『運命の章』

第59話 小さな友人

 今日もベッドから降りたくなかった。

 スピルシャンとなって街を駆け巡り、人々を助ける事。

 それは、自分が思うより遥かに辛い使命だった。

 数日間、ベッドの上で寝込んでいたが、とてもスッキリした様な眠りをしていない。

 真夜中ずっと、暗くなった天井を眺め続けている。


「王子様、王子様。食事、食べないのですか?」


 部屋の外からルピアが問う。

 ダージリンは少し遅れて「食べない」と答えた。

 ルピアは心配そうに俯きながら、扉の前を離れていく。

 居間では、祖父がパンを千切っては口に入れ、祖母が紅茶を嗜んでいる。

 華やかなテーブルクロスの上に乗った二人の食事。

 お日様の様な目玉焼き。

 分厚いベーコンから脂が溢れている。


「ルピア、ダージリン王子は?」

「申し訳ございません。お食事は要らないと仰ってました」

「そうか……」


 セバスティアンが気落ちすると、向こう側から扉が開いた。

 俯いたダージリンが「……おはよう」と呟きながら、席に着く。


「ルピアさん、紅茶ください」

「は、はい。かしこまりました」


 少し慌てながら、ルピアは紅茶を淹れ始めた。

 順当に、カップに紅茶を注いで、ミルクと砂糖を少し多めに入れた。

 ミルクティーが前に出されると、ダージリンはゆっくりと口に付けた。


「女の子が死んだんですって」

「聞いた。誘拐されて、その後、遺体で発見されたってな」

「親御さんの所へ、後で訪ねてみましょう」

女王お前が行けば、少しは元気になってくれるだろう。だが、気が動乱していてもおかしくはない」


 激震。

 カップを持った手が安定しない。

 中身の紅茶が嵐の海の様に揺れ始めた。

 両手を使ってカップを支えたが上手く安定せず、ダージリンは口元に近付けた。

 紅茶を喉へ一気に流したが、カップを強く置いてしまい、皆の視線を集めてしまった。


「ダージリン? どうかしたの?」

「だ、大丈夫。ま、まだ、ちょっと眠いだけだよ。紅茶、飲んだから、部屋に戻る」


 ミルクティーを強引に飲み干し、ダージリンは部屋を出た。


「ここ数日、『元気が出て来たかな?』と思っていたら、また参ってしまった様だな」

「あの子、一人で何をしているのかしら?」

「さあな……」


 祖父は呟くと、再びパンを口に入れた。

 カメリア王国の空は晴れていた。

 この前の様な不吉な雨雲は一つもない。

 だが、そんな空からの光を避ける様に、ダージリンは壁際に背を寄せて座り込んでいた。


 ――もういいよ。大丈夫だから。


 また一人、助けられなかった。

 必ず、生きて父親の元へ帰す筈が、僕なんかの為にスーザンは犠牲になってしまった。

 悪い人達の餌にされて、これからある筈の人生を壊してしまった。

 彼女を殺したんだ。


「ご、ごめん。ごめん……」


 過去が頭を狂わし始める。

 両手で顔を隠し始めたその時だった。


「僕、冗談はそこまでにしなさい!」


 突然、門番が叫んだ。

 窓から覗いてみると、何やら背丈の小さい男と揉め事をしていた。


「あれって……」


 ダージリンは立ち上がると、急いで部屋の扉を開けた。


「ほ、本当です ぼ、僕、ダージリン王子とお友達です」

「しつこいぞ。いい加減帰りなさい。ここは遊び場じゃないんだ」


 門番は相変わらず、しかめた顔をしている。

 それもその筈。

 今、目の前にいる男は子供なのだ。

 ホラを吹いて、馬鹿にされている様で仕方ない。

 追い返そうと手で払うが、子供は怯えながらも一歩も引かなかった。


「あの、どうかしたんですか?」

「すみません、王子様。この子供が帰ろうとしないので……」


 丁度、部屋から出て来たダージリンが門番の前に現れた。

 ダージリンは門番の後ろから顔を覗くと、小さなあどけない子供がいる。


「ダージリン王子、こんにちは」

「ゆ、ユータ君……」


 何か見覚えがあると思っていたが、路地裏でいじめられていた少年だ。

 しかし、登校に使う鞄は背負っていない。

 そして、痛め付けられた後も無い。

 遊びに来たのだろうか。


「あ、あれ? お知合いですか?」

「うん。このまま中に連れていくから通してあげて」

「あ、はい!」


 ダージリンはユータを中に招き入れた。

 庭を歩いてから宮殿に入り、廊下を渡っていく。

 初めて入ったからか、ユータはあちこちに顔を向けて目を輝かせていた。


 やがて二人は来客用の部屋で向かい合う様に座るが、互いに緊張し合っているのか、沈黙する。

 特にユータの方が酷く、両手を下へ真っ直ぐ伸ばし、股の間に入れる様に座っていた。

 ルピアが「失礼します」と言いながら、ポットからカップへ、紅茶を淹れるとユータの前に出した。


「ミルクとお砂糖、使いますか?」

「……お願いします」


 ルピアが微笑みながら尋ねると、ユータの顔は益々熱くなった。

 ミルクが入った小さなピッチャーと、砂糖入りのポットを前に出すと、ルピアはユータにお辞儀をして、部屋を出た。


「飲んで良いよ」


 ダージリンの一言に、ユータはすぐにミルクと砂糖を紅茶に入れ、ティースプーンで混ぜると、それを一気に口の中へ入れた。


「今日はどうしたの?」

「こ、ここに行けば、ダージリン王子に会えるかな……と、思って」

「ダージリンで良いよ。そう言えば、学校はどうしたの?」

「夏休みです。去年より早く始まったんです。ほら、その、えっと、王様が死んじゃったからその所為で……女王様って、何しているんですか?」


 口を濁らしながら、ユータは話題を切り替えた。

 相変わらず、ティーカップで口元を隠す姿は可愛らしい。


「今日は出かけたよ。王配さんと一緒にね」

「おう……はい?」

「王様の配偶者。女王様の旦那さんで、僕の祖父だよ」

「王様じゃないんですか?」

「うん。王様じゃないよ」


 すると、ユータは今まで表情を隠していたティーカップをソーサーの上に置いた。


「ダージリンさん、元気が無い、ですね……」

「え? そ、そうかな?」


 心配そうにダージリンの目を見るユータ。

 ダージリンは思わず、視線を逸らしかけるが、純粋無垢に輝く子供の目から逃げる事は出来なかった。


「こ、今度、その、サンチャ村の方にある山で、お父さんと、カブトムