第6話 私、恋してる

「送っていく」

 そう宣言され、すっかり日の暮れた住宅街を、トヨサト先輩と連れ立って帰る。

 先輩と本田さんの破局を知ったからといって、彼と二人という状況が気楽になったりはしなかった。

 これ以上、トヨサトファンに目を付けられたくない。それに万が一にでも、私が得意顔で彼の隣にいる、なんて勘違いでもされたら――身の毛がよだつ。


 私は、自分がサエないことを、きっちり自覚している。外見のイケてなさには自信すらある。あの本田さんのポジションに、私が収まるなんてありえない。妄想すらしたことない。

 ――私たち、ただの知り合いです!

 ふれ回りながら歩きたいぐらいだ。


「あっ、千月ちづき、手、手」

 公園の途中で、トヨサト先輩が私に向かって手を突き出した。

 急に手を繋ぐのが怖くなる。


 こんな極上男子と残念女子の組み合わせでも、手を繋いでたらカップルだと思いますよね。でも私、カノジョでもなんでもないんです。理由があるから手を繋ぐんですよ。でも理由は言えないんです。

 きょろきょろしながら、見えない誰かに脳内で言い訳をしてしまう。


 あぁ、卑屈だ、私……。こんなぐちゃぐちゃ、彼に悟られてはいけない。バレたら説教くらう可能性大。

 私はこっそり息をはいて、カーディガンを引っ張り上げた。


 ピリッ。

 静電気みたいな刺激が小さい。初めての時ほど、強い刺激じゃなくなった。慣れてしまったのだろうか。

「う~ん、見当たらないなぁ」

 川男のことだよね。私も精いっぱい背伸びをしてみたが、土管の周囲に姿はなかった。気になる。

「見に行こう」

 彼の言葉にうなずいた。足音を忍ばせ土管に近づいて中をのぞくと……川男は寝ていた。右手で腕枕うでまくら、左手でぽりぽりとお尻をく姿は、まるでゴロ寝のお父さん。なんとも平和で力が抜ける。

 トヨサト先輩が、片手の親指と人差し指で丸を作って、私に笑いかけた。


 遊歩道にもどると、繋いだ手を解いた彼は言う。

「千月の見える力って、すごい才能だな」

「え~、見えても御札おふだが貼れなきゃ、なんの役にも立ちませんよ」

 これ本音。でも生まれて初めて眼力をほめられ、むずむずする。


 数歩先、遊歩道の端にモミジの枝がかかり、紅葉した葉っぱが街灯に赤々と光っている。走って行って、右手を上げて跳ねてみた。

「えい!」

 まさかの空振り。あれぐらいなら届くと思ったのに、我ながら情けない……。

「私なんて、どんなに頑張っても、こんなもんなんですからね」

 すねて口を尖らせ、後ろを振り返ると、ははっ、と笑い声が返ってきた。何を思ったか、トヨサト先輩は手にしたバッグをポンとそこに置くと……


 タン、タン、ターン! 

 飛んだ‼  

 私が触りそこねた枝、そのはるかか上方の枝がバサッと揺れ、葉っぱがパラパラと舞い落ちる。

「うそ――」

 あっけにとられて、もみじを見上げた。

「どんだけ飛べんの!?」

「最高到達点とうたつてんは三メートル三十センチ」

 バッグを拾い上げながら先輩が口にした数値に、目が飛び出した。

「はあ? 人間業ですか?」

「まあまあの高さだけど、男子バレーのアタッカーなら、こんなの特別でもないぜ」

 彼は片手をひょいと伸ばし、私が触り損ねた枝から葉っぱをちぎって、手渡してくれた。

 それを受け取りながら、私は感嘆のため息をはいた。

 バレー部のエースアタッカーのジャンプ力ってどうなってんの? 私の身長の二倍以上じゃないか。もともと見上げるほど背が高いうえにこのジャンプ力。

 高いっていい!


