第4話 呪われた運命

 鋭い目つきで体育館中を眺めまわしながら、先輩がもどかしそうにこぼす。

「見当たらないな」

「そうですね。……あっ、私、体育倉庫に入って行くところを見たんです。もしかしたら、倉庫が住処すみかなのかも」

「倉庫……」

 そうつぶやいた先輩は、いかにも思い当たることがあるという顔つきで、ふんふんとうなずいた。


 倉庫はここから見てすぐ右側の壁面にある。しかし、倉庫の出入り口である大きな二枚の引き戸は、真ん中でピタリと合わさっていた。窓はないので、あの引き戸を開けない限り、中の様子は見られない。

 体育館では大勢の生徒が部活にはげんでいる。そんななか、私と先輩が一緒に倉庫を探るのはどう考えても不自然だ。

 あきらめたのか、私の手を離したトヨサト先輩は、小窓のすぐ横にある裏口の前にある石段に腰かけ、大きく息をはいた。仕方がないので、私も隣に腰を下ろすと、彼がたずねてくる。


「なんていう妖怪かわかってるのか?」

 私は「たぶん」と答える。

 一度しか目撃していないけど、姿かたちから推測はできる。

「大きなかにのバケモノだから、蟹坊主かにぼうずじゃないかと思います」

「蟹坊主か。どんなヤツだ?」

「えぇっと、寺に住み着いて、そこの住職に化けて、旅の僧なんかに問答もんどうを出すみたいです」

「問答?」

「はい。クイズですね。解けない人をハサミで殴り殺すって言われてます」

「ハサミで殴り殺す? ピンとこないなぁ」

「でも、そう伝わってますけど……」

「千月、お前、目は悪くないんだったな」

 トヨサト先輩はそう言うと、小窓を指差した。

「天井から下がってる間仕切まじきりネットを見てみな」


 私はすぐさま小窓の前に戻り、格子を両手でつかんで顔を寄せ、体育館の真ん中を仕切る大きなグリーンのネットを見上げた。

 ボールが飛んでいかないように、手前のバレー部と奥のバスケ部との間に引かれている。天井付近のワイヤーでられた部分から、すっと視線を下に滑らせてぎょっとした。

 男子部員たちの頭の辺りまでが、ぼろぼろだったからだ。床から二メートルほどには多数の修繕跡しゅうぜんあとがあり、一部は紐状ひもじょうになったままだ。体育の授業中は、すみでまとめられているので知らなかった。


「ひどい……」

 私は唖然あぜんとしたまま、石段に戻って座り込んだ。先輩は「だろう?」と乱暴にはき捨て、おもむろに説明を始めた。

「直しても直しても、いつの間にか切られちまう。ネットの修理はバスケ部とバレー部の一年生の仕事になってるけどイタチごっこだ。タチの悪いいたずらだって言われてるけど、その蟹の仕業じゃないか? でっかい蟹ってことは、大きなハサミがあるんだろ?」

 私は重苦しい気分で、「はい」とうなずいた。

 思い返すまでもない。大きな赤いハサミを見たから、でっかい蟹だ、と思ったのだから。


「さっき、倉庫が住処かもしれない、って言ったよな。それを聞いてもしかしたらって思ったんだが、実はバレー部にはおかしな決まりがある」

 先輩は固い声で続ける。

「バレーのネットを倉庫にしまうときは袋に入れてしっかり口を閉じること」

「えっ、それって……」

 間仕切りネットの惨状と重なった。

「むき出しのままだと、ネットが切られるからですか?」

「ああ、たぶん」

 先輩は苦い顔で肯定する。

「道具を大切にしろ、っていう教えだと思ってたけど、そっちの可能性のほうが高いだろう?」

 私はぎゅっと目を閉じて首を縦に振り、そのままうなだれてしまった。

 また自分がなにもしなかった結果だ……。

 今日もその事実を突きつけられ、唇を噛む。


「過去にバレーネットがダメになった経験から、そんな面倒な決まりごとが生まれた。――だとしたら、でっかい蟹はずっとここにいて悪さをしていたのかもしれないな」

 先輩の声を聞きながら、演劇部の写真に写っていた顧問の姿を思い浮かべていた。あの先生がいた間は、この体育館だって平和だったはずだ。

 罪悪感に顔を上げることができない。身を固くしてうつむいたまま、私は謝罪の言葉を口にした。

「あの演劇部の顧問がいた間はおとなしかったはずです。私……すいません。蟹を見ていたくせになにもしなくて」


 先輩はしばらく黙り込んだあと、ため息まじりで言った。

「なあ、千月。俺は、自分の推測を話しただけだ。お前を責めているわけじゃない」

 彼は、うなだれたままの私のオデコをぐいっとつかみ、無理やり上を向かせる。

「いいか、よく聞け、千月」

 そう前置きして、彼は語り始めた。


「俺の父親もこの学校のバレー部員だった。三十年以上前のことだ。でな、当時も同じ決まりがあったそうだ。つまり、それより前から蟹はここにいて、バレーネットが切られていた。だから、ネットを袋にしまえ、なんて決まりが三十年前にもあったんじゃないのか?」

