第4話 お姫……いやお米さま抱っこ

 トヨサト先輩は、わざとらしく足音を立てて物置に近づき、半分開きっぱなしのドアから中の様子をうかがった。そしてそこで、う~ん、と唸る。

「確かにあの着物がある。でもヤツは出てこないぞ。俺たちがいるのに」

 彼の後ろからのぞき込むと、衣装のかかったハンガーラックの一番手前に、写真と同じ小袖こそでがかけられているのが見えた。だが腕はない。

「ヘンですね」


 とりあえず戦闘態勢せんとうたいせいをとったまま、二人でそろりそろりと物置の中に入ってみた。しかし、腕が出てくるどころか小袖はコソとも動かない。先輩が、その辺に落ちていた棒でつついてみても、やはりなにも起こらない。

「これ、ただの衣装、古いだけの着物じゃないのか?」

 気の抜けた声を出したトヨサト先輩に、私は首を横に振った。

 こいつが悪さをしているのは間違いない。

 私の妖気ようきを感じる能力はかなり低い。ちょっとしたことで、妖しい気配をつかみそこねてしまうレベルだ。しかしそんな私でも、この小袖からは凶悪な気を感じる。


「そうか。じゃあなんで出てこないんだ?」

 二人揃って首を捻り、小袖を眺めた。物音もせず、ただ吹奏楽部の練習音がかすかに流れてくるだけだ。

「もしかして……エンタメ要素が足りない?」

 ぽつりと口をついて出た。ラッパの音を聞きながらなんとなくそんな気がしたのだ。トヨサト先輩がはっとした顔をこちらに向けた。


「この階に住み着いているなら、いつも音楽や芝居に触れている。そういうものにかれて出てくる可能性がありそうだ」

 それから彼はとんでもないことを命じてきた。

「千月、歌え」

「えぇ! ……ヤです」

「じゃあ俺がオトリになって歌うから、おまえが御札おふだ貼るか?」

 先輩は、私をからかうようにニヤリと笑い、手に持った御札を押し付けてくる。結局、音楽室に移動して私がピアノを弾き、それでおびき出すことで決着した。

 次の問題は御札をどこにはるかだった。着物のえりの周辺だけでなく、裏表をくまなく探しても、御札の痕跡こんせきが見つからないのだ。


 私たちは例の写真の前に戻って検討した。

「こいつには顔がない。じゃあ、どこでモノを見ているんだ?」

 写真に写るハリボテの長い腕の先、手の部分を、私は人差し指でクルクルと指した。

「壁の向こうで悪さを働くってことは、着物じゃなくて、ここらへんに目があるはずです」

「写真で見る限り目はないが……前に見たときは目に気が付いたのか?」

 私は、「いいえ」とうつむいた。

「前に見たのって、中三の学校見学会のときなんです。私、すぐに音楽室から逃げちゃって……」


 あれは部活動を自由に見学する時間だった。合唱部の歌声を耳にして音楽室に足を踏み入れると、揺れ動く腕が目に飛び込んできた。私は瞬時に目を逸らして逃げ出したのだ。観察なんかする余裕はどこにもなかった。

「そうか。不気味だから仕方がないよな」

 逃げ出した私を、先輩は責めるどころか共感してくれた。ちょっぴり救われた気がする。

 

「とにかく着物には御札が貼られていない。ということは腕だ。じゃあ腕のどこに貼るべきだと思う?」

「う~ん」

 私は唸ってしまう。正直言ってわからない。

 難しい顔をして、自分の手のひらとこうを交互に見比べていた先輩が口を開く。

「手のひらでモノを見てるような気がするな」

「そう……ですね」

「なら御札は甲に貼るべきか?」

 私はじっと自分の手を見つめながら考え込んだ。目で御札が見えなければいいのだから、それで大丈夫な気がする。

「手の甲に御札を貼れば、手のひらにある目は御札を見られない。だから大人しくなると思います。念のため、両手に貼りましょう」

「よし、それでいこう」

 トヨサト先輩の力強い一言で作戦会議は終了し、私たちは音楽室に向かった。


 左手をトヨサト先輩とつないだままの私が、右手だけで弾く童謡の『チューリップ』が二巡目に入ったときだった。

「きた」

 先輩のささやき声で、胸の鼓動が一気に速くなる。もちろん恐怖を感じたが、予想通りに現れてくれたことに安堵あんどもした。

 見えていることを悟られないように、私は顔を上げない。握る手にぐっと力が込められたことから、隣に立つ先輩の緊張が伝わってくる。


「あぶない!」

 トヨサト先輩の叫び声に顔を上げる間もなく、バン! と音を立ててピアノのフタが閉まった。

「ひっ――」

 間一髪かんいっぱつ。目の前で閉まったフタは、私の指先をかすっただけだった。先輩が私の体を抱えてピアノから引き離してくれたおかげだ。床に転がったものの指を骨折せずにすんだ。


「このやろぉ!」

 トヨサト先輩は声を上げ、がっと小袖の手の右腕に飛びついていく。手首をグイッとつかんで捻り上げるやいなや、バチンと音を立てて甲の部分に御札を貼りつけた。さすがの身のこなしだ。

