第2話 2020の夢

 「行って来まーす」

「気をつけるのよー」

 背中が隠れるくらいの大きな黒いリュックを背負って、駈は自宅を飛び出した。自転車に跨ると、ベルを2回鳴らして母親に応える。まだ、6時半。駈の朝は慌ただしい。愛馬・アグリキャップの世話だ。厩舎の掃除や餌やり当番は先輩と同級生5人の交代制なので週1か週2。それでも“アグリ”が気になる駈は、週の半分は授業の前に厩舎に顔を出す。朝と昼の2つの弁当を前の晩に準備するのは、朝ご飯を“アグリ”と共にするためだ。市街地から緩い登りが続く高台に学校はある。電動アシストがついているが約20分。ペダルを漕ぐと身体が温まってきた。

「おはようございます」

「おはよう。相変わらず早いね、カケル」

今朝の当番は、西塔さいとう百香。駈の1つ先輩の2年生だ。3頭いる馬にブラシを当て、餌を与えているうちに手早く厩舎を掃除する。朝当番は食事の世話も大事だが、健康状態の観察が重要な仕事だ。駈は“アグリ”が見えるベンチに腰を下ろすと、専用のボトルに入れてきた味噌汁をすすり、海苔を巻いたおにぎりを頬張る。三角形に握るのは、少し苦手だ。時折、“アグリ”と目が合う、気がする。

「これだけ一緒にご飯食べていれば、仲良くもなるわね」

多少の嫉妬を込めて百香。

「仲良くしてくれてるのかなぁ。私、そんな気がしないんですけど」

「“アグリ”は3頭の中で一番、人を選ぶの。草を食みながらカケルを気にしているのがその証拠よ」

「ただ単に、おにぎりに関心があるんじゃないかしら」

「どうかな?」

デッキ・ブラシを片付けながら、百香は含み笑いを見せた。

「ねぇ、カケル。の方は進んでいるの?」

「うん、まだ下調べ段階。後、それぞれの団体や各県の農業高校に出す手紙を準備しているところなんです」

“あっち”というのは、駈が考えているアイデアのことだった。まだ満足に馬に乗れない駈には、2020年の東京オリンピック出場は夢のまた夢だ。海外から訪日する外国人は急増するし、総理も政府も『』を掲げている。確かに、野球とソフトボールの一部の試合は福島で行われるが、アメリカとアジア各国で盛んな一方、世界全体で見たらメジャーな競技ではない。大会期間中、日本観光を楽しむ外国人の足を東北に向けてもらう方策を考えていた。

「東海道新幹線と東北新幹線の沿線を考えてみて」

ベンチの隣りに座って水筒のミルクティーを飲んでいる百香に話し掛ける。

「そうだよね。あっちには富士山もあるし、日本の古い文化満載の京都もあるでしょ。少し足を延ばせば、お色直ししたばかりの姫路城や広島の原爆ドームや宮島もある。知名度からしても勝ち目ないよね」

「東日本大震災へのシンパシーは感じてくれても、オリンピック目的に来日している外国人だから、基本お祭り気分でしょ。原発事故ので放射能が漏れた“フクシマ”はやっぱり、お祭りとは正反対のイメージしかないじゃん」

どう考えても2人のテンションが上がる根拠は見つからない。


「で、カケルが一縷の希望を託すのが田んぼアートなんだよね」

「まあ、そんな大げさなもんじゃないんだけどね。全国でやってるけど、青森県の田舎館村とか山形県の米沢市とか東北は割と早い段階から取り組んでいて元気もあるの。調べてみたら、岩手県の平泉町や秋田県の北秋田市もよ。埼玉県の行田市や越谷市でもやってるの。クオリティだって高いんだから」

駈が目を輝かせる。

「分かった、分かった。それをバラバラにやるんじゃなくて、みんなが繋がって協力するんだよね、カケルのアイデア」

「だって、それぞれが競うって、ライバル関係ってことでしょ。互いに高め合うライバルならいいけど、お互いが疲弊するだけの敵同士ってもったいないじゃん」

「そうね、もったいない。『もったいない』ってさ、確かケニアで環境保護活動やってて、ノーベル平和賞も受賞したマータイさん、ワンガリ・マータイさんに指摘されたのね。日本にしかない美しい言葉だって」

「日本にしかない言葉なのに、外国の人から指摘されるのも何かなって、複雑だけどね。でも、平泉なら中尊寺の金色堂とコラボもできるし、宮城だったら日本三景の松島、栃木の宇都宮だったら外国人に人気の日光と繋がれれば一つのムーブメントになるかなって思うの。バラバラってもったいないでしょ」

百香の言葉に、何か思いついたように駈がパチンと両手を叩いた。

「あっ、それってどれも東北新幹線の駅だよね。オリ・パラって7月下旬から9月でしょ。夏真っ盛り。東北は青森のねぶた、仙台の七夕、秋田の竿灯って8月でしょ。何かグッド・タイミング」

「秋田って言えば、大曲の花火もあるじゃん。東北新幹線じゃないけど、花火つながりで言えば、新潟の長岡花火も日本一の大花火で有名だし。上越新幹線で行くことができるわ」

「何だ、オリンピックから、お祭りムード損なわずに行けるイベントもあるんだね。プランに上書きしなきゃ、だね」

誰かと話すっていいな。駈は思った。1足す1は2じゃないんだと。

「だね。じゃあさ、自治体だけじゃなく、JRとか旅行会社とかにも相談した方が良くない?」

「うん。東京オリン・パラだけじゃなく、その後の観光対策にもなるんじゃないかしら」

「東北も新潟も日本有数のコメどころだし、東北新幹線や上越新幹線の沿線で田んぼアートが鑑賞出来たりしたら嬉しいんじゃない?」

「うれしい、うれしい」

百香が大袈裟に足踏みして反応する。

「仙台から広島に行く時に乗った飛行機の機長が『右手に能登半島が見えます』ってサプライズで機内アナウンスしたんだけど、ホント地図で見たまんまの形の半島が見えたわけ。わぁ、伊能忠敬カッケーって思っちゃった」

「サプライズ、大事よね。新幹線でも運転士の人が案内してくれたらうれしいかも」

「車両についてるニュースとか流れる電光掲示板じゃなくてね」

「あれムードないじゃん。大体、気づかないし。観光なんだから何かサプライズ欲しいじゃん」

「でも、私たちが乗るわけじゃないんだよ」

「あっ、そうか」

手を合わせて笑い合う2人を“アグリ”が不思議そうに見ていた。

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