第29話 4ー3ー2

 通話を終わらせて携帯を懐に仕舞う。周りにいる狐たちを踏まないように細心の注意を払いながらミクに近付く。

 同じ霊体同士、たとえ銀郎は霊気によって肉体を得ていても触れてしまう霊体は、少し扱いが難しい。人間なら通り抜けるだけだが、銀郎は踏めてしまう。


『坊ちゃんから聞いていないんですか?』

「明様には高い建物へ行けとしか言われていません。式神降霊三式を行うとは言っていましたけど、どんな術までかは……」

『そうなんですかい。ま、簡単に説明すると霊狐を呼び出す、それだけの術式ですぜ』

「……それだけ?」


 だというのに禁術指定。その理由は術者にかかる負担と、呼び寄せる存在が原因だった。


『実際似た術式はいくつもあるんですよ?それが全部魑魅魍魎と似た類の連中を呼び寄せましてね。珠希お嬢さんにこう言うのはアレですけど、狐は世間的に嫌われていますから』

「そうなんですか……。でも、この狐さんたちが戦ってくれるわけじゃないんですよね?」

『そこは術者の意図にもよります。呼び寄せた存在を一時的とはいえ式神にする術、それがこの術の本質です。相応の霊気をこの狐たちにも与えれば実体を持って活動してくれますよ。その負担からして、禁術』


 百体呼べる康平ですら他の陰陽師からすれば化け物と言われるだろう。他の陰陽師が用いても精々が十体程度。

 霊体のままとはいえ、この数は異常だ。


『まあ、術のことは置いておいて。この術式を用いた理由としては、霊狐の力を借りるということからでしょう。本来であれば術者がその力を受け取るものなんですが、その術者である坊ちゃんは霊脈の修復とこの術式の起動で手一杯。なら、他の者に使ってもらえばいい。そんなところでしょうね』

「ゴン様じゃダメだったんでしょうか?」

『天狐殿はアレ本体の足止めで手一杯でしょうし。それにこの術式は式神降霊三式なのでしょう?さっきまでの説明は、どちらかと言えば式神降霊二式なんです』

「え?違う術式なんですか?」


 銀郎はうなずく。式神降霊二式であれば、秘術扱いだが使える者はたくさんいるし、霊気の使用量から危険ではあるが、そもそも式神の扱いがよろしくない昨今使う者も少なく、禁術にする意味もないのだ。

 だが、三式であれば事情も変わってくる。これは難波本家にしか伝えられておらず、呪術省に申請した上で禁術指定を受けた。

 この術が、狐に特化したものだからだ。


『特定の霊的存在を複数呼ぶだけなら禁術にはなりません。これは狐を呼び寄せる術式であり、効果があるのは狐に関連する存在だけなのです。つまり、珠希お嬢さんか天狐殿にしか効力はありません』


 狐憑きの珠希と天狐である式神のゴン。それ以外の者に使用しても、何の効力が出ない術式。銀郎でも瑠姫でも、星斗でも康平でも効力を為さない限定的過ぎる術式。

 狐という災厄を招く存在がさらに厄介になる術式。だからこそ呪術省は禁術にしたのだ。厄介ごとしか産み出さないものを広める意味もない。統制してこそな呪術省はこの術式の存在自体認めていないのだが、他の利用法や応用法もあったので一部の人間しか知り得ない禁術にしていた。


「でも、それなら──」

『難波家は狐を大事にしていますからねえ。この術式も未来を思ってのものですよ。実際、天狐殿と珠希お嬢さんという用いることができる存在に巡り合えているんですから』

「未来を、思って……」


 珠希の周りには小さい狐からそこそこ大きい狐までが傅き、脚に頬摺りをしながら忠誠を誓っていた。主は彼女だというように。彼女のために馳せ参じたと身振りで示すように。


『そうそう。ここにはあっしとお嬢さんと狐たちしかいないのに、坊ちゃんのこと真名で呼ばないんですかい?』

「銀郎様、本気でおっしゃっていますか?近くのビルからこちらを監視している二人組がいます。それに、あの上空の人もこちらを睨んでいますから。わたしと明様の契約を、わたしから破るわけにはいきません」

