第3話 見えるのは誰?

 様子を探りながらおっかなびっくり部屋の中央まで進んで、二人そろってほっと息をつく。

「大丈夫そうだな」

 もう一度、隅々すみずみまで目を凝らしてみたが、バケモノの気配はない。ただし、廃墟はいきょのごとく散らかっている部室は、怪しい空間に見える。

「いかにもなにかいそうな部屋だなぁ。ここで長いうでを見たんだよな?」

 先輩がひそひそ声でたずねてくる。私は左右に首を振った。

「私、音楽室の黒板から、腕が飛び出しているのを見たことがあるんです」

 それを聞いたとたん、彼は不審をあらわにした。

「やっぱり音楽室じゃないか」

 そう思われるのは当たり前だ。

「でもね先輩、小袖こそでの手は、小袖っていう高級な着物の袖から手だけが出てくる妖怪なんです」

「高級な着物?」

「ええ。着物に執着する女の妖怪だとか、着物の付喪神化つくもがみかだなんて言われてます。でも音楽室に着物はありませんよね? だけど演劇部なら、衣装の着物があってもおかしくありません」

 先輩はぐるりと周囲を見渡した。

「ここには衣装らしきものはない。ということは物置か?」

「たぶん。そこに元凶の小袖があるはずです」

「なるほど。隣か」


 先輩は物置に通じるドアに向かって忍び足を始めたが、なにかに気づいて、すぐに立ち止まった。

「おい、これ――」

 彼が見つめるのは、壁の一角に飾られた数十枚の写真だ。近づいてみると、歴代演劇部の記念写真だとわかった。芝居の舞台をバックに、衣装を身に着けた演者えんじゃだけでなく、ジャージ姿の道具係とおぼしき生徒や顧問も一緒に写っている。演劇部の関係者全員で、毎年、撮影してきたものだと推測される。

「学園祭の舞台ですかね?」

「そのようだな。で、この写真を見てみな。これが小袖の手ってヤツじゃないのか?」


 トヨサト先輩が指差した写真を目にしたとたん、私はぎょっと目をむいた。

 画面中央に着物を羽織った女生徒がおり、その着物の袖から白く長い腕が伸びている。もちろんその腕はハリボテだ。手の部分に長い棒が付けられ、両側に控える黒子くろこ衣装の二人がその棒を持って支えている。

「そう、……そうです。これ小袖の手です」

「やっぱり。この写真は――えぇと十年前のものだな。この年は妖怪、それも小袖の手がメインの芝居だったということか」

 近距離から写真をにらんでいた先輩が、こちらを向いて興奮気味に問いかけてくる。

「偶然だと思うか?」

 私はゆるゆると首を横に振る。すると先輩は自分の推測を口にした。

「偶然じゃないなら、少なくとも十年前から小袖の手は演劇部にいた。しかも関係者の中には、それが見える人物もいた」

 私はこくりとうなずき、十年前の写真を見つめた。眼力者は誰?


「ふぅん」

 写真を眺め回していたトヨサト先輩が小さくうなずきながら言う。

「演劇部が衰退していくさまを、見事に写し出しているな」

 それは私も感じていた。誰が見ても気づくレベルだ。

 十年前までの写真には、おおむね二十名前後が並んで写っている。ところが、ここ五年ほどは減少の一途をたどり、一番新しい写真に写るのは四人きりだ。

 ざわりっ――胸が騒ぐ。


「今年の部員は……顧問を抜いたら三人か」

「いいえ。この男子二人は、放送部員です」

 私と同じクラスだし、学校内で会話をする数少ない男子たちだから、よく知っている。

「じゃあこの二人は助人すけっとか。ということは、演劇部員はたった一人。――そうそう、思い出した。今年の学園祭は一人芝居だった。廃部にならないのは実績があるからだろうな」

 この学校は演劇の強豪校で全国大会の常連だった。南館一階にあるガラスケースには、演劇部が獲得したトロフィーが何本も飾られている。


 眼力者を見つけ出そうと、写真に目を凝らす。すると、すぐにある人物に引っかかった。

「シナリオを書いたのは、この顧問じゃないでしょうか」

 私は、十年前の写真に写る男性を指して言った。

「どうしてそう思うんだ?」

「この先生、二十年前の写真からずっと写っているのに、この十年前の写真を最後にいなくなっています」

 薄い頭髪からしてかなりの年配だ。翌年に定年退職を控え、思い切った行動に出た、と考えられないだろうか。


 小袖の手がいつ演劇部の衣装になったのかはわからないが、この顧問がいた十年間は、彼が適切な管理をしていたに違いない。

 芝居に使われている着物は本物の小袖の手だ。写真を見ただけで、古いが高級な品だとわかるし、かすかな妖気だって感じる。顧問がきちんと御札おふだを貼り直し、弱体化していたからこそ衣装として使えたのだ。

