第36話 1ー2ー1

 入学式はただ担任の後についていき、二列で入っていって自分たちが座る椅子の列で男女別れるだけ。前から順番に詰めていくので間違えようがない。

 あとは寝ないように起きてお偉いさんの話を聞いているだけ。校歌斉唱もなし。これならたしかにリハーサルなんて要らない。

 そうして始まった入場。在学生の吹奏楽部による演奏で入っていく。そういや部活も考えなきゃいけないのか。帰宅部でいいかなあ。中学も帰宅部だったし。強制じゃないだろうし。


 C組の入場が始まる。一番先に近寄る場所は父兄席で、カメラなどを持った保護者達がこちらの入場を見守っていた。親の中でも周りに霊気を放っているバカ親が複数。そんなところで良い大人が争ってるんじゃねえよ。

 ウチの親みたいに霊気を抑えて手を振るくらいに――。


「あ?」


 思わず口に出してしまったが、出席番号の関係上隣を歩いていたミクも気付いてその方向を凝視していた。

 その視線の先には日向紋をこしらえた見るからに高そうな黒留袖を優雅に着こなした母さんと、五つ紋付きの黒い紋付き袴を着た父さん。にこやかに笑いながらこちらに手を振っている。


 母さんの黒留袖なんて既婚女性が着る最上級の和服で、たしかオーダーメイドもの。父さんの物もそれに劣らない雅な物でしっかりと着こなしていた。

 問題はそこじゃない。

 来ることを伝えずにサプライズで来ていたことでも、笑顔でこちらへカメラを回していることでもない。


 あの霊気は誰のものだ・・・・・・・・・・

 祐介も気付いてなさそうだが、産まれてからずっと一緒に過ごしてきた家族の霊気を間違えるはずがない。父さんたちの霊気を知っているかのように周りには誤魔化しているが、俺とミクにだけは気付かせたような、些細な違和感が残るように調整していたかのような作為的思考が見て取れた。

 あれは父さんたちじゃない。なら、あれは誰だ。


《ゴン》

《あー、なんとなくわかったが、確認してくる。銀郎は明の傍にいて大丈夫だろ。カメラ回してるのも康平たちへのあてつけだろうから》


 ゴンに念話で頼んで、姿を隠したまま偽の両親の元へ向かってもらった。隣のミクにも大丈夫ということを目線だけで伝えて、そのまま式に参加する。

 一気に疲れるサプライズを受けたが、式は誰も気付かぬまま進行する。難波の名を落とすわけにもいかないので真剣に参加しなければ。

 結局式の間、ゴンから彼らの正体が伝えられることはなかった。



「やあやあ、天狐殿。明くんのお使いご苦労」


 二人の傍に着いた途端ゴンは康平の姿を偽っている相手にそう言われた。声にしっかり出ていたはずなのに、周りの人間は一切気にしていない。

 この周辺の空間に直接術で干渉しているようだった。その源は明の母である里美の姿をしている少女。


『声を出しても大丈夫なのか?』

「ああ、彼女が空間をいじっているからな。現麒麟にも気付かれない空間支配だ。土御門の棟梁も賀茂の当主も気付いておらんよ。お前たちには気付いてほしくて別個の術を飛ばしたが」

「お久しゅう、天狐殿。あたしのことを覚えておいでで?」

『姫、だったか。変わらず素晴らしい術の腕前だ。本当にあの若さで亡くなったのが惜しいな。きちんと成長していれば、安倍晴明に匹敵する陰陽師になれただろうに』


 ゴンは姫のことを謙遜ではなく本心で褒め称える。事実十二歳の段階でゴンに匹敵する陰陽術の使い手。ゴンとて安倍晴明の弟子だった期間はそこまで長くないが、霊気の量や術の精度は一千年生きてきて培ったものだ。

 天狐に変化したことで得た力もある。そんな天狐に、わずか齢十二で追いついてしまった鬼児。それが生前の姫だ。いや、分野によっては天狐であるゴンをも凌駕していた。ゴンにも得意不得意は存在する。


「もしもの話やなぁ。しかもかもしれないという妄想の類でしょう。あたしは早熟だっただけの、ただの子どもでした。勘違いのまま、何もできずに死んだ。その程度の子どもです」

