第4話 見える……人?

 再び二人で手を繋いで並び、川男かわおとこの様子をうかがった。

 とぼとぼと歩く川男は、おそらく公園の東側にある人工池に向かっているのだろう。池の縁に置かれた土管にヤツはよく腰かけている。

 その首の後ろには、真新しい御札おふだがきれいに貼られ、淡い光を放っていた。それを見て、浄化じょうかに成功したんだ、としみじみする。


「ああぁ~、良かったぁ」

 心の底からそう思った。喜びに胸がふわふわし、顔が笑っちゃうのを止められない。

「これで大丈夫か? 終わったのか?」

 トヨサト先輩の声は険しい。彼はまだ油断していない。

「はい、ありがとうございます。もう大丈夫です。ほんと助かりました」


 先輩はようやく安堵したようで、「ふうっ」と声に出して息をはいた。それから軽く目を閉じたあと、もう一度、川男に目をやって言う。

「あんなモノがいるんだな」

「なんか、信じらんないですよね」

「ああして見えているんだ。信じるしかないだろう。あれが実在しないなら、俺の頭がおかしいということになる」


 トヨサト先輩はバケモノがいるって信じてくれている。私は嬉しくて、「ふふっ」ともらし、笑みを浮かべて話し始めた。

「私、ちっちゃい頃、よく頭がおかしいって言われました。起きながら夢を見ている、なぁんて言われたことだってあるんですよ。見える人、めったにいないから、しょうがないんですけどねぇ」

「めったにいない? お前と手を繋げば誰でも見えるわけじゃないのか?」

 こちらを見下ろすトヨサト先輩は、両眉を上げてさも意外そうに言う。

 私は無邪気に微笑んで、弾んだ声で告げた。


「先輩は特別です! 私の仲間、見える人なんです」


 私は浮かれていた。


「見える……人?」


 先輩が小さく繰り返した。続けてなにか言いかけたものの、それを飲み込んで目を伏せ思案顔になる。黙り込んだ彼が明らかに困惑しているのを、私ははっきりと感じ取ってしまった。


 あ……やっぱり。そんなこと言われてもイヤだよね。気味、悪いもんね。


 気まずい空気を払拭ふっしょくしようと、私は急いで明るい声を出した。

「今日のこと、内緒にしといてください。妖怪がいるなんて言うと、イタいヤツ認定されますもん。下手すりゃ病院送りです。私、何回も病院に連れていかれたことあるんです」


 トヨサト先輩がまじまじと見つめてくる。私は無理やり口角を上げ、笑顔を作ってみせた。

「はは、まいっちゃいますよね。あの……だから、ぜーんぶ忘れてくれたら嬉しいです」

 彼は顔をしかめながら小さなため息をこぼすと、ゆっくりと口を開いた。


「……お前、大変な思いをしてるんだな」


 まさか、こんなにも優しい声が……、いたわるような声が返ってくるなんて……。

 想定外だった。唐突に鼻の奥が熱くなる。


 見えるがゆえのつらさは、胸の奥深く押し込めてあきらめていた。トヨサト先輩の声は、その辛さをそっとなでてくれた。

 涙をこぼさないように、ぎゅっと目を閉じ、喉の奥の熱いかたまりを飲み込んだ。ここで泣いたりしたら、きっとこの人は困ってしまうだろうから。

 大きく揺れた感情をごまかすために、私は顔を上げると勢いにまかせてしゃべり始めた。


「そうそう、大変なんですよぉ。川男だってほんと大変でした。あいつ、子どもに手を出してたんです。私、見えちゃうもんだから、これでもヤツを浄化しようとしたんですけど……」

 遠くに見える真っ赤に塗られた大きな土管を指差した。

「あの土管に座ってるとこ狙ったけど、失敗しちゃって。立ってる川男はムリだけど、座ってたらイケるかなって、チャレンジしたんですけどね」


 あのとき、私が見える人間だ、と川男に知られてしまった。それからというもの、こちらの不意を突いては、嫌がらせをしてくるようになったのだ。

 私だって川男になんかいたくない。でもここは私の通学路。この公園を避けるとけっこうな遠回りになる。遅刻しそうな日なんか、背に腹は代えられない。


 そもそも川男は大人しい妖怪だ。ヤツの悪さなんて、せいぜい足を引っかけたり、後ろから押したりするぐらい。しかもその動きは私以上に鈍いから、逃げれば大丈夫とタカをくくっていた。ま、今日を含めて、何回か不意打ちをくらって、転んでしまったんだけど。


「なるほどなぁ、そのせいだったのか。最近、子どもの泣き声がよく聞こえていた」

 トヨサト先輩が神妙な面持ちで言う。

「でもこれでしばらく平和です。ヤツの邪気じゃき、消えましたから」

「あの御札のおかげで?」

「はい」


 土管にたどり着いて座り込んだ川男を、先輩は目を細めて眺めながら低い声を出す。

「あの川男ってのは――」

「ふ、ふぅえっくしょん!」

 同時に私の口からは特大のくしゃみが飛び出した。

「あ、すいません」

 先輩は、私のブレザーのえりで光る学年数字のピンバッジに目を落としてたずねてくる。

「――えぇと、お前は二年生か?」

 私は、ずずっと鼻をすすりながらうなずいた。

「はい。二年三組の千月ちづきです」

「俺は三年七組の豊田とよだだ」

「知ってます! トヨサト先輩ですよね」


 豊田聡士とよださとし。通称トヨサト。

 うちの学校の女生徒で彼のことを知らないものはいない。

 理由は明快。イケメンだからである。


 そのイケメンぶりをもうちょっと詳しく説明すると、きりっと整った顔面を短めの黒髪がひき立てる、精悍せいかん面構つらがまえってやつだ。

 その上、バレー部のキャプテンでエースアタッカーだった。さっき目撃したジャンプは伊達だてじゃない。

 もちろん背が高くてたくましい。

 めちゃくちゃモテるのに、全然チャラくない。

 しかも七組は理系特進コース。頭脳だって明晰めいせきだ。

 おまけに、うちの学年で一番の美人、本田さんと付き合っている、と小耳に挟んだことがある。

 ついでに手眼者しゅがんしゃであることがさっきわかった。


「制服、びしょ濡れだよな? 俺んちで着替えていくか?」

「は?」

 俺んちって……トヨサト先輩の家ってこと?

 そんな! 恐れ多い。


「いえいえいえ、大丈夫です! あそこのトイレででも着替えますから」

 ふるふると頭を左右に動かしながら、芝生広場の向こうにあるトイレを振り返った。外灯にぼんやり浮かぶ灰色の建物は、やっぱり不気味だ。

「あんなとこ、不審者が出そうじゃないか」

 先輩は、私の手をぐっと引いて歩きだし、置きっぱなしの二人のバッグと彼の傘を拾い上げた。


 きゃーーー! 私ったら、トヨサト先輩とずっと手を繋ぎ続けているじゃないの。今さらながら動揺し、おたおたしてしまう。


「うちはすぐそこだ」

 先輩がくいっとアゴを上げた。

 そこ? と思っている間に、彼に引きずられるようにして公園を出る。


「いや、先輩、申し訳ないですから……」

 まるで聞く耳を持たない。がっちりと握った手をぐいぐいと引っぱるトヨサト先輩は、かなり強引なタイプみたい。


 買い物客で賑わうスーパーオギノヤを横目に、その二軒隣の家の門をくぐった。

 いいなぁ、学校まで歩いて十分。しかもオギノヤがこんなに近くだ。

 そんなことを考えているうちに、私は豊田家の玄関に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る