第61話 降臨

 ドラゴンが足を上げた。

 ダージリンは自身の周りが影に覆われたのを見て、すぐに動き出した。

 影から出た瞬間、ドラゴンの強靭な足が大地を踏み、衝撃がダージリンを吹き飛ばす。

 地面に激しく転がるも、ダージリンは手に力を込めて体を止めた。

 ドラゴンが反対側へ歩んで行く。


「あ、あっちには!?」


 ダージリンは懐から炎刃刀を取り出すと、発火させた。

 刃となる炎がダージリンの体を包み、肉体を変えていく。

 スピルシャンへ変身したダージリンは、ドラゴンよりも先に森の中へと入った。


「ねえ、お父さん。何か凄い音がしなかった?」

「ああ。聞こえたよ。何なんだ?」


 音が気になり、呆気に取られるハルタとユータ。

 気が付くと、二人は抱えられたまま森の中を突き抜けていた。

 ハッとしたユータは視線を下ろすと、そこにはかつて自分の命を助けてくれた恩人が全速力で駆けていた。


「び、ビギンズ!? どうしてここに!?」

「説明は後だ!」


 森を抜け、川岸に着くと下流の方に止めていた馬が見える。


「馬に乗って逃げろ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。一体何が起きているんだ?」


 ハルタが両手を上げ下げしながら聞いた時、森が一気に焼き払われた。

 三人が視線を向けると、大きな体躯をしたドラゴンが火を吐いている。

 ユータは父親の脚にしがみ付いてしまい、ハルタは石の様に立ち尽くした。


「行って! 早く!」


 ハルタは何も言わず、ユータの手を引いて馬車へ向かった。

 二人が逃げた所で、ダージリンは川岸に落ちている石を拾い、炎上。

 焼き石を思い切り投げて、ドラゴンの動きを止めた。

 ドラゴンがこちらに注意を持った所で、ダージリンは炎を放ち更に引き付ける。

 唸り声を上げながら、ドラゴンが鈍重な足を持ち上げた。


 こちらに向かって来るのを確認しながら、ダージリンは木々の間を通り抜け、木から木へと跳んでいく。

 痺れを切らしたのか、ドラゴンがダージリンに向けて炎を放つ。

 木々が焼き尽くされ、ダージリンは爆発と共に吹っ飛んだ。

 体勢を崩しながらも、負けじと空中で炎を放つが、ドラゴンの鱗には伝わっている気配がしなかった。


「だったら!」


 炎刃刀『繋留閃火けいりゅうせんか』を召喚し、着地した所でドラゴンの下へ潜った。

 刃に熱い生命力エナジーを込めて、ドラゴンの胸に思い切り突いた。

 だが、胸から血は溢れなかった。

 それどころか、刃の方が折れてしまったのである。

 一瞬、胸が絞まったが、すぐに炎で新しい刃を作り出す。


 再び斬り付けようとしたその時、全身が何かに絞められた。

 そして、強引に引き込まれた。

 強風が顔面に当たってくる。

 体が振り回されている気がした。


 空の上。


 今までいた森林が雑草の様に見える。

 そこでわかったのが、黒い巨大が自分を掴んでいる事。

 やがて、全身が衝撃に砕かれた。


「がはっ」


 ドラゴンに叩き付けられ、崖から真っ逆さまに落ちていくダージリン。

 硬い岩の上を何回も転がりながら、干上がった川の上で倒れた。

 ドラゴンが着地すると、乾いた大地にヒビが入り込む。


「くそ……!」


 体を持ち上げると、自分を見下す様にドラゴンが吼えた。

 前足がダージリンを潰しに掛かる。

 ダージリンは飛び込む様に前足から避けると、すぐに右手を突き出して火を放った。

 しかし、ドラゴンは火の中を平気で顔を覗かせ、今度はダージリンに噛付こうと迫った。


 牙から紙一重で避けるダージリンだが、撒き散らした唾が体に掛かる。

 唾から漂う生臭さに鼻が壊れそうだ。

 唾の滑りが不快感を増すが、ドラゴンが火を吐いた時、体は急変した。

 火を吐いたのを見て、ダージリンは後方へ下がったが、僅かな火の粉が体に付着。

 一気に燃え上がった。


「うう……!?」


 全身を炎が包んでいく。

 それは、自分が起こす様なものとは桁違いだった。

 これこそ、本物の火炎。

 まがい物の自分とは比較する価値もない。

 急いで炎を払い、次なる一手を考えた頃には、ダージリンの体は深く潰された。


 ドラゴンが前足をゆっくり上げる。

 痙攣した肉体が言う事を聞かない。

 地面にめり込んだダージリンをドラゴンは咥えて縦横無尽に振り回す。

 そして、急斜面にそびえ立つ崖に投げつけた。

 ダージリンは呆気なく落ちていく。


 そんな彼を、ドラゴンは弾く様に転がす。

 転がし続けた末に、ダージリンの体から生命力エナジーが抜けて、スピルシャンの姿が解かれた。

 生身になってしまったダージリン。

 両腕を何とか動かし、ドラゴンから遠ざけようとする。


 脚や腰が重たい。


 逃げるには遅すぎた。


 ドラゴンの爪がお腹の下に入り込み、そして空に放り出された。

 岩壁に叩き付けられた末、ダージリンにはもう起き上がる力が無かった。

 体が闇を感じている。

 誰かを救える力があるのに、ここまで無様にやられてしまった。

 父親や恩師、そしてスーザンの思いは何だったのか。


 やはり自分は価値のない人間だったのだ。


 眼は枯れて、涙すら出ない。

 流す価値もない。

 ドラゴンの口に灼熱の気が集まっていく。

 凝縮された炎が今、放たれた。


 目を瞑るダージリン。


 灼熱が今、自分を飲み込んでいるのだろう。

 何も感じないのはきっと、一瞬で灰になってしまったからだ。

 死ぬって、結構生きた心地だ。

 寝る時とあまり変わらない。

 寧ろまだ生きている様な気がした。


 ――いや、違う。


 灰になったのではない。

 焼かれてすらいないのだ。

 ダージリンは瞼を開くと、目の前の炎が自分を飲み込めず広がっている。

 そして、誰かが立っていた。


 鋼鉄を纏っている。

 その右手には、十文字に輝く刃。

 甲冑は業火の如く。

 突き出した左手がドラゴンの炎を押し退け、瞬く間に消滅させた。

 漆黒のマントがなびいている。


 その姿、正に英雄。

 この世の人々に刻まれた最強の赤備え。

 それは、最も強く、最も恐ろしい。

 唯一無二の称号を持つ者。

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