第68話 上々な雄牛

 屋根から屋根に火を伸ばす。

 火が石造りの煙突に絡まった所で、己をそこへ引き寄せた。

 引き寄せられたら、今度もまた違う屋根へ向けて火を放つ。

 その動作を暫く繰り返した所で、ダージリンは腰を下ろした。


「アクバル、無茶していたな」


 スピルシャンになって助けていなかったら、アクバルはやられていた。

 もしかすれば、死んでいたかもしれない。

 しかし、アクバルは勝った。

 底力を見せてくれた。


「何だ?」


 向こうの市街から砂塵が昇っている。

 それと共に、微かに人の悲鳴が聞こえた様な気がした。

 ダージリンは火を放ち、砂塵が見えた現場へ向かった。

 屋根の上を駆けていき、現場の近くで降り、今度は走って向かう。


 すれ違う様に、ダージリンとの横を人々が走っていた。

 皆、慌てている。

 子供を抱えて逃げる大人もいた。

 ダージリンの目に、漸く砂塵の正体が見えた。


「出て来ぉい! スピルシャンビギンズ!」


 肉の塊の様な体躯。

 上から下まで凸凹したその肉体は、如何にも気色悪い。

 上は布一枚何も着ておらず、下は申し訳程度に腰と股を覆う程度。

 それと、黒い腕輪に皮で作られた靴も見えた。


「やめろ!」

「ほお。出て来たな」


 ダージリンの声を聞いて、その影は振り向いた。

 肉で滲んだ牙が、上と下から大きく飛び出ている。

 頭頂から近い所には三角形の耳が立っており、ピクピク動いている。


 何より一番目立ったのは、前に突き出た鼻だ。

 鼻の穴が大きく開き、常闇がずっと続いている。

 絶句するダージリンに、影は口を開いた。


「ドン引きしたな? 心が腐っているショーコだ」


 鼻の穴からは野太い息が吹き出ていた。

 剥き出しの歯並びはバラバラに並んでおり、汚いに等しい。

 この異形な影を、ダージリンは知っていた。


「オークって、喋るのか?」


 ――オーク。


 猪の様な顔を持つ種族だ。

「ああ? オレを間抜けと見ているな? お前ら人間ヒューマンの言葉など、頑張れば覚えられる。オレは頑張れたから覚えた」

「そうか」

「そんな事はドーだって良いのだ。オレはオレの強さを見せたい。セーギを振りかざす馬鹿共を殺してやるのだ。このオレ、ボー・ボケンがお前を殺すのだ!」


 オーク――ボー・ボケンの巨体がダージリンに向かって来た。

 ボケンの拳が空気を突き抜ける。

 しかし、ダージリンはボケンの真下へ入り込み、逆にボケンの胸へ拳を叩き込んだ。

 拳が肉の中へ、泥の様に入り込んでいく。

 埋まった拳が抜けなくなった。


「何!?」

「驚いたか? オレはどんな攻撃も効かないのだ。どんな攻撃もオレの体がブヨブヨにして防いでくれる。そして――」


 ボケンは胸を張ると、肉体から硬い音を響かせた。

 同時に、ダージリンの腕が引き込まれていく。


「ぐ……!」

「こうやって、脂肪や肉を操る事も出来るのだ」


 動きを封じた所でボケンは掌を開き、振り下ろした。

 ボケンの大きな掌がダージリンの顔を覆うと、彼を叩きつけた。

 石造りの路地が砕かれる。

 舞い上がる石がダージリンの上に一つ、二つと次々に落ちた。

 何とかダージリンは腕を地に付け、体を持ち上げようとしたが、今度はボケンの太い足が背中を叩きつけられ、再び身動きが取れなくなってしまう。


 ――重い。


 それは、人間の力では無かった。

 両手を震わせ、必死に持ち上げようとした。

 だが、背中に圧し掛かっている力は、まるで巨大な岩だ。

 スピルシャンの力でもビクともしない。


「どーした? もーお終いか?」


 牙を剥き出しに、ボケンは笑みを浮かべる。

 その口からは唾液も垂れていた。

 唾液が滴ると、ダージリンの頭に降りかかる。

 一滴、二滴、生臭い食欲だった。


「そこまでだァァァァ!」


 突然の叫び。

 次の瞬間、ボケンが押し飛ばされ、ゴミ捨て場へ豪快に突っ込んだ。

 腐った果物等が頭に被る。

 軽くなったダージリンは、何とか足に力を入れた。

 立ち上がった先には、自分より少しだけ大きい男が一人いる。

 ボケン程では無いが、太い体をしていた。


「大丈夫か? スピルシャンビギンズ? 俺が来たからにはもう安心だぜ」


 男は振り向いて、ダージリンの容体を心配した。

 本当に心配しているよりかは、己の誇りを自慢している様だが。

 ダージリンはこの男を知っていた。

