第5話 正面突破


 倉庫の片方の引き戸が開けられ、中に入っていく男子生徒の背中が見えた。小窓に食らいついて倉庫内をにらんだが、網剪あみきりらしき姿はない。

 すぐにガラガラという音が聞こえ、先ほどの男子生徒が、得点板を引きずりながら出てきた。

 閉めないで!

 願いむなしく、彼は後ろ手に引き戸を閉めてしまう。

 ゴロゴロゴロゴロ……ターン。

 音を立てて二枚の戸が真ん中でぶつかり――、なんと、その反動で再び開いていくではないか。

 男子生徒は振り返ることもなく、得点板を運んでいく。


「よし!」

 トヨサト先輩が小さく叫んだ。

 ほどなくしてホイッスルが鳴り響き、目の前で男子バレー部の試合形式の練習が始まった。

 倉庫の扉は一メートルばかり開けっ放しのままだ。


「いた!」

「います!」

 二人同時に、押し殺した声を上げた。暗い赤色が倉庫の左奥から扉付近まで出てきたのだ。

「やっぱりここだった」

 住処すみかは倉庫、という推測が正しかったとわかり、ちょっとうれしくなる。


 ダダダダダッ、ボーーーン!

 走ってきた部員が、倉庫近くでボールを受けると、さっと赤色が引っ込んだ。

 しばらく観察していたが、網剪あみきりは同じような動きを繰り返している。引き戸付近まで出てはくるものの、誰かが近寄ると中に戻ってしまう。時には、ホイッスルの音にまで反応しては引っ込んでいく。


 ちっ、とトヨサト先輩が舌打したうちした。

「なんだアイツは。ハサミがあることしかわからん」

臆病おくびょう……なんでしょうか?」

「臆病? バケモノのくせに?」

「人間と一緒で、ヤツらにも性格があるんです」


 以前、網剪を見たときの状況はもちろん覚えていた。私は、すぐ右側にある裏口ドアに顔を向け、先輩に説明する。

「前に私がアイツを見たのは、そこから入ったときです。開けたとたんにサササーッて倉庫に逃げ込んじゃって。また出てくるかもって、ビクビクしてたんですけど、結局引っ込んだままでした。私が入るまで体育館は無人だったんで、人がいると出てこないんじゃないですか? 網剪、ビビリなんですよ。きっと」


 私の話を聞くと、先輩は苦笑いを浮かべて、すぐさま立ち上がった。

「おいおい、あの裏口ドアのほうが倉庫内がよく見えるんじゃないのか?」

 ああ、そうかも! 

 裏口のドアを開けると、すぐ右斜め前が倉庫の引き戸だ。角度的に、ここより網剪のいる左奥がよく見えるはず。

 私たちはすぐさま移動した。


 裏口ドアのノブを、トヨサト先輩がそっと回し、小さく手前に引く。微かな音が鳴ったが、中の活動音のほうが遥かに大きい。

 細く開けたドアから先輩がのぞく。私は手を繋いだまま、彼の後ろで待機だ。


 キュキュッ! ボン! バシーン! ピー! ナイスー! ドンマイ! 


 こうしていても、バレー部男子の練習が、大いに盛り上がっていることしか私にはわからない。


「なるほど、なるほど……」

 小さくうなずく先輩の手をちょっと引っぱってお願いした。

「私にも見せてください」

 無視。

 そして私と交代することなく、彼はドアを閉めてしまった。

「せぇんぱぁい……」

 むくれ顔でトヨサト先輩を見上げる。

 私なんかどうせ役に立たない。だから見てもムダ……ってこと?

 せっかくやる気になったのに、はなから戦力外通告されると落ち込む。


「まあまあ」と、彼は石段に座り込み、私に隣に座るように促してから、ひそひそ声で言う。

「あれはかにだ。千月の見まちがいじゃない」

「え? 蟹でした?」

「ああ。甲羅こうらに長い枯草みたいなものがくっついてて、それをずるずる引きずっているんだ」

「枯草?」

 私はカクンと首を倒す。イメージがわかない。

「昔話の亀を思い出せ。甲羅からしっぽみたいなふさふさした緑色のものが生えてるだろう?」

「あー、あれ」

 浦島太郎が亀に乗っているシーンがポンと浮かんだ。

「そう、あれだ。甲羅から長いしっぽを生やした蟹が、ザリガニみたいに見えたのかもな」

 その説に納得して「なるほど」とうなずく。ようやくバケモノの名前も姿もくっきりした。


 そうこうしているうちに、体育館内の雰囲気が変わったことに気が付いた。どうやら部活が終わったみたいだ。時間を確認すると、六時半をまわっている。

「千月、いま御札おふだ持ってるか?」

 私はジャケットの裏ポケットから、御札を取り出した。いつでも妖怪退治ができるように、今日からここにも入れていた。バケモノから逃げない、という決意の表れだ。

「できれば今、あの蟹を始末したい。時間は大丈夫か?」

「はい」

 と答えたものの、不安になる。

 いったいどうやって、体育館に残るつもり? 

 生徒の完全下校は七時。校門が閉まってしまうのに。

「お前はここにいてくれ」

 そう言い置くと彼は裏口を開け、「よう!」と言いながら体育館に入っていった。

 私はドアに身を寄せ、耳を澄ます。


 ――ちわ! 