『ヒュ~。気付いていましたか。御見それしました』


 恭しく頭を直角に下げる銀郎。一つ試してみたのだが、珠希は目線が向けられていることに気付いていたのだ。

 ビルの二つからは好奇心で、上空にいるのは嫌悪の目線。狐憑きであることを教えてしまったのは痛手かもしれないが、片方に関しては銀郎は気にしていなかった。


(奴さんはどうせ珠希お嬢さんのこと知ってたんだろうし、その様子見もあるんかね?実際血筋で狐憑きが産まれるのは初めてのことだ。その珍事を見に来たって線はあるな。さてさて天狐殿はどこまで話したんだか)

「上は仕方がないとして、近くのビルの人たちは無視してもいいんでしょうか?見られても平気なんでしょうか……」

『あっちのビルからは悪意を感じないんで大丈夫でしょう。逆にあの上空の者はわかりやすい。悪意マシマシですぜ。十中八九黒幕でしょうが、まあ平気でしょう。坊ちゃんほどの実力はなさそうですし』

「わかりました。わたしの役割は、周りのこの子たちの力を借りて、あの蟲毒を鎮めろってことですよね?」

『そうですね。やるなら狐火が一番だと思いやす。火というのは聖なる四神の一柱である朱雀が司るもの。浄化の炎とさえ呼ばれる蒼い炎には聖なる力がより一層宿っているとされています。灰が聖なる物とされているのもここから来ています』


 そう説明すると、珠希は自分の周りに狐火を発生させる。鮮やかとも純正とも呼べる透き通った蒼い炎。それを増長させるように周りの狐が霊気を送り込み、どんどん大きな狐火を作っていく。

 蜻蛉のように揺らめくそれは、彼女らの頭の上で大きくなっていく。そこに直接霊気を送り込む狐もいれば、狐火を出して合わせていく狐、珠希に霊気を貸し与えている狐もいた。

 蟲毒を確実に消し去るため、その炎を着実に大きく確かなものにしていった。

 その煌めきは、いつかの芒野原と変わらずに。


────


「クソ、何だこの狐の数は!忌々しい!」


 上空で浮かんでいる、正確には大きな鳥を隠形で隠して飛んでいる五芒星が描かれた羽織を着ている男は、下で起こっている事態に青筋を立てて舌打ちをしていた。

 自分に関わりのあったこの土地に住むプロの陰陽師を呪術ではめ込んで蟲毒を引き起こさせた。狐の蟲毒を呼ぶまでは成功し、蟲毒の副作用で百鬼夜行を起こして忌まわしい逸話のあるこの土地の崩壊を目論んだというのに。


「それにこの土地に何故これほどの力を持った陰陽師がいる⁉霊脈が優秀だからプロは多めに配属されているのは知っていたが、この数は異常だぞ⁉」


 その原因は明たち三人と、星斗が呼んだ桜井会の面々、直接出向いてるこの土地の管理者である康平と、たまたま来ていたAと姫。

 これだけ他の土地よりも戦力になる陰陽師が増えていれば、悪事が上手くいかないのも仕方がないかもしれない。

 桜井会の面々はプロの陰陽師と遜色ない実力者たち。明たちの実力も並みの陰陽師よりも上だ。康平は九段の資格持ち、ゴンはその康平と変わらず、もしかしたらそれよりも上の実力。


 Aと姫に至っては日本最強の陰陽師四人である四神すらも超えている天災。次元が違う。

 Aと姫が今日この場にいたのは偶然だが、それでも確保できる戦力は多かった。

 この土地を狙った時点で難波家の分家筋は集まること。そして難波の家も表舞台では名を聞かないかもしれないが、安倍晴明の血筋であり、この土地の守護を任された人間だ。この土地に危機が訪れれば全力で災厄を排除する。

 ここを狙った時点で間違いだったと気付かなくてはいけなかった。


「この土地は晴明様が命を張らなくてはならなくなった原因が眠る、あの悪女が居座っている煉獄だぞ⁉事実を知らない道化共が、我ら本家の悲願・・・・・・・を邪魔しやがって……!」


 この言葉通り、この男はこの土地に眠っている玉藻の前の存在を知っていた。彼の羽織に記された五芒星と、発言を鑑みれば有り得ない話ではないが。

 男には使命があった。難波の家のような一族としてのものではなく、男個人のもの。だがその使命は果てしのなく困難なもの。夢物語とも言える、実現ができるかどうかよりも妄言の類に思われてしまうようなもの。

