第4話
ミネアポリスはサラが高校を卒後直後に働いた地だ。よいレストランがあると郊外のステーキハウスで夕食を取った。
翌日の昼前にビスマークから小一時間北のサラの実家に着いた。両親がジミーと会うのははじめてのことだ。
「ジミー、おじいちゃんとおばあちゃんよ。キスしてあげなさい」とサラがジミーの背を押す。サラの後ろに回ったジミーがしばらくして前に進み出た。サラの両親がジミーを抱く。
サラの瞳が潤う。これだけでも訪れてよかったと中畑には思えた。
近所の住民も交えて野外でバーベキューの昼食が始まった。サラにとっては久方ぶりの里帰りだ。近所の男女と談笑している。
ビート組合との会合で会ったサラの兄が中畑に歩み寄る。
「あの調査団のおかげで、今年から日本向けの出荷が始まりましてね。地元は喜んでいますよ」
「ビートの収穫は気温に左右されると聞きましたが」
「そうなんですよ。ある一定幅の気温を外れると砂糖の含有量が変化しましてね。気温がその範囲を外れると収穫途中でも中止しなければならない。その辺りの管理が大変です」
「明日にでも後学のために畑と加工工場をもう一度見せてもらえますか? 前回は通訳で忙しくて細部をみることができなかったので」
「どうぞ。妹は両親と買い物に出かけるそうですから、ちょうどよい。その間に案内しましょう」
畑違いの商社マンが関心を示すのが嬉しかったのか兄は相好を崩している。
実家ではサラが昔使っていた部屋が三人にあてがわれた。
「昔のままだわ」とサラが部屋を見渡す。ロデオ大会で手にしたトロフィーや盾が並んでいる。額に入った写真にはロデオ大会で優勝したサラが写っている。高校生の初々しい顔に、今目にする意志の強さの片鱗が出ている。
サラの実家を訪れその素朴な人たちに接した中畑は、駐在期間が満了すればサラと結婚して米国に残るのも選択肢のひとつではないかと考えるようになっていた。総合商社を就職先に選択したのは、日本を飛び出し海外で国際的な事業に従事したいからであった。その第一歩が商社マンが憧れる米国駐在で現実のものになった。
これまでの駐在期間中の業績も人並み以上で、駐在を終えて帰任すれば相応のポジションに就くはずだ。そして数年後には再び海外勤務が訪れ、ひょっとしてその地の責任者に就くかもしれない。学生時代の夢が着実に実る将来が約束されているようなものだ。
しかし、このように広く海外にチャレンジする、世間が商社マンに抱くイメージとはまったく別の生き方もあるのではないか、という疑問が中畑の心の片隅に芽生え始めていた。
そのような思いを抱き始めたひとつの理由は、米国のビジネス環境にあった。組織よりも個人の力が重視され、出自や学閥にかかわらず責任ある地位を自らの努力と工夫で手にすることが可能な社会が米国には広がっている。販売店の中には同年代の若いオーナーたちが混じる。この国を支えてきた自立と自律の精神が脈打っている。中畑はこの数年の間に、そのような社会に身を置き続けることが快く感じられるようになっていた。
もうひとつの理由はサラにあった。商社マンのままで結婚すればサラとジミーも日本に移り住まねばならない。帰国子女なる語が存在しなかった一九八〇年代の日本にはガイジンが耐えねばならない日本独特の習慣や仕来りが依然として存在した。それらと苦闘することが、サラとジミーにとって幸せなことであろうか。商社マンの夫が再び米国駐在に任ぜられる保証はどこにもない。次の任地は発展途上国かもしれない。
法律上の夫婦にならないのはこのような将来の不安要素があるからであった。だが、中畑が米国に留まる選択をしたならば、どうなるか。サラとジミーとの生活を続けることができ、結婚することの障害も消え去ることになる。
それから二年が経過した。中畑の駐在期間が満六年になろうとしている。
ある日、機械部長から電話があり、その翌日に支店長に会うようにと伝えられた。中畑の予感通り駐在期間のことであった。
「君が駐在してから近く六年になる。そろそろ交代を考えねばならない。本社のある部から君を課長にと内々に話があった。もしそうなると君の同期ではトップで課長に就任することになる。どうだ?」
本社の課長はその後の出世の鍵を握るポストだ。しかも乞われている。会社員にとっては夢のような話である。しかし、そのためにはサラとジミーを残して帰国することが前提になる。
いずれこの日が来ることは分かっていた。当時の日本では外国人の母子が支障なく暮らすことは至難のことであった。しかも残業や出張が多い商社マンのことだ。選択肢は、別れるか、中畑が商社を退社して米国に残るかいずれしかなかった。
「支店長。身に余るお話ですが、数日の猶予をお願いします。ご存知の通り私には同居している母子がいます。彼らの身の振り方も考えねばなりませんので」
「そうだろうな。急ぐことではないが、交代要員のこともあるので来週末までに返事をするように」
「ありがとうございます」と一礼して中畑は支店長室を退出した。
その夕、サラに支店長に呼ばれたと伝えると、
「カズ、駐在の任期が切れるのね。そろそろと覚悟をしていたわ。それでいつ?」
「支店長から受諾の有無を問われたが、来週末まで決定を待ってもらうことにした。君とジミーのことがあるからね」
「米国駐在体験はその後の出世にプラスになる、と私の会社でもどの駐在員もいそいそと交代するわ。あなたも会社の命令に従うべきよ。私たちは今まであなたに過分の世話になってきたわ。これ以上あなたの出世の妨げになるわけにはいかないわ」サラの両眼に涙が溢れる。
涙を拭いながら、「今の仕事は面白いけれど、あなたのいないシカゴには未練はないわ。私は実家に帰ることにする。ビートの事業が広がって、兄の話では加工工場で経理の担当者を探しているらしいの。両親もまだ元気だし、ジミーとの生活は実家でならなんとでもなる。そうするわ」と中畑を見つめる。
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