退去は事実なんだろう?呪術省も文書で発表して星見の方々が認めている」


 過去のことについて、星見の人間の発言はかなり重きが置かれる。違う視点から、様々な角度から見られる過去の共通点を纏めているのが今の歴史だ。そういった物の編纂のために父さんもよく呼ばれるようだが、話が合わずに不貞腐れて帰ってくることが多かった。

 人によって視られる過去はまちまちだ。俺なんてほとんど平安時代の安倍晴明絡みしか視ないし。第二次世界大戦の頃しか視えない人もいれば、縄文時代しか視えない人もいる。

 数年前に発表された鳥羽洛陽については、当代一の星見である父さんが否定したことが世間ではかなり話題になったほどだ。新聞で読んだ程度だけど。

 では父さんの話した鳥羽洛陽の真実とは何か。そこには検閲でもされたのかほとんど何も語っていなかったが、一つだけ。玉藻の前は呪術なんて使わなかったと。それだけは明確に呪術省の発表を真っ向から否定していた。


「歴史がどう正しくて、何が本当に起きたことなのか。それは過去視という特別な力があってもはっきりしない。呪術省の発表しているものが正しいのかさえわからない。星見の方々が伝えてくれる情報を信じたいが、それを呪術省が否定する。さて、教師の立場としてどうするべきか。たとえ呪術省の管轄であっても俺はこう言うぞ。わからないから明言は避ける。ただしテストで出る際には呪術省の発表通りに書け、ってな。まあ、こんな問題は高校生になったお前たちには出されない問いだろうが」


 歴史の変換点ではあるのだろうが、大雑把に玉藻の前のせいで天皇が苦しみ、安倍晴明が死んだという事件ということがわかればいい。これは歴史というよりは陰陽師が台頭している世の中では一般常識。陰陽師でなくても知っていること。だからこんな出題は精々小学校でしかされない。


「賀茂。俺が言いたいのは、鳥羽洛陽という事件の本質についてだ。狐に対する見解が変わった事件であり、重要視されるべきは玉藻の前の悪行についてだったのかってことだ。安倍晴明が死んで、蘆屋道満がいなくなって。偉大な人がいきなりいなくなってもみんなで力を合わせて頑張っていきましょう。そういう教訓にするために語り継がれた事件だろう?犯人の身内を炙り出して虐殺しましょうって話じゃないだろう?教師として、重きを置く場所を考えてこの場で話している。呪術省の言いなりになるのが教師じゃないんだよ」


 ヤバイ。八神先生のことをかなり見直した。適当な人かと思ってたけど、ここまで紳士的な人だったなんて。生徒のことかなり思っていて、選択の余地を与えている。

 どこを話すべきか。情報の取捨選択を行い、一つの説に囚われることがないように、多角面からアプローチする。食い違う意見が出ているから疑う。何かの情報を鵜呑みにしない。それを自身の卒論を題材に伝えている。

 だが、呪術省に盲目な賀茂相手にはマズイ。


「では何を信じろと⁉長らく日本を支えてきた呪術省と、ちょっと特別な力を持つ星見の集団!どちらの言葉を信じるかなどわかりきっているではありませんか!」

「誰の言葉を信じるかは自由だ。お前が呪術省に入りたいのなら呪術省の言うことを信じろ。研究者になりたい人間は今の事実を疑え。俺の言葉なんぞ信じなくていいぞ。陰陽師とは裏表のある存在だ。嘘も平気で言うし、真実を隠すこともざらだ。で、だ。賀茂。今のお前の行いは受講者として失格だ。別に寝る、話を聞かないくらいなら俺の話し方や内容に興味がないんだなって思うだけだから気にしない。そいつ個人にしか影響がないからな。

 だが講義を途中で止められて、こんな莫迦らしい口論をやってたら授業が進まないだろうが。他の聴講者に迷惑が掛かっている。それを全校生徒がいる場でやるつもりか?呪術省とは違う新発見をわざわざこの学校にまで出向いてくれて発表してくれる先生もいらっしゃる。その方に向かってお前は呪術省が認知していないので認められませんと言うつもりか?呪術省の職員でもない一学生のお前が、呪術省の情報全て知っているのか?」