 私が顧問だったら、自分がいなくなったあとが心配だ。誰かに小袖の手を託したい。


「芝居で小袖の手を演じたのは、本物の小袖の手が見える人間を見つけたかったから。ここにも妖怪が見える人間がいるぞ、だから名乗り出てくれ、ってメッセージだったんじゃないでしょうか?」

「見える仲間を探すためだった、というわけか?」

「はい。自分が学校からいなくなる前に後継者を探そうとした。だけど見える者、つまり眼力者がんりきしゃは出てこなかった。そして先生がいなくなって月日が経ち、この学校のバケモノは邪悪化していった」


 やがて見える私が入学した。しかし、私は見て見ぬふりをし続けてしまった。


「御札の効果ってどれぐらいもつものなんだ?」

「バケモノが住み着いている場所の環境にもよりますけど、三年から五年ほどだと言われています」

「なるほど。十年前に見える顧問がいなくなって、それから五年後が今から五年前だ。確かに演劇部の衰退は、そこが始まりになっている」

 トヨサト先輩の言葉がヤリのように刺さる。

「しかもこっち側だけでなく、物置の反対側にある音楽室でも悪さを始めていたんだな」


 先輩は苦々し気に顔をゆがめて言った。

「音楽室は授業に使うだけじゃなくて、合唱部の練習場所でもあったんだ。でも合唱部は去年、廃部になった」

 私はひどく動揺した。自分が逃げてきたことに対するツケの大きさを思い知る。


「先輩……音楽の授業でのおかしなことって?」

 恐る恐るたずねると、先輩は眉間にしわをよせて話し始めた。

「まずは、そうだなぁ。先生がピアノを弾いているとき、いきなりフタが閉まって、指を挟まれた。けっこう酷くてな、指を骨折した」

「え、骨折……」

 続けて彼は、私に左手を差し出して見せた。

「ここな。ほとんど目立たなくなったけど、傷があるだろ?」

 目を凝らすと、左手の甲に二センチほどの薄っすらとした傷が確認できる。

「ギターの授業中にげんが切れて当たったんだ。俺だけじゃない。両隣も、その向こうも弦が切れた。もう少しで目を直撃するところだった生徒もいる」

 ひどい話に血の気が引き、ぎゅっと拳を握った。聞くのが辛い。


「これも小袖の手の仕業しわざだろう?」

 私は「たぶん」と言ってうつむいた。罪悪感に胸が締めつけられ、言葉が滑り出した。

「私がなにもしなかったせいで……すいません」

 灰色の塊に包まれたみたいに、気持ちが沈み込んでいく。


「なに言ってんだ、千月ちづき。芸術科目の履修りしゅうは一年時だぞ。俺が一年生のときの出来事はおまえには止められないだろう」

「でも、私が入学してからも、あの手に痛い目にあわされた生徒がいたに決まってます」

「音楽の時間なら大丈夫だ。ピアノのフタにはストッパーがつけられたし、ギターは後ろで演奏することになった」

「後ろで……演奏?」

「ああ、弦が切れるのはどういうわけか一番前の列だけだった。苦肉の策で先生が一列目に座らないように指示したんだ」


 私はポカンと彼を見上げた。

「そして弦は切れなくなった。当時は狐につままれたような気分だったけど、今にして思えば、小袖の手が腕を伸ばせるのは、一列目までが限界だったんだろう。だからほら、吹奏楽部は部員がいっぱいだ。あそこまで腕は伸びないから」

 とたんに、小さく聞こえてくる楽器の音が意識される。

「吹奏楽部は小袖の魔の手から逃れたってわけだ」

 トヨサト先輩はにやりと笑って見せた。

「やっぱり俺たちの出番だな」

 明るい声を出す先輩に救われた気持ちになる。


 だが次の瞬間、彼は顔を曇らせて言った。

「おい、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

「大丈夫です」

「そうは見えないな。出直すか?」

 一刻も早く小袖の手を弱体化したい。せめて、たった一人の演劇部員だけでも守りたい。

「いいえ。今日、やりましょう」

 きっぱりと言い切ると、心配そうな顔をしながらも、トヨサト先輩はうなずいてくれた。

「じゃあ、実物を拝んでみようぜ。ヤツのリーチは決まってるから、距離を取っていれば安全だろう」

 先輩は、物置のドアにちらっと目をやってからうなずくと、私の手を取った。

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