第30話 4ー4

 蟲毒は蒼い狐火に焼かれて、邪悪な霊気は全て浄化された。そのまま狐は増幅された分が萎んでいき、ゴンと変わらないサイズの小さい狐へとなってから天へ昇っていった。

 この世に未練はないのか。それとも今回の一件で現世を嫌になったのか、他の霊狐のように残らないようだった。

 蟲毒がきちんと消えたのを確認してから、珠希は携帯電話を出して明へ繋げていた。コールが五度ほど鳴ってから繋がる。


「タマか……?」

「はい。明様、終わりましたよ。もう術式を解除して大丈夫です」

「そうか……」


 術式を解除したからか、狐たちが各々の場所へ帰っていった。万を超える狐たちが集まっていたのに、用事は済んだとばかりにさっさと帰っていってしまった。

 元々、一時的に式神契約する術なので、簡易契約が済んでしまえば帰るのも道理。いつまでも仮の主に囚われる必要もないからだ。彼らには彼らの居場所がある。彼らが愛した土地がある。


 それを霊気という力業で収集したに過ぎない。

 誰かの式神になっている狐もいる。人間が嫌いな狐もいたはず。ただ眠っているだけの狐もいる。今を生きている狐もいる。

 そういうしがらみを全て取っ払って呼び寄せてしまう術式。それは狐を信仰する難波家にとって人道的ではないからと自ら禁術指定しているもの。

 街から全ての狐が去った頃、明の方から声が届いた。


「タマ。そこに銀郎いるか?」

「いらっしゃいますよ。代わりますか?」

「いや、父さんを呼んでくれるように頼んでくれればいい。さすがに麒麟門の修復は今の俺には無理だ」

「わかりました。銀郎様、御当主様を呼んでほしいそうです。たぶん方陣の修復かと」

『あいよ』


 銀郎が懐から携帯電話を出す。それで康平へ連絡を取って今回の騒動の終了の報告と手伝いを要請していた。


「明様。あと伝えることとして、上空にいた人間は撤退したのか姿が見えなくなってます。蟲毒が消えた時にはすでにいなくなっていたので、どこにいったのかまではわかりません……。すみません」

「ああ、別にいいよ。目を覚ました祐介にでも聞けばいいんだから。他に気になったことはあるか?」

「あとは……。わたしのことを監視しているような、二人組がいました。その時は耳と尻尾出しちゃってたので、狐憑きとして見られていた気がします」

「二人組、ねえ……」

『それはオレの友人だな』


 ゴンが戻ってくる。姿は大きなまま。生傷が多かったので、ミクは霊気を送る治癒術を用いて治療し始めた。式神や陰陽師相手にならできる、専用の術式だった。

 携帯をスピーカーモードに切り替えて、ゴンも会話に参加できるようにする。


「ゴン、友人ってことは狐に理解のある陰陽師か?」

『理解はあるが、あいつは陰陽師というより呪術師だ。今のじゃない、昔の呪術の使い手だ』

「そいつは今回の件に関わってないんだな?」

『ああ。あいつはこんなちんけなことしないからな』

『どうですかねえ?あの男、何やらかすかわかったもんじゃありやせんぜ?』

「銀郎も知ってるのか?」

『康平殿も知ってますよ。彼は有名なので。いくつも名前があるんで今は何て呼ばれてるかわかりやせんけどね』


 だが、これ以上の情報をゴンは話すつもりはなかった。精々今使っている名前くらいだ。

 できるなら、Aとは絡まない方が良いと考えている。なにせAは様々な事件を起こしている犯罪者だ。明たちが関わる必要性はない。

 向こうから関わってくる可能性はあるが。


『その二人の内、男はエイという名前だ。他にいたのはどんなやつだった?』

『女の匂いがしましたぜ?たぶんあの男の式神でしょう』

『女……。ああ、あの幼女か。名前はたしか姫と呼ばれていたな。陰陽術の達人ていう珍しい式神だ。あいつらからこちらに手を出してくることはないだろう。こっちがちょっかいかけたらわからんがな』


