4 「内界には行かない」





 蛍火は、ゆっくりと顔を起こして、わたしを見た。

 そして、何をしたのかというわたしの問いに簡潔に答える。


「神子の印を」


 神子みこ──神に仕える者たちである印。神子たちが体にその印を持っていることは知っている。彼らの誇りでもある。

 でも、わたしは神子ではない。その印を刻まれる心当たりがなさすぎて、戸惑うどころではない。


「なんで」

「もちろん、あなたを見失わないように」


 そして。


「一緒に来てもらうためです」


 と、蛍火は言った。

 約千年の付き合いがあった男の考えが、まったく読めないと思った瞬間になった。

 一緒に? 来てもらう?


「どこに」

「私はこれから『内界』に戻るところですから、『内界』に」


 内界ないかい、とは神子のみがいる土地だ。一つの小さな国と言える場所で、国々の中央に位置している。

 そこを中心として、『内界ないかい』。その外にある国々を全て『外界がいかい』と言い表す。

 内界と言われる理由は、神と直接繋がる唯一の場所だからだ。別に物理的にだとかで隔てられているわけではない。特別な土地だから。


 わたしは、内界に連れていかれる心当たりもないし、この国から出るわけにはいかない用事がすぐに頭に過った。


「内界には行かない」

「睡蓮様に拒否権があるとでも?」

「ないって言うの?」


 何だと。あまりに理不尽で強制的な言い種に、かちんときた。

 それなら徹底抗戦する構えだ。負ける気はない。完全に以前の空気と、目付きになって受けて立つ構えを示してやった。

 対して、蛍火は首を傾げて、少し黙った。


「ではお聞きします。行かない理由は何でしょう」


何って。


「……弟に、会いに。……宮殿に行きたいの。この国から出ていくなんて、ありえない」

「睡蓮様の弟、ですか。ああ、いえ、今世のということですね」


 一瞬怪訝そうな顔をした蛍火は、以前のわたしに当てはめてしまったらしい。

 蛍火と共にいたとき、約千年の時を過ごしたこともあり、伴侶のいなかったわたしの家族は全員いなくなった。その中にはかつての弟がいた。


「その弟さんは、なぜ宮殿に」

「王候補として連れていかれた」

「……そういえば、この国の王の選定が始まっていましたね。百年前に王が倒れて以来、ここ百年王がいませんでしたが……」

「それ、本当なの?」


 通常、遅くとも次の王は十年と開かずに選ばれる。しかし、この国にここ百年王が立っていないらしい。

 百年いないとは耳にしていたが、信じ難いことだった。百年なんて、他国を含めた歴史からしてありえないのだ。


「事実です。百年前の王も、百年振りでした。まるで、神が決めあぐねているようで……そこに、睡蓮様が現れたのですが」


 言われて、わたしは一歩後ずさる。

 冗談じゃない。王になんて、もうならない。


「いえ、ご安心を。王は、見つかりました」


 遊んだ? わたしで遊んだ?

 と言いかけたが、「見つかったの?」と別のことを確認した。

 二年前、「弟が連れていかれた王の選定」に決着がついている。


「はい。……睡蓮様、弟君おとうとぎみの名前は」

雪那せつな

「……雪那、様ですか」


 様、と言ったことと、思わしくない表情に察してしまった。


「……まさか」


 あの子が。


「はい。王に」


 まさかのまさか。弟が王に選ばれてしまった。

 呻き声が、勝手に出てきた。まさか、王に選ばれるとは、だ。

 空と地が離れているように、王と平民は隔てられている。普通、王は街には下りず、姿さえ見ることの出来ない存在だ。宮殿の中ですら、奥宮にいて、宮の召し使いでも階級によっては会えない。姿も容易には見られない。

 現在のわたしは平民だ。

 元々宮殿に入るにも方法が分からなかったのに、決定的に簡単には会えなくなってしまった。


「ああ、ですが、ちょうど良いですね」

「何が」


 聞き返しが、若干低くなった。

 何がちょうどいいんだ。のんきな言葉に、蛍火には理不尽だろうが切れかけでもある。


「つい先ほど、私は睡蓮様に神子の証をつけました」

「勝手にね」

「何とでも。その勝手がめでたく正当化されます」

「なんで」

「睡蓮様を、神子として宮殿に送りましょう」


 …………?