「わたくしは賀茂の家を継ぐために様々なことを学んできましたわ!呪術省のことも詳しく存じております!」


 そういう問題ではないだろう。結局は個人の思想に反したから言いがかりをつけているだけ。

 要するに俺の狐好きとあいつにとっての呪術省好きが全くの一緒だということだろう。かなり不本意だが。俺だって狐が意味もなく貶されたら怒る。

 あと、全てと詳しく。それは等号じゃない。呪術省はそれこそ日本全国の陰陽術に関することを全て統計している。その全てを知っているかと言われたら無理だろう。完全記憶能力でも持ってないと。

 人間の脳には限界がある。浅く広く知識をつけることはできるだろうが、深く正しく細かく全てのことを知ることができるかと言われたら無理だろう。千里眼と完全記憶能力と過去視ができればいけるかもだが。賀茂の家系は星見の一族だけど、ここのところ星見なんて一人も輩出してなかったはず。


「……よし、わかった。お前の言い分はよくわかったよ。このままじゃ平行線で授業が進まない。文句があるなら放課後に時間を取ってやる。それで何でも質問も文句も言いやがれ。あと、全てって言うなら今から言う俺の質問にも答えられるだろう?神出鬼没のAと名乗る陰陽犯罪者。こいつの起こした事件全てを答えてくれ」

「1944年に起こした陰陽寮襲撃事件の主犯ですわね。その後もいくつか陰陽寮に関係する施設を襲撃した極悪人ですわ」

「その施設っていうのはいくつだ?」

「八つだったかと」

「正確には十三だ。その八つていうのは第二次世界大戦前後の数で、1960年過ぎにまた五件襲撃事件を起こしている」

「ッ!それはたしか、同一人物を名乗る別人ということで処理されたはずですわ!」


 賀茂が立ち上がって反論する。Aって名乗る陰陽犯罪者ねえ。どうしてもあの人のことを思い浮かべる。隠れているゴンを横目で見てみるが、うなずいてくれた。

 えー。あの人いつから生きてるんだよ。長生きって陰陽術を極めたらできるもんなんだろうか。そんな奇特な人物が何人もいたら困るけど。


「同じ鬼を引き連れた強力な陰陽師が何人もいて、それを何回も逃がしてることの方が問題な気がするけどな。Aという奴らが集団なのかもしれないが、どっちにしろAという名前と鬼という共通点があるのに。……まあ、いいか。この質問はただの言いがかりだ。授業を邪魔された腹いせとかそんなこと一切思っていないからな。さて、どうにか帳尻を合わせるために巻くか」

「教師としての態度も問題がありますわ!あなた、呪術省のことを相当嫌悪しておりますわね⁉」

「狐を卒業論文にしたことで危険分子扱いを受けてライセンス昇級試験に五年連続で落ちていて、嫌悪しない理由があるか?公表されている合格点は実技も筆記も越えてるのにな。何でだろうな」

「事実、狐の信奉者なんて異端でしょう!玉藻の前は都に魔を放ち、晴明様を死に至らしめ、封印の地では土地も民も干したそうではありませんか!この教室が狐臭いだけで我慢なりませんのに‼」


 その叫びが言い終わったのと同時に、鋭い金属音が鳴り響く。それも叫んでいた賀茂のすぐ傍から。

 そこにいたのは賀茂を庇うように刀の腹を支えるように防御の姿勢を取っていた銀郎と。

 賀茂を殺す気満々で息を荒くした瑠姫が、爪を伸ばして首を掻っ切るように実体化した結果起こった音だった。

 あの首を掻っ切るってやつ、冗談じゃなかったんだな。

 いきなり現れた人型の式神二体。それが殺気を撒き散らしながらぶつかり合っていたら誰もが目を見開くのも当然だろう。若干数名、銀郎と瑠姫が争っている構図に首を傾げていたが。


