24 「六百年生きただけはあります」






 「おっと」と、わたしと蛍火の声、両方とも言った。

 出入り口は蛍火から見て下にあったのか正面にあったのかは分からなかったけど、わたしは飛び込んだのでどこが着地するべきところか分からなくて。落ちる前に、蛍火が阻止してくれたらしい。手を引っ張られて、受け止められた。


「蛍火……!」


 ぼふっと衣服に突っ込んだ顔を上げると、「どうも、お久しぶりですね、睡蓮様」と蛍火が嫌味を言ってきた。


「一ヶ月も経ってなかったでしょ」

「一ヶ月でも一週間でも音信不通であれば心配になります。どこにいらっしゃるかは分かっていましたが……紫苑様とは、西燕国でお会いに?」


 やっぱり、それは分かっていたのか。


「恒月国から西燕国への使者の中に紛れてたみたい」

「ああ……睡蓮様もしておられましたね」


 変な納得をした蛍火は、目を下の方に向けた。

 単なる床だった。そこに、出入り口があったのかもしれない。


「六百年生きただけはあります。彼の力もそれなりに強くなってきているようです。結界で全く手出し不可能でした。睡蓮様からきっかけを作ってくださって良かったです」


 神秘の力は、生きた年数で変わる。大きくなる。強くなる。


「蛍火の方が長く生きてるでしょ」

「ええ。軽く二倍は。しかし神子は神子です。神の代わりにこの世を治める者として選定中にある王とは、残念ながら存在の意味が違います。私達は完全なるただの人に戻れますが、王はそうではありません」


 決定的な線があり、決して越えられはしない。だから、ひよっこの王であれば分からないが、かなり長いと言える年数を重ねた紫苑には敵わないようになっているのだと、淡々と蛍火は言った。


「直接行こうかどうか迷いました。まさか万が一紫苑様が睡蓮様に無理強いするようなことはないと、それなりに信じていましたから、待つことにしましたが」

「無理強い……?」

「ええ」


 そう言う蛍火が、わたしから軽く身を離したことで、今さらながら抱き止められたときのままだったと気がついた。

 受け止めてもらったことを含めてお礼を言って離れると、「どういたしまして」と蛍火は定型句を口にしただけのように、意識は見えるようになったわたしの全身の方に向けていた。


「そのような服装を見るのは、二百年前以前でも随分お久しぶりと言いますか……それは──」


 何かに目を留めた蛍火が、いきなりわたしの手をとった。

 彼の親指が、弾かれる。一本の指の付け根にある指輪に触れたときだった。


「蛍火、大丈夫!?」


 音がして弾かれたから、わたしには何の衝撃もなかったけど、びっくりした。


「全く問題ありません。……この指輪は……」


 驚いたように指輪を凝視していた蛍火が、わたしを見た。


「一体どんなことになっていたのか、ぜひ聞きたいですね」


 彼はにこりと微笑んだ。

 わたしは話し始めた。蛍火が音信不通になったという、わたしが紫苑と会った日からどうしていたのか。

 目が覚めたら恒月国にいて、出ていこうとしたら鍵はかけられているし、結界が張られているし、蛍火からもらった鏡はないしで、連絡の術すらなかったこと。

 指輪には、どうやらわたしの力を無効化する効果が付与されているらしいこと。


「……この指輪、どうにかして取れる?」

「難しいですね。王本人が取り外しすることを前提として作られているものですので」


 私も今はまともに触れられさえしません、と蛍火は手を挙げる動作をした。


「しかし……普通に考えてこの指輪では単にそれらの効果が主題で嵌めたのではなさそうですが。その格好と合わせると、納得しかないですね。──二百年越しの想いでも告白されましたか」


 ぽんぽんと推理する蛍火のとどめの言葉に、わたしは驚愕である。

 どうして知ってるの?


「どうして知っているのかとでも言いたげですね」

「どうして知ってるの? 知って、たの?」

「この指輪を見れば一目瞭然です。当たりですか」


 あまりに冷静に言う蛍火に対して、いきなりのタイミングで暴かれたわたしは、記憶が甦って熱が一気に込み上げてきた。

 囁かれる言葉や声、口づけされたこと、抱き締められて生じた鼓動。


「……あなたは、そんな顔をする人だったのですね」


 熱を孕んだ顔を分かりにくくからかうようなものではなく、蛍火は、彼こそそんな顔をする人物だったのかと言いたくなるような表情をしたかに見えた。

 けれど、瞬きの間に消える。


「ですが、睡蓮様は正当な道から出てくるのではなく、『脱出』と言える手段で出てきましたね」


 正当な道、とは平和的に、紫苑が結界を解いた上で恒月国を出ることだろう。

 わたしは、きゅっと拳を握った。


「……紫苑に、死んだ理由を聞かれるのがこわくて」


 ぽつん、と蛍火に溢した。


「そのまま黙っていられる気もしなかった。いればいるほど、苦しくて」


 苦しくて、苦しくて。最後だと分かって会いに行って、過ごしていたときより苦しい。

 恒月国でも言えなくて──おそらくこの世界で言えるのは蛍火しかいない現状に、ぼろぼろと吐露すると。

 ふわりと、正面から、抱き締められた。


「睡蓮様は……本当に、幸せになれない人ですね」


 降ってきた蛍火の声は、ため息をつくかのようだった。


「何よそれ」

「そのままの意味です。それで、どうするおつもりですか。そのまま絶縁には出来ないでしょう?」


 出来ないわけじゃない。やろうと思えば、出来るだろう。

 だけれど、愚かなわたしは、そうしたくないと思ってしまう。

 そうでなくとも、紫苑に対しての責任を取るという意味で、再会したからには義務がある。二百年前、突然死んだわたしのやるべきこと。


「…………紫苑に……わたしが死んだ理由を言うしかないと思ってる」

「言えますか」

「言うために、一回、落ち着きたい。だから離れてきた」

「そうですか。では、その間はこちらに連絡があっても取り次ぎはしないと約束しましょう」


 ありがとう、と言うと、恐縮ですと返ってきた。

 そのあと、とりあえず着替えることになって、神子の衣服に着替えた。それから雪那のことを確認しておこうと思った。


「わたし、一旦内界に戻ることも雪那に言ってなくて、恒月国に行ったんだけど」

「それでしたら、私が睡蓮様が恒月国に移動したと分かったので、西燕国の神子を通して一度内界に戻っていることにしています」

「そっか。良かった。ありがとう」


 西燕国からの出国は、自分のタイミングではなかったけれど、一ヶ月も経っていない。雪那は上手くやっているだろうか。


「雪那の様子は知ってる?」

「睡蓮様がいなくなられたことには残念そうな様子をお見せになったそうですが、体調や生活の流れ自体に異変はなく、様子もいつも通りだと聞いています」

「そっか」


 蛍火、わたしの代わりに雪那のことを気にかけてくれていたのだろうか。

 とりあえず、わたしの突然の不在はごまかされていたようだし、情報にひとまずほっと安心する。

 ……蛍火には悪いけど、日帰りでいいから、ちょっと様子を見に行ってもいいだろうか。内界にはいなかったけど、日は経っているし……。


「神子長様!!」


 緊張を纏う声が鼓膜に突き刺さった。

 何事、と見ると、神子が一人やって来て、蛍火に向かって一礼する。


「何事だ」

「西燕国に異変が」


 

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