『あれほど正確な占星術を見せつけておいて何を言う?晴明の本質は星見だ。晴明に最も近かったのは確実にお前だ。そして、真実を知りすぎた。だからこそ、だろうな』

「フフフ。天狐殿、A様が最も晴明様に近しいでしょう?それに逆立ちしてもあたしでは晴明様には敵いまへん」

『こいつは除け。規格外だ』


 ゴンはAのことを口で指しながら笑う。Aと比較したら他の陰陽師なんて全員塵芥に等しい。唯一比肩しえる存在が姫だったのだが、その姫もこれ以上の成長はなく、死したことによって星見の能力は失われた。

 星見は生者にしか用いることはできない。死んで式神になった今の姫ではその能力を生前から丸々失っている。それでも、今の名だたる陰陽師たちと戦っても負けないような実力が姫にはある。

 そもそもとして。天狐たるゴンと互角の力を持っている時点で姫も規格外に含まれる。


「まあ、今では天狐殿に褒められた星見はできへんわけですが」

『それでも十分な実力はあるだろう。特にこの京都だったらオレでもお前に勝てるか分からん』

「御冗談を。ただの式神が天狐殿には敵いまへん」

『龍脈抑えてる麒麟児が何を言ってやがる?』


 そのことはゴンには誰も伝えていなかった。Aとゴンは昔馴染みということで時々会って情報交換しているが、お互い全部を話しているわけではない。だが、ゴン側の情報は全て筒抜けという不平等さ。

 だが、ゴンとて気付くことはある。特に自然については天狐たるがゆえに感じやすい。数百年近付いていない土地とはいえ、生まれ故郷の京都についてならかなり詳しい自負があった。


「ありゃ。さすがに隠し通せまへんでしたか」

『むしろエイが支配してなくて良かったとさえ思ってるぞ。そこのバカが京都の龍脈を所持してみろ。気まぐれで日本が消えるぞ?』

「私とてそこまで非常識ではないさ。やるとしたら建築物を全て破壊して人類を九割抹殺するくらいだ」

『それは全滅と同義だ、バカ。頼むぞ、姫』

「仰せつかりました。善処しましょう。ただあたしも日本は滅びてもええという考えなので悪しからず」

『それは金蘭が悲しむからやめろ』


 金蘭はどう考えたかわからないが、玉藻の前のために日ノ本を守ることを誓った安倍晴明の式神の一角。だが、残念なことに安倍晴明が生きていた頃から一千年が経過した今、その時代の産物などほとんど残っているはずもなく。

 日本は残ったが、玉藻の前が見たら喜ぶ世界かというと正直首を傾げたくなる世の中だ。


『それで?今回の目的はなんだ?前みたいに傍から見ているわけでもなく、直接乗り込んで来るなんて』

「ん?康平君への自慢だよ。君が見られなかった息子たちの晴れ舞台を収めてきてやったぞってな。あとで届ける予定だ」

『あの二人にも予定があったんだから勘弁してやれ……。土御門の棟梁に会ったら面倒だからって避けてたのに、お前が来たら台無しだろうが』

「はっはっは。今を生きる人間が苦労するのは当たり前のことだろう。この世から解脱したところで天国や地獄に人間の魂が行くわけではない。冥界やらなにやらはたしかにあるのだろうが、それは人間が行き着く先ではないよ。人間にとって現世こそが天国であり地獄なのだから。生きている間くらい苦労してしかるべきだ」


 他人の不幸を眺めたいAとしては、大なり小なり他人が悶絶するような表情を見られれば、わりかしなんだってする。その火種を自分で引き起こしているために他者から見ればマッチポンプでしかないが。


「まあ、それ以外にもやることはあるんだがな?土御門の醜態を見に来たり、現麒麟の実力を測りに来たり。今のところは興醒め、と言ったところか」

『ああ、今の麒麟か。たしかにアレは興醒めだろうよ。康平と変わらない程度の実力で麒麟とはな。戦ったわけじゃないから正確なところは分からんが、もう一つの方はダメだな』

「やはり天狐殿なら見ただけで分かるか」

『ああ。あいつは星見じゃない』


 星見、つまり占星術に長けていたり未来視の力がある人間のことだが、星見同士はお互いを分かり合う。Aも星を詠めるので一目見て気付いただろう。ゴンは星見ではないが、天狐なるモノは神に等しい視点を得ている。

 人間の一能力くらい看破するのはわけなかった。


「ふむ、つまらん。先代の跡を継いだからよほど優秀なのかと思ったのだが……。ただの見得だったとは。天狐殿なら彼女の隠している霊気も見えているのだろう?戦闘能力がずば抜けているとかあるのか?」

