第3話 自意識過剰

 いくつかある心当たりの中で、ここから一番近い保育園に向かうことに決めた。私が幼い頃、通っていた場所だ。五分足らずで到着するし、おとなしいオバアチャン妖怪がいるだけだから安心だろう、とふんだのだ。


 途中、住宅街の狭い路地を進みながら、隣を見上げて訴えた。

「先輩、お願いです。手、離してください」

 トヨサト先輩は不満げに口を尖らせる。

「手を繋がなきゃ見えないじゃないか」

「いや、あいつらそこら辺にゴロゴロいるわけじゃありませんから」

「そうなのか?」

 あんな奴らにゴロゴロされてちゃ、私たちみたいな見える者はたまったもんじゃない。

「いたら絶対、すぐに先輩に教えます!」

 そう約束すると、先輩はようやく恋人繋ぎを解いてくれた。


 私はそっと安堵の息をつく。

 もしも手を繋いでいるところをうちの生徒に見られたら――想像しただけで冷や汗汗が出る。妖怪退治と同じぐらい恐い。

 二人が恋愛関係だなんて、誰も思わないことぐらいわかっている。こうして隣を歩くだけでもそわそわと落ち着かないのは、自意識過剰だからではない。

 私ごときが先輩と一緒にいたら、彼に好意を寄せてつきまとう女――つまりストーカーだと思われそうでイヤなのだ。

 先輩にはカノジョもいることだし、もめ事の種は撒かないに越したことはない。

 私はニットキャップをぐいっと引き下げ、普段より一層うつむいて猫背になったのだった。


 保育園が見えてきたので、私たちは再び手を繋いだ。手のひらに走る小さな痛みに気持ちが引き締まる。

「砂場のあたりにいるはずです。見てるって、気付かれないようにしてください」

 万が一ということもあるので、先に警告しておく。

「気付かれたらまずいのか?」

「目が合っちゃうと、見える人間だってヤツらは判断します。もとが狂暴なヤツだったらそれだけでヤバいんです」

「そうか」

 抑えた声でうなずいた先輩は、警戒するみたいにすっと目を細めて、保育園の方角をにらんだ。

「ここにいるのはおとなしい妖怪ですけど、お札がはがれてる可能性だってありますからね」

 そんなことはありませんように――と願いながらも言い足しておく。だが、川男の御札もはがれていたし、本当にこの近辺は危ないのかもしれない。


 保育園の出入り口に着いた。サビの浮いた黄色いゲートはぴったりと閉じられ、園内に人の気配はない。園庭沿いに張り巡らされた高さのある白いフェンスに沿って、私たちは慎重に歩を進めていった。

 最後にここを通りかかったのは、三年ほど前になる。あのときよりも随分と寂れたように感じられる。


 フェンスの向こう側はジャングルジムや鉄棒などの遊具が並び、続いて目的の砂場があった。

 砂場には青いビニールシートがかけられ、上を藤棚が覆っている。シートはネコ避けだろう。砂場のかたわらにはプラスチック製のカラフルな小屋が建っている。幼い私が通っていた頃と同じ配置のままだ。

 この小屋は、砂遊びの道具であるバケツやシャベルをしまっておく場所だ。その真っ赤な屋根の下には小さなベンチがあり、ベンチの上には灰色のカタマリが載っていた。

 それも当時と同じだった。


 灰色のカタマリ――砂かけババアは目を閉じていた。死んだように眠っている。

 ということは、現時点では目が合う心配はない。

 私は先輩の手を引いて立ち止まり、繋いでない方の人差指を唇の前に立てて見せる。彼も歩みを止め、神妙な面持ちで私を見てうなずいた。

 二人そろって、二メートルほど先にある小屋の中をのぞき込む。


 幼児と同じぐらいの小さなオバアチャン。

 シワだらけの肌は、ちて風雨にさらされた木の幹のように灰色だ。

 頭の天辺で丸まるボサボサ髪も、着ている着物もやっぱり灰色。

 まるで、全身が砂でできているかのよう。


 彼女の首の後ろに目を凝らすと、御札おふだがそこにあるのを辛うじて確認することができた。

 しかし、薄汚れ、砂かけババアと同じ色になってしまった御札は、半分ほどしかない。残った部分もはしがはがれかけ、ヒラヒラ頼りなく揺れている。

 まずいかもしれない。あの御札にどれほどの効力があるのか……。


 御札を見つめながら考え込んでいると、ぐいっと手を引かれた。私を引きずるようにして、もときた方角に戻りながら、トヨサト先輩が低い声で忠告してくる。

「車が来る。無人の保育園をのぞいているなんて、不審者と間違われたら厄介だ」

「え?」


 ブルルルルル……。

 耳をすませば、確かにエンジン音が近づいて来る。

 怪しさを取りつくろうようにピンと背筋を伸ばして歩いていると、すぐに赤い軽自動車が私たちを追い越していった。


「御札、見たか?」

 歩きながら先輩がたずねてくる。私はだまってうなずいた。

「ひどい状態だったな。あれがはがれてしまったらどうなる?」

「あれは砂かけババアです。だから人に砂をかけるでしょうね」

「なんだと……目に入ったら痛いじゃないか」

「そりゃあ痛いですよ」

 足元を見ながら、私は固い声を出した。胸の奥がなまりを飲み込んだみたいに重い。


 私がここに通っていた頃、砂かけババアの御札はきれいだった。彼女はいつも小屋のベンチに腰かけ、園児が遊ぶのを眺めてはニコニコしていた。誰かに砂をかけるシーンを見たことはない。

 今の彼女はどうなのだろう? 

 園児に砂をかけたりしていない……と思いたい。


 出入口の黄色いゲートまで戻ってきた。

 ゲートが取りつけられているコンクリートの柱の陰に入り込んで、トヨサト先輩は歩みを止めた。そして私の手を握りしめたまま、柱の脇から今きた方向に首を伸ばす。

 眉間を寄せて砂場の様子をうかがう先輩の目つきは鋭い。砂かけババアを狙うハンターみたいだ。


 これはマズイかも……。

 そう思ったとき、くるりとこちらを向いた彼がひそひそ声で言った。

「御札、持ってるよな?」

 やっぱり。

 私が背負っている小ぶりのリュックの中には、もちろん御札が入っていた。だけど私は返事をせずに目をそらす。


「作戦を立てよう」

「え? ……作戦?」

 目をパチクリさせてとぼけてみた。すると先輩は、いらだちを隠すことなく低音で脅してきた。

「とぼけるなよ。妖怪退治の作戦に決まってるだろ」

「……」

「砂かけババアの御札、貼り直したほうがいいだろう?」

 そうしたほうがいいのは私だってわかっている。でも、妖怪に御札を貼るのは至難の業。私はやりたくない。やる義務もない。


 しかも、やりたいとかやりたくない、という感情以前に、今の私たちにとってそれは不可能だ。

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