 ――先輩、久しぶりです。

 ――どうしたんすか?

 次々と声が投げかけられていく。

 ――ちょっとボールに触りたくなってな。

 ――え? もう時間ないっすよ。

 ――ああ、わかってる。お前らは片付けを続けてくれ。ちょっと遊んで帰るから、鍵を貸してくれないか。俺が返しておく。

 なるほど。

 なんて思いながら聞いている間に、次々に窓が閉められ、カチッと音がして、目の前のドアにも鍵がかけられた。


 ――先輩、付き合いますよ!

 ――いや、一人にしてくれ。

 そのセリフのあとは、失礼します、とか、さよなら、がひとしきり聞こえ、静かになった。

 すぐに小さな音を立てて鍵が解除され、裏口のドアが開いた。中に入ろうとすると、先輩に止められる。 

「千月はここで見ていてくれ。とりあえず、俺一人でやってみる。できる限り、女の子を危険な目に合わせたくない」

「え、でも――」

 女の子扱いに胸がときめいたが、今の私はやる気にあふれているのだ。

「しっ!」

 人差し指を唇に当てながら、先輩はきつい視線を私にくらわせた。有無を言わせぬ雰囲気は、殺気すら感じさせる。私はおとなしくここに突っ立っていることにした。


 片方の手に御札を持ち、もう片方で私の手を握ったトヨサト先輩は、裏口ドアに半分隠れたまま、険しい顔で倉庫をにらみ続ける。

 三十秒ほど経っただろうか。静まり返った体育館にカサカサという音が流れ、全開にしてあった倉庫の出入口に網剪が姿を現した。

 私は息をのんで、大きく目を見開いた。

 先輩が言った通り、ヤツは大きな蟹だった。バカでかいハサミに背中がぞわっとなる。

 なるほど。確かに甲羅こうらに生えたボサボサをしっぽのように引きずっている。いかにも警戒しているといった感じで、目と目の間にある触覚しょっかくみたいなものをぴこぴこと動かし続けている。


 シャカシャカ。

 こちらに甲羅を見せながら、横歩きで倉庫から出てきた網剪は、一メートルも進まないうちに止まってしまう。しばらく静止していたヤツが向きを変え、倉庫側に甲羅を向けた瞬間、それまで微動だにもせず立っていた先輩が、ダッと走り出した。


 網剪の飛び出した小さな目が、どこを見ているのかわからない。だが、すぐさま体を低くし、向きを変え始めた。

 しかし私に再び甲羅が見えたときにはもう、ヤツの身体の下に滑り込んだ先輩が、そこに御札を貼り終えていた。


「すごっ……」

 思わず声がもれ出す。

 網剪に向って一直線ダッシュなんて! そんなやり方あり!? 

 怖いものなしの姿に感動を覚える。あんなにも大きな蟹、ハサミだって規格外だもの、めっちゃ恐ろしいのに。いつの日か私も、ああいうカッコいい妖怪退治がしてみたい。


 網剪は、ハサミを下げておなかを隠すみたいに前でたたみ、横歩きで倉庫の中に逃げ込んでいく。

 トヨサト先輩が、網剪を追って中に飛び込んだ。ほんの一瞬で片が付いてしまったから、まだ見えているようだ。手を離してから十秒も経ってないかもしれない。

 私も慌てて後を追って倉庫に忍び込むと、先輩に手招きされる。行って手を繋ぐと、先輩が左奥をあごで指した。


「そいつがビビリのうえ、横歩きで助かったよ」

 網剪は、倉庫の隅で小さくなっている。

「あっ、横歩きだから、お腹に向かって真っすぐ突っ込んだんですか?」

「うん。逃げるために横を向こうとする、と予測して、そこを狙った。動きが早いからその一瞬にけたんだ」

 ドアの隙間から観察していたあの短時間で、さらりとそんな計画を思いつき、スマートに成功させるなんて。いつの日か私も――なんて思ったけど、どんなに経験を積んでも、たとえ修行に出ても到底マネできそうにない。


「御札の場所はあそこでOKだろ?」

 とにかく感心していた私は、何度もうなずいて笑顔で先輩をほめたたえた。

「もちろんです、先輩! 最適な場所です」

 あそこなら目が飛び出していても見えないし、ハサミだって届かない。

「めっちゃ貼りにくい場所なのに、手際よすぎ! ほんとすごい」

小袖こそでの手で学習したからな。また目が飛び出してるタイプだったなぁ」

 照れ笑い? それとも苦笑いだろうか。トヨサト先輩も嬉しそうに目じりを下げた。


 首を伸ばして、恐る恐る網剪を眺めてみた。うずくまる姿は、人間が頭を抱えてしゃがみ込んでいるかのようだ。よく見ると、ぷるぷると小刻みに震えているではないか。

「かわいそうなぐらいビビッてますね」

 これからは静かに生きてもらいたい。

「もう網を切るなよ」

 最後に先輩が声をかけ、私たちは倉庫の扉を閉めた。


 体育教官室に鍵を返却し、私たちは急ぎ足で教室に向かった。荷物を手に校門をくぐったのは、七時二分前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る