「瑠姫、下がれ。タマも自分の式神をちゃんと制御しろ。できたら霊気を切ってくれ。頼む」

「は、はい!すみません!瑠姫様、戻ってください!」


 現在式神としての主従関係において主であるミクの言葉と強制力に、瑠姫は伸びた爪を戻して一歩引き下がる。賀茂のことを睨んだまま、まだ唸ったままだが。

 銀郎にはもう少し賀茂の傍にいてもらう。嫌だろうけど。むしろそのまま刀で真っ二つにしそうだけど。それだけは絶対にしないように厳守させる。


「八神先生、申し訳ありませんでした。まだまだ未熟なため、式神の制御を怠りました。授業の進行の妨害をした罰、必ず受けます」

「申し訳ありませんでした!」


 俺とミクが立ち上がって八神先生に腰を九十度曲げたお辞儀をする。授業はその前から中断されていたけど、下手したら刃傷沙汰になっていて、クラスメイトが死体になってたとかシャレにならん。俺だって死体なんか見たくないし、そんなこと起こったら一生物のトラウマ確定だ。


「……難波、那須。顔を上げなさい。式神の実体化を解いてくれればいい。その前に猫の式神。瑠姫、だったか。何故そのようなことを?」

『……』

「瑠姫。答えろ」


 八神先生の問いかけには無言を貫いたが、俺の言葉には渋々と従ってくれた。かなり不貞腐れていたが。


『……その女が、玉藻っちの悪口を言ったからだニャ。あたしは鳥羽洛陽って呼ばれる事件を見たニャ。玉藻っちは京に魔なんて放ってニャイ。魔っていうのが魑魅魍魎のことを指すのニャら、平安なんていう時代は今以上に魑魅魍魎と隣合わせの、混沌の坩堝だったのニャ。晴明っちも当時五十後半。当時で考えればよくそこまで生きたってほどの年齢ニャ。他にも様々なことをやって、玉藻っちの封印が寿命と重なっただけニャ。封印で死んだのは討伐隊の方で、人民には被害は出てニャイはずだけど?』

「何故たかだか式神風情が一千年前のことを知っているのです⁉」

『これでも神の端くれニャ。過去視もできニャイただの小娘よりよっぽど今のことも過去のことも知ってるニャ』


 これみよがしに二本の尻尾を動かして見せびらかす。二又の猫が神の座に行くことくらい、陰陽師の卵なら誰でも知っているだろう。

 二又の猫は精霊や天狐と同等の、神の一柱に数えられる存在。その神の座に昇った者は様々な知識と権能を得るのだとか。ただし、ゴンと違い死んでからその地位に辿り着き、今は霊体の式神であるために権能は失われているとのこと。

 そんな式神を長年ただの家政婦にしてた難波の家はたしかに異端だな。


「神様。頼むから激情に駆られても気分で人を殺さないでくれ。それに今はただの式神だろう?」

『……それもそうニャ。坊ちゃん、ごめんニャ』

「謝る相手が違うだろ」

『八神先生、ごめんなさいニャ。でもそれだけあたしらにとって狐や玉藻っちのことは大切ニャ。気まぐれ起こさないように生徒の指導しっかりして欲しいニャ』

「最後は苦情だな……?まあ、いい。今後このようなことがないように。難波と那須もな」

「「はい、申し訳ありませんでした」」


 もう一度、二人して頭を下げる。瑠姫は口笛を吹きながら実体化を解除して、銀郎もそれを見届けてから賀茂の方を一度見て、舌打ちしてから霊体に戻る。賀茂の発言は銀郎も気に喰わなかったらしいが、俺が抑えているために我慢してくれたらしい。