「そう……なりますね」

 私の返事を聞いて、先輩は大きくうなずいた。

「演劇部の顧問がいたのは、二十年前から十年前まで。御札の効力がそのあと五年続いたと仮定しよう。その間は平和だったかもしれない。でもな、顧問の赴任ふにん前にも、妖怪退治をする者が誰もいなくて、邪悪化したバケモノが野放しのままになっていた期間があったんだよ」

「あ、そっか……」

 私が気の抜けた声を出すと、先輩は私にぐっと顔を寄せて、目をのぞき込んでくる。


「バケモノどもがしでかす悪さは、千月のせいじゃない」

 きっぱりと言い切られ、ぶわっ、と胸の奥が熱くなる。

 トヨサト先輩は、ゆっくりさとすように私に言う。

「千月のせいじゃないが、妖怪退治はお前に与えられた使命だ。それから、俺の使命は、お前と一緒に戦うこと。なんせ俺一人じゃ見えないんだからな」

 彼は私の頭にポンと手を置き、語気を強くした。

「俺たちは仲間だ! それを忘れんな!」

 肩から力が抜けていく。


 自分でも、私は妖怪退治をしなければならない運命にある、とどこかで諦めていた。もちろん、私にとって呪われた運命だ。いつだって逃げることばかり考えていた。だけど、いくら逃げても後ろめたさは残ったままだった。

 ほんの数日前、トヨサト先輩と出会って、私は逃げられなくなった。そして、逃げてきたツケをの当たりにして、もう逃げないと決めた。逃げないと決めた私には仲間がいる。しかもとてつもなく頼もしい仲間だ。

 嬉しくて涙がにじんでくる。やる気がボワンと膨らんだ。私ったら単純。


「今度は俺たちが御札を貼る番だな。その蟹坊主ってヤツに。さあ、やるぞ! 千月!」

 私を鼓舞こぶする先輩の明るい声を聞きながら、なにかが頭のすみに引っかかった。


「蟹坊主……。ん? 先輩、ちょっと待って……」

 私は、宙を見すえたままつぶやいた。

「でっかい蟹……、赤いハサミ……、ネット」

 脳内にインプットしてあるバケモノ情報を必死で探る。

「あああ! ――あみ! ネットはあみです! 先輩」


『網』という文字に続いて、庭木の剪定せんてい剪定せんていバサミの『剪』という文字がポンと浮かんだ。『せん』ではなく『きり』と読む。

網剪あみきりです! 漢字の網に、剪定バサミのせんと書いてアミキリ」

「アミキリかぁ。なるほど。蟹坊主じゃなくてそっちだろう」

 トヨサト先輩はすっきりした顔で微笑んだ。


「はい。まちがいないでしょう。網剪は、もっと、こう……胴体が長くて、ザリガニっぽい見た目なんですけど、なにせ昔の絵ですからあやふやです。しかも、まさか体育館にいるなんて……」

「どんなヤツ、って聞くまでもないな。名前を聞いただけで、どんな行動を取るか一発でわかるな」

「そうですね。漁師の網を切るバケモノで、網を隠したら蚊帳かやを切ったって言われてます」

「漁師の網か。海がないこの街には、そんなもんないよなぁ。蚊帳だって、子どものころ、ひいばあちゃんちで見たきりだ」

「でも体育館には、間仕切りネットもバレーネットもあった」

「けっこう網ってあるんだなあ」

 しみじみとつぶやいた先輩は、そこで「あっ!」と、声を上げた。

「あぁ……、あれも犠牲になってる」

「なんですか?」

「舞台のカーテン。えぇっと、緞帳どんちょうだっけ?」

 私は慌てて小窓に近寄り、左の方にある舞台に顔を向けた。そこにかかるエンジ色の緞帳に目を凝らす。

 分厚い布のふちに、金色のふさが付いている。距離があったけど、金色のひもが何本も垂れ下がって、痛んでいるのが見て取れた。

「あーぁ、あんなものまで切っちゃって……。いがいにも体育館て網剪にとっては楽園なんですね」 

 先輩が腕組みして言う。

「なるほどな。いい住処ってわけだ」


 ゴロゴロゴロゴロ……

 そのとき、体育館の中から音が聞こえてきた。私たちはそろって裏口ドアを振り返り、ぱっと顔を見合わせる。

「倉庫の扉が開く音だ!」

「はい!」

 二人で小窓に飛びつき、手を繋いだ。

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