第2話 彼の背中は盾のよう

「アレが……見えるか?」


 前方をにらんだまま、じりっと後ずさりしたトヨサト先輩が、背後の私に向かってたずねてきた。

 アレ――が川男かわおとこを指しているのは間違いない。

 自信のない口ぶりだ。全身から戸惑いがあふれ出している。不可解なモノを見ている自分の目が信じられないのだろう。


「えっ……。はい」


 私は、川男がそこにいる事実を素直に認めた。

 久しぶりの手眼者しゅがんしゃとの出会いに、動揺しながら返事をしたのだけれど、たぶんこれで正解だと思う。

 ここで私が川男の存在を否定したら、先輩は自分の目、あるいは頭を疑わなければならない。私自身はという事実を周囲から否定され続けてきたわけで、それが辛いものだと知っている。


「なんだ? アレは……」

 先輩は繋いだ手にぎゅっと力を込め、うわずった声を出した。

 私は改めて川男を眺めてみる。


 頭や手足、胴体など、身体を構成するパーツは人間と同じだ。しかし、恐ろしいほど背が高い。細過ぎて棒のような身体に、つんつるてんの着物をまとっている。肌の色はドス黒く、木々の影に溶け込む。長い髪をバサバサと風になびかせる姿は、到底ただの人には見えない。どう見たってバケモノだ。


 ぬぼーっと立っているヤツは、間違いなく我々に注目している。動く気配がないのは、自分に視線を合わせるトヨサト先輩を、新たな敵だと思って観察しているんじゃないだろうか?


「アレ、川男です」

「えっ? は? ……川男? それって――なんなんだ?」

 焦りとイライラが混ざったような声が返ってくる。

「ええっと、妖怪とか物の怪の一種です」

「………妖怪?」

「簡単に言えばバケモノですかね」

 川男を見つめる先輩は、ごくりと喉を鳴らしたあと低い声で聞いてくる。

「ヤバいヤツか?」

「う~ん、そこそこヤバイって感じです」

「そこそこって………それなりに危ないわけだ」

 緊張した声で先輩はつぶやき続ける。

「逃げるか? でもほっといていいのか?」

 その言葉を聞いたとたん、はっとひらめいた。


 トヨサト先輩ならできるかもしれない……。


 私をかばう先輩を見上げる。

 この人はデカい。川男ほどじゃないにせよ、私よりはずっと背が高い。目の前の背中なんて、広くてまるでたてのようだ。

 私一人じゃできなかった川男の浄化に、手を貸してくれないだろうか。

 一縷いちるの望みをかけ、お願いしてみた。

「私、あいつを弱体化したいんです。先輩、協力してくれませんか?」

「弱体化? やっつけるんじゃなくて?」


 やっつける――。

 そんな言葉が返ってくるなんて、頼もしい!


 望みがあるかもしれない。

 私は畳みかけるように彼に訴えた。

「やっつける必要はありません! 弱体化で充分なんです。今はちょっと狂暴だけど、ほんとは大人しいヤツなんです」


 いまだにトヨサト先輩が手にしている私のスクールバッグ。それを奪い取るようにし、サイドポケットに手を突っ込んだ。バケモノを浄化するための御札おふだを、日頃からそこに入れているのだ。

 バケモノには近寄りたくない。だけど、祖母からたくされた御札は、大切にジッパー付きのポリ袋に保管している。


 私は袋から御札を取り出し、先輩に突きつけて懇願する。

「この御札を、川男の首の後ろにくっつけてください!」

 トヨサト先輩はすぐさまそれを受け取り、裏表を返しながら目を細めた。

「これを? 殴ったり蹴ったりしないのか?」

「それをれば浄化されてもとの大人しい川男に戻ります」

 私は、おがむように両手を顔の前で合わせ、彼に向って声を大きくした。

「お願いします!!」

「首の後ろ……難しそうだな」

「頭でも背中でも、ヤツが自分の目で見えないところなら大丈夫です。効き目はちょっと弱くなっちゃいますけど」

 トヨサト先輩は、川男に数秒視線をめたあと、小さくうなずくと言ってくれた。

「……わかった。やってみよう」


 いけるかも! 川男を弱体化できるかも! 

 一気に気持ちが高揚してくる。急激に体温が上がったように感じた。


 ところが次の瞬間、先輩はまばたきをしながら、「あれ?」と首を傾げた。

「消えた……。いなくなったぞ」

 とまどった様子できょろきょろと視線をさまよわせている。

 でも川男はそこにいる。しかも、ユラリユラリとこちらに向かい始めているではないか。


 しまった!

 さっきスクールバッグを持つために先輩と手を離した。

 あれからどれくらい経った?

 二十秒? いや三十秒? そんなものか――


 眼力者がんりきしゃと手を離してから一定の時間が過ぎると、手眼者しゅがんしゃの力は消えてしまう。つまり、バケモノが見えなくなるのだ。

 慌てて先輩の手を取り握りしめると、再び小さな痛みを感じた。私は早口で説明する。

「私と手を離して三十秒ぐらいでアレ、見えなくなるんです」

 先輩の目は再び川男を捉えみたいだ。

「そういう仕組みか」

 納得顔でヤツを見すえる。


 こんなにすんなりと受け入れてくれるなんて、超ありがたい。

 まあ、そこにバケモノはいるし、実際に見えたり見えなくなったりするんだから、信じるのが当たり前なんだけど。でも、いくら自分で体験しても、信じない人は信じない。

 トヨサト先輩って、すごく素直な人かも。


 サック、サック――緩慢かんまんな足取りながら、川男は着々と近づいて来る。

「どうする? えっと、手を離せば見えなくなる……なら、繋いだままぎりぎりまで引きつけるか?」

 先輩の口調に焦りが色濃くにじむ。

「はい。私がオトリになって引きつけるから、先輩はヤツの背後に回ってください」

 偉そうに言ったけど、私にできることなんてそれぐらいだ。

「オケ」

 短く答え、先輩はきりっと口元を引き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る