第6話 妖怪退治なんかやってる場合じゃない

 告白めいたセリフをはいたトヨサト先輩は、ふわりと表情をやわらげ、自分の手のひらに視線を落とした。

「ひいばあちゃんの手、しわっしわの枯れ枝みたいだった。思い出したのは久しぶりだ」


 ん? んんんんん? 


 その言葉に私は止めていた呼吸を再開した。眉間にぐぐっとシワがよる。

「実は俺、ひい婆ちゃんに、出会いを予言されていたんだ」

 

 出会いを予言……? しかもひい婆ちゃんに?


 全く話についていけず、私は眉を寄せたまま思いっ切り首をひねった。

 恋の予感はどこ行った? 


 手のひらをじっと見つめる彼から、ラブっぽい気配は……残念ながら、いや当然ながら全く感じられない。

 胸の鼓動が急速に落ち着きを取り戻す。


 だからだからだから~、こんなスペシャルな男子と私に~、愛だの恋だのあるわけがないでしょ~。二度と勘違いして早鐘はやがねを打たないよう、以後気をつけなさい。


 もう一度、自分の心臓にくぎを刺しながら、ほっとしている私がいる。

 それでなくても、これまで色恋沙汰いろこいざたに全く縁のなかった私だ。なのに、いきなりトヨサト先輩レベルの男子と恋愛だなんて、想像しただけでも心臓が汗をかく。


 顔を上げた先輩は、川面かわもに目を向けた。外灯の明かりが、流れにチラチラと反射している。

 彼は重大な秘密を打ち明けるみたいに、声を落として言った。

「俺、小さい頃、ひい婆ちゃんと一緒に川男かわおとこを見たことがあるんだ」

「ええっ!! ホントですか!?」

 驚きに目を見張る。

 先輩は、「ああ」と神妙な顔をしてうなずいた。


「ずっと忘れてたんだけど」

 トヨサト先輩はふっと月を見上げ、遠い目をして続ける。

「遊びにきたひい婆ちゃんと手を繋いだら、びりびり痛くて俺が泣いたんだ。そしたら婆ちゃん、俺をここまで連れてきて指差した。そこにはバケモノがいた。川男だ」


 それを聞いて興奮した。

「やっぱり! 川男はもともとこの川に住んでたんですね!」

 自分の考えが当たっていたことがわかり、嬉しくなる。

「想像してた通りです。川男って、本来は河原におとなしく座ってるだけの妖怪なんですよ。だから公園で見かけたとき、この川から移ってきたんだろうなって思ってました」

「そうか。でも……なぜ公園に移ったんだろう?」

「たぶん寂しかったんじゃないですか。だってほら」

 私が川に顔を向けると、先輩もそれにならった。

「今って、河原に降りられませんよね」

 護岸ごがんはコンクリートで覆われ、川との境には背の高いアシが生い茂り、無数のゴミが絡まっている。

「子どもですら近寄りません。みんな土手の遊歩道を通るだけ」


 私は川男のいる公園の方を振り返った。公園の東側には南と北に小さな池があり、その間をささやかな川が繋いでいる。

「だから川男にとって、公園の川の方が魅力的みりょくてきなんですよ」

「あんな流れが? しかも人工じゃないか」

「人工だろうが川は川なんでしょう。赤い土管の上に川男はいつも座ってました。ホームレスが中に段ボールを敷いてねぐらにしてたんです」

「ああ、そう言えばいたな」

 そう言って、少しだけ考える素振りをしたあと、トヨサト先輩は納得顔でうなずいた。

「それで寂しくなかったってことか。でも最近はホームレスを見ないぞ」

「ええ。ホームレスがいなくなった頃から、川男がおかしくなったんです。子どもに手を出すの見て、私もさすがに見て見ぬふりはできないなって思って」

 大げさなため息をついて、私は自分の不幸を嘆いてみせた。

「それで、御札おふだ貼りに挑戦して失敗。ヤツに見えてるのがバレて、何回か痛い目にあっちゃったんですよねぇ」


 先輩は少しの間、黙って私の顔を見ていた。やがておもむろにたずねてくる。

「川男の他にも、妖怪っているよな?」

「ええ。もちろんです」

御札おふだを貼れば浄化じょうかされて、おとなしくなる。そういうシステムだよな?」

「はい。御札が浄化してくれるんですね。だから御札がボロいと、邪気じゃきたまって悪さするんですよぉ。まいりますよね~」

 私は苦笑いしてみせた。

 すると、トヨサト先輩は凛々りりしい眉をぐいっと寄せ、唐突に声を荒げた。


「なら、見て見ぬふりなど許されん! 見える者が対処しなくてどうする!」

 そ、そりゃそうなんですけど……。


 いきなりの説教モードに口がへの字に曲がってしまう。

「ひい婆ちゃんは言ったんだ。いつか聡士さとしにオバケを見せる人がいたら、その人を助けろ。助けられるような強い男になれ、ってな。それがお前だ。婆ちゃんは、俺たちが運命に導かれ、出会うことがわかっていたんだ」