「やった」

 私の口から気の抜けた声がもれた。

 御札を貼られた右腕がフルフルと痙攣けいれんし始める。またたくく間に左腕にも御札が貼られ、二本の腕がヘナヘナとピアノの上にしなだれた。


「妖怪退治、完了」

 満面の笑みを浮かべたトヨサト先輩が、手を差し出してくれる。その笑顔が刺すようにまぶしい。ダメだとわかっていても、胸がトクンと鳴る。

「こいつ、フタのストッパー、外しかた覚えたんだな。あっという間で止められなかった。悪かったな、千月」

「いいえ」

 手を繋いだ瞬間の刺激に、胸の鼓動がますます強くなっていく。先輩の腕で引き起こされながら、意識して彼から目をそらした。

 気を引きしめるんだ、私!

 こと恋愛に関しては、我々の世界は次元が違う。二人の世界が交わることなんかないんだから。


「お前の弾く曲があまりにも幼稚で怒ったのかもな」

 弾んだ声で憎まれ口をたたく先輩は、すっかりリラックスモードだ。私もつとめて軽い調子を装う。

「片手だもの、しょうがないじゃないですか。両手なら私だって、猫ふんじゃったぐらいは弾けるんですからね」

 ぷくっ、と頬を膨らませてみせた私は、気をそらそうとピアノのフタに手をついて小袖の手をのぞき込んだ。


 青い血管の浮いた生々しい腕は、ほっそりして女らしい。それが、ぶるりと震えてちょっと短くなる。てっきり黒板の向こうへ引っ込むのかと思ったそのとき、くっと腕が持ち上がり、左右の手が互いの御札をぺりぺりとはがし合ったではないか。

 御札がひらりと宙を舞い、それが床に落ちる前には、二本の腕がピアノの両側から私の手に迫っていた。

「えっ――」

 フタについた自分の両手を見下ろすと同時に痛みが走る。

 小袖の手は、私の両手に爪を立てて引っかくやいなや、シュルルルッと吸い込まれるように黒板の中に消えてしまった。


「千月!」

 先輩の叫び声が聞こえ、がばっと背中から抱きしめられる。

「び、びっくりした……」

 今更ながらゾクリとした。鳥肌が立っている。

 私をすっぽりと抱え込んだトヨサト先輩は、背後から私の手をつかむと、低くうめいた。

「血が出てる――」

 見れば、白い筋になった傷の上に、小さな血の玉が点々と膨らんでいる。幸いなことに、いつも通りだぶついたカーディガンを着ていたおかげで、指先しか出ていなかった。だから傷は、両手の人差し指、中指、薬指の第二関節の少し上を一筋つらぬいただけですんでいる。

「たいしたことありません」

 軽い引っかき傷だ。猫に引っかかれたほうがもっと酷い。この程度ですんでラッキーだ。

 念のために黒板に視線を走らせたが、小袖の手は出てこない。御札を貼られるのはこりごりだろうし、私を引っかいて気が済んだのかもしれない。


「ほ、保健室だ」

 先輩が、心なしか震える声を出した。

「大丈夫ですよ。洗ってバンソーコーでオッケーです」

「あんなヤツにやられたんだ。……バイ菌とか入ったらまずいだろ!」

 怒鳴るやいなや、トヨサト先輩は私をガバッとかかえ上げて肩にかついだ。そのまますごい勢いで音楽室を飛び出すと、ずんずんと廊下を突き進んでいく。


 こんな姿を周囲に見られたら……ホラーだ! 

 想像しただけで冷汗が出てくる。私は必死になって訴えた。

「先輩! 降ろしてください! 私、噛まれたことだってあるけど、ヘッチャラでした。バイ菌だってアイツらから逃げ出すんです! それか私にはもう免疫できてんです!」

「悪い。俺が甘かった」

 聞く耳を持ってくれない。固い声でわびてくるだけだ。

 先輩のせいじゃない。私だって甘かった。二人とも考え足らずだったのだ。

「お願いだから降ろして~」

 いくら言っても、私を米袋のごとく担いだまま降ろしてくれない。そして彼は来客用エレベーターのボタンを押すと、そこへ飛び乗った。


「これ、生徒が乗っちゃダメですよね?」

「ケガや病気のときは生徒も乗っていいことになっている」

 その通りなんだけど、私のケガってただの引っかき傷だよ。

「重いから降ろしてください」

「お前みたいなチビ、軽いもんだ」

 私の身長は百五十二センチ。どうせチビですよ。私は半べそになって願った。

「降ろしてください~。保健室、ちゃんと行きますから~」

「ケガ人はおとなしく担がれとけ」

 あぁあ……この人、だった。


 保健室のある一階の廊下には、それなりに人影があった。注目を浴びながらそこを運ばれていく。そのときにはあきらめモードで顔を伏せ、こう思うしかなかった。


 おこめさまっこでよかった。お姫さまじゃないだけマシ……。

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