第6話 幼なじみは式神

 沈みゆく太陽がまだまだ私を明るく照らす中、つま先を見つめながら家にたどり着いた。浴室に直行し、蛇口じゃぐちを全開にして頭からシャワーを浴びる。


 あれ? なんだろう?

 右腕にアザがあるのに気が付いた。ひじのちょっと上が、ぐるりと輪を描くように赤くなっている。


 そうか、フェンスから手を伸ばしたときの……。

 あのときは夢中だった。フェンスから手を出すことは私の仕事で、少しでもトヨサト先輩のほうへ、と必死になって腕を押し込んだ。


 アザにそっと触れるとヒリリと痛む。消えるはずがないのにゴシゴシこするとズキズキする。それは後悔でうずく胸の痛みと一緒になって、全身に広がっていく。

 保育園での別れぎわ、トヨサト先輩にひどい捨てゼリフをはいて逃げ出してしまった。


「……ついてこないで」

 自分が彼にぶつけた言葉をつぶやき、うなだれる。

 顔を笑われたぐらいで……。


 自分の容姿がサエないのなんか、納得済みで生きてきたのに、なんで先輩と一緒になって笑い飛ばしてしまえなかったのだろう。

 整った顔をした人に、自分の情けない顔を笑われたせいか……。


 いいや、容姿だけの話じゃない。トヨサト先輩といると、ひどくコンプレックスを刺激される。バケモノと対峙するために必要な、身長も、運動能力も、正義感も、全てが足りないのだと突きつけられるのだ。

 私にあるのは眼力がんりきだけ。しかしいくら見える力があってもかせないなら、そんな力はないのと同じこと。しかも活かすどころか、私はバケモノを避ける方向への努力を懸命にしている。


 ――前髪を伸ばし、黒縁の伊達だてメガネをかけ、背中を丸めうつむいて歩く。

 バケモノと目を合わせないように必死なのだ。


 情けない自分とは違い、トヨサト先輩は自らバケモノに向かっていく。自分の正義を貫く彼はまぶしくて……カッコいい。私は彼に嫉妬しているのかもしれない。

 私だってあんな風に生きたい。でも私にはできないのだ。そんなことしをたら痛い目にあってしまうから。


 たいしたケガもなく妖怪退治に成功したというのに、気分は最悪だった。


 シャワーのあと、洗濯物を取り込もうとベランダに出た。昨日汚した制服がすっかり乾いて茜空に揺れていた。家で洗濯できる制服なので本当に助かる。


 ガー、ガー。


 そのとき、カラスの声が聞こえてきた。うちの近所に生息するハシブトガラスは澄んだカーという声で鳴くが、これは山間地にいるハシボソガラスのだみ声だ。慌ててベランダから身を乗り出し、左手に広がる美術館の森に目をやると、黒々とした木々の中から、もっと真っ黒なものが飛び出してきた。


 バサッ、バサッ。

 羽音を響かせ近づいたカラスは、すっとベランダの手すりに止まった。

「ガ次郎!」

 声を上げると、「ガ」と一声かえってきた。


 祖母のペットのハシボソガラスだ。めちゃくちゃ利口りこうなカラスで、祖母の式神しきがみみたいな役目をになっている。私にとっては幼なじみ的な存在だ。


「久しぶりだねぇ」

 私が手を伸ばすと、目を閉じたガ次郎が頭をすりすりと押しつけてくる。濡れているみたいに黒光りする羽はうっとりするほど美しい。

「ガァ」

 ガ次郎が小さく鳴いて、片脚を突き出した。そこには細長い木筒が結び付けられている。さながら伝書でんしょガラスだ。


「バア様からの手紙だね」

 ポンとふたを外して、丸められた紙を抜き出すと、数枚の新しい御札おふだと小さな手紙だった。

『御札の貼り換えに励むよう願っている』

 黒々とした墨で書かれた達筆たっぴつを見て少し怖くなる。

 まるで、私がここ二日で二枚の御札を使ったのが、わかっているようなタイミングだ。祖母には私の行動が見えているのだろうか。


「ちょっと待ってね」

 ガ次郎にそう話しかけ、私はキッチンに向かった。ソーセージを手に戻り、ガ次郎に与える。

「ガガッ」

 ガ次郎が嬉しそうに食べ始めたのを見届け、今度は自分の部屋に行って、メモ用紙を使って祖母への手紙を書いた。

『御札、受け取りました。昨日と今日で二体浄化しました。見夜』


 ベランダではガ次郎が待ち構えていた。私を見ると、「ガ」と筒のついた足を突き出す。その中に手紙を入れると、ガ次郎は真っ黒な丸い目玉で数秒私を見つめ、バサバサッと飛び去っていった。

「気をつけて帰るんだよお~」

 遠ざかるシルエットに向かって小さく声をかける。


 もっとガ次郎と遊びたかったけど、しかたがない。鳥目とりめっていう言葉があるように、鳥は暗くなると目が効かなくなるはずだから。ガ次郎は夜でも平気で飛び回ることができる特別なカラスだけど、それでも遅くなると心配だ。もう太陽は西の山裾やますそに隠れてしまった。早く帰ったほうがいい。


 手すりに腕を乗せ、ガ次郎を見送った。南の方角に連なる山脈、その上に三角形の富士山がポコッと頭を出している。あのふもとに住む祖母の家まで、車なら一時間、バスを乗り継いだなら二時間、ガ次郎がまっすぐに飛んだら三十分ぐらいだろうか。ガ次郎が黒い点になり、やがて空に溶けてしまう。私は富士山に向かってつぶやいた。

「ガ次郎が無事に帰りつきますように」


 祖母は、私が御札の貼り換えに成功したことを知ったら、間違いなく喜んでくれるだろう。それに、御札がぼろぼろになっていた砂かけババアも、幼い私が好きだった昔のオバアチャンにもどってくれるはず。

 そんなことを考えているうちに、うつうつとしていた気分が、晴れてくるのだった。

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