川男

第1話 我が校で一二を争うイケメン

 今日は朝から冷たい雨が降っていた。昼過ぎに雨はあがったものの気温は低く、十一月下旬だというのに真冬並みの冷え込みを記録した。

 そんな寒空のもと、私は西甲斐せいかい高校の西門を飛び出し、住宅街を急ぎ足で進んでいた。


「たまご、たまご……」

 下校途中の私の頭の中は、特売の卵のことでいっぱいだった。

 高校から十分ほどのスーパーオギノヤでは、平日は毎日、午後五時から夕市ゆういちが開催される。金曜日の今日は、なんと十個入りの卵が一パック百円! しかもLサイズというのだから、超お買い得だ。


 父と二人暮らしの私は、我が家の食費の管理、および食事作りを任されている。だから放課後は、激安スーパーであるオギノヤにちょくちょく立ち寄っている。世の中の女子高生という人種が、やれカラオケだショッピングだと楽しんでいる時間帯に、私はスーパーで買い物だ。

 ショッピングと買い物、同じ意味なのに、月とスッポンぐらい中身が違う。でも、これが私の運命さだめだとあきらめている。


 途中、家々に囲まれた広い公園があり、その東口にたどり着いた。目的地はここを抜けたところだ。曇天どんてんのうえ寒いせいか、公園に人影はない。

 ――と、薄暗い空から唐突にメロディーが降ってきた。


 少しまのびした「ふるさと」。


 牧歌的ぼっかてきともいえる曲なのに、耳にしたとたん、焦りに足の動きが速くなる。なぜならこのメロディーは、市内全域に午後五時を知らせるものだからだ。小学生にとっては帰宅の合図、だけど私にとっては夕市のスタートを意味している。


 早く行かないと売り切れちゃう。


 公園には、ふちをぐるりと巡る遊歩道がある。もちろんそんなの無視。遊具や木々が点在する中央をまっすぐに突っ切り、公園西口に向かった。多少の足元の悪さには目をつぶり、特売卵のために先を急いだのだ。


 植え込みの向こうに目的地をとらえて、ちょっと気が緩んだ。そのせいか、なんだかお腹すいてきた。

 そうだ、今夜はオムライスにしよう。じゃあ卵を四個使うから、残りは六個か。

 あっ、それで久しぶりにシフォンケーキでも焼いちゃおっかなぁ~。ぐふふっ。

 必要な材料は……


 冷蔵庫の中身を懸命けんめいに思い出していた私は、半分うわそらで小さな水たまりをひょいとまたいだ。


「うわっ‼」

 次の瞬間、思わず声を上げてのけ反り、とっさに一歩下がった。その結果……

 ビチャッ。

 いやぁな音をさせて、飛び越えたばかりの水たまりの中に、尻もちをついてしまった。


 私は鈍い。運動神経という名の神経が、人より細いか短いのかもしれない。もしくは切れているとか。

 でも……いま転んだのは、私の運動神経のせいじゃない!

 目の前に、棒のようなモノがニュッと突き出されたからだ。

 ぶつかりこそしなかったが、急ストップにバランスを保てなかった。


 まぶたをおおう長い前髪の隙間から、斜め前方をそっとうかがうと――思った通り。

 そこにある植え込みの後ろから、川男かわおとこが顔をのぞかせていた。


「しまった……」

 思わず口からこぼれ落ちる。

 私ったら油断しすぎだよ……。


 ヤツはこちらを見て満足げに目を細めると、のっそりと背を向けた。ゆうに二メートルを超える細長い体がふらふらと遠ざかり、視界から消えていく。


 川男がいなくなったことにホッとしたものの、代わりに怒りが込み上げてきた。

 くっそ~~~!

 グワーッと頭に血が上って……一気に落ち込んでしまう。

 あいつをほったらかしにしているのはこの私。だからこれは自業自得。

 川男は、自分が住み着いているこの公園に、私を近寄らせたくなくて、こんなイヤがらせをしてくるのだ。

 ヤツは知っている。私には川男の姿が見えているってことを。


 私、千月見夜ちづきみや眼力者がんりきしゃだ。

 妖怪ようかいとかものあやかしなんて呼ばれるモノが見える。

 ちなみに見えたからって、なに一ついいことはない。バケモノたちと関わり合うとロクなことにならない。まさしく今みたいに。


「どうしよう……」

 私は深いため息をついて、のろのろと起き上がった。

 ぼんやりと自分を見下ろし、途方に暮れてしまう。このまま買い物に行くなんて、どう考えても無理だ。

 身に着けている高校の制服はもちろん濡れている。特に下半身、スカートは泥で汚れており悲惨な状態だ。

 鼻の頭までずり落ちていたメガネをぐいっと押し上げ、首をめぐらせた。傘はすぐそこに倒れていたが、スクールバッグは数メートル向こうにころがっている。さいわいにも私の手を離れて飛んでいったようだ。恐らく中のジャージは無事だろう。


「ま、しょうがない」

 理不尽りふじんな目にあうのなんて慣れっこだ。こんな体質に生まれたんだもの、色んなことをあきらめている。例えば、転ばずに歩くとか、運命とか。

「さぁて、どうするかなぁ」

 傘を拾い上げながら、独り言をつぶやく。学校までは十分弱。戻ってジャージに着替えようか?


