第6話 中二病

 トヨサト先輩から、小袖こそでの手の浄化成功の報告を受けてから半日。

 どうやら私はそれなりの有名人になってしまったようだ。私に対する周囲の異常な関心は、もちろんトヨサト先輩のせいである。

 あれだけ目立つ行動をとられてしまっては、やっぱり……という他ない。

 方々ほうぼうから自分に向けられる視線が辛い。視線というものは目に見えないのに、自分に向けられていることがわかってしまうのはなぜだろう?


 空気みたいな存在に戻りたい。

 昼休みの終了間際、私はそんなことを切に願いながら、生物室のある北館に向かってこそこそと進んでいた。


 隣を歩く梨沙りさが、「はあっ」と聞えよがしなため息をついたあと、「なあ、見夜みや」と話しかけてくる。

「おヌシは今、注目のマトなんだから、中二病ちゅうにびょうは控えたほうがかしこいのではないか?」

 背中を丸め、顔をおおうように生物の教科書を抱えた私は、「へ?」と梨沙をあおぎぎ見る。

「私が言うのもナンだが、そなたの指、そうとうイタイやつに見えるぞ」

 梨沙は横目で、教科書を持つ私の手を眺めていた。慌てて、カーディガンからはみ出していた指先を隠す。

「指六本にバンソーコーとか、飾りすぎであろう」

「これ、中二ちゅうにじゃないよ」

「は? まさかマジでケガをしているとでも言うつもりか?」

 こくりとうなずくと、「ほ~お」と、あきれ声が頭上に降ってきた。


「一体全体どうやったらそんなケガを負うことができるんだ? 教えてくれ」

「え……っと。猫。あのね、猫に引っかかれたんだよ。私」

 とっさについたウソにしてはリアリティーがある、と自分では思ったが、梨沙は「ふ~ん」と、うさんくさそうな目を向けてくる。

 彼女は大きく首を動かしてまわりの様子を確認したあと、百六十五センチの長身で私を隠すように胸を張った。

「ま、このウザい視線は、放送部の二人に任せておけば大丈夫だ」

 すでに梨沙からは、先輩との関わりについて尋問じんもんを受けている。それに対して私は次のように説明した。


 公園で転んでびしょ濡れになったところを、トヨサト先輩に助けてもらい、家におじゃました。そのとき、先輩のお母さんと料理の話で気が合い、友だちになった。お母さんからの伝言を私に伝えるため、先輩は二年三組に現れた。話が済んでの別れぎわ、私がコケて足を痛め、親切な先輩が保健室まで運んでくれた。


 バケモノ関係はもちろん端折はしょっているし、わずかな捏造ねつぞうが入るが、無理のないストーリーに仕上がっていると思う。


「確かに見夜は転びやすい傾向にある」

 話を聞いた梨沙は、深くうなずいってそう言ったあと、私の話を簡潔にまとめた。

「つまり見夜にとって、トヨサト先輩は友人の息子、ということになるわけだな」

 それから彼女は、どこぞの探偵みたいに両手の指先を合わせ、考えるそぶりを見せたあと、同じクラスの放送部の男子二人に声をかけた。演劇部の今年の記念写真に写っていた例の二人だ。


「トヨサト先輩の母親と千月見夜は友人。この話を可及的かきゅうてき速やかに広めてもらいたい」

 二人は快く引き受けてくれた。

「なんなら校内放送してやるけど」

 とまで申し出てくれたが、それはつつしんでお断りさせていただいた。


「人のうわさもなんとやらだ。みんなすぐ飽きる。トヨサトファンが怖いが、見夜が母親の友だちだとわかれば、おかしな手出しはできんはず。見夜から母親に伝わり、それが本人に伝わっては困るからな」

 オタク気質だったり、口調にちょっとクセがあったりするけど、梨沙は頼りになる。

 

 そんな彼女と仲良くなったきっかけは、私のケガだった。

 かつて中二病を患っていた梨沙は、高校に入学してすぐに、眼帯や包帯、絆創膏なんてアイテムを堂々と身にまとう私に目を付けたそうだ。そして私のことを、高校生になってまで中二病を貫く『小さな猛者もさ』だと感銘し、声をかけてくれたそうな。それをきっかけに私たちは友だちになったのだった。


 ようやく待ち望んだ放課後になり、私は勇んで豊田家を訪問した。針のむしろに座っているような一日だったせいもあってか、五月さんとの時間は、砂漠の中のオアシスのごとく心安らかなひと時だった。

 約束通りシフォンケーキを焼いただけでなく、唐揚げと小松菜の煮びたしの手ほどきを受けた。五月さんの手際はさすがで、彼女と料理に取り組むと、あっという間においしいモノができあがった。調理しながらの片付けや、キッチンを汚さない工夫など、参考になることもたくさんで、自分が主婦としてレベルアップしたのを確信している。


 作った料理を土産にもらった帰り道、気づけばふんふんと鼻歌がもれていた。楽しかった時間のせいだけじゃない。だって、これで父の夕ご飯の心配をしなくていいんだもの。


 私の父は、隣の元甲斐もとかい市にあるデパートで働いている。私が幼い頃は、早番勤務を余儀よぎなくされ、残業もできなかった。しかし、今では年相応の地位となり、帰りが遅いのはもちろんのこと、不定期な休日すらほとんど取らずに働き詰めで、家には寝に帰るだけだ。娘としては身体が心配なんだけど、父にとっては、思いきり仕事に打ち込める今の状況は本望ほんもうらしい。

 そんな父との二人暮らし。我が家の家事は、私が一手に引き受けている。一応、食事が私の担当ということになってはいるが、他にも手を出さずにはいられないのが現状だ。

 夕食のレパートリーが乏しいと感じていたけど、もう大丈夫! 私には五月さんがいる! 


 今朝はどんよりとした気分で登校した。でも学校に行ってみたら、トヨサト先輩が小袖こそでの手を浄化してくれていた。

 昼間は視線が突き刺さり、すこぶる居心地が悪かった。けど豊田とよだ家で過ごした放課後はとっても楽しかった。

 私に向けられるあの視線も、梨沙が打ってくれた手でどうにかなるかな?

 なって欲しいな。

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