 ゴンは姫に会ったこともあるし、彼女が式神になった経緯も知っている。だからこそ、彼女が昼に一緒にいなかったことに吃驚した。

 Aが傍から離すとも思えなかったからだ。鬼二匹は別だが。


「上空の男については?」

『坊ちゃんほどの実力はありませんぜ?霊気の量からしてそれは確実かと。武闘派でしょうけど、天狐殿が傍にいれば難なく倒せるでしょう』

「素性はわからずじまいか……。それは星斗に任せればいいか」

「あとは何かありますか?」

「…………」


 珠希の質問に答えない明。しばらくの沈黙の後、ようやく返事があった。


「笑わない?」

「え?何でです?」

「俺……霊気の使い過ぎで今立ち上がるのも困難なんだよね」

「えっ⁉」

「ヒヒヒ……。膝笑ってて一歩も動けねー」

「大変じゃないですか!」


 直後、ゴン!という大きな音がした。音は携帯の繋がっている先からだった。


「危ねー……。瓦礫落ちてきた。あと一メートルズレてたらペチャンコだったわ。ハハハ」

「笑ってる場合じゃないですよ⁉」

「あー、視界が霞んできた……。そういや霊気不足って貧血と似た症状でるんだっけ……?」

「ゴン様、背中に乗せてください!明様がまずいです!」

『何やってるんだ、あいつは……』


 大きくなったままのゴンの背中に乗って、珠希は市役所の頂上から明の救出へ向かう。

 なんとも締まらない終わり方だが、百鬼夜行に並ぶ災害は、今夜限り顕現し、今夜限りで終焉した。

 もうすぐ、夜の帳が明けて、寒い土地に朝日が射す。


────


「クソ!玉藻の前を復活させられなかった……!あいつを封印ではなく、抹殺しなければならないというのに!」


 上空に潜んでいた男はまだ街中にいた。というより、あのまま上空から去ったら足を残すことになると思い、むしろ街の路地へ入り込んでいた。

 今からホテルなどにチェックインもできないため、この街で誰にも見つからない場所へ行くか、もうじき日が昇って交通網も復活するためそれまで時間稼ぎをしようかと考えていた。

 その目論見は、邪魔される。


「並の陰陽師ならあの程度の隠蔽で姿を隠せるだろうな。上空へは幻術を用いて、本人は光学迷彩と隠形を用いて姿を消す。ふむ。年齢の割には上出来だろう」

「ッ⁉」


 気配が全くしなかった。後ろを振り向くと、シルクハットを被って顔に靄がかかったステッキを持った男と、桃色と赤で彩られた着物を着た少女が並んでいた。

 そこにいるはずなのに、闇に溶け込んでいるような。そこに立っているはずなのに、蜻蛉のように揺らいでいるような。そこに在ってないような、そんな不気味さが彼らから感じられた。

 だが、幻術などでもなく、分身のような影だけを送り込んだ物でもない。


「しかし、慢心が過ぎるな。その『晴明紋』を見せびらかすとは。なあ?土御門の末裔」

「……あなたたちは何者だ?何の目的でここにいた?」

「最近の小童はものの道理ってもんがわかっておらんなあ。あんさんが今どういう立場におるかわかっとるん?こっちが気まぐれであんさんを追い詰めてるんや。その証拠に、一歩も動けんやろ?」


