第5話
中畑はこの数年あることを考えていた。中畑が扱う荷役機械を購入する倉庫業者たちと懇意になって運輸業界の実情を知る機会が増えた。定期便を扱う大手のトラック会社とは別に、米国には個人や数台のトラックを保有する零細企業が無数に存在することを知った。
これらのトラック輸送は量が小口のために大手が敬遠するものや、製造ラインで発生した欠品や在庫を補充する緊急輸送を不定期に扱っている。
問題は、需要の発生が事前に察知できず、緊急輸送を必要とする需要家と各地に散在するトラック運転手とを瞬時に結び付ける手段に欠けることであった。この双方を結び付けるビジネスを望む声があるものの、事業化する者が出現していなかった。
米国に住み続けるならば、会社員生活に区切りを付けてこのビジネスを起業することが中畑の夢となった。
中畑がこのビジネス機会を思いついた時代にはまだトヨタのカンバン方式は世間では注目されていなかった。しかし日本車の市場占有率が高まり、高品質だけでなく無駄を省いた経営戦略がハーバードのMBAコースでも取り上げられるようになった。
手持ちの在庫量をそれまでの常識では考えが及ばない水準に抑えるカンバン方式は、自動車業界だけでなく他の分野でも広く採用されるようになった。こうして製造業の経営効率は高まったが、負の効果も出始めた。
それは、製造過程で品質管理や製造技術上の不具合が起きて想定以上の在庫を消化してしまうと、手元に最小限度の在庫しか持っていないために部品に欠品が発生してラインを止める事態に陥ることだ。そのため下請けの部品メーカーに緊急の搬入を要請することになる。カンバン方式に隠されたビジネス・リスクといえよう。
まだインターネットや携帯が普及する前の中畑の時代には電話やファックスが双方を結ぶ手段であったが、十数年後にはインターネットの普及で米国の各地にこの小口トラック輸送を仲介する業者が出現した。後の中国ではこの業種で創業者が億万長者になる巨大組織も現れた。中畑の狙ったビジネス・モデルは時代に先駆けていたことになる。
その夜、一度結ばれたサラがいつものように中畑の腕を枕に背を向けて横たわっていた。サラの目から流れ落ちる涙が中畑の腕を濡らす。
腰骨に置いていた男の手が女の腹を伝って手術跡を覆った。手術跡は明かりの下でも目を凝らさねば判別できないほど薄くなっていたが、指先は微かな凹みをとらえていた。女が腰を押し付けてきた。女の股の間から抜いた指から微かなセントが漂う。
中畑はハッとした。女の愛液が放つセント・オブ・ザ・ウーマンだ。
女と結びつけてくれたこのセント。六年前のトップレス・バーでの光景が昨日のように蘇る。
この女の徴であるセントに魅かれてひとつ屋根の下で日々を過ごすようになった。そして、人情味に富むサラの人柄が中畑にかけがいのない温かい家庭の恵みをもたらした。中畑をひたすら慕うサラ。そのサラを愛おしく思う自分があった。
水商売の女も普通の主婦も、その違いは紙一重に過ぎないことも知った。ちょっとした狂いによってどちらにでもなり得る。その普通の女になったサラの自分に対する愛が痛いほど伝わってくる。
この愛に勝るものは幻想に過ぎないのだ。
このセントを放つ女を手放すことはできない。もはやサラのいない日々を考えることはできないのだ。それは、サラと寝食を共にすると決心し、あらたな世界への扉をこじ開けた六年前に中畑が選択したことであった。
支店長の温情あることばに感激したとはいえ、愛と昇進を天秤にかけた自分が情けなかった。
「サラ、君とノースダコタに移ろう。生涯をいっしょにしよう」
サラの耳元で囁くと、裸体を強く引きつけた。
寝返ったサラが中畑にしがみついてきた。サラも心の底ではそれを望んでいたのだ。
サラが激しくメイク・ラブを求めてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます