第67話 狩りの成果

 今、老婆が男に突き飛ばされた。

 倒れた老婆を、男を追う少年が気遣う。


「大丈夫か!? 婆ちゃん!」


 老婆は元気に頷いたので、周囲の人間に後を託し、再び走り出す。

 その頃、とある市場では、気の良い店主が籠を片手に持つ夫人と話していた。


「奥さん、今日採れたトマトもどうですか?」

「そうねえ。でもうちの旦那はトマトが嫌いだから……」


 店主と夫人の間を男が強引に突破。

 品物の野菜が路上に零れてしまい、店主は男に怒鳴った。


「あ、コラアアアア! トマト泥棒オオオオ!」


 トマトを抱えながらブォウェンは人混みの間を走り抜けていく。

 その足は王都ステュアートの中央広場に着いていた。

 噴水が勢いよく出ている。

 初代国王の銅像も威厳ある様に輝いていた。

 ブォウェンは振り向くと、追って来たアクバルと向かい合った。

 二人とも、傷だらけである。

 全力で走っていた事もあり、息も荒れていた。


「何や? 鬼ごっこはお終いか?」

「そうだな。もう走る気力が無い」

「ほんなら、決着と行こうや。不審者は不味い飯食って反省せえ」

「不味い飯すら食えない様にしてやるよ」


 円を描く様に二人は睨み合う。

 椅子に腰かけていた人達が異様な雰囲気を察して逃げていく。

 ブォウェンは脚を止めて、弓を引いた。


「ガキ。お前の名は?」

「アクバルや」

「来いよ、アクバル。舐め腐っていねえでマジで来い」

「ああ、そうさせてもらうわ!」


 アクバルは構えると、再びその姿が複数に分かれた。

 どれも半透明で見分けが付かない。

 しかし、ブォウェンの眼差しは固かった。

 先程の様な動揺は無い。

 獣を仕留める覚悟があった。


(コイツの動きには、必ず粗がある)


