砂かけババア
第1話 お友だちになってください!
翌日の土曜日は、前日とは打って変わって
午後二時過ぎ、私は大きな紙袋を手に、
玄関先で渡してすぐに帰る予定――が、私は今、豊田家のリビングでソファに座っている。先輩のお母さんに強引に引きずり込まれ、厚かましくも二日連続で豊田家におじゃますることになってしまったのだ。
目の前のテーブルには、紅茶のカップとシフォンケーキの皿がのる。
ケーキをぱくりと食べたお母さんが、目を丸くして言った。
「ん~~~っ。おいしい!」
「どれ……」
トヨサト先輩が皿に手を伸ばし、フォークで大きく切り分け、ダイナミックに口に放り込んだ。
「……んっ、むうっちり……して、ん、ふんわふわだ。これはうまい」
私の趣味はスイーツ作り。腕には自信がある。これといった取り柄のない私の唯一の特技で、なかでもシフォンケーキは自慢の品だ。
今日は手土産なので、バナナシフォンにした。プレーンにクリームをのせてもおいしいけど、バナナはクリームなしでも甘い香りが鼻に抜け、感動的なおいしさだ。
二人は大げさなほど、私のシフォンケーキをほめてくれる。ここまで喜んでもらえるなんて幸せだ。顔がにやけるのが止まらない。
かみしめるように味わっていた先輩のお母さんは、やがてほうっと息をはいた。
「これ、作るの難しいでしょう?」
「いいえ、電動
「まあ、そうなの!」
驚きの声を上げた彼女は、唐突に肩を落として語りだす。
「私……こういうのが作れないのよ。ほんと苦手なの。うちの家族って男だらけでね、だからボリュームある料理ばっかり作るはめになっちゃって……。長いこと主婦やってるから、家庭料理だけは得意なんだけど、スイーツ系、まったくダメなのよ」
へえ、なるほど。
私は反対に、普通の家庭料理が苦手だ。それは幼い頃に母が家を出て行ったから。
おふくろ通り越して、おばあちゃんの味なら祖母に叩き込まれている。でも、
「ねえ、このケーキの作りかた教えてもらえないかしら?」
おずおずと願い出たお母さんに、私は笑顔で答えた。
「はい。じゃあ今度、レシピお届けしますね」
彼女はもじもじしながら続ける。
「実は昔、レシピ見ながらスポンジケーキに挑戦したことがあるの。でもね、うまく膨らまなかったのよ」
「ああ、わかります。スポンジって空気抜くタイミングとか、ちょっとしたコトでへこんじゃうんですよね」
「だからね、レシピだけじゃ自信がないの。一緒に作ってもらえないかしら?」
「私でよかったら、喜んで」
「ほんと!」
お母さんがパアッと顔を輝かせる。その頬にエクボが現れると、私も自然と笑顔になった。
お母さんはさっそくメモを手にすると身を乗り出してたずねてくる。
「ねえねえ、電動泡立て器のほかになにが必要?」
楽しげにメモを取る彼女に、必要な道具や材料を伝えたあと、私は思い切って自分の願いを口にしてみた。
「あの……私、父と二人暮らしなんです。母がいないせいか、普通の家庭料理がどうしても苦手で……。代わりにコツとか教えてもらえませんか?」
ちょっと驚いた顔をしたあと、お母さんはにっこり微笑んでくれた。
「私こそ喜んで」
続けて彼女は、先ほどよりもさらにもじもじし始め、遠慮がちに口を開いた。
「ねえ、
思いがけないお願いに、目をパチクリさせる。
「こんなオバサンが友だちだなんて、ヘンかしら……」
私は首をブンブンと思い切り振って声を大きくした。
「とんでもない! ぜひお友だちになってください!」
五月さんの頬にエクボがくっきり刻まれた。満面の笑みを浮かべるこの人が私の友だち……。しかも、初めてできた主婦友だちだ。
そう思ったら鼻の奥がツンとしてきた。まさかこんなに感動するなんて……。自分の感情に驚き、ごまかすように慌てて目を
「嬉しいわ! こんな若い子が友だちだなんて、自分まで若返りそう」
うふふっ、と笑う彼女はじゅうぶん若々しい。ふっくらした頬はつやつやしている。
「いや、お母さんはすっごく若いです。とても
「あら、
イケメン揃いとして名をはせる豊田三兄弟。私が、もちろん、と答える前に、トヨサト先輩がぼそっと放った。
「母さんのシワができる速度と、脂肪が増える速度は比例している。そのため皮膚に刻まれた
お母さんの動きは素早かった。テーブルの
ボワ~ン、とマヌケな音が響いた。
「……ってえなぁ」
お母さんはすまし顔を私に向ける。
「私、
「じゃあ、五月さんって呼ばせてもらいますね」
「うん、よろしく。
明るく居心地の良いリビングルームでのティータイム。
こんなにも素敵な午後のひと時を過ごしたことがあっただろうか?
どうやら私、母親と同年代のこの友人のことが、とんでもなく嬉しいみたい。おなかの底からぷくぷくと笑いが込み上げてきて止まらない。五月さんと微笑みあい、喜びをかみしめていると――
「んんっ」
トヨサト先輩がわざとらしく咳払いをした。ちらりと目を向けると、彼は神妙な顔で私にうなずいて見せてから、ぐいっと上を向いてカップの紅茶を飲み干した。
そして――まさかのセリフをはいた。
「よ~し、腹も膨れたことだし、千月、出かけよう」
ぐっと喉がつまる。嫌な予感しかしない。
「あら、どこに行くの?」
五月さんの言葉に、先輩は大真面目な顔で返した。
「聞かないでくれ。大切な用があるんだ」
間違いない。妖怪退治――そう言い出すに決まってる。
こんな気持ちのいい日に妖怪退治だなんて……っていうか、気持ちがいい日じゃなくったって妖怪退治なんかしたくない。
私は動かなかった。
トヨサト先輩が壁の時計に目を向ける。つられて見れば、時刻は三時過ぎだ。
「最近は日没が早いからな。急いだほうがいい」
彼はそう言ってすっと立ち上がると、先ほど私が返した上着に
「行くぞ」
最後にドスの効いた声を浴びせかけ、先輩は玄関に足を向けた。彼の声には妙な力がある。あの声に従わないと、悪いことをしているような気分にさせられる。
先輩の姿がリビングから消えると、五月さんがひそひそ声を出した。
「ねえ、見夜ちゃん。あなた、ほんとーに
私は両手を胸の前で広げ、あわあわと振った。もしや、今からデートとでも思ったのだろうか?
「めっそうもありません!」
「あらぁ、そうなの?」
そうなのだ。
あんなスペシャル男子のカノジョに勘違いされるだなんて、身に余る光栄すぎて、身もだえしたくなる。
「日が暮れる!」
玄関の方から迫力ある
「まったく聡士ったら……。見夜ちゃん、無理しないで。行かなくてもいいのよ? 私が言ってあげる」
気遣ってくれる五月さんは、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
彼女に気をもませるのは、
それに私ごときがいくら
心の中であきらめのため息をついた私は、五月さんのために、にっこり笑ってみせた。それから残っていた紅茶をがぶりと飲んで、重い腰を上げたのだった。
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