第66話 狼狩り

 男は指しながら、アクバルに近付く。

 対してアクバルは、一歩ずつ後退していくが、そこは行き止まり。

 壁との距離が近付きつつあった。


「なあお前、さっき話していた連れの事を聞かせてくれよ」

「連れ? さっぱりわからへん」

「惚けても無駄だ。お前の口からアールグレイの王子の名前が出て来たんだ」

「せやったら、何や」

「王子について詳しく話して貰おうか?」

「おっちゃん、阿保か? そないな事せえへんでも、アールグレイの王子に直接聞けば良かったんとちゃう?」

「ああ、それも手だな。だけど見つけ次第殺しにかかるのは、馬鹿がする事だ。まずは情報収集って所だ」

「つまり、おっちゃんは名店の餃子食う前に食べた人の感想を聞きたいっちゅうわけやな?」

「その通りだ」

「ほんなら、やだわ。事がデカくなる前にさっさと消えろやボケ」

「はあ、こいつは残念だな」


 ドスの効いた声と共に、アクバルは男を睨んだ。

 男は残念そうに両手を上に向けて首を振ると、上着から何かを取り出した。

 短い曲線から繋がった糸。

 棒の様な物も取り出し、男はその糸を引っ張った。


「悪いがぶっ殺させてもらう。今の事、他人に話されるわけには行かねえからな」

「おっちゃん、あのヤーグル(鎖野郎)の仲間か?」

「知らねえよ。強いて言うなら、知り合いの知り合いって所かな」


 狙いが今、アクバルに定められる。


「くたばれ」


 そして放たれた。

 矢が一直線に飛んでいく。

 それも一回に付き、数本もの矢がアクバルに襲い掛かった。

 しかしアクバルは、その群体と化した矢を物ともせず、間を通る様に避けていく。

 遂に男の喉元を掴み、強引に圧し掛かった。

 鈍い声が男から出たが、アクバルはその手を緩まなかった。


「おっちゃんの名前、まだ聞いてなかったな」

「ぐ、ぐるじい……」

「名前言うたら、放してやってもええで」

「おま、え……『ショウ・リィエ』と呼ばれる俺を知らねえのか?」

「初耳やな」


 名前は聞けたが、アクバルは手を緩めない。

 寧ろより力を込めた。

 ショウ・リィエの顔が青ざめようと、決して放さなかった。


「待て、や、やめろ、俺はワン・ブォウェンだ。放してくれ」

「おおきにブォウェン。せやけど、放すか放さないかは俺が決める事や。すまんな。ダチの命を狙う奴は放っておくのはアカンから、死なない程度にぶちかましたるわ」

「け。やっぱり、最初から放すつもりは無かったか」

「ああ。このまま気絶してもらうで」


 それは、狼が鹿の首を噛み締める様であった。

 アクバルの両手がブォウェンの喉を塞いでいく。

 ブォウェンの意識は薄れつつあった。

 しかし、ブォウェンは言った。


「やっぱり、まだまだガキだな」

「何やと?」

「詰めが甘いというのは、この事だよ」


 肉に数回、何かが突き刺さった。

 崩れるアクバルをブォウェンは突き飛ばし、距離を取る。

 弓を構え、更に矢を放った。

 アクバルは、背中に刺さった矢を気にする暇もなく、木箱の裏へ避難した。

 矢が木箱を響かせていく。

 その間に、アクバルは背中に刺さった矢を引き抜いた。


「どうした! さっきの勢いは何だったんだぁ!」


 どういう事だ。

 ブォウェンは今まで、アクバルに取り押さえられていた。

 それなのに、矢が自ずと飛んで来て、アクバルの背中を貫いたのである。

 矢を全て引き抜き、最後の一本を観察するが、特に変わった所は無い。

 持ち方を変えて、様々な角度から見たが、何もわからなかった。


「どうなっとる!? なんで矢が飛んで来たんや!」

「そこに隠れているのは、わかっているんだぞぉ!」


 ブォウェンは弓を引き続ける。

 しかし、今度は矢を斜め上に向けて放った。

 数本の矢は壁に刺さるどころか、方向を変えて向かい側の壁に飛んでいく。

 そして、壁に到達すると斜め下へ、つまりアクバルが隠れている方へ向かった。

 急いでアクバルは駆け出し、矢の雨から避難するが、何本かは右足に突き刺さってしまい、大きく転んでしまう。

 だが、何とか両手をついて姿勢を保ち、ブォウェンと向かい合った。


