5 「分かってる」






 かつてこの大地は神が治めていた。

 しかし、大昔、神は大地をいくつもの国に分け、それぞれに人間の『王』を立てた。

 これが現在の体制の始まり。

 王は、神より不老性を授けられ、王によるといつまでも国を治め続けることが可能となった。理論上は。

 人の王は、人ゆえに度々道を外す。

 欲に溺れ、悪政を取り、民の反乱、臣の裏切りに遭ってきた。

 王は、神による神に代わって永遠に地を治める人間の選定中である。純粋なる人間ではないが、決して神ではない。ゆえに不老だが、不死ではないのだ。


 そうして、見目は人と変わらないが、不老性を得た特別な人間が治める国々。

 昔、一人の王の治世が千年も続いた国があった。過去、どの国も長くて五百年という記録しかなく、千年は破格。

 その時代は『千年王国』と言われている。

 女王の名を睡蓮。時代の幕切れは、自害によるものだったとされているが、当時国民は悲嘆に暮れたという。

 その王が倒れ、二百年が経つ。


「以来、その時代を治めた王は、『千年王』と呼ばれています」

「……おかしいね、千年経つ前に死んだはずだから999年のはずなんだけど」

「もうその辺りは誤差ですよ」


 そんな会話をしながら、歩くのは『内界』にある建物の中だった。内界には建物が十程度ある。

 その中央の建物は、一番重要で一番大きな建物だった。

 わたしが歩く左右に、水鏡があり、神子が側に控えている。


 内界にあるこの水鏡に、各国の王候補として十人ほどの居場所が映し出されることで、神子が迎えに行く。

 宮殿に集められた者たちはしばらくそこで神子として生活し、改めて王となる一人が決められる。他の者はそのまま神子となるのが普通だ。神子の身分は特別だから。

 二年前、弟が家を出ることになったのは、何を隠そう王候補だと、神子に連れていかれたためだった。止める術はなく、そもそも止めることは出来ないとわたし自身が思った。


「もう少し、私との再会と時間を惜しんでいただけると嬉しいのですが」


 大きな水鏡の一つの前に至ると、蛍火がそう嘆いた。


「時間なら、これからもあるでしょ」

「……そうですね」


 蛍火は、嬉しそうにした。

 そんなに、嬉しそうにするものだろうか。少し複雑な気持ちになる。


「ここを通れば、西燕国の宮殿内です。神子がいるはずですが、話は通しています」


 わたしの服装は、神子のものとなっていた。青い衣服は、マントを着ると重い仕様なのだと初めて知った。マント分厚いもんね。


「約束は守って下さい」

「分かってる」


 マントをいじりつつ、返事をした。

 雪那に会って、しばらく様子を見たらとりあえず一旦は内界に戻ること。約束はそれだろう。

 全く、ケチなことを言わずに、気が済むまでとか言ってくれればいいのに。まあ、これほど早く会えるようになったのは、蛍火のお陰だ。まともな神子でもないのに、派遣する形を取ってくれたことに感謝しなければ。


