第3話

 スライドショーの後に十五分の休憩時間が設けられていた。演台を降りた中畑に背の高い男が歩み寄った。サラの兄であった。妹が世話になりっぱなしで、両親も感謝している。その両親が会議室の外で待機しているので会ってくれるかと尋ねる。

 手招きされて両親が演台に近寄った。風雪に耐えた樹木のように深い皺が刻まれた農夫と、その男の背後に隠れるように小太りの女が立っている。中畑が翌年の夏休みにサラと必ず訪れるからと伝えると、父親が固い握手をして、今にも泣き出しそうな女が頭を下げた。兄からも伝わるだろうが、今夜サラに電話をしよう。喜ぶことだろう。

 翌日の昼食に加わった州知事の熱心さにも感銘を受けたようで、調査団の団長が、結論は日本に帰国して関係者と協議する必要があるが、ここも調達先に加えることにすると中畑の耳元で囁く。その際は中畑の商社を窓口にするとも付け加えた。


 翌年の夏休みに、両親に約束したようにサラの実家を訪れることにした。シカゴからはルート九四がノースダコタまで通じている。北隣のウィスコンシン州を通り、ミネソタ州のミネアポリスで一泊した。

 ウィスコンシン州ではルームメイトだった女のボーイフレンドとその幼馴染が営む自動車修理業に立ち寄った。ルームメイトがふたりに抱きついてくる。数年前に結婚したことを電話してきたことがあった。

 そのルームメイトが中畑に向かって、「カズ、あなたが保険会社と仲良くするようにアドバイスしてくれたわね」

 「効果があったかね」

 「ここでは古いモデルも修理するので保険会社からの評判がよくて、事故車の修理がひっきりなしに持ち込まれるようになったのよ。この町だけでなく隣町の保険代理店からも声がかかるの。おかげで隣に保険会社からの修理専用のスペースを新設して、工員もふたり雇ったのよ」と隣の建物を指差す。

 「それはよかった。商売繁盛でなによりだ」

 「そうだカズ、あなたに見てもらいたものがあるの」と事務所の机の上のパソコンを起動した。

 「夜学に通って簿記とコンピュータの入門コースを終えたの。毎日、PCに仕訳を入力しているのだけど、ちょっと目を通してくれる」と画面に日計表を映し出す。

 その画面を見終わった中畑が、「君がしっかり者なのは以前にも知っていたけど、これは素晴らしい。まだ登場して間もないPCにデータを取り込むのは規模の大きな企業だけだ。おそらくこの近辺では君の所が零細企業では唯一の例だろう。誇りにすべきだね」

 褒められてルームメイトの顔が紅潮する。涙を落としそうになるそのルームメイトをサラがハグした。

 「ひとつだけ修正がある」といって中畑がその画面にマウスを合わせて、「保険会社は事故車の査定が終わると修理業者に修理費を送金するのが通常だよね。だから、修理が完了する前に修理代金を受け取る可能性がある。この仕訳がその例だね」とひとつの仕訳を指す。

 「君のこのインプットは左に入金した現金、右に売上を計上しているけど、修理が完了するまでは、右側は売上でなく預り金勘定にすべきだね。修理が完了してオーナーや保険会社に車を引き渡した時に、その右側の預り金勘定を左に移して右に売上を計上するのが正しい。そうすることによって社内の作業とお金の動きが一致する。同じ預かり金勘定がいつまでも帳簿から消えないことが起きると、なにかの理由で修理が滞っていることを知ることができるんだ」

 「カズ、あなたは営業マンだと思っていたけど会計にも詳しいのね」

 「小さな事業を取り仕切っているから、ガール・フライデーではなくボーイ・フライデーなんだよ」

 「ガール・フライデーはロビンソン・クルーソー物語に出てくるなんでもこなす女性のことね。私もそうなれるように頑張らねば」

 傍らで見ていたルームメイトの亭主が、昔はトップレス・ダンサーだったとはだれも信じないだろうな、と呟く。

 それを耳にした中畑が、「人間の細胞は常に更改されている。今、君の前にいる奥さんは数年前の細胞がすべて入れ替わった女性だ。トップレス・ダンサーだったことなど今の奥さんにはまったく関係ないことなんだよ」

 以前に同じ中畑のことばに感激したことのあるサラが頷く。


 

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