第23話 3ー3ー4
そして一度家に帰って、呪符などの準備をする。今日は出し惜しみをせずに徹底しなければならない。それほど蟲毒によって産まれる存在は強力だ。
もう父さんも起きていたので私室を訪れる。父さんもゴンから話を聞いていたからか、神官服を着て戦闘態勢に入っていた。現当主として見過ごせるはずもなかったんだろう。
「父上も、出るのですね」
「当たり前だろう。この土地は玉藻の前様が眠られていらっしゃる神の御座。ここに何かあれば私は代々の当主と安倍晴明様、そして玉藻の前様に合わせる顔がない。この土地の安寧と殺生石の保護。それこそが我が難波家に課せられた原初の使命だ」
「次期当主として、私も那須珠希を連れて出陣いたします。分家の人間を香炉星斗を通じて勝手に動かしてしまい、申し訳ありません」
「構わん。お前の世代だ。お前の好きにすればいい」
どうせわかってたからそのままにしたんだろうけど。もし何か必要だったら桜井会じゃなく分家当主に勅令か何か出しただろうから。
「ご配慮、ありがたく頂戴致します。私は元凶たる麒麟門へ赴きますが、父上はいかがなさいますか?」
「私は祭壇へ行く。この家は里美に守らせる。好きに暴れてこい」
「御意」
「それと、いざとなれば降霊三式を用いて構わない。蟲毒はそれだけ、厄介な代物だ」
「は。細心の注意を払います。では、出陣します」
「その前に、羽織を着ていけ」
そう言って父さんは黒い羽織を渡してきた。晴明紋ではなく、我が家の家紋である
羽織ることが許可される時は、現当主に認められた時のみ。それはつまり──。
「この度、身に着けてよろしいのでしょうか?」
「許す。たとえ晴明紋がなくても、これは我らが祖、安倍晴明様に認められし先祖の誇りであり、ここには一千年に渡る使命と想いが込められた、祖に忠節を誓った証である。難波の名に恥じぬ活躍を期待する。次期当主」
「はっ。ご当主の御心のままに。必ずやこの地を穢す悪鬼を祓ってみせましょう」
「では征け。ここは安倍晴明様の、安寧の地だ。悪鬼は地獄へ送り返せ」
「はい。では」
一礼してから部屋を出る。受け取った羽織を着ようかとも思ったが、制服の上から着ても見栄えがよろしくない。だから一度部屋に戻って、違う衣装を出す。
父さんと同じになってしまうが、これが陰陽師の正装だ。
神官服に袴、その上から受け取った羽織を着る。立て烏帽子は被らずにおいた。
食卓へ向かうと、ゴンとミクも準備を整えて待っていた。ゴンはいつも通りだが、ミクの方は俺と同じく正装をしている。
「ミク、似合ってるよ。その巫女服」
「ありがとうございます。ハル様、その羽織……」
「少し早いけどな。父さんがくれたよ」
神官服と巫女服。今の陰陽師でも大きな祭事でしか着なくなった正装。これこそがどの場であっても着るべきものであるのに、今では蔑ろにしがちだ。
こういうところが古いと言われる由縁でもあるが、俺はこれでいいと思う。
「ゴン、瑠姫から弁当預かったか?」
『作ってないからさっさと帰ってきて奥様のご飯を食べるべき、だとよ』
「簡単に言ってくれるなあ」
長丁場になりそうだからゴンに言伝お願いしたのに。期待に添えるように頑張りますかね。
「手荷物はなしか。じゃあ、行くぞ。殲滅だ」
烏を出して祐介との集合場所へ向かう。
今日は昨日のように、雪は降っていなかったが肌寒いことには変わらない、透明な夜だった。
―――――――
そこは高級マンションの一室。
外観からも内装からも、住んでいる人の収入やステータスは推察される。駅前という立地の上、十階以上の高層建築物であれば家賃なんて一般人には計り知れないものであるなんて説明の必要もないだろう。
その一室、正確には4LDKに明のクラスメイトの天海薫は住んでいた。夕食と風呂を済ませた七時過ぎ、冬であれば魑魅魍魎が現れる頃、喉が渇いたためにリビングに出て何かを飲もうとしたら珍しく父親が帰ってきていた。
父親の職業は街の護衛を務めるプロの陰陽師。そして出勤時間は夕方であるため、休日でもないと家にいるのは珍しい。稀、という方が正しい。
用事があっても、いくら職場と家が近いとはいえ来るようなことはないはずだから。
「お父さん?どうしたの?」
「薫か……。受験勉強をしていたのか?」
「うん。お父さんは?」
父親と話すのは久しぶりだった。最後にした会話の内容がわからないほど、間が空いてしまった。
だが、これは存外優秀な忙しい陰陽師の親子の間では珍しくない。陰陽師の仕事は忙しいし命の危険もあるし、出張だってもちろんある。学生は昼に、陰陽師は夜に活動するため会う機会が少ないことも挙げられる。
あとは陰陽師の休日が一般的に土曜・日曜ではないこと。学生が休みの日にはセミナーを開いたり、呪術の発展に貢献する役目があるからだ。
「最近方陣の外が変でな……。呪具が足りなそうだったから補充に来た。特に今日は霊脈の乱れが酷い。くれぐれも家から出るなよ」
「うん、わかった」
「……勉強の方はどうだ?志望校には受かりそうか?」
「この調子なら。でも、凄い人はいるよ。同じクラスの難波君なんて私とは次元が違う凄さというか……」
「お前はッ!難波なんていう名前だけの落ちこぼれに負けるのか⁉」
「ッ⁉」
さっきまでのつかれた姿とは真逆の、怒気を孕んだ声に形相。
たった一言だ。それだけで変わってしまった。いつもは怒鳴らない、比較的温厚な人が。
呪いの一言でも浴びたように。
「アレはこの地の守護というおべっかに浸かって現代呪術の研鑽を怠った愚鈍者だ!あいつらはこの土地の守護などと言って一切今の陰陽界に発展も寄進も寄越さない異端者だ!そんな何も利益を産み出さない痴呆どもにお前は社会の理である学校の評価で敵わないのか⁉」
「で、でも、難波君は本当に知識も実力もあって……」
「我々は江戸時代に膨隆し、現代の都を作ったと言っても過言ではない天海家だぞ⁉どれだけ現代の陰陽界に従事したと思っている!どれだけ発展に寄与してきたと思っている⁉あんな長いだけの旧家に、名前すらも朧げになっている血筋だけの家に、四百年という実績がある我らが劣っていていいはずがない!」
肩まで掴まれて説教された。その形相は見たこともなく、そもそも怒られるということすら薫にとっては初めてだった。
ここまで家に執着しているとは思わず、家のことは知っていても、その名にふさわしく在れ、といった趣旨の発言すら初めてだった。今まで呪術のことを習っても、家の名前を誇るように、などと言われることはなかった。
目も血走っている。目の前にいるのは本当に父なのか、薫は判断がつかなかった。
それほどまでに、今までの知っている父親とは別人すぎて、家族に抱く感情とはとても思えない恐怖を感じていた。
「お前が天海の名を轟かせないのであれば、私が天海の全てを背負う!お前は安寧とした時代に取り残されて生きていけ!」
投げ飛ばされた挙句、壁に激突して尻もちをついた。そんな娘を見向きもせず、父親は家を出ていく。
あれでは別人が父親の皮を被っていると言われた方が納得できるような豹変ぶりだった。
「どうしちゃったの、お父さん……」
そんな泪と一緒に零れた小さな雫は、床と頬を濡らすだけで届いてほしい人の心には熔けなかった。
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