「……やはり私も行きます」

「え」


 衣服をいじっていた手を止め、わたしは顔を上げる。

 蛍火は、何だか不満そうな目を、わたしが見るとすっと前に向けた。なんだなんだ。


「蛍火が行くと、他の神子が『何事』って思わない?」


 真っ黒な瞳が、視線をこちらに寄越した。

 蛍火がフードを被り、顔の前を撫でるように、手を動かす。すると、青色のベールがかかり、蛍火の顔をうやむやにした。


「睡蓮様もしておきますか」

「わたしのことを知ってる神子、まだいる?」

「西燕国にはいません。西燕国の神子は一新されましたので、いるとしてもここ内界です」

「じゃあいい」


 そのベールは邪魔そうだから、なくていいならない方がいい。


「では行きましょう」


 水鏡が、光り、真っ白になる。

 その中に、足を踏み入れる。

 一歩、二歩。

 扉を通り抜けるように数歩歩けば、もう場所は変わっていた。

 前に、フードは被っていない神子が頭を下げ、今頭を上げた。


「お待ちしておりました。神子長様の特使だとお聞きしています」


 そんな大層な肩書きをつけてくれたのか。普通に派遣されるより、自由に動けるようしてくれたのだろうか。


「一名だと、お聞きしていたのですが……」


 出迎えてくれた神子の視線が、わたしの後方に移った。

 後から出てきた蛍火だ。

 ベールで、はっきり見えるのは目だけの蛍火は「急遽二名で」としれっと言った。


「西燕国王はどこに」

「西燕国王であれば、現在はお勉強のためおそらくお部屋に……」


 聞くや、蛍火はわたしを促してその場を後にした。

 内界に繋がる水鏡は、各国には一つだけ。場所は宮殿の奥の宮の一つにある。


「百年振りの王が、あのように頼りない方で大丈夫だろうか」


 聞こえた言葉に、ぴたりと足を止めた。

 どうやら、声の主は複数人で廊下を歩いていくところのようだ。耳を澄ませ、会話の続きを聞く。


「何も知らない。学ぶことがありすぎて、あれでは政治が出来るのはいつになるのやら」

「百年王がいずに回ってきたのだ。この国は王がいなくとも回るのではないか」

「しっ、誰に聞かれるか分かったものではないぞ」


 会話はそこで一度途切れたが、ため息が聞こえた。


「『千年王』や恒月国の王のような方であればいいが……先代王は欲にばかり耽ったそうではないか」

「千年王国の頃が懐かしい。かの時代の王は、どれほど素晴らしかっただろう」


 見たことなんてないくせに、どうして懐かしいなんて言えるのか。

 染々と懐かしむ声が、理解できず、叱責してやりたい気持ちがわき上がってきた。過去を羨望してどうする。その過去も、羨望するべきものでないというのに──


「睡蓮様」


 肩を叩かれ、我に返った。

 振り返ると、わたしが止まったことで同じく止まった蛍火が先を示した。

 そうだ、それより、弟だ。


「……蛍火、ここでその呼び方は控えた方がいいんじゃない?」


 廊下を歩きながら、指摘した。


「『睡蓮様』ですか? 他にない名前ではありませんから、問題ないでしょう。先々の王としてのあなたの存在は、『千年王』という呼称の方で強く伝わっています」


 どうも、譲らないつもりらしい。


「雪那の前では、ややこしいから呼ばないようにね」

「心得ています」


 蛍火には、『睡蓮』で妥協しよう。彼には睡蓮として接してきたのであって、蛍火に関してはそれを拒む理由は今となってはない。

 むしろ、これから付き合いが長引きそうだし。


「即位式の準備が始まっているようですね」

「そう?」

「はい。……睡蓮様は、式典の類いは準備が始まっても中々気がつかない方でしたね」


 蛍火曰く、様子がそうなのだという。

 近く、民に王が立つことが知らされ、各国にも知らされ、即位式が行われるだろう。ちなみに各国に知らせるのは内界の神子の仕事だ。内界の神子は、各国の王の選定を神に代わり取り仕切っているため、即位式の際にも使者となる。

 あとは、王が倒れたときくらいだ。


「人払い?」


 部屋の前にたどり着いて、取り次いでもらおうとしたら言われた。

 王は今休憩中で、人払いを所望。誰もいれるなと命じられているらしい。

 わたしは蛍火を見上げ、視線を交わす。

 どうしよう。


「入ります。陛下にお耳に入れておきたいことがあります」

「ですが……」

「入ります。責任はこちらで取ります」


 神子の身分は特別だ。王と最も位が近いのは、神子と言われている。

 その神子に言われては、通さないを貫ける者はそうそういないだろう。

 蛍火が断言の口調で扉に手をかけると、もう警備の者は何も言わず、止めようとしなかった。


「睡蓮様、どうぞ」

「ありがとう」


 蛍火は入らないのか。

 わたしが中に入ると、蛍火は外にいるまま扉は閉まった。



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