第63話 世界の力
目が覚めると、見慣れた天上があった。
寝床の居心地も知っている。
「ダージリン、気が付いた?」
声に視線を向けると、祖母のクレアが頭を撫でながらこちらを覗いていた。
祖父であるジェームズも少し離れた所の椅子に座り、様子を見ていたらしい。
杖を突いて立ち上がり、こちらにやって来た
いつの間にか、王宮に戻っていたらしい。
ダージリンは眠そうな顔で、クレアに問う。
「確か、ユータとハルタさんと一緒に……」
「この前遊びに来た男の子の事? あの子なら、家に帰らせたらしいわ」
「帰らせた、て……何?」
「貴方を助けた人が、そう仰っていたわ」
そうだ。
獰猛なドラゴンから、僕は助けられたのだ。
凄い強さだった。
あれがこの世で一番――
「気が付いたか」
背筋が凍る呟き。
窓側を見ると、天井に手が届きそうなくらいの巨躯をした人物がいた。
炎の様な甲冑。
部屋の中でも、構わず身に付けている。
「紅蓮戦神。一度くらい聞いた事はあるだろう?」
祖父が口を開いた。
固い表情を浮かべるのは何度か見た事はあるが、ここまで深刻そうに眉をしかめているのは初めて見たかもしれない。
祖母も、先程まであった笑顔が失せている。
「女王様の孫は、ご挨拶すら出来ないのか?」
言葉が詰まる。
まるで、獣に睨まれた兎の様に固まってしまった。
祖母がダージリンを見て頷く。
それが後押しになったのか、ダージリンは漸く喋った。
「は、初めまして」
「……ああ」
紅蓮戦神が歩み寄る。
その巨体が映す影はダージリンを隠してしまう程だ。
赤い面具の中で光る瞳も見えないので、身の毛がよだつ。
「孫を借りるぞ」
その一言だけを告げて、紅蓮戦神は部屋を出た。
ダージリンもベッドから起き上がり、紅蓮戦神の後を追う。
「まさかね。薄々感付いてはいたけど……」
クレアが腕を組んで深刻そうに俯く。
ジェームズも部屋から出ていく二人をじっと見つめていた。
ダージリンと紅蓮戦神は花壇が広がる庭を歩いていた。
日が傾きつつある。
多分、六時間くらい気を失っていたのだろう。
紅蓮戦神が足を止める。
ダージリンも少し離れた所で止まり、こちらから先に口を開いた。
「あ、あの、た、助けてくれて、ありがとうございました」
「……スリランカは、お前に託した様だな」
「え?」
紅蓮戦神は懐に手を入れて、何かを取り出した。
右手から出て来たのは、ダージリンの炎刃刀だ。
一言謝りながら刀を握るが、手から異様な重みを感じた。
引っ張っても、大木と思うくらいにビクともしない。
ダージリンは顔を上げると、紅蓮戦神が見下ろしている。
面具の向こうで光る筈の瞳は見えなかった。
「赤き英雄。この刀を受け継ぐ資格が貴様にあるか?」
「な、何ですか? 急に」
「答えるのは其方だ。少なくとも俺には、その器がある様には思えない」
胸の内が急に狭くなる。
返す言葉が見つからず、ただ紅蓮戦神を見る事しか出来なかった。
「俺はこの刀を知っている。だから生半可な貴様等に持って欲しく無い」
「……やっぱり、そう思いますよね」
刀を握っていた手を、静かに離した。
紅蓮戦神が「何故引く?」と尋ねるが、ダージリンは答えず、花壇の方を向いた。
「答えないのか?」
「貴方の言う通り、僕は駄目な人です。何の取り柄もない」
「取り柄が無いなら、何故スリランカはお前に託した?」
「偶々だったと思います。本来ならその刀は、姉さんか兄さんが受け継いだと思う」
「スリランカはお前に預けたというのか? 本当にそうなのか?」
頭を澄まし、ダージリンは父の言葉を思い出す。
――そうだ。これをやろう。
お守りだ。きっとお前を強くしてくれる――
確かにあの時、父はそう遺して逝った。
だけど、人ひとり守れない自分が、父の思いに応える資格があるのだろうか。
「父さんは、僕に本気で託したと思います。だけど……」
「自信が無いのか?」
「……はい。やっぱり僕には、無理なのかもしれないんです」
「お前は何故、戦う決意をした?」
「え?」
「お前の中に、信念があった筈だ」
「それは――」
何の為に戦うか。
その答えをダージリンは持っていたつもりでいた。
だがそれは今、ヒビが入り、朽ちかけている。
スーザンは死んでしまった。
その事実が己を揺らいでいる。
胸を裂かれ末に、貫かれた姿が今でも思い浮かぶ。
だから、黙り込むしか出来無かった。
信念など、無かったのだから。
「哀れなものだ」
静寂を絶ち、紅蓮戦神が口を開く。
――スリランカは、託した人間を間違えてしまった様だ。よりによって、情けないにも程があるくらいの奴に、な。
――お前が持つ信念は白紙の如く、色が無く、薄い。その白紙を抱いて今日まで戦ってみたが、何も無い事に気付いてしまった。
――強くなる努力を微かにもしてこなかったツケが今、ここに来ている。守るものを守れるどころか、敵の一人すら満足に勝てない。今まで尻尾を巻いて逃げて来たのだろう。
――お前の姉達が深手を負う合間にも、お前は一人、呑気にお茶でも飲んでいた。そうではないのか?
