第39話 2ー1ー1
空へ手を伸ばす。何故そうしたのかもわからないし、そうするべきだとも思った。その手が掴んだのは細長い何か。艶があり、うにょうにょと動いている。生き物の何からしいが、別段嫌な気はしなかった。
強いて言うなら、もう少し柔らかい方が良いけど。
『ニャッ⁉そんな情熱的に握られると困っちゃうニャ……』
その声で誰だか理解したが、何故ここにいる。
「瑠姫?何してるんだ?」
『前に言ってた緊急時を想定しての式神の入れ替えニャ。クゥちゃんと銀郎っちは代わりにタマちゃんの方に行ってるニャ。坊ちゃんうなされてたけど、夢見が悪かったニャン?』
父さんからやるように言われていたことだ。京都では百鬼夜行に近い騒動が起こりやすい。俺とミクが離れ離れになった時用の訓練だ。週一回くらいの頻度でやるように言われてる。
「過去視を見てたんだけど……寝相悪かったか?」
『あ~、アレが過去視の兆候ニャンね。一人部屋で良かったニャア。アレは痴態と言っても過言じゃないニャア』
「どんな姿だったんだよ……」
上半身を起こす。見た限りベッドが荒れている様子はない。瑠姫がベッドの端に腰を掛けてニヤニヤ笑っているが、からかっているだけなんじゃなかろうか。
『ところでどんな内容だったニャン?あちしは過去視なんてできないから気になるニャー』
「瑠姫は方陣がメインで、あとは基礎的な陰陽術だけだもんな。……金蘭が、安倍晴明に拾われた時のこと」
『金蘭って晴明っちに拾われてたノン?知らなかったニャー。玉藻っちの護衛をしてたのは知ってたけど』
「金蘭って悪霊憑きだったんだな……。知らなかった。他の時に見た姿は綺麗な女性だったから、ミクのように隠してたんだろうけど」
『あ~。それはタマちゃんに聞かせられないニャア。他の女性に目をやってたら悲しまれるニャア』
ミクも過去視できないからなあ。こんな女性だった、とは言えるけどどれほどの綺麗さかは伝えきれない。見ないとわからないことだろうし。
「そういえばゴンいなかったな。ゴンってだいぶ後に拾われたんだな……」
『クゥちゃんはあたしら式神でもほとんど知らないからニャア。いつ頃だったか、特にはわかってないニャ。晩年の頃にはいたっていうくらいしかわからないニャ~』
吟と金蘭という安倍晴明にとっても特別な式神の名前すら、後世には残されていない。二人ともかなりの実力者だったはずなのに、安倍晴明の傍にずっといた存在なのに認知されていない。
それならゴンのことがあまり伝えられていないのも仕方がないか。狐であることもそうだが、今も生きている存在が式神たちにまで浸透していることの方がおかしい。式神たちは基本死んでから情報共有しているんだから。
ウチの歴史書にも玉藻の前の眷属に一匹の狐がいたって書いてある程度。それが天狐になったなんてわかるはずもないか。
『それで坊ちゃん。今日はお出かけニャ?』
「そうだな。天海にゴンのこと知らせる。それで今後の付き合い方を決めるつもりだ」
『まーだ天狐って教えてないのニャ?それで態度変えてきたら金輪際関わらなければいいのニャ。狐が悪く見られるのは完全な風評被害。そんなものに巻かれてもし悪く言って来たら、その音を発する首を掻っ切ってやるニャ』
「流血沙汰は勘弁してくれ。それ、ミクの管理不足でミクが罰せられるんだから」
『仕方がないニャア。我慢するニャ』
大きな溜息と大げさなリアクションで返答されたが本当に勘弁してほしい。それで退学になるミクなんて見たくない。俺だって殺意を覚えるが、我慢する。それが人間社会で生きていくってことなんだから。
式神の瑠姫には少し難しいかもしれないけど。
『ちなみにお昼は?』
「ラーメン」
『坊ちゃん、そんなにラーメン気に入ったのかニャ?さすがに手打ちラーメンはめんどくさいのニャ』
「瑠姫がわざわざ作る必要はないよ。大将が俺なんてまだまだって言ってたからな。大将のところより美味しいラーメンがあるなら食ってみたいってだけ」