 ウチの式神って沸点低いな。俺も高くはないけど。


『これが賀茂の肝煎りねえ?一千年前に比べて、ずいぶんと落ちぶれたもんだ。星見の才能を欠片も感じねえとは。一千年間何してたんだ?』

「────────き、狐ッ⁉」


 息を呑むほどの絶叫。いきなり嫌っている狐が目の前に突然現れたらそうなるのか。お嬢様然とした態度は崩壊している。

 というかゴン、何してるわけ?俺たちが頭を下げて丸く収まった、そういう状況だろうに。気配消して本人の前に現れるとは、どんなホラーだ。天狐だからこそできることだろうが。意識の範囲外からその人の意識へ入り込むとか、人間にとっては未知に対する恐怖だろ。そんなことができる存在は式神と隠形がかなり得意な陰陽師だけだろう。

 警戒する理由の一つは狐と、霊気を感じ取れるという意味で気配に敏感なはずの陰陽師から隙をつくなんてできるということは、気配を完全に消せる存在か、霊気を感じ取れない程の強者ということ。

 今回の場合、どちらも満たしているから性質が悪い。


《……ゴン、何でそんな悪戯を?丸く収まるところだったじゃん……》

《言葉通り、悪戯だ。それと、狐臭いの意味をどちらか確認するため。タマキのことを知られたのなら、それをこの人間がバラすというのなら、こいつは人間の風上に置けないクズになる》


 ゴンも玉藻の前を貶されて怒ったと。それといつもの身内贔屓だ。

 悪霊憑きということをクラスメイトに知らせる義務はない。完璧に隠せていることを、わざわざ公表する意味もない。特に狐憑きなんて実際に迫害されやすいんだから。


『ほらほらほら。テメエらはどうしてそこまで狐を嫌う?恨みつらみ?それとも理由のない過去からの風習?それとも……天狐っていう、お前らを越える超常の存在になるのを見過ごせなかったのか?』

「天狐など怖くはありませんわ!ただの長生きをした狐ではありませんか!」

『……ふうん?なるほどな。だいたいわかった。八神、邪魔して悪かった。侘びに一つ教えてやる。天狐は日本に三匹、今も生きている。九尾は一匹もいないがな。あと、九尾は妖に分類しない方が良いぞ。天狐ですら、九尾には追い付けない』

「……貴重なご意見、感謝いたします。天狐殿。──さて、賀茂と難波。お前たちは授業の妨害をした罰として、今日の放課後に術比べを行ってもらう。演習として他の者への示しとしては十分な実力者だろう。他の者も特別な用事がある者を除いて放課後は残るように」


 変な話になった。授業の妨害をしたのは事実。その罰を受けるのも当然だ。それが何故賀茂なんかと術比べをする話になるんだか。先生の判決だから言う通りにするが。

 ゴンは興味をなくしたのか、隠形を使って俺の元に帰ってきた。


「待ってください!元はと言えばわたしが瑠姫様を制御できなかったせいです!明様だけに課すのはおかしな話ではないでしょうか?」

「那須。君の式神は難波家の式神で、難波の言うことをすんなりと聞いた。そして分家の人間の責任を取るのは本家の人間の責務だ。最初に妨害したのは賀茂。傷害未遂を二人分の罰としても、問題を起こした賀茂に合わせるには三人の術比べは等価にならない。全員には反省文を課すが、それとは別個の罰が術比べだ」

「タマ、奇数の術比べは演習に向かない。その措置だよ。あとは俺の監督不足。瑠姫にはもっとちゃんと釘をさしておくべきだった」


 ミクに説明しても不服そうだった。でも今はミクの式神とはいえ、瑠姫は難波家の式神だ。ゴンがいるから、同年代にミクがいたことを良いことに分け合っただけだし。あとは蟲毒のせいで護衛として。

 瑠姫にはちゃんと言ったはずだったんだけどな。瑠姫ってそこまで短気だっただろうか。ゴンとはよくケンカしてるのは見るけど。あれはじゃれ合いで、本気じゃないのを知っていたけど、怒ると周りが見えなくなるほど頭に血が昇るとは。


「術比べの内容は式神行使だ。お互い申請するほどの式神を持っているし、そもそもの発端は賀茂だ。難波が有利になる内容でやるべきだろう。今見た通り難波の式神は別格だ。見ておいて参考になるだろう」