 ブォウェンは矢を放つが、アクバルの体をすり抜けて向こう側へ行ってしまった。

 すると、ブォウェンは視線を下ろした。

 何故か赤いのが路地に滴っている。

 それが斜めに続いているのだ。

 ブォウェンはもう一度、弓を引いて矢を放つ。

 当然、アクバルの体はすり抜けてしまうが、同時に赤いのも続く様に滴る。


 これはアクバルの血だ。


 この血を見れば、アクバルの動きがわかる。

 ならば、ブォウェンは更に赤く染める事にした。


「そらぁ!」


 アクバルの頭上に何かを投げて、射抜いた。

 赤く染まっていく。

 ブォウェンの視界に人の姿が現れた。


「見つけた!」


 矢を無数に放ち、その姿を捉えた。


「そう来ると思ったわ」


 しかし、矢は一本もアクバルには当たらなかった。

 それどころか、急接近でアクバルが来たのである。

 ブォウェンの鳩尾に拳が叩き込まれ、続けて蹴りが顔面を潰す。

 更にブォウェンが倒れかけた所で、犬乱掌底をブォウェンに叩き込んだ。


 ブォウェンは矢を取り出し、アクバルに向けたが、その手を封じられてしまい、逆に肘打ちを食らわされてしまう。

 顔に一発、続けて胸にもう一発。

 立て続けに食らうも、ブォウェンは立ち、拳を振るった。

 だが、アクバルには躱されてしまい、逆に彼の犬乱掌底が襲う。


「ぐほっ!」

「これでシメや」


 犬乱掌底が叩き込まれる直前、ブォウェンは笑った。


「アクバル、お前本当に反省しないな」

「何やと?」

「反省しないな。お前はよ!」


 ブォウェンの体が斜めに避けていく。

 すると、その後ろから矢が飛んできた。

 それだけではない。

 アクバルの背後からも矢が、それも左右から飛んで来て、三角を描く様にアクバルを襲ったのだ。

 まるで肉が食らいつくされる様な光景で、腕や脚が貫かれ、体も切り裂かれた。

 アクバルの脚は崩れ、乱れた呼吸をする彼を、ブォウェンは見下ろし、邪悪に微笑む。


「アクバル、お前に一つなぁ、チャンスをやるよ」

「チャンスやと?」

「王子の情報を全部吐くか、王子を誘き出す餌になれば、生かしておいてやる」


 ブォウェンは足を持ち上げ、ゆっくりとアクバルの胸に置き、捩じる様に力を入れた。


「おら、どうした! どっちにするか答えろ! 吐くか? 餌になるか? どっちだ!」


 怒号を上げるブォウェン。

 胸から走る激痛が、ブォウェンの問いを急がせる。

 だが、アクバルは歯を噛みしめた。


 ――この野郎には抗う。


 意地はまだ燃えていた。

 アクバルは震えた手で、ブォウェンの脚を掴んだ。


「なんだと……」


 琥珀の眼が燃えている。

 唸り声がブォウェンの肝を冷やした。


「ざ、残念だな、アクバル。お前は死ななきゃならねえ!」


 いきり立つブォウェンは、弦が千切れるくらいに弓を引いた。

 アクバルの顔を矢が狙う。

 その時だった。

 突然、ブォウェンの体が赤く包まれた。


「ぐわあああああああああああああああ! 熱い! あちイイイイ!」


 左右に転げ回るブォウェン。

 急いで近くの噴水へ駆け込み、飛び込んだ。

 アクバルが呆気に取られていると、子供の声が耳に入った。


「あ! スピルシャンビギンズだ!」


 振り向くと、銀の仮面に、赤いローブをはためかせ、掌から火を立たせた人物がこちらに向かって来ている。

 アクバルはその姿を知っていた。

 以前、学校に悪人達が襲撃した時に現れた、あの英雄である。


 ――大丈夫か。


 掌の火を掃い、その掌をアクバルに出す。

 未だ呆気が取れないアクバルだが、すぐに笑みを浮かべて、その手を握り、起き上がった。


「あん時の奴やな。どうしてここに?」

「……それは後だ」


 会話も束の間、噴水から這いつくばる様に出て来たブォウェンが二人を睨む。


「不意打ちたぁ、やるじゃねえか」


 塵毛になった髪は間抜けだったが、当人は気にも止めていない。

 上着の半分が燃えて、右の肩から腹まで露わになっていた。

 幸い、肌は白いままだが、随所に赤い痕があった。

 満身創痍なブォウェンに、ビギンズは歩む。


「待てや」


 その一言がビギンズの足を止めた。

 全身から流れ出る鮮血が路地に沁み込み、黒く染まった。

 そんな状態でありながら、アクバルの瞳はまだ燃えていた。


「邪魔すんなや……そいつの相手は俺や!」


 アクバルの重くなった足が、ビギンズの横を抜いていく。

 ビギンズは何も言わず、ただアクバルの背中を見つめた。

 アクバルが歩む中、ブォウェンも噴水から出た。

 水と血、濡れた肉体が向かい合う。

 アクバルが止まった所で、ブォウェンも矢を一本だけ取り出した。


「来い。アクバル」


 弓を引き、構えるブォウェン。

 その言葉通りに、アクバルは駆け出した。

 ブォウェンの矢はしっかりと獲物を捉えている。

 間近になった瞬間、勝負は始まった。

 ブォウェンの矢が手から離れ、アクバルに向かって行く。


 しかし、アクバルはそれを紙一重に、頬を掠めながら避けた。

 そして掌底をブォウェンの胸に叩き込んだ。

 ブォウェンは唾を吐きながら、そのままアクバルに顔を掴まれ、押し倒された。

 その勢いで、掌底がもう一発叩き込まれそうになり、ブォウェンは目を閉ざし、覚悟を固めた。

 しかし、最後の一撃は来なかった。

 ブォウェンは目を開けると、掌底が顔の前で止まっている。


「俺の勝ちや」


 その呟きを聞いた瞬間、ブォウェンは口と腹を振るわせ、笑い上げた。


「やっぱりお前は反省しねえな! 俺の勝ちだ!」


 今、噴水に矢がぶつかった。

 石造りの装置から砕けた音を響かせると、急激に角度を変えた。

 狙うはアクバルの頭。

 勢い良く迫った瞬間、遂に矢は止まった。


 アクバルの頭は――鮮血を吹かせていない。


 矢は、アクバルの手に捕まっていた。

 振り向きすらしなかった彼の手に握られていたのだ。

 そんな現実を見て、ブォウェンは力が抜けてしまい、顔を横にして倒れた。


 ――畜生。


 それだけを呟いた。

 騒ぎを聞いて、甲冑を鳴らしながら駆け付けるカメリア騎士団。

 アクバルは立ち上がると、騎士団はブォウェンの身柄を確保する。

 二人がかりで強引に、ブォウェンを立ち上がらせ、元来た道へと戻って行く。

 騎士の一人がアクバルに近付いた。


「大丈夫ですか?」

「ああ、ちと痛い目にあったけど」

「君は確か、GOHに入ったばかりの……」

「ひと仕事、疲れたわ」


 騎士の問いに応じると、アクバルは振り向いた。

 そこに、先程助けてくれた英雄の姿は無かった。

 アクバルは溜息を吐いて、噴水を背に、座り込む。


「おい! こっちに怪我人がいるぞ!」


 後からやって来た騎士達に手当を受けるアクバル。

 包帯で体が包まれていく様子を、屋根の上から見守る影。

 その影はやがて、跳ねる様に屋根を渡り、姿を消した。

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