「先輩、身長なんセンチですか?」

「俺? 百八十三」

 またため息が出る。

「百八十三……いいなぁ」

「千月はなんセンチだ?」

「百五十二」

「そうか。小さいとは思ってたけど、三十センチ以上違うのか」

「……あと二十センチ、いや、せめて十センチでも背が高かったらよかったのに」

 どうにもならない、とわかっていながら、ついグチをこぼした。

 トヨサト先輩は、私の頭にポンと手を載せ、屈み込んで微笑む。

「千月は背が低い。俺は背が高い」

 優しい眼差し、笑顔、大きな手……。

 まずい。うっとりしてしまう。

「千月は眼力者がんりきしゃ、俺は手眼者しゅがんしゃ

 頭から手を離した先輩は、歩を進めながら話し続ける。

「俺は見える千月がうらやましいが、望んでもどうにもならないよな。自分の個性だと受け入れるしかない」

 うらやましい? 私にとってはうとましいだけの個性。


「それにデカきゃいいってもんじゃない。妖怪退治なら背が高いほうが有利かもしれないけど、実生活じゃ不便なことだらけだ」

「え~、そうですか?」

「そうだよ! 映画館じゃ後ろの人に気を使うし」

「あぁ、大きい人の後ろだと私なんか泣きたくなります」

「だろ? こっちだって気をつかってんだぜ。低くなろうって変な格好して、首や腰が痛くなる。それにな、ばあちゃんちに行けば必ず鴨居かもいに頭をぶつけちまう。ばあちゃんちだけじゃない。あちこちでぶつける。服買うのだってサイズなかったり……靴なんか最悪だ」


 いらだちをあらわにした口調で、ひとしきり背が高いなりの苦労を語った先輩は、ふいに柔らかい声になって、私の頭をポンポンと叩く。

「だいたい小さいって可愛いから、得だよ」

「いや、いくら小っちゃくても、元が可愛くなきゃダメですよ」

「千月は可愛いぞ」

 なぐさめだ。わかっていても頬が熱くなる。絶対に顔が赤い。暗くてよかった。

「あ~、可愛い。よしよし」

 頭をなでなでされた。犬にでもするみたいに。なぐさめじゃなくて、おちょくられている!


 と、彼の口調が急に真面目なものに変わった。

「見えるってのも、背が低いってのも、個性だ。色々な人間がいて、様々さまざまな個性がある。人類はその個性をいかして互いに補い合って生き延びてきた。だから俺にもバケモノが見えるように、これからも手を繋いでくれ」

 うなずきながら、安心感が広がっていく。先輩は、これからも妖怪退治を続けてくれるのだ。何の得にもならないのに。

 私、先輩と手を繋ぐのが怖いんじゃない。人の目が怖いんだ。


「あ~、今日も御札貼れてすっきりしたな~」

 チラリと隣を見上げれば、本当にすっきりした様子で、夜空に顔を向けニコニコしている。

 トヨサト先輩が眩しい。

 私も猛烈にうれしくなってくる。妖怪退治の成功を、こんなにも喜ぶ人が隣にいるから、伝染したのかもしれない。


 胸がキュンとなって苦しい。身体がふわふわして熱い。

 ああ、この感覚は……私、恋してる。

 この瞬間、トヨサト先輩が好きだとはっきり自覚した。


 マズい……。

 トキメキを振り払うように、小さく頭を振る。

 私はちゃんとわかっている。自分が彼の恋愛対象になることなんか、ありえない。

 私たちは、ただの仲間。いくら彼が親しく接してくれたって、おめでたい勘違いなんかしない。

 この恋心は絶対に表には出してはダメ。そうしなければ、大切な仲間を失ってしまう。

 つま先を見つめて、ぎゅっと唇を噛み、強く心に刻んだ帰り道だった。


「あっ! 洗濯物」

 帰宅一番、私は慌ててベランダの窓を開けた。そこへ、「ガ」と一声降ってきた。

「え? ガ次郎?」

 やみに同化していたカラスが、テコテコと物干し竿ざおの上を伝わって出てきた。急いでサンダルをつっかけると、ガ次郎が「ガァ」と小さく鳴いて、竿の上から私をのぞき込む。