 その使命のために今回もこんな手段に出ているのに、今は瓦解しかけている。


 計画がズレたのは昨日から。昨日隠蔽していた術式から霊気が漏れ出したということで、急遽今夜事を起こすことにしたのだ。方陣が決壊したのは少しの時間だったはずだが、場所が場所であったため、即時行動を起こす。

 プロを数多く敵に回すことに変わりないのなら、準備をさせずにかき乱すつもりだった。昨日すぐができればベストだったが、自分の目がないところで失敗されても修正が利かなくなるのは御免だったので急いで来たのだが、たった一日で対策されてしまった。


 一日でできることなどたかが知れていると思っていたのに、結果はこれだ。ほぼ完璧に対応されて、その上で自分の顔が割れるのは勘弁したい。

 陰陽師の配置に、蟲毒への対応、霊脈への対処。

 これが一日でできることなのかと男は下唇を噛んでいた。

 この計画に男は三年ほど時間をかけた。それほどの時間を積み重ねて街の霊脈を調べ、難波家を調査し、祭壇の危険性を確認し、陰陽師の力量を測ったというのに。


 難波家に狐の式神がいるのは知っていた。だが、あんな大きくなって蟲毒とやり合えるとは知らなかった。今もお互い空中で脚を止め、牙や呪術でしのぎを削っていた。

 難波家の当主の実力は日陰者とはいえ知っていた。九段を取得できる人間が無能のはずがない。玉藻の前を祀っている祭壇は難波家にとっても重要なもので、街中から離れているから来るはずがないと思っていた。


 その目論見は当たっていたのに、余計性質の悪いオオカミの式神が参戦し、蟲毒が吸い込むはずのえさ魑魅魍魎を悉く斬り伏せられた。糧にならなくても、暴れてくれるような強力な悪鬼でさえ、ずんばらりと斬られてしまっては目も当てられない。

 難波家の式神はペット感覚の小狐一匹と、家政婦の二匹だけだったはず。だが蓋を開けてみれば、魑魅魍魎が束になっても敵わない強者だった。

 その存在を見た瞬間、思ったことは次元が違うということ。男だって陰陽師としての実力は相当なはずで、そんな自負もあったのに、前に立った瞬間殺されると思った仮面を被った男。


 その男がビルの上から見定めてくるだけで鳥肌が止まらなかった。だというのに、同じような殺気を纏った少女が増えた時には逃げようかと思ったほどだ。

 それでもこの場に残ったのは、もう後に退けないから。一度走り始めてしまったら、後ろなんて向いていられない。

 だというのに、一番気に障るのは、同じ血筋の人間が狐の式神を呼びよせる術式なんて使ったこと。


 狐は忌むべき存在だ。それは遥か昔から伝えているのは男の一族であるため、間違いない。男も文献を読み、狐が祖たる安倍晴明を死に追いやったのだと。

 そんな存在を嬉々として式神にして、あまつさえそこら中から呼び寄せるなんてさぶいぼが止まらないなんてものじゃなかった。生理的に受け入れられないものが自分の下をうじゃうじゃと這っている。


「狐には狐ってか……!なら取り込め、蟲毒!お前は所詮、玉藻の前を呼び寄せるための試金石だ!どうせ最後は生贄なんだから、好き勝手暴れろっ!」


 男はあの蟲毒すら利用して、玉藻の前を現界させることが今回の目的であり、それ以外はどうなってもいいという腹積もりだった。

 存在によっては降霊するにも、ある程度呼び寄せる存在に近しい触媒が必要となる。狐を呼び寄せたければ狐の銅像だったり、狐の毛皮が必要になる。

 それと同じように、玉藻の前の魂を呼び寄せるための触媒として強力な狐を用意し、この封印された因果のある土地も一つの触媒としてより確実に玉藻の前を呼び寄せようとしていた。


 男は玉藻の前さえいなければ、ここまで一般人に苦渋を舐めさせるような世の中にはならなかったと考えている。

 玉藻の前さえ現れなければ、安倍晴明は死ぬことなく都の安寧は保たれ、蘆屋道満も都に反旗を翻さず、当代最高の都は決壊しなかったと思っている。

 平安最強にして最高の陰陽師、安倍晴明と蘆屋道満の退去。安倍晴明の死因はもちろん、蘆屋道満が今まで仕えていた都に反旗を翻したのは今まで競っていた安倍晴明をむざむざと見殺しにしたこと。


