第6話

 翌日、支店長室で機械部長も前にして決意を伝えた。

 「君らしい決断だな。課長のポジションを用意しないと、ひょっとして居残るのかと心配したのだが、それでもダメだったか。人生は一度しかない。決断した以上決意を貫くように」

 「支店長、分に過ぎるご配慮を賜りながら、ご厚意に背いてもうしわけありません。交代者が着任しましたら引継ぎはきちんと済ませます」

 支店長室から見下ろしたミシガン湖が秋の陽に輝いていた。六年間の駐在が終わろうとしている。


 数日後に食品部長から電話があった。

 「中畑、支店長から聞いたよ。大決断だな。会社にとっては損失だが、そのような選択ができる君を羨ましく感じるよ」

 「会社に迷惑をかけることになり心苦しいのですが」

 「そんなことは気にするな。今の社会の変化からすると、もう十年もすれば君のような生き方は当たり前になるかもしれない」

 総合商社のどこもが早期退社を募り多くの商社マンが転職に応じるのはそれから十数年後であった。食品部長の予言は当っていたことになる。

 「ところで、しばらく前に君にビート調査団のアテンドを頼んだことがあったな」

 「ノースダコタへ案内した時のことですか?」

 「そうだ。あの調査団のおかげでビートの長期輸入が軌道に乗り俺の部の売上に貢献している。あの時の団長が米国に連絡事務所の開設を考えていて、適当な人材の照会を受けているんだ。価格交渉や買い付け量を見極めるためでフルタイムの職員を置く必要もないので、他の職業を持つ者の兼務を希望している。日系人が希望だがいなけれな米人でも、ということで物色しているのだが適当な人材が見当たらない。君はノースダコタに移るそうだけど、パートタイムで引き受けることはできないかね。カリフォルニアも合わせて管理下に置かれるが、米国の事情に通じた君なら先方は喜ぶはずだ」

 「それは結構なお話です。喜んで受けます。起業を考えていますが、立ち上がるまでにはしばらく時間を要します。このお話は当座の生活の足しになり助かります」

 「起業か。君もやるね。そのようなことならばこの国に居残るのが当然だ。早速、団長に伝える」

 翌日に、中畑ならば鬼に金棒で大歓迎するとのテレックスがあったと食品部長から電話があった。


 同じ日にテキサスで日米合弁企業の社長を務める商社に同年入社した辻健一から電話をもらった。

 「中畑、きょう商用で商社のニューヨーク本社に電話したんだ。俺の元ボスがシカゴ支店長と懇意にしていて、支店長から君が退社することを聞いたそうだ。大決断だな」

 「四十歳を契機に組織を背にしない生き方もあるのではないか、と考えてね」

 「起業か?」

 「これまでは世界最大の商社の名が俺の背後にあった。その背後の看板を取り払った中畑というひとりのビジネスマンの実力は? 人生一度しかない。その選択肢を見過ごすこともなかろう、と思ってね」

 「昨年、君のお宅で夕食をご馳走になった。あの時の女性といっしょになるのか?」

 「そうだ。彼女の実家のあるノース・ダコタに移るつもりだ」

 「サラさんだったね。明るくてしっかりした女性だ。素晴らしい伴侶になるだろう。よろしく伝えてくれ。ロスに駐在していた田崎から先日電話をもらった。田崎も転職を考えているそうだ。今の俺は合弁会社の黒字化のために翻弄される毎日だが、トンネルの先に明かりが見える段階には達した。黒字が定着したら身の振り方を考えねばならないだろう。君たちの生き方は俺にも励みになる。がんばってくれ」

 友を持つものだ。中畑は辻の激励が嬉しかった。


 交代要員は本社の機械部門の五年下の男であった。六年前に借りた倉庫兼事務所はその後手狭になり、拠点は数ブロック離れた別の工業団地の一角に移っていた。新駐在員が中畑の借家を引き続き借りることになり、家具も引き取ってもらえることができた。

 初冬のある日、中畑とサラは二台の車に衣服や身の回りのものを積んでノースダコタに向かって借家を後にした。サラの車は最近乗り換えた新車の日本車だ。ノースダコタには初雪があったと前夜サラの実家から電話があった。

 今回は途中で一泊せずに直行したので夕刻遅くにサラの実家に着くことができた。夏休み中に泊まったサラが昔使っていた部屋がしばらくの仮住まいになる。ジミーを横にしたサラが中畑に背中を押し付けてその夜は過ぎた。


 翌朝、ふたりは実家がある郡の庁舎に向かった。

 郡長は司祭と同じように男女の婚姻に立ち会うことができる。郡長は元高校教師だったそうでサラを覚えていた。

 「それはおめでとう。卒業後音信が絶えたままだったので気になっていたが、素晴らしい伴侶じゃないか」といって部屋にいたふたりの女性を呼ぶ。立会人にするためだ。

 歩み寄ったふたりの女性職員のひとりが中畑に向かって、「あなたは調査団の通訳をしていた方ね。当時の私はテレビ局に勤めていて、あの会場ではカメラマンのアシスタントをしていたの。国際ビジネスマンと結婚するの?」とサラを振り向く。高校ではクラスメイトだったそうだ。

 その場で儀式が始まった。郡長が中畑に向かって、この女性を伴侶にするか、と問う。中畑がイエスと答えると、サラに向かって同じ台詞を繰り返す。サラがイエスと応じると、郡長が、ふたりを夫婦と認める、キスをするように、と告げる。ふたりが接吻するとこれで婚姻が成立し、その場で婚姻証明書が手渡された。ものの五分間のことであった。

 郡長と職員たちの拍手に送られて庁舎を出ると、冬の陽がふたりを包んだ。空中に漂う小さな氷片がきらめいている。

 

 春になりようやく雪解けが広がり始めたある日、ビート買付け連絡事務所が開設された。その夕刻にはその開所式の様子が地元のテレビ・ニュースに流れ、翌日の地元の新聞が一面トップで報じていた。

 記事に添えられた大きな写真には、“州知事と握手をする連絡事務所の初代代表であるカズ・ナカハタと、その夫人で加工工場で経理を担当するサラ・ナカハタ”とあった。

  完




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続 セント・オブ・ザ・ウーマン  ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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