 ん?これ俺の方が不利じゃないか?俺はゴンも銀郎も瑠姫も晒しちゃったけど、賀茂の式神なんて知らない。申請するってことはそれなりに強力な式神のはず。情報戦では出し抜かれてるな。

 ゴン出せば負けはしないだろうけど。向こうが神の座に近しい存在出してきたらどうするか。そうしたら霊気の量でぶつかるしかない。

 そう考え事をしていたらチャイムが鳴った。四限の終業チャイムだ。時計を見た後、八神先生は教室中に聞こえるように舌打ちをした。態度を隠さないなあ。


「半分も終わらなかった……。この続きを次のLHRでやるかわからないから配った資料には目を通しておくように。レポートなどの規則には則ってるから参考程度にはなるだろ。質問は時間があれば受け付ける。じゃあ授業は終わりだ」

「起立っ!礼」

「「「ありがとうございました」」」


 クラス委員長の号令で起立と礼をして授業が終わり中休みになる。一時間半あるこの中休みを利用して基本的には夕飯を食べる。もう七時過ぎだし、四時間も授業を受けたら腹も減る。

 中休みになった途端、祐介がやってくる。近くに座っていた天海も深い息を吐いていた。


「どうなるかと思ったよ……。瑠姫さんってもしかして危ない式神?」

「そんなことあるか。戦闘能力じゃぶっちぎりのドベ。まあ、プロの陰陽師なら瞬殺できるだろうけど」

「うん、実力はわかった。難波家の式神はおかしい」


 一応式神を重視してる家だからな。式神なんてろくに研究してない奴らに比べればそりゃあ雲泥の差があるさ。あとで瑠姫にはお仕置きしておかないと。


「明。ゴン先生出して良かったわけ?」

「俺に言うな。ゴンが自分で嫌がらせをしに行ったんだ」


 俺だって見せるつもりはなかった。次の行事で姿を見せて、活躍させれば心象も良くなるかと計画してたのに。


「明様、本当に申し訳ありません……」

「いや、タマのせいじゃないだろ。瑠姫」

『わかってますよーだ。坊ちゃん』


 床に正座して瑠姫が姿を現す。わかっているようでよろしい。

 俺は思いっ切り、瑠姫の頭に拳骨を落とす。……石頭め。殴ったこっちが痛い。


『~~~~~ッ!頭殴られたのニャんていつぶりかニャ……』

「マジで俺とタマの心象悪くなるから勝手な行動するな。怒ってくれたのは嬉しいけど、それと暴走することは別だ」

『だって我慢できニャかったし。あのガキ八つ裂きにしていい?』

「もう一発いっとくか?」

『冗談ニャ!坊ちゃんたちに危害を加えない限りこっちからは手を出さニャいニャ!』

「それって危害を加えられたら、やり返すってことですよね?」

『当たり前ニャ。正当防衛だし、坊ちゃんたちが傷付けられたら、地獄の沙汰を見せるまできっと腹の虫が収まらニャいよん』


 サラッとこういうことを言うからしっかりと手綱を握っておかないとと思う。瑠姫と銀郎は俺たちの護衛としてついてきてるから、その思考は間違っちゃいないんだけど。できるなら事前に防いでほしい。

 そんな一触即発な状況を作り上げた元凶はすでに教室から出ていていなかった。というか、あいつが教室でご飯食べてるのを見たことないな。

 今は殊更空気が悪いから、堂々と居座られても困るけど。


「祐介、ご飯買いに行かなくていいのか?」

「心配して来てやった俺に対する言葉がそれかよ……。まあ、大丈夫そうだし買いに行ってくるわ」


 その心意気は嬉しいが、夕飯食いっぱぐれるのは良くないだろ。祐介を待つでもなく、俺たちは弁当をカバンから出す。俺とミクの弁当は瑠姫が作ったもの。天海は自分で節約のために作っているのだとか。これはもう習慣になっていた。