 二人どちらも失うわけにはいかなかったために、玉藻の前討伐に蘆屋道満は都の意向で同行できなかったらしい。そして安倍晴明への信頼度も高く、彼なら神の分け御霊さえも御し切れるだろうと。

 その判断は半分当たっていた。封印という形とはいえ、神に匹敵したのだ。陰陽師の祖は。


 だが結果的に、その神に匹敵する人間も命を落とす。それを悔やんだ蘆屋道満は都を信じられずに攻め落としたというのだ。

 そこから男の家は大変だった。蘆屋道満にやられた都の復興。魑魅魍魎への対処。壊された安倍晴明の方陣の復活。陰陽師の育成に、安倍晴明の代役。

 そして移ろいゆく時代の奔流に流されていく。妖怪や魑魅魍魎といった人類の敵と手を組んで武家という荒くれ者共の台頭。その中で失われる日本の象徴。積み上げてきた、実在する神の軽視。


 それを全て纏めてきたのが、残されてきた彼の先祖たち。彼らは安倍晴明の一番の弟子として狐にも襲われてきた。狐たちは玉藻の前を主としていて、その主を封印された腹いせとして報復された。

 男の家の当主は長生きをしない。これは狐によって短命の呪いをかけられたものだとされている。彼らは狐を殺しすぎた。

 それに、封印とは死と変わらない。神殺しの呪いを、血を通して行われているとさえ考えている。悪性の神だとしても、神は神。時に神話では、神は人間に理不尽な行いをするものだ。


 この説を裏付けるように、日本にいる土地神を殺してしまった者には災いが訪れている。その災いも規模はまちまちだが、一族郎党苦しんで壊滅させられた家もある。ちょっとした嫌がらせ程度の呪いもある。

 だが、狐の呪いは玉藻の前のものではなく、おそらく眷属の物。だから大元である玉藻の前を復活させ、その上で屈服させる。そうして呪いを解こうとしたのに。

 他にも理由はあったが、男は正義感からこの事態を起こしたとも言える。他の人間への被害を顧みず、自分たちが助かるために行った行為もれっきとした正義だ。


 独善、とも言い換えられるが。

 霊狐たちを一体でも屠ろうと呪術で痛めつけようとしたが、標的が小さいために、意外にもすばしっこくて当たらない。

 それに苛立っていると、空の一か所が明るくなる。いきなりのことに目を向けると、ビルの屋上で蒼い狐火が膨れ上がっているのが映る。

 その周りに大量にいる霊狐と、中心にいる狐憑きの少女を見て憎悪を増す。狐憑きが息をしている時点で殺意が湧くが、制御下に置いているのが更に憎らしい。それはつまり、狐の力を受け入れているということだ。


 いっそ暴走してくれている方が処分しやすかった。なのに、制御下に置くということはその凶悪な力を振る舞うということだ。

 悪霊憑きは制御すれば他の陰陽師をも圧倒する力を持つ。特に狐は何故か、現れることも稀な上に力も他の悪霊憑きよりも上。厄介この上ない。

 それが見たこともないほどの大きさの狐火を用意している。あれを喰らえばさすがの蟲毒でも存在を維持できない。


「クソクソクソクソっ!そんな狐火を出せるほどの霊気、どこから持ってきやがった⁉あんなの一人が賄える量を超えてるぞ!同い年ぐらいの奴がこんな霊気持ってたら気付かないはずがない!あの狐憑き、何者だ⁉」


 男は珠希が明の術式の影響で狐に補助してもらっているなんて、思ってもいなかった。そんな術式があるなんて知らなかったからだ。

 だからこそ、今狐を呼び寄せているのも、それだけの霊気を持っているのも珠希だと思い込む。だからこれ以降、男はミクのことを明以上に危険視した。

 その危険視している相手は、とうとう狐火を蟲毒に向かって放つ。蟲毒は身体をゴンに噛みつかれて動きを止められて、その業火に焼かれる。


『ウヲォオオオオオオオオオオオオオン!』


 その悲鳴は夜空を割くように、だが苦しそうではなく、むしろ解放される喜びに満ちた、そんな天を突く咆哮。

 それが今夜の騒ぎを終わらせる、狼煙。


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