「……神子」

「はい。王となられたのであれば、普通は会う身分が限られます。その点、神子は他の臣より基本的に身分が高いと言えるので、言うことなしです」

「……」

西燕せいえん国への使者としてお行きになれば、会えますよ」


 その代わり、と、麗しい神子は、


「その身分を活用するからには、神子となって下さい。そして、西燕国には好きなときに行ってもいいので、本拠地は内界に。──私の元にいて下さい」


 交換条件を突きつけてきた。


「……どうして、わたしを側にいさせたがるの」


 蛍火は、もうわたしに関わらない方が幸せなんじゃないかと思うのに。王とその国付きの神子という関係があってこその付き合いで、ないのにわざわざ関わる利点なんてどこにもない。


「以前は私がお側にいたので、この機会に反対もいいかと」

「ええ?」


 そんな理由?

 思いっきり、ええ?という顔をするが、蛍火は微笑むばかりだ。

 ……この神子は、そんなに変わり者だったろうか。


「わたしといて、後悔しない?」

「する理由が見当たりません」

「いや、前の分こき使うつもりなら、それはそれで思う存分やってくれていいんだけど……」

「何をとんちんかんなことを仰っているのですか。それより、その返事は了承と取りますよ」

「とんち──? まあ、うん」

「……本当に?」


 そこで疑うのか。

 わたしは、取引受け入れの理由を説明することにする。


「雪那に会える方法探してたから、その方法くれるなら願ったり叶ったり。で、雪那が王になるなら、雪那の人生はたぶんこれから長くなるから、同じような長さを生きていける神子としていられるのは、有り」


 王は、長く、長く生きられる。

 家族は老い死んでゆくが、王は老いず、殺されることがない限り、生き続ける。

 わたしは、弟が王に決まったのなら、王になること自体を阻もうとは思わない。決まったのなら、彼が王になるべきだ。なるのだ。

 ただ、側にいてやりたいし、側にいられなくてもせめて同じ時を生きてやりたいと思う。家族が死ぬのって、悲しいと、先日お母さんが死んで思い出した。

 王の守るべき家庭は国で、国民は家族であって家族ではない。王の家族は、唯一、伴侶を迎えたときだけ、一人のみ。

 あまりに長い治世になると、段々薄れていくものだけれど、やっぱりそのときは辛いものだ。


「勝手に神子にしたのは一生忘れないけど、利用させてもらえるのはありがたい」

「……西燕国付きには、させませんが」

「なんでそこは頑ななのか分からないんだけど」

「単に、私がもうどこかの国の勤めになるわけにはいかないからというだけです」

「? どうして?」

「神子長になりましたから。こうしてたまに出てくることはあっても基本はずっと内界勤めで、これから先、国付きになることはありません」


 神子長みこおさ、とは。

 文字通り、神子の頂点。神子の中で一番偉い人。王とは別の意味で、神に最も近き人。

 まさかの昇進、それも最大の昇進を果たしていた蛍火に、わたしがぽかんとしている内に、「失礼します」と手を取られる。


「神子長が、なんで、今日ここにいたの」

「百年振りに王が立つ関係で、この国の要所を回っていました」


 ここは、首都で一般のものとしては一番大きな、神を祀る場所だ。


「とは言え、睡蓮様に会えたのはたかだか偶然とは思えませんが……。……睡蓮様、あなたは確かに生まれ変わられたようです」


 今さらなに?

 わたしは、首を捻った。


「あなたには、神子が持つ『神秘の力』がほとんどないに等しいです」


 うん、薄々知ってた。





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