『あー、あの僻地の。お店ができたばかりの頃に御当主様と坊ちゃんとタマちゃんの三人だけでコッソリ行ったとかいう。あれから坊ちゃん、あの店通うようになったニャ。ヨヨヨ。家政婦であるあちしの手料理より、あんなオッサンが作ったラーメンの方が好きとか悲しいニャン』
「いやいや、瑠姫の手料理はご飯としてかなり好きだよ。寮生活になって食う機会減って悔しいくらいだ。ラーメン以外なら外食するより母さんか瑠姫の飯食いたいし」
いきなり始まったウソ泣きに、面倒になって本心で答える。母さんと瑠姫の料理は美味いし飽きないし、そこらの料亭に行くより断然マシだ。ただ高いだけの料理より、真心込められた料理の方が良い。
いや、料亭も技術や質とかできちんと値段相応なんだろうけど。その技術や質を家庭料理でどうにかしてくれるんだから行く意味がないというか。
『ホント、坊ちゃんはダメニャ……。坊ちゃんは周りの人をダメにするニャ』
「貶してないか?」
『今度料理作ってやるニャ。あちし、心情的には坊ちゃんの乳母のつもりだからそう易々と絆されニャイよん』
「どうせ父さんのこともそう見てるだろ?」
『ま、康平君も大きくなったってあちしにとっては子どものままニャ』
式神と人間の差だろうな。というか瑠姫、嬉しくないフリするなら態度くらいどうにかしろって。顔赤くして尻尾振ってたら心情なんて丸わかりだっての。
瑠姫と銀郎がいつからウチに仕えてくれてるのか知らないんだよな。瑠姫がわりかし最近で、銀郎はずいぶんと昔から仕えてくれてるらしい。最古参なのにヒエラルキー最下層なのはなんでだ。
「んじゃ、そろそろ行くか」
『いいのかニャン?まだ四時間くらいしか寝てニャイけど……』
「いいんだよ。天海のことも確認しないといけないし。霊脈の把握はほとんど終わったからAさんたちの襲撃にもある程度対応できるだろうし」
『坊ちゃんが良いならそれで良いけどニャア……』
朝飯を食べよう。後は事務員さんに空き教室を借りて見せないとな。
学校は休日でも陰陽術の向上を推進するために様々な教室を貸し出しているし、指導員が必ず常駐している。何かあった際に対応するためだ。教員の場合もあるが、雇われの場合もある。
部屋は無事に取れたし、大峰さんも近くで見張ってくれているらしい。大峰さんがいればたぶん大丈夫だろ。簡易式で連絡先教えてくるとは思わなかったけど、連絡できた方がもしもの場合に助かるし、重宝しているということにしておこう。
ミクにも大峰さんの連絡先は伝えておいたけど、祐介には伝えていない。あいつは無関係だからな。関わらない方が良い。なんちゃっての門下生が首を突っ込む案件じゃない。
あとはどうやって自然に大峰さんと学校で関わるかだよな。知り合いって言っておいた方が有事の際に動きやすい。直近の有事については何も言っていないが。
・
「おはよう、難波くん。珠希さんと住吉くんも」
「おはよう、天海」
学校の実技棟、陰陽術の鍛錬に用いられる校舎の一室に俺たちは集まっていた。中にいるのは俺たちと担任の八神先生。八神先生が今日は実技棟の担当にいたのでお願いした次第だ。
八神先生はミクのこともゴンのことも知っている。それに担任だから他への情報統制を考えたら一番いいかと判断した。ゴンも許可くれたし。
「八神先生も、お願いします」
「ああ。と言っても一時間程度だろう?俺は読書してるからな」
そう言って壁際にあった椅子に座って本を出す八神先生。いや、俺たちの監督じゃないのか?問題なんてないだろうけど。
「じゃあさっさとやろうぜ。ラーメン待ち遠しくて朝飯抜いてるんだからよ」
「それは健康に良くないですよ。祐介さん」
「じゃあタマキちゃんが作ってよー」
「嫌です。まだ人様に出せるような腕前じゃないので」
『そんなことないニャー。タマちゃんの料理も中々に味わい深いよん』
そう言って実体化してミクに抱き着く瑠姫。いきなり式神が実体化したからか、祐介と天海は目を丸くしていた。八神先生もこっちをチラッと見ていたが、本に目を戻していた。
