第64話 焔の遺志

 拳を持ち上げ、顔面を狙った。

 フラムフィストが突き進んだが、紙一重で躱される。

 相手は左手の親指と中指を合わせると、額に向けて弾いた。

 衝撃と共に後方へ回転してしまう。

 本当に痛い。


 ボール遊びをしていたら思い切り狙われたのと同じだ。

 下手すると、それ以上かもしれない。

 しかし、気を抜く暇など無かった。

 左から飛んでくる掌が右頬を叩き、更に戻って左頬をも叩かれる。

 トドメに顔全体を押され、大きく吹っ飛ばされた。


 倒れた所ですぐに立ち上がるが、またも左手からの手刀で今度は顔面から仰け反る様に吹っ飛ぶ。

 それに加えて、胸倉を掴まれてめり込む様に叩き込まれた。

 苦しい声を思わず上げてしまうが、胸倉を掴む腕が地面に力を入れていた為、身動きが取れない。


 だから藻掻いた。

 脱出する為に左手を掴んで抗うが、無理だった。

 抵抗する姿を、無機質な赤が見つめている。


「クソ!」


 やむを得ない。

 庭を汚したく無かったが、やるしかなかった。

 両手を地面に置いて、集中する。

 炎が噴き出すと同時に、地面が溶けた。


 一瞬、隙と力が緩んだ所で転がる様に脱出し、右手に力を込める。

 炎が、拳を纏っていく。

 

 ――フラムフィスト。


 豪快な炎と共に、拳を繰り出した。

 向こうもまた構えると、初めてその左手を握った。

 激突する両拳。

 草や花が吹き飛び、火の粉が付いて燃えていく。

 拳に衝撃が走った。


「ぐ、う、うう」


 腕から全身に流れていく。

 片膝ずつ付きながら、腕を抑えた。

 精霊の力も維持出来ず、元の姿へと戻ってしまった。

 震えが止まらない。


 尋常じゃない痛みがダージリンを襲った。

 対して向こうは、何も反応が無い。

 炎の拳をぶつけられたにも関わらず、熱がる素振りを見せていない。

 精々、左手を纏う甲冑から煙が立つくらいだった。


「見事だ。窮地を脱し、決め技まで持ち込む事が出来たその実力、評価に値しよう」


 手を軽く振り、紅蓮戦神は煙を掃う。


「尤も、お前の顔を立てる為にわざと手を抜いてしまったが、な」

「え?」

「炎で地面を燃やした時、お前は僅かな隙から脱出したが、本来ならばそのまま押し込むつもりだった。そうしなかったのは、もうそれ以上の力がお前に無かったからだ」


 唖然の中で告げられる真相。


 ――つまり、お前は弱い。


「お前に守られるくらいなら、民達は早く逃げた方がマシだな」


 気が抜けてしまった。

 まんまと踊らされていたのか。

 精霊の力が消えると同時に、膝が砕いていく。

 手を地に付けて、己の中の無を実感した。


「だったら、どうすれば良かったんですか?」


 救いが欲しかった。


「このまま、黙って死んでいくのを見てろって事ですか?」


 何で、命は消えてしまうのだろう。


「僕の目の前で、人が死んでいくんですよ?」


 どうして、僕だけが失うのだろう。


「大好きな人達が、僕の代わりに死んでいくのが、嫌なんです」


 零れていく涙を両手で拭くが、一向に止まらない。


「やっと、やっと、仲良くなれたと思ったら、あっという間に消えていく。こんな思いを、どうして味あわなきゃいけないんですか!」


 情けない。

 本当に自分は恥知らずだ。


「もう、勘弁してよ……」


 何が皆を守りたいだ。

 おこがましいにも程がある。


「大切なものを失うくらいなら、最初からいない方がマシだ」


 こんなに苦しいなら、何もいらない。

 ずっと一人の方が良い。


「くだらん」


 その言葉に目が覚めた。

 涙が引っ込むくらいに、信じられない返しだった。

 顔を上げた先にある、冷たく佇む影。


「そんな事で一々怖気づくな。人は生き物。死んでいくのは当然の事」


 有り得ない言葉だ。

 この男には慈悲が無いのか。

 命を踏みにじる言動に、ダージリンは怒りを上げる。


「何!」

「死を考えてしまう時点で、お前には何も取り得が無い。完璧だと思っていたのでは無いのか?」


 しかし、怒りはすぐに消えた。

 よくわからないが、その答えに引っかかってしまったのだろう。

 紅蓮戦神は語り続ける。


 ――人間は己の意思で、命を捨てる事が出来る。お前も自殺の一回でも試した事があるだろう。


 ――それはお前が弱いからではないのか? 窮屈な殻から出て行こうとしなかったから、大切なものを守れず、ただ見ている事しか出来ず、失い続けた。違うか?


 ――誰かが死んでいく事を考える前に、己がまず、どうするべきかを考えるのが先決ではないのか?


 ――いや、お前の場合は考えた所で無駄か。考えるだけで答えを探そうとしないのだから。


 言い返せなかった。

 自分が何をするべきか。

 それは精霊人間スピルシャンに目覚める前から考えた事はあったが、答えは見つからなかった。

 何で、父さんや皆、僕の為に己を犠牲に出来たのだろう。


「だが、スリランカがお前を選んだ事は、間違いでは無い」


 顔を上げると、形見の炎刃刀が目の前に差し出されていた。

 紅蓮戦神この人は僕を信じてくれるの?


「これはお前に相応しい。お前は立ち上がった。己を信じる力がまだ残っている。父の遺志を自分なりに受け継ごうと、遂に殻から出て来たからだ。死した者達は、無駄死にでは無かった筈だ。頭を澄まして、思い出してみろ」


 息を吸って、目を閉ざす。

 そうだ。

 思い出した。

 皆、言葉を遺している。


 ――君は、希望なのです。


 ――頑張りなよ。最初から全て上手く行くなんて、無いんだからさ。


 ――今は凄く辛い筈だ。これから沢山の悲劇を経験するかもしれない。乗り越えろとか、耐え忍べとも言わない。ただ自分らしい生き方や信念を見つけなさい。必ずお前を必要としてくれる人間が現れる。ましてや姉達がいる。皆に支えられながら生き抜くんだ。


 それだけじゃない。

 乳母さんだって、命を懸けてくれたんだ。

 なのに、駄目な事しか考えてなかった。


「赤き英雄よ。もう一度、問う。何故、お前は戦う?」

「僕は、皆を、誰も死なせたくない――!!」


 胸を張って、言えた気がした。

 自然と口の中から叫べた。

 まだやれる。


「その志、決して手放すな」


 ダージリンは刀を握る。

 嘘だったかの様に、今度はすぐに抜けて、手元に戻ってきた。

 炎の刃は輝いている。

 踏様付くのは駄目だ。

 皆の言葉を胸に、頑張ってみよう。

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