――何も言い返せないのは構わない。その眼差しには反抗の意思がある。それならば、睨むだけではなく、動いてみろ。
次から次へと飛んでくる問いに、ダージリンは何も言い返せなかった。
同時に、言葉の山々が体に刺さり、苛立たせる。
「悔しくないのか? 赤き英雄よ」
「あの――!」
思わず叫んでしまった。
紅蓮戦神を睨みながら、ダージリンは声を震わせた。
「赤き英雄って、何ですか? からかっているんですか?」
「世の者達は俺を『通称』で呼ぶ。俺にも誰かを『通称』で呼ぶ権利くらい、あると思うのだが」
「僕はダージリンです。そう呼んでください」
「本名で呼ばれる程の価値が、お前にあるのか?」
「それは……」
再び黙り込むダージリンに、紅蓮戦神は刀を振るった。
花弁や草が勢い良く風に乗る。
風はルピアを襲い、髪留めを奪った。
お団子に結ばれていた髪が解かれ、ルピアの長く美しい髪が露わになる。
彼女は何が起きたのかわからず、右往左往していた。
「次はこの程度ではすまぬぞ?」
「関係ない人を巻き込むな……」
「ならば、証明しろ。お前の信念を。父から受け継いだ刀を取り戻してみろ」
ダージリンは紅蓮戦神の腕を掴んだ。
刀を強引に抜こうと必死になるが、抜ける気配がしない。
やはり固い。
世界の力を感じた。
「恐れるな。お前に宿る『精霊』を解放させろ。赤き英雄よ」
その通り、この手は今の自分だけではどうしようもない。
だから、ダージリンは決意した。
左手を開けて、集中する。
時間が掛かったが、火の幻想術が放たれた。
火が、ダージリンの体を包み、同化していく。
スピルシャンへ変身したダージリンはもう一度、紅蓮戦神の腕に食らいついた。
だが状況は変わらず、腕は固い。
少なくとも、いつもの自分より強くなった肉体から発する全力が殆ど通じていないのである。
「知恵を絞れ。何も奪い取るという事は、強引に引っ張ろうとする事だけではない」
言ってくれるな。
ダージリンは拳を握り締め、その固い鎧にぶつけた。
だが、紅蓮戦神は吹っ飛ぶ所か微かにすら後退しない。
まるで柱を殴った様だ。
世界を支える柱を相手にしているのだ。
「もっと、ムキになっても良いのだぞ?」
人差し指が前額を突いた。
花壇を軽く越えるくらいに身体が飛んでいく。
石畳の道を転がった後、ダージリンは立ち上がると同時に掌を強く前に出し、炎を纏わせた。
だが、ここは王宮。
花壇のある中庭とはいえ、下手に炎を広げれば火事になり兼ねない。
大きな騒ぎになるだろう。
だからダージリンはそのまま、動く事は無かった。
「構わん。やってみろ」
「そんな挑発には乗らない!」
「火事になる事を恐れているのだろう? 炎を放て」
身の毛がよだつ。
――放つんだ。
その一言は挑発ではない。脅しだ。
本能がそうさせてしまったのか、気が付くと炎は紅蓮戦神に向かっていた。
猛火が紅蓮戦神に迫る。
しかし、紅蓮戦神は左掌を広げて、猛火を掴んだ。
猛火が伸び縮み、様々な形になっていく。
粘土を捏ねる様に弄ぶ中、ダージリンはその光景に唖然とした。
「これぐらいの事、お前も出来なくは無いだろう?」
炎を転がしながら、ダージリンに向ける。
「やってみろ」
先程と異なり、炎が勢い良く突き進んで来た。
両手を前に抑え込んだが、突進は止まらない。
足が石畳を滑って後退していく。
このままでは何も変わらない。
炎を持ち上げて、上空へと飛ばした。
そして炎は空を覆うかの様に爆発。
空間が紅蓮に染まる。
ダージリンが姿勢を整えた瞬間、掌が顔を叩く。
勢い余って、ダージリンは石畳の中にめり込んだ。
――速い。
見上げると、大きな体が影を作り、自分を覆う。
――立て。
これが世界の力。
世界は少年に囁く。
その影から決して、逃れる事は出来ない。
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