式神はプロフィールを学校側に提出してるから教職員たちは皆把握しているんだろう。式神を増やしたら申請書を書かなくてはいけないが、増えることはたぶんないから大丈夫だ。きっと。
ニホンオオカミとか高位の式神は詳細を提出しているが、烏程度の式神は提出していない。簡易式神も提出する必要はない。簡易式神に至っては瞬間契約だから詳細もくそもないし。
「瑠姫さん⁉こっちに来てたんですか!」
『ユウっち久しぶりニャ。あたしもこの前から本家付きじゃなくなったからこっちにいるのニャ。何せ坊ちゃんは次期当主なわけだし?これも一個の修業の一つニャ』
「ってことは明の式神に……?」
『うんニャ?タマちゃんの式神ニャ』
「……御当主、分家に高位の式神一体ポンと貸し出せるのか……。すげえ」
そうなんだよなあ。いくら式神大家とはいえ、瑠姫も充分高位の式神。父さんたちは個別に契約している式神が他にいるけど、家に付き従ってくれているのは瑠姫と銀郎だけ。その片方である瑠姫を分家のミクに貸し出すなんてなあ。
「二又の猫の式神……。ああ!前に言っていた!」
「そういうこと。銀郎」
『はいはい』
「銀郎さんもいるのかよ⁉」
銀郎の姿も出させる。何でそんなに嫌そうなのかな。戦闘目的で呼び出したわけじゃないから?このバトルジャンキーめ。
オオカミというだけで高位の式神なのに、そこから更に人化させた式神。式神としても存在としても、かなり高位の者だとわかったのか天海は委縮しているようだった。
「さすが、難波家……。質からして、違うね」
「この二体が特別なだけ。というかゴンの方が驚くだろうし」
「え?ゴン先生が?」
「ほら、呼ばれてるぞ。ゴン」
『お前がこういう機会にしたんだろ……。勝手に約束しやがって』
ゴンも隠形を解いて姿を現す。今回は犬のような姿をせずに、ありのままの姿で天海の前に姿を現した。さすがの八神先生も本から目を離してこちらを注視している。狐って不当に歪められた存在だよな。
玉藻の前の眷属だったというのもわかる。あんな神々しい狐様に充てられてゴンが天狐に変性したっていうのはなんというか、納得できるし感慨深い。
九尾の狐で元神様の玉藻の前。何回か見ていたけど今回の過去視は微妙に変だったような。京都で初めて視た過去視だったからか?
何がどうだったとかうまく口に出せないが、なんか疲れた気がする。ぶっちゃけ眠いがそうも言っていられない。こっちに来てその他大勢もいるとはいえ調査じゃないちゃんとしたミクとのお出かけは初めてなのだから。
「お狐様……?しかも、三尾?」
『お、いいじゃねえか。明。この娘、悪感情を抱いてない。合格だ』
「お眼鏡に適って何より」
「え?え?」
ゴンは楽しそうにくつくつと笑う。我が家の関係者以外に姿を見せて悪感情を抱かれなかったのは久しぶりだろう。狐って偏見持って見られるからな。
俺たちの会話がわからなかったのか、天海は困惑して俺たちの顔を交互に見ている。八神先生は少し警戒してるな。ゴンが霊気を放ちすぎなんだよ。入学式の前の賀茂みたいなことやって何の意味があるんだか。
「狐に偏見を持たなかったから、ゴンは先生になってもいいってさ」
『そこまでは言ってねえ。何でオレが教師の真似事なんてしなくちゃならねえんだ』
『ユウっちにはしてるのに?』
『そうですぜ。一人も二人も変わらんでしょう』
実は嬉しい癖に。式神たちの言葉に反論できてない俺の式神可愛すぎる。あとでモフろう、うん。
「先生、警戒しなくて大丈夫ですよ。俺より霊気凄いですけど、ちゃんと言うこと聞かせてるので」
「……そんな霊気を浴びせられたのは初めてだ。そんな式神がいたら賀茂の箱入り娘も土御門の御曹司も怖くないわけだな」
「教室での一件見てたんですか?……この学校はああいう権力の押し付けが横行しているんですか?」
「そんなわけないだろう。ああやって威張ってるのは本当の名家の本家筋だけだ。俺のような一般人にはああいう上辺しか見えていない連中の考えなんてわからないよ。在籍している他の土御門系列の分家は大人しいもんだ」