『霊気の総量なら珠希の方が上だな。まあ、珠希が異常だというのもあるが。他の四神や先代麒麟をオレが知らないから何とも言えんが、姫よりは遥かに格下だろうよ』

「それはそれは。おおきに」

「ハッ。先代の跡を一年で継いだから期待していたのにその程度か。星見でもなければ利用価値がないな。狐憑きの少女も規格外とはいえ、それで人類最強の陰陽師を名乗るなんてな」


 Aと姫もミクが規格外なのは蟲毒の時に見ているからわかっている。そのミクにも今なら二人とも完勝できる。現麒麟もその程度だろうと思って脅威となるであろうリストから外した。


『お前が考える人類最強の陰陽師は誰だよ?』

「明君はまだまだだし、珠希君もそれは同様。姫は現状式神だ。それらを除外して生きている人間ということで考えれば先代麒麟だろうな。他の九段共ではどうにもならん」

『そんなにもか?』

「康平君よりも戦闘能力が高い上位互換。星見ができる姫だと考えてくれればいい」

『そんな奴が今でも生きてるのか……。一千年っていう区切りだからこそか?』

「かもしれないな。時代の節目というのは存外、そういう逸脱者を産み出すのかもな」

「さらりと人を人外扱いせんでくれます?」

『安心しろ。生前の時点で人を辞めているし、今は式神だ』

「あたしだって好きで式神になったんとちゃいますのに……」


 ゴンの軽口に姫は拗ねてしまった。存外没年に囚われているのか、姫の精神年齢は割と低い。式神として何十年生きていても、精神も肉体も死んだ時に止まったまま。永遠の十二歳から、未だに一歩も踏み出せないまま。


「おや?二人とも、軽口はそこまでだ。面白い余興が始まるぞ」


 Aの言葉でゴンと姫も前を向く。何か気になることでもあるのかと壇上を見てみたが、誰かの霊気が高まってハプニングが起きそうな気配もない。


「新入生総代、挨拶。新入生総代──」



「新入生総代、土御門光陰つちみかどこういん

「はいっ!」


 式を進行する教員のアナウンスに元気よく返事をして立ち上がる最前列の男子。だが、立ち上がった姿とその名前から講堂の中がざわめきだす。

 正直俺からすれば賀茂が総代じゃなければ土御門の方だろうと思っていたのでさもありなんって感じだ。他の人間は土御門の嫡男がいるなんて思ってなかったからざわついているのか。


 それとも、制服の上から重ね着した白い羽織、胸元のピンポイントと背中には大きな五芒星が黒で描かれたものを着て登壇したことに驚いているのだろうか。

 そうそう。ウチの京都校は日本で最難関の陰陽師高校だ。そのため、記者席というのもあってさっきからフラッシュがたかれまくっている。これが今日には編集されて日本全国のお茶の間に流れるわけだ。

 そんな場で、土御門の嫡男が自分の存在を堂々と示すような行動をすることにはたしかに驚く。こんなことした奴、他にいただろうか。


 登壇してマイクの前に立ち、懐から挨拶のカンペを出す。正面から見た顔は中々に整っている。だからこそ黄色い声をあげる女子生徒も少なくなかった。濡羽色の髪に藍色の瞳。日本の中でもそこまで浮くことはない変色だ。

 というか、安倍晴明と同じような変色だな。でも、アレなあ……。そもそも土御門は安倍晴明の姿を知っているのかどうか。

 そんな余計なことを考えていると挨拶が始まる。


「春の暖かな日差しを浴びて、この京都にも春の訪れを感じさせる今日。一学年二百八十名全員が無事に入学できたこと、我ら陰陽師の祖である安倍晴明様へ心より感謝申し上げます。私たちは成人したとはいえ、まだまだ陰陽師としての一歩を踏み出したに過ぎません。ですので、入学という節目を経て環境が変わったことで怖気づくことなく、更なる未知を求めて果敢に物事に取り組み、呪術の腕を磨いていくことを誓います。そして一日も早く日本のため、民のために安寧の世で暮らしていけるよう、一人前の陰陽師になることを誓うとともに新入生総代としての挨拶とさせていただきます。新入生総代、土御門光陰」