 彼はブランドン。

 アクバルの連れである。


「あ、ああ。助けてくれて、ありがとう」

「フン。どうって事ねえさ。さてと……」


 ブランドンは再び、ゴミ捨て場の方を振り向いた。

 被った生ゴミを掃うボケン。

 その目は憎悪に満ちている様で、ブランドンを睨んでいる。

 ブランドンは拳を合わせた。


「暴れているのはお前か? 豚野郎」

「ブタって呼んだな。お前?」

「ソテーにされたくなかったら森に帰った方が良いぞ?」

「何だと? オレは食われる側じゃねえ。食う側だ!」

「だったら鼻を鳴らして、トリュフでも探してろ」

「このォォォォ!」


 怒り狂ったボケンが拳を上に、襲って来た。


「ここは俺に任せな」


 ブランドンはその一言とともに片足を引くと、右腕に横に、力を入れた。


「猛牛流闘獣拳――角伐倒!」


 野牛の突進。

 殴るつもりが、ボケンは顔面に丸太の様な一撃を食らってしまった。

 またしてもゴミ捨て場に突っ込まれ、ゴミを被る羽目に遭う。

 腐った果物の臭いを嗅がない為に鼻元を手で塞ぎながら、ボケンはもう一度立ち上がり、飛び出した。

 向かって来るボケンにブランドンは拳を握り、繰り出す。

 二人の拳が今、すれ違い、互いの頬を砕いた。

 千鳥足で後退しながら睨み合う。


「やったな。お前」

「ブタって呼んだお前が悪いのだ」

「そうかよ。ポークのおっさん」


 ブランドンは鼻から滴る血を手で覆い、拭いた。

 後ろで見守っていたダージリンがそっとブランドンの肩に手を置く。

 大丈夫か、とダージリンが問うとブランドンは首を横に振って応えた。


 ――畜生。


 頭が揺らいでいる。

 少しでも気が抜けば倒れてしまいそうだ。

 一方のボケンはというと、ブランドンと同様に鼻血を出しており、頭も僅かに揺れていた。


「時間がねえな。一気に決めるぞ」


 ブランドンはダージリンの手を掃うと、もう一度片足を引いて腰を下ろした。

 左右に腕を開いて拳を握り、鼻から一気に空気を吸った。

 取り込んだ空気を一気に出し、再び空気を吸う。

 ブランドンの体から湯気が立った。


 猛牛流闘獣拳奥義――熱血・赤化しゃっか猛勢もうせい呼吸法。


 真っ赤に火照った肉体から拳が放たれた。

 野牛の様な剛力は、ボケンの脂肪を震わせる。

 こみ上がった血が、ボケンの口から滝の様に流れ出た。

 ブランドンの拳は止まらない。

 右から放たれた拳に続き、左からの拳がボケンの顔を潰す。

 ただでさえ、正面を向いていた鼻が更に奥へ、顔の奥へとめり込んだ。


「オレが攻撃された。攻撃された!?」


 ブランドンの猛攻は止まらない。

 ボケンは驚愕する隙も無く、更なる拳を食らう。

 家屋に叩き付けられると、灼熱の体当たりで追い打ちされた。

 壁が徐々に響いて行く。

 亀裂が目立った瞬間、粉々に砕けた。

 ボケンが背中から倒れると同時に、ブランドンも膝が折れ、倒れた。

 ダージリンがブランドンの傍へ寄ると、ブランドンは首を横に振った。


「大丈夫か?」

「もう無理だ」


 ブランドンの肩に触れると、あまりの熱さに手を放してしまった。

 まるで鉄板焼きの様な熱さで、肉を乗せたらこんがり香ばしくなってしまうだろう。

 それ程の熱が体にこもっているという事は、今のブランドンは相当危ない筈だ。


「ど、どうしてこんなに熱いんだ?」

「猛牛流の奥義で、代謝を限界まで入れ替えたんだ。パワーが凄くなる分、持続出来ねえ。吐きそう。オエ」


 ブランドンの口から僅かに食べたものが吐き出た。

 白く濁ったそれは、首の下へ垂れていく。

 ダージリンは手を引っ込めてしまうが、すぐにブランドンの肩を担ぎ、彼を壁へ背もたれする様に動かした。


「ここで休んでいて。後は何とかするから」


 ブランドンの肩から手を離すと、ボケンがいる家屋へ入った。

 石造りの窯から煤が蔓延っている。

 大量に積まれた薪。

 壁に掛けられた鉄板。

 薄暗い鍛冶場だ。

 窓から差し込む日光が部屋の中を何とか教えてくれている。


 ボケンは部屋の奥で蹲っていた。

 身を震わせながらも足を持ち上げて、こちらを睨んだ。

 鼻息を荒く吹かせ、叫んだ。

 それは、人間の言葉ではない。

 動物の本能を剥き出しにした怒りであった。

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