 ゴウーッ。ザザザーッ、ザワザワザワ――。


 そのとき木々を大きく揺らしながら、薄暗い公園のなかを風が吹き抜けていった。とたんに身体がぶるりと震え、両手で自分を抱きしめる。

 早く着替えないと絶対に風邪をひく。しかたがない、公園のトイレで着替えよう。暗くて汚くって怖いけど。

 川男の姿がちらりと頭をよぎったが、トイレに現れることはないだろうと判断する。さっき私がひっくり返ったのを見て、ヤツは満足しているはずだ。いつものように、今頃はお気に入りの土管に戻っていることだろう。


「うぅ~、さむ!」

 肩をすくめてバッグの回収に向かおうとしたそのとき、木々のざわめきの中にリズミカルな音が混じっているのを耳が拾った。


 ザク、ザク、ザク……。


 「うそっ――」

 なにかが近づいてくる! 

 川男が戻ってきた?

 なぜ!? どうして!?

 いつになくしつこくない? 

 

 心臓が縮み上がった。慌てて逃げようとしたら足がもつれ、再び尻もちだ。足音はすぐそこに迫っている。パニックになった私は、座り込んだまま動けなくなり、息をのんで固まることしかできなかった。


 しかし、足音とともに木々の間から現れたのは、うちの学校の制服を着た男子生徒だった。

 よかったぁ~、人間だ!

 安堵した私は、大きく肩で息をする。

 その生徒は、私のスクールバッグを拾い上げると、「大丈夫か?」と声をかけてくれた。

 

 あれ? この人……。

 うあああっ、トヨサト先輩!


 すっとこちらに近づいたトヨサト先輩は、ポカンと見上げる私に、大きな手を差し出した。

 それはすごくナチュラルな仕草で、吸い寄せられるように、私は腕を上げる。


 いつだって長いそでで覆われている私の手。今日もオーバーサイズのカーディガンにすっぽりと包まれていた。華奢きゃしゃ見せのため――なんていう可愛らしい理由でやってるわけじゃない。人と手を繋がないための苦肉の策なのだ。

 しかしそのカーディガンの袖がズルリと滑り落ちたのに、私はそのまま、むき出しになった手を彼に向かって伸ばしてしまった。


 だって仕方ないでしょう? 彼は我が校で一二いちにを争うイケメンだよ。そんな男子が親切心から手を伸ばしてくれてるってのに、それを拒絶する女子がいる?

 まあ……正直言って、カッコよさにぽうっとしてただけなんだけど。


 こうして私は、素手でトヨサト先輩の手に触れてしまったのだった。


 ぐいっと身体が持ち上げられ――

 チリチリッ。

 出し抜けに覚えのある痛みが手のひらを走った。 

いたっ……!」

 先輩は声を上げながら雷にでも打たれたみたいにビクッと震え、私の手を振りほどいてしまう。

「キャッ!」

 私のかわいそうなお尻は、湿った音を立てて、またまた濡れた芝生に逆戻り。なんと三度目の尻もちだ。

 目の前のトヨサト先輩は、驚いたように自分の手のひらを見つめている。


 驚いたのは私のほうだ。

 まさか……まさか先輩が?


「ああっ! 悪い! ……静電気かな?」

 すぐに我に返った先輩は、慌てた様子で再び私の手を取った。

 やはり小さな刺激がある。

 トヨサト先輩は、また身体をピクリと揺らしたが、今度は手を離すことはなかった。それどころか彼は、「えっ」と一声発したあと、私の手を握りしめたまま中腰でフリーズしている。


 どうしたんだろう?

 見上げれば、先輩の視線は、私の頭を通り越して、まっすぐ前方に向けられていた。いぶかし気な目で何かを見つめているのだ。


「な、なんだ……?」

 そうつぶやいたトヨサト先輩は、数回の瞬きののち、ぐいっと私の手を引いた。

 力まかせに私を引っ張り起こし、守るように自分の後ろに隠すと、「うそだろ」ともらす。

 険しい表情で彼が凝視している方を確かめると、数メートル先の木の脇に、川男が立っていた。


 トヨサト先輩には川男が見えている! 

 やっぱり彼は手眼者しゅがんしゃだ。


 バケモノを見ることができる能力者。それは眼力者がんりきしゃ手眼者しゅがんしゃの二種類に分けられる。

 眼力者は自分の力だけでバケモノが見えるが、手眼者はそうはいかない。眼力者と手を繋ぐことによって、はじめて見えるようになるのだ。

 眼力者と手眼者が手を繋ぐと、静電気みたいな刺激を互いの手のひらに感じる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る