 土御門の嫡男としての、お手本のような挨拶だっただろう。そのお手本すぎる挨拶に会場からは割れんばかりの拍手が送られた。俺も拍手を送っているが、お手本すぎてつまらない。あんな目立つことをしたんだから、狐を断絶しますとか、魑魅魍魎を根絶してみせますとか言ってくれれば面白かったのに。

 前半について言った瞬間にぶち殺し確定だけど。


《坊ちゃん、あいつですぜ。蟲毒を起こした時に上空から見てた奴》

《あ?あいつが?》


 銀郎から伝えられた念話の内容に驚く。銀郎の目は狼なだけあって夜目も効くし、視力は人間と比べ物にならないくらい高い。それに鼻も利く。ちょっと上空にいたぐらいで判断を誤ることはないだろう。

 せいぜい土御門を語る莫迦かと思ってたけど、まさか自意識過剰大莫迦野郎だったとは。不可侵のことを知らないのか、それも知っていてなお攻め込んだのか。


 前言撤回。どんな理由があろうとぶち殺し確定。自分たちの土地を攻められた当主が何を思うかなんてわかりきっているだろうに。

 そこには先祖代々から受け継いできた土地と民が暮らす場所。そこを長年維持して、民のために何ができるかを模索し、次代へ継がせるために何を残すかを悩み、次代の選抜を行い、次代の育成に励み、そうしてようやく任せられると確信してから引き渡す。


 名家が治める土地というのは、幾星霜の悩みと血と思いやりが込められた結晶だ。その土地をできるだけ良い状態で次代へ引き継ごうとした、そしてそんな先人の想いに応えるように精進するという循環によって形作られるどりょく奇跡の象徴。

 名家が土地を失い、呪術省管轄になるということは先達の遺してきたものをぶち壊すということ。だから土地を治める名家の当主は何よりも土地を失うことを恐れる。脈々と受け継がれてきた誇り高き産物を、自分のせいで失うのを受け止めきれないからだ。


 正直、他の名家の当主も俺と同じく攻め込んできた陰陽師がいたら殺意が湧くだろう。土地とは名家足り得る由縁そのもの。そこに他の陰陽師がちょっかいをかけてくるとは、自分たちと先祖たちの顔に汚物を投げつける行為に等しい。

 嘗められている、とも言う。そのお礼参りは当然しなくてはならない。先祖たちの名誉を守るために。

 それがたとえ今の呪術省を牛耳る、陰陽師名家No.1の家が相手だとしても。


《銀郎。当分あいつのことを探れ。……いや、そういうのはゴンの方が向いてるか?》

《お察しの通りあっしは戦闘バカなんでね。そういう諜報員とかは向いてないですわ。後で天狐殿に頼みましょう》

《だな。稲荷寿司いくつか買ってやればやってくれるだろ》


 随分扱いが悪いが、それだけゴンのことを信用しているからだ。あと、ゴンもあの襲撃に憤っている。ゴンは俺と契約してからあの土地に住んでいるが、わりかし愛着を持ってくれている。玉藻の前が眠っている土地だというのもあるかもしれないが。

 稲荷寿司さえ与えれば大抵何でもやってくれるチョロイン。それがゴンだ。


《瑠姫に警戒させておこう。ミクの姿も見られてるんだろ?》

《そうですねえ……。おそらく狐憑きってことはバレてるでしょう。本格的に麒麟へ護衛を頼みますか?》

《それは最終手段だな。やれることはこっちでやらないと。……あの人が土御門について警戒しろって言ってたのはこういうことか。さて、この場合警戒するのはあいつだけでいいのか?それともあいつは先兵に過ぎないのか?》

《あのガキの独断の可能性も、一族ぐるみなのかも現状はっきりしていやせんからねえ。ま、情報戦は昔の陰陽師にとっても日常茶飯事。呪術師を名乗ってるバカどもには痛い目みせてやればいいんじゃ?》

《だな》


 銀郎はミクの傍にいる瑠姫に報告に行く。ミクがこっちを見てきたが、今は式中なのでひとまずは前を向かせる。あとでちゃんと説明してやればいい。俺も分かってないことが多いし、整理する時間も欲しい。

 主な内容としては、どうやって報復するかだ。呪術師じゃないから、そこまで呪いのレパートリーがあるわけじゃない。だが、執拗に、陰湿に、そして絶望に駆られるように関係者全員を地獄に落とすために、その者に合った鉄槌を。

 俺は結局、その後の式はそっちのけで土御門に対する復讐ばかり考えていた。


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