「やっぱりアレは相当特殊なんですね……」
八神先生への問答で土御門をどうにかできる算段ができた。それにしても賀茂は自分のこと特権階級だとでも思っているんだろうか。ただその家に産まれて、その家で相応しく過ごしてきただけだというのに。
土御門と賀茂は世間的にも仲が良い家系だ。もしかしたらつるんでいて、あの襲撃のことも関わっているのかもしれない。そうしたら賀茂も黒で、潰す対象になるわけだが。
こっちに来てからやることが一気に増えた。マジで睡眠はしっかり取ることにしよう。
『ま、気に入ったからちょっとは手を加えてやるか。小娘、膝をつけ』
「?はい」
天海が正座をすると、ゴンがとことこと天海に近付いていった。そして辺りを廻り始めて、何度か匂いを嗅んでいるのか鼻をピクピクさせていた。
この場にいる全員、ゴンが何をしているのか全くわかっていなかった。
「あの、ゴン先生……?」
『動くな。気が散る』
「は、はい!」
背筋をピンとしてそこに佇む天海。ゴンがうろうろしているのは、天海の霊気を見ているらしい。見終わったのか、ゴンは天海の正面に居座った。
『小娘、頭をこちらに出せ』
「こうですか?」
差し出した額に、ゴンが前足を当てる。次の瞬間、教室の中に一陣の突風が巻き起こった。とはいえそれは攻撃性のものではなく、ただの霊気の奔流。溢れ出た霊気というよりは、自分の中に隠れていた霊気がこれほどのものだと思わず戸惑っているのだろう。
今度はゴンが肩に前足を当てる。そのことで天海はやっと霊気を抑える。八神先生は何度か目をパチクリ瞬きさせて、今の現象について逡巡していた。俺たちも誰一人として理解していなかったが。
『さて小娘。たしかにお前は天海の末裔だろうよ。数百年ぶりに見た才能の欠片だ。お前は風水に向いている。風水は方陣と占星術の複合とも呼べる結晶だ。それは特異な才能で、賀茂の元々の血流よりも優れた、誇っていい力だが……。少し弄られてるな』
「弄られている?」
『人の手が入っているだけだ。昔からそういうこともあるってだけだ。別に悪い意味ではないぞ?それで陰陽師の始祖、その師匠たる賀茂を超える才能を持っているんだからな。星見の才能は日本を見ても碌にいないのは知っているだろう?最高峰の星見は明の父親の康平だ。全国を見たって五十人いるかいないかの才能、それを持っているお前は先祖に感謝すべきだぞ?一千年の束縛も、血縁を誇る痴呆共も持ちえない才能を、たかが数百年の歴史の積み重ねで会得しているんだからな』
人種交配、のようなものだろうか。江戸になってから為り上がった天海という名家。江戸幕府が平安以上に長続きしたことには江戸の建設にあたり風水を取り入れた天海の功績だとされる場合が多い。
その天海が風水に特化するように意図的な改造・教育をされている可能性があるだけの話。そんなこと、難波の家でもされていることだ。降霊と式神に特化した教育、そして本家を継ぐ者に限った星見の伝授。
次代がどういった陰陽師になるか。方向性を絞ることで特化して大成するようにする陰陽師の家系なんて珍しいわけではない。むしろどこだってやっている。
おそらく天海の家は江戸で大成する前から風水に特化していき、芽が出たのが江戸だったというだけ。風水に特化した家なんて自然発生はしないだろう。
「その、弄られているって具体的にはどうやって……?」
『今のオレのように、他人の手によって方向性をずらされたってだけだ。──ああ、オレはずらしてないぞ?お前の隠れていた霊気の秘孔をついて、持っているものを自覚させただけだ。人間は基本気付かないことが多いがな』
「それ、俺受けてないぞ?」
「わたしもです」
『バーカ。お前ら二人なんてオレの尻尾握って仲良く眠ってた幼少期にそれぞれ突いてる。明は無茶しやがるし、珠希はその力を制御しなくちゃならなかったからな。その方向性へちょっと手引きしてやったまでだ』