 正義感にあふれた目をして、トヨサト先輩は力強く言った。


千月ちづき、ともに戦おう!」

「へっ?」

「妖怪退治だ。ヤツらの邪気を浄化しようじゃないか」

 頬が引きつった。


 私はこれまで、妖怪のやることには極力きょくりょく目をつぶってきた。運動音痴で御札を貼るのがヘタクソだからだ。失敗したあげく痛い目にあうし、冗談抜きで下手すりゃ死ぬ。たいした人生が送れるとも思わないが、死にたくない。避けて当然だ。

 しかもあいつらって、ものすご~く不気味。やっぱ怖い。正直、近づきたくない。


 そもそも眼力がんりきのない人にとっては、妖怪の悪さは自然現象だ。

 妖怪が木の上から枝を落としても、風で折れた枝が落ちてきても同じこと。

 私はたまたま妖怪が見えるってだけで、浄化する義務はない。まったくのタダ働きのうえ、誰に感謝されるわけでもない。不利益しかないのに、自分からわざわざ退治しにいくなんて、ゴメンこうむる。


「よし。やるぞぉ」

 顔を輝かせてそう宣言し、トヨサト先輩は自転車を押して歩き始めた。

 慌てて追いかけながら、どうにかして彼のやる気をごうと試みる。


「先輩、妖怪にたいしたことなんてできませんよ。ほっときましょう」

「千月、自分も痛い目にあったって、さっき言ったじゃないか。川男を浄化できてよかっただろう?」

 確かにその通りだ。これからは川男を気にすることなく、公園を通ることができる。それに、川男を浄化したときは本当に嬉しかった。達成感だって感じた。


 しか~し! そうは言っても、関係のない妖怪の浄化までしたくはない。

「妖怪を浄化させたって、私たちにはなぁんの得もありませんよ」

「得? バカかお前は。みんなのためにやるんだ」


 トヨサト先輩は正しい。

 私が川男の浄化を思い立ったのも、川男の悪行を見るのが辛くなったからだ。


 ある日、赤い土管の上をそろりそろりと歩いている男の子がいた。そこに川男が近づいて、その子をトンと押した。母親に手を振る得意げな笑顔が、突き落とされて泣き顔に変わるまでを、私はオロオロと見続けていただけだった。


 そして良心に突き動かされるように川男の浄化を試みてやりそこない、その結果、今日みたいな目にあっている。

 御札を貼るのは至難の業だ。とにかく私は鈍い。場合によってはケガをする。


「でも、私は役に立ちません。こんなチビで、しかも鈍くて、うまく御札を貼れないんです」

「大丈夫だ。俺は背が高い。運動神経にも自信がある。しかし、お前がいなきゃ妖怪は見えない」

 私はしつこく訴えかける。

「他にも見える人はいますから、無理しなくても……」

「へえ、そうなのか。じゃあ仲間だな。その人にも会えるのか?」

 なんてフレンドリー……。


 私はうんざりしながら頭を左右に振った。

「実は私も会ったことないんです。ただ、この先の美術館通りより南側って、御札がいつもきれいだから、きっと見える人がいて、対処してるんだと思います」

 私は進行方向、つまり自宅マンションの方角を見やった。

「その人が貼り直してくれてるってことか。よし! じゃあ俺たちの守備範囲はこの辺りだな」


 どうしても意思を曲げない先輩に、唇がゆがんでいく。

 トヨサト先輩って、こんなに正義感あふれる人だったんだ。いや、見た目からして、いかにもそんな感じなんだけど……。

 悪い人ではない。こういう人をいい人っていうんだ。私とは全然違うタイプ。

 私は夜空に向かって大きく息をはいた。


 そのときピンとひらめいた。

「先輩。先輩は受験生じゃないですか。妖怪退治なんかやってる場合じゃないでしょう?」

 キキッ。小さな音を立てて自転車が止まる。

「もう受験は終わった」

「ええ? まだ十一月ですよ」

甲斐大かいだい、推薦入学で合格した。先週発表だったんだ」

 誇らし気な顔で胸を反らす。

「う……」

 一瞬絶句したものの、素直に賞賛の声が飛び出した。

「先輩、すごいですね! おめでとうございます」

 私も志望している大学だ。でも推薦を狙えるほど私の成績は良くない。


 もう歯向かう気力もネタもない。何を言ってもムダなんだもの。

 まあいいか。そもそも、そこらにうじゃうじゃ妖怪がいるわけじゃないし。いたとしても、御札がきれいなら浄化する必要はない。始まってもいないのに、今から思いわずらうなんてアホらしい。


 それからも先輩は、あれこれ妖怪について質問してくる。すっかりヤル気満々だ。

 彼の質問に答えながら、正義の味方のイケメンは、意外と話しやすいなぁ、なんて、のんびり思ったのだった。

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