 食べ始めてクラスメイトから視線を浴びていることに気付いたが、さっきのことで注目されるのは仕方がない。あんなことがあれば注目したくなるのが人間の心情だろう。

 うん、今日も美味しい。ハンバーグとか柔らかくて食べやすい。料理作ってる分には全く問題ないんだけどな。

祐介も途中から購買で買ってきたパンをさっさと食べていた。全員が食べ終わって雑談をしていると、男子二人組が近付いてきた。残念ながら名前は憶えていない。


「難波。その、狐の式神見せてくれないか?」

「え?何で?」


 意味が分からなかった。ゴンが見たいだなんてずいぶんと酔狂な考えの持ち主だと思った。ゴンを見てみると、悪意はなさそうだが。


「狐とか、まともに見たことないんだよ。それに俺の家も難波家と同じで式神に注力してる家だし、八神先生の資料読んだら狐ってすごい優秀な生き物だって思ったしさ……」

「あー、摂津くんずるい!私も見たい!」


 何故か集まるクラスメイト。こんなに俺の周りに人が集まったのは人生初じゃないだろうか。迎秋会で分家の人間が集まるけど、あれは俺の周りに、というより本家の人間に、だからな。

 今回も正確にはゴンの周りに、だけど。


「ゴン」

『やれやれ……』


 俺の机の上に現れるゴン。それを見て特に女子生徒から黄色い歓声が上がった。


「キャー!お目目くりくりしててカワイイー!」

「尻尾が三本もある!天狐ってホントなんだ!」

「天狐に二又の猫に、人型をした狼の式神……?下手したら四神に匹敵するんじゃないか?」


 最後の摂津の言葉には断固否定する。瑠姫はミクの余りある霊気でかなり強化されているらしいが、今の俺ではゴンと銀郎二人分を賄っているためにそこまでの実力を引き出せない。

 四神の戦いは動画でしか見たことがないが、ゴン単体ならきっと匹敵できる。ただそれは、俺と契約していなかったら、だ。式神は契約者の霊気に左右される。俺では父さん並みのスペックを引き出せない。

 たとえ位が同格でも、術比べなどで勝ち負けが着くのはそういった陰陽師本人の実力から。ゴンと銀郎の二体使役は手数が増えるのでこれはこれでアリなのだが、お互いのスペックが若干下がってしまうのが問題だ。


 そう考えるとAさんって本当に規格外だよな。鬼二匹に姫さんの補助までしてる。幼い時の記憶から鬼もかなりの格だったはずなんだが。それで姫さんという大峰さんを超える陰陽師の補助まで。Aさんが補助しているからあの実力なのか。いや、さすがに何かしらの理由がないと式神にもしないと思うけど。

 ゴンは大人気になっていて、特に女子生徒が抱えたりしている。そこにミクも加わってゴンの喜ぶことを教える始末。嫌そうなゴンだけど、悪意はないからかされるがままになっている。悪意さえなければ、人間と関わるのも嫌いではないのだろう。分家の人間に崇められているのは嫌そうじゃないし。


「明。術比べどっち出すわけ?たぶん一対一だろ?」

「本当にそうなら銀郎出すよ。ゴンはあれだ。出したら卑怯だって分家の人間に怒られた。そいつも六歳児に大鬼仕向けたくせに」

「……本家付きの式神は卑怯じゃないのか?」

「本家の人間だからな。それにゴンと銀郎だったら銀郎の方が格としては下だからな?」

「そりゃあ、先生は別格だからな」


 賀茂との争いは別に何とも思っていない。銀郎なら自分を抑えて戦ってくれるだろう。式神相手に何もかもぶつけそうだが。

 中休みの終わりに教室へ戻ってきた賀茂は、クラスの中心になっていたゴンを見て目をギョッとさせていた。この光景が異常なのは俺でもわかるが、向こうの内心は穏やかじゃないだろう。

 恨んでいる対象がクラスメイトには可愛がられているんだから。呪術省の宣伝も意味がないというか、都築会長の言う通り一般人はそこまで狐に偏見を抱いていないというか。むしろ物珍しさから注目されている。

 あれだな。中国から贈られてきたパンダみたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る