そうなのか。知らなかった。俺とミクはそんなことをされていたとは。無茶っていうのはミクと結んだ契約のことだろ。自分だけの力じゃなかったのか
いや、そうじゃないと説明つかないことも多いか。俺が小さい頃からゴンと契約できていたのも、ミクが俺と会ってから急に隠形が上手くなったのもゴンが手を回していたから。
なんだこの式神。有能すぎるだろ。可愛くて有能とか最高かよ。
「あれ?俺は?」
『……祐介はとっくに方向性を自覚してたからな。やる必要なし』
「ゴンは気に入った相手にはとことん甘いからな。大将の娘さんとか」
『あいつが出す角煮丼が美味いのが悪い』
このツンデレさんめ。あのラーメン屋に行くのが楽しみな癖に。そんでもって大将たちには一切言わないんだからな。これでオスとかあざとすぎるだろ。
『小娘。風水を磨くかどうかはお前次第だ。オレも詳しくないから教えることはできん。才能とやりたいことは別だからな。風水を極めるつもりがないならそれでいい。お前の人生だ、好きにしろ。風水なんて特殊すぎて教えられる人間がほぼいないだろうからな』
『とかニャンとか言って、風水の基礎ぐらいは教えられるクセにー。クゥちゃんは星見の才能ゼロだけど、他の気配察知とか置換術とかなら教えられるはずニャー』
『人前でその呼び方すんじゃねえよ!噛み殺すぞ!』
『やるのかニャ⁉』
なーんで喧嘩に発展するんだか。銀郎に目線を送って瑠姫だけ黙らせる。例の一閃だ。ゴンにはもう少し説明役をやってもらわないと困るのでそのまま。
あとでモフモフの刑に処すけど。
「ほら、ゴン。風水なんてそんな高度なこと、ゴン以外に教えられると思うか?大学でもあまり専攻されない科目だぞ。占星術すら学問として下火なのに」
『若干はいるだろ。それに、選ぶのは小娘だ』
「だって。天海どうする?ゴンは気まぐれだから早めに決めないと今後教えてもらえなくなるかもよ?」
「教わりたいです!お願いします!」
即答だった。この機会を逃したら風水なんて教わることもできないだろうし、ゴン以上に教えるのが上手い人がいるだろうか。一千年の知識の結晶がそこにいるのだから、そこに頼るのが手っ取り早い。
この三年間はまともに教われるとは思えない。大学に行ったとしてもまともな教えが受けられるかどうか。
稀有な才能。それを活かせる天狐という逸材。この組み合わせは今後一切交わることのない夢幻。そもそも天狐自体他にいないだろうし、いたとしても陰陽術に詳しい天狐がいるとも思えない。
師となり得る存在がどれだけいるか。才能がある人間と、教えることができる人間は別だ。風水なんて占星術よりも特殊な代物。基礎的な陰陽術であれば研究されつくされているが、風水はそこまでだ。江戸城の周辺に仕掛けられた風水によって出来たとされる方陣らしきもの──それだって風水によって出来たものだろうという推測だけで確証なんてない。
風水という技術を産み出したのが誰なのか。基本だけは中国からのものとされているが、日本での技術を確立したのは天海と言われているが果たして。
「ゴン、どうするんだ?」
『ま、いいだろ。オレだって基本的なことしか知らん。千里眼を持ってるわけでもなく、陰陽術も教わったのは一時的なものだ。四百年前はそこらを放蕩していたからただ感じ取っただけだ。感覚的な教えになるが良いな?』
「もちろんです!……四百年前?」
「ゴンは千年前から生きてる天狐だから」
「天狐って数百年生きた狐がなれる、神様と同格の……?」
「そう。その天狐」
天海はゴンをマジマジと見つめる。そりゃあ、天狐なんて珍しい存在がいたら見つめたくもなるよな。
狐は貶す風潮が広がっているのに、天狐は神に連なる者だという話も流れている事実。これは難波が頑張ったのか、Aさんたちのように、狐のために動いていた人間が昔からいたのか。
この二律背反、今の世の中が混沌とされる原因じゃないだろうか。
「……天狐ゴン。あなた以外にも先程のようなことができる存在がいるのか?」
