第2話 体育館裏

「お~い!」

 振り向くと、男子生徒が大きく手を振っている。それは豊田とよだ三兄弟の末っ子である一年生の豊田淳士あつし、通称トヨアツ君だった。


「ト、トヨアツ、くん……?」

 ロングが動揺したようにもらす。

 トヨアツ君は、転がるようにこちらに走って来ると、ニコニコと私に笑いかけた。

見夜みやちゃん、昨日のシフォンケーキ、すっごくおいしかったね」

 とろけるような甘い笑顔。

 彼は、西甲斐せいかい高校の男子生徒の中で、ナンバーワンの可愛さを誇っている。いやし系とかワンコ系男子が好きな女子から、ぶっちぎりの人気がある。背は低いけど、甘いマスクに薄茶のサラサラヘアのアイドルタイプだ。


 昨日の放課後、豊田家には五月さんとトヨサト先輩だけでなく、トヨアツ君もいたのだ。もともと人懐ひとなつこい性格なのだろう。すぐに私たちは打ち解け合った。彼は、キャッキャッと歓声をあげながらケーキ作りに参加し、最後は写真えするように、とオギノヤまで飾りのミントを買いに走ったほど、女子力の高い男子だった。


 ここで豊田家の人々についてちょっと説明しよう。

 豊田家の三兄弟の通称は、長男の悦士えつし先輩が、ある俳優にちなんで『トヨエツ』と呼ばれ、その流れで、次男の聡士さとし先輩が『トヨサト』、三男の敦士君が『トヨアツ』となったらしい。三人ともイケメンだけど、全くタイプが違う。トヨエツ先輩は父母両方のいいとこ取り、トヨサト先輩は父親、トヨアツ君は母親に似ている、と五月さんが言っていた。父の広士ひろしさんは単身赴任中、大学生のトヨエツ先輩は東京で一人暮らしをしているそうだ。


 トヨアツ君が、三年女子の二人組を見ながら小首を傾げた。

「お友だち?」

「違う違う、この二人はね――」

「うおっほん!」

 ショートがでっかいせきをして、私の言葉をさえぎった。余計なことを言うなという脅しだ。

 これ以上、恨まれちゃかなわないので、無難な返事を心がける。

「三年生の先輩。トヨサト先輩の知り合いだよ」

「へえ、そっか。サトにいがお世話になってます」

 くったくなく微笑むトヨアツ君に、動揺を隠しきれない二人は視線をさまよわせながら、「いや」とか「そんな」なんて言葉を濁している。


「見夜ちゃん、今度はいつうちに来るの?」

「う~ん、五月さんに予定を聞いてみないと」

「僕からもお母さんに聞いてみるね。見夜ちゃん、なるべく早く来て」

 そうねだったあと、トヨアツ君はもじもじしながら言う。

「えっと、それでね、今度はフィナンシェがいいな。僕、大好きなんだ」

 可愛すぎるぞ!

 私は頬をだらしなくゆるませながら、こっくりとうなずいた。それからトヨアツ君は、昨日焼いたシフォンケーキがいかにおいしかったかをショートとロングに話して聞かせ、

「おじゃましてゴメンなさい。じゃ、またね!」

 と、胸のところで、フルフルと手を振った。

 トヨアツ君が去るのを、三人そろって見送った。


「んんっ……」

 再びショートが咳払いをし、現実に引き戻される。

「母親と友人、というのは本当なんだな」

 私は大きくうなずいてみせた。これでやっと開放される、と思ったが甘かった。

「母親の友だちと手を繋ぐ理由ってなによ?」

 険しい表情のロングが、唇をわなわなと震わせて言った。

「おひめさまっこだってされたのよね?」

 違う。お姫さまじゃない。おこめさまだ。

 ぶんぶんと首を左右に振ると、罵声ばせいが飛んできた。

「この、ウソつきブス! ちゃんと目撃者に確認したのよ!」


 憎しみのこもった目が怖すぎて後ずさると、ロングが詰め寄ってくる。

 しまった……、立ち位置をまちがえた。

 背後は体育館の壁、前には二人が立ちふさがっている。特に、ガタイのいいショートの圧迫感が半端ない。日焼けした肌と広い肩幅。絶対ソフトボール部だったに違いない。

 そのショートが、周囲をチラと確認してから、低い声で脅してきた。

「黙ってないでちゃんと説明してみな。どんな手を使ったのか」

「どんな手って……」

「汚い手、使ったんでしょ! 弱み握って、脅して、手を繋いだり抱っこしてもらったりしたんじゃないの!?」

「まさか!」

「じゃあ、私たちが納得できる理由を言ってみなよ」

 日に焼けた黒い顔と、厚化粧の白い顔に迫られ、なにか言おうと取りあえず唇を動かす。


「え~っとぉ、私とぉ、手を繋いだらぁ……」

「手を繋いだら?」

 二人ににらまれ、首を縮めた私の口から滑り出したのは、真実の前半部分だった。

「ビリッとするから、かな?」

 そしてバケモノが見える――という後半部分は口にできない。

「ビリッて……あれか?」

 眉をひそめたショートが低い声を出す。彼女は、そこで一呼吸置いてから続けた。

「恋に落ちた瞬間に電気が走った、みたいな?」

「そんな……!」

 ロングが絶望的な顔をする。


「いやいやいや、違いますって! 静電気みたいなものです」

「トヨサト君は静電気の刺激が好きなのか?」

 ショートがあっけにとられた顔で言うと、ロングが暗い声でそれを受けた。

「私、静電気体質じゃない……」

 そうつぶやくなり、いきなり私の腕を取ってカーディガンを引っ張り上げ、彼女は手を握ってきた。

 ビリビリしない。

 よかった。

「どれ、貸してみな」

 今度はショートが私の手を取った。やっぱりピリともこない。

 そう簡単に手眼者しゅがんしゃは転がっていない。

 ロングが目を吊り上げ、ヒステリックに叫ぶ。

「私、いつだってハンドクリームでお手入れしてるのよ! この子の手、めっちゃガサガサ! こんなの真似できない!」

 失礼な。手荒れは主婦の勲章くんしょうだ。


 そのときポケットの中でスマートフォンが鳴り出した。液晶に『トヨサト先輩』と浮かんでいる。

 ここから抜け出せるかも!

 根拠はなかったけど、この状況にうんざりしていた私は、瞬時に通話ボタンに触れたのだった。

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