「降参した方が良いぞ?」

「誰がするか」


 指を曲げ、両足を開く。

 右腕を斜め上に伸ばし、左腕を胸の前に構える。


「闘獣拳か?」

「ああ。銀狼流や」


 姿勢を低くし、駆け出した。

 迎え撃つブォウェンの矢の群れを潜り抜け、懐まで辿り着く。

 犬乱掌底。

 狼や犬の爪の如く繰り出された掌は、ブォウェンの鳩尾から強烈な痛みを与えた。

 唾を吐き出しながら崩れるブォウェンをアクバルは容赦なく追撃。

 ブォウェンの姿勢が崩れる前に、右に回って再び犬乱掌底を繰り出した。


 今度は顎から上へと食らわれたブォウェンは、首から地へ着く様に倒れていく。

 アクバルの手は止まらない。

 真上に飛び上がると、ブォウェンの顔面に手を伸ばした。

 このままではまた痛い目に遭う。

 ブォウェンは懐から矢を取り出し、アクバルに向けた。

 矢がアクバルの掌を貫く。


 鈍い声をアクバルが漏らした所で、ブォウェンはアクバルを蹴飛ばし、木箱へぶつけると、アクバルが起き上がる前に一目散に姿を消した。

 アクバルは何とか掌の矢を抜こうとしたが、刃が引っ掛かり、痛みが響いてしまう。

 だから方法を変えて、両手で矢を折り、矢羽根だった先から引き抜いた。

 顔を手で抱えながら立ち上がり、アクバルはブォウェンを探す。

 行き止まりの小路から引き返し、右へ曲がったり、左の道を覗いたりするが、ブォウェンの姿は無かった。


「どこ行ったんや! あのクソ親父!」


 このまま放っておけば、友人が危機に晒される。

 ならばここで討つしかない。

 アクバルは歯を噛みしめて捜索を続けるが、手掛かりは掴めない。

 そんなアクバルの姿をブォウェンは上から伺っていた。

 屋根の上からバレない様に僅かに影を出して、猛るアクバルに冷や汗を掻く。


「舐めやがって。だが、ここで獲物を逃したら一からやり直しだ。所詮はガキ。少し本気になれば怖気付く筈だ」


 ブォウェンは矢を数本束ねると、向かいの家屋の壁へ放った。

 矢は跳ね返って、下にいるアクバルへ襲い掛かる。

 降り注ぐ矢にアクバルはあちこちへ跳んで避けるが、キリがないと確信。

 打開策を考えたが、何も浮かばなかった。

 肉体から流れ出る血が、路地に染み付いていく。


「よし、この流れで一気に決めてやる!」


 追撃を止めないブォウェン。

 束ねた矢を弓に重ね、今度はアクバルに直接向けた。

 するとそこには、再び銀狼流の構えを取るアクバルの姿があった。

 よく見ると、彼は目を瞑っている。

 何も動じていない様だ。


「ふん! 怖気付いたか!」


 そんなアクバルにブォウェンは容赦なく矢を放った。

 矢の雨が、アクバルの体を貫く。

 しかし、その体は徐々に透けて、最終的に消えたと同時にもう一人のアクバルが浮かび上がった。

 あまりにも不自然な現象にブォウェンは目を丸くしてしまう。

 それならば、再び弓の弦を引いて、無数の矢を放つまで。

 もう一度、矢の雨をアクバルに食らわせたが、やはり先程と同じ様に消えては現れて繰り返しだった。


「矢が当たらねぇだと!?」


 ブォウェンは矢を射る方向を変えて、四方八方から攻撃した。

 だが、アクバルの体は血を吹かず、消えては現れるのを繰り返していく。


「そこにおるな!」


 銀狼流闘獣拳奥義、その名は狼煙速攻。

 アクバルは幻影の如く、ブォウェンのいる屋根へ上って行く。

 ブォウェンの胸倉が掴まれたまま、アクバルは現れた。

 屋根から引きずり下ろし、ブォウェンの上に乗っかると、膝を彼の腹に当てながら急降下した。

 固い路地がブォウェンに衝撃を与え、アクバルの膝からも重過ぎる一撃を貰った。

 吐き出された嘔吐が体にかかったが、アクバルは冷たい眼差しをブォウェンに向け続ける。


「降参せえ」

「黙れ!」


 ブォウェンは両手を開き、アクバルの両眼を強く押した。

 咄嗟に瞼を閉ざしたアクバルだが、目の痛みが全身の力を奪い、ブォウェンの脱出を許してしまう。

 人々が賑わう街中。

 逃走するブォウェンを、アクバルは追う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る