『先程っていうのは?』
「人間の隠された才能を見出す、ということだ」
八神先生が脂汗を浮かべながら尋ねる。質問の意図はよく分かる。授業や年月を重ねた上で開花するはずの才能が、ゴンの一押しで芽生えるなら教師という職業と今までの研究全てへの冒涜だ。
それがきっかけにすぎないとしても、もしかしたら永遠に眠ったままの才能を発掘できるとなれば重宝されるだろう。
そんなことができてしまうということの重要さと、それができるのが狐であるということ。それが魑魅魍魎と毎日戦っている今の陰陽界には多大な影響を与える。ゴンを巡って争いが起きかねない。
それが教え子の式神なんだから八神先生も気が気じゃないよな。
『さっきも言った通り、オレは千里眼を持っているわけでも、星詠みができるわけでもない。だから知っている範囲で、という話になるがこんなことができるのはオレの他に一人だけだ。オレが神の一柱に数えられたとしても、他の神々に同じことができるかといわれれば否だ。根本的に神は人間に興味がない。だから人間を育てるという考えがないのだろう。人間と子を為したり、人間に会いに行くために下界に降りる神は軽蔑されたり、神の座を失ったりするだろう?過去にはオレと同じことができた方が一人と二柱いたが、今やいない。現在は一人だけ、その一人も人間嫌いだからそうそう世界は変わらないぞ?』
「そう、か……。それは良かった。呪術省の上層部に知られたら事だからな」
明らかに安堵して一息つく八神先生。ゴンは本当に気まぐれだし、こんな風に施しを与えるのは本気で珍しい。俺が知っている限りでは確実に片手で足りる。
他の人に同じようなことをするかと言えば、たぶん数年先だ。それくらいの珍事が今回の事。だからうん、先生が心配するようなことは起きないだろう。
それとゴンのコミュニティは限りなく狭い。狐なんて見付けたら不幸になると言われるほど。知り合いなんてほぼできやしない。そんな中、ゴンが言っている知り合いというのはおそらくAさんのこと。あの人なら何ができても驚きはしない。
で、Aさんもそんな施しをするような人物じゃない。陰陽界のパワーバランスが崩れることはないだろう。
物理的に崩れる可能性はあるが。
「ゴン様が害されるということですか?」
「排除、だろう。抹消とも言える。一千年かけて築いた地位だ。それが崩れるのを嫌がっているのが今の呪術省だ。自分たちは安倍晴明ゆかりの陰陽師だからという、誇りがあるんだ。天海が台頭した時は相当焦ったらしい。そこまで今の呪術省は排他的だ」
「ゴン先生の存在は隠せってことっスか?八神先生」
「そうだな、住吉。狐であることもそうだが、人の力が変わるというのを恐れることが多い。政治家などもそうだ。その場を守るために広報活動などするだろう?その一環で天狐ゴンを始末するだろうな。四神のような力が増えるのは良い。だが増えすぎたら呪術省の上層部へと入り込むだろう。上層部は頭でっかちの現場を知らない老害が多い。そこに現場の知識がある有能が増えたら?蹴落とすのは当然だろう」
この先生、かなりの毒舌だ。呪術省嫌ってる人多いな。嫌われる要素が多々あるために仕方がないかもしれないが。
政治的権力を持ち、四神の指名権も持つ。日本全国の霊地を多数保有し、税金をかなり取るうえで自分たちは百鬼夜行のような大事が起きても静観。上層部のメンバーは家柄でほぼ決める。
実情を知れば知るほど好きになれないか。
『安心しろ。オレももう一人も人間の成長なんて促す予定は今後ない。小娘のように最初から弄られているか、難波の家に関わりがある人間じゃねーと手ほどきなんてするか。不完全な人間をこそ、あの御方は愛していた』
「それにゴンは則ると?」
『ああ。オレの行動理由なんてそんなもんだ。さて、個別授業を始めるか。風水の基礎中の基礎ってやつを叩き込んでやる。それ以降はお前次第だ』
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