「来てたんだ。遅くなってゴメンね」

 手を伸ばして首の後ろをなでると、気持ちよさそうに目を閉じる。

 ふふ、可愛い。


 大急ぎで、ガ次郎の好物のソーセージと水を用意する。がつがつと食らいつくガ次郎を横目に、彼の脚につけられた木筒きづつから取り出した丸まった紙片を伸ばす。数枚の御札おふだと、祖母からの黒々とした墨文字のメッセージが、今日も入っていた。

『御札貼りにはげんでいる様子、大変感心しました。たまには遊びに来なさい』

 そっか。この前、二体浄化した、って知らせたから、こうしてまたガ次郎を飛ばしてくれたんだ。


 祖母の住む富士山の方角を眺めてはっとした。当然だけど真っ暗だ。

「ガ次郎、今日はここに泊まっていきな」

 ところが、顔を上げたガ次郎は、「ガー」と低く鳴き、脚を突き出すではないか。

 帰ると言っている。

「暗くても大丈夫なの?」

 くりくりとした目で私の顔を見つめてくる。

「そっか、わかった。バア様にすぐ返事書くね」

『協力してくれる手眼者のおかげで、あれからまた二体に御札を貼りました。近いうちに遊びに行くね』

 木筒にメモ用紙を入れると、ガ次郎はすぐさまベランダの手すりに止まり、「ガガ」と別れの泣き声をあげた。


 ガ次郎の姿が夜空に溶けるまで見送って、窓を閉めた。

 ガ次郎は普段から夜も飛び回っている。鳥って夜は目が見えなくなるかと思ってたけど、案外平気なのかな?

 力強く飛び去ったガ次郎の姿には、不安を感じさせるところはない。私はちょっとだけ首を捻りながらも安堵した。


「さぁてと、夕ご飯のしたくでもするか」

 私の父は隣の市にあるデパートで働いている。どうせ今日の帰宅も遅いから、急ぐ必要はない。

 のんびりと野菜を刻んでいると、思うのはトヨサト先輩のことばかり。


 網剪あみきりへの御札の貼り方も、公園でのジャンプにもほんと驚いた。抜群の身体能力だけでなく、立派な体躯で、頭もよく、正義感あふれている。彼は、手眼者として申し分ない。あれ以上のパートナーは望めない。


 でもな~、欲を言えば、もうちょっと目立たない人だったらよかったのに……。

 カッコよすぎるせいで、色々と弊害へいがいが生じてしまう。

 ファンの嫉妬しっと心とか、私の恋心とか……。


 ふいに『手を繋ぐ』という言葉を耳が拾った。つけっぱなしのテレビに目をやると、アイドルの握手券が入ったCDを、大量に万引きした若者が捕まった、と言っている。

 現場のCDショップ前だろうか? いきどおりをあらわにした男性が、インタビューに答えていた。


 ――自分は、ちゃんとお金払ってCDを購入してるんです。しと手を繋ぎたいなら当たり前ですよね? 本当のファンだったらお金を使うべきでは? 自分なんか、これまでに百万以上使ってますが? 

 

 メガネをくいっと上げ、ものすごい早口でしゃべる彼は、お世辞にも清潔とは言い難い。

「どうせ手を繋ぐんなら、先輩みたいな美形でラッキーか」

 可愛い子と手を繋ぎたいがために罪を犯す人間がいる。百万払う人だっているというのに、私はイケメンとタダで手を繋いでいる。

 これ以上贅沢ぜいたくを言ったらバチが当たりそうだ。


 なんのメリットもないのに、果敢かかんにバケモノに立ち向かい、私を引っ張ってくれる人。彼が一緒だと、妖怪退治は百万倍もスムーズになる。

 どんくさい私のことを哀れんだ神様が使わしてくれた、戦いの神の化身みたいだ。


 トヨサト先輩、私の前に現れてくれてありがとう。

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妖しい女子高生 河村 珀 @rinjin2gou

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