 その一言でようやく男は気付く。足はおろか、指すら動かせないことに。

 こうして対峙しても二人の実力がわからないほどに、間が乖離していると。

 カランコロンと姫の下駄が鳴らす響きが、死へのカウントダウンかのように、ゆっくりと男の耳へ反響していた。

 目の前にいるのに、動けない。身体の内側の霊気を放出することすら、できなかった。

 袖から出した扇子を閉じたまま、顎に当てられる。そんな、首を切り落とされてもおかしくはない間近なのに、何もできない男は産まれて初めて恐怖した。


 男は土御門の名の通り、安倍晴明の正統後継者たる血筋の者だ。その中でも才覚溢れ、周囲から天才と持て囃され、その名に恥じぬ成果も出してきた。

 できないことなどなかった。それこそ、家にかけられた狐の呪いの解呪以外。

 だが、今は何もできない。彼が敵わない相手を前にして、外聞も捨てて逃げることもできなかった。


「姫、やめたまえ。こんな阿呆、手にかける意味もない。むしろこの舞台で躍らせた方が面白いだろう」

「ええの?むしろあたしは、土御門なんて呪われた家潰すべきだと思うけど」

「や、やめろぉ!我が家が呪われているのは狐のせいだ!この土地に潜む、玉藻の前のせいだ!」

「お、口は利けるんやね。でも今の発言でわかったんじゃ?まーたこの小童はこの土地を穢すんよ。そもそもあたし、土御門好かん。血筋を誇る割にここんところ四神に選ばれた奴居らんし、呪術省のトップ独占して牛耳って大きな顔してるだけやん?」


 扇子は顎に当てたまま、振り返って自分の主へと尋ねる。

 AはAなりにこの土地と住む人々を愛している。拠点を京都に置いている割に、何度もここへ来ているのがいい証拠だ。


「答えは変わらんよ。放っておけ。私が気になったのは、この男が当代土御門での最高傑作だということ。……実に面白い結果ではないか。安倍晴明の血筋をもっとも色濃く受け継ぐとされる本家。それがこの程度とは。一千年でずいぶんと衰えたな。さて、では祝詞を捧げようじゃないか。笑い話を提供してくれたお礼だ」


 そこから告げられた言葉は、姫も知っていたこと。だが告げられていくごとに、男の顔は血色を失っていき、唇が震え、心音が二人にも聞こえるほどの動揺を見せていた。


「以上だ。ふむ、良い顔だ。やはり絶望に染まる顔はこうもそそられる。自尊心の塊ほど、高慢な人間こそどん底に落とした際に嗜虐心が駆られる表情を見せてくれる。──これだから、人間を痛めつけるのはやめられない」

「ホント、お人が悪い。それを伝えた上で生かしておくなんて」

「ここで殺してしまっては土御門の家が少し落ち込むだけだろう?ならもっともっと肥えさせて、その上でいとも容易く潰した方が愉しい。落差こそが劇での山場には最も大事なのだよ。人の心を掴ませるには、誰もがわかる衝撃程適したスパイスもない」


 男の歯と歯が幾度も重なり合って、カチカチという音を奏でていた。

 Aの顔が見えないことが余計に恐怖を煽る。口が三日月形に吊り上がり、全身隈なく見つめられている感覚。舌なめずりされているように、口とシルクハットの間は見てはいけないものを見てしまった時のように、精神がガリガリと削られていく。


「土御門は正義の味方か?いや、違うだろう。陽を司る者ではないだろう。貴様らは陰陽いんようどちらも乱れることなく受け継がなければならなかったのに、そのバランスを崩した。それが今の貴様らの姿だろう。──貴様たちが自ら堕ちた場所よりも、私たちは奥深くに沈んでいるぞ?」

「あんさんが何を見てこっちに立ってるのか知りゃしまへんけど、こんなんまだまだ深淵の先も覗いてあらへんで?その程度の覚悟なら、尻尾振って引き返しぃ。あたしが知ってる真実にすら辿り着いていない尻の青い小童は、今のルール呪術界に縛られてるのがお似合いやわ」


 姫がくつくつと笑った後、二人の姿は消えていた。本当に彼らがそこにいたのかすら怪しい。

 だが、対峙した土御門の男は感じた恐怖から、幻ではないと悟っていた。

 冬なのに背中に張り付くほどの汗で濡れたシャツが、非常に気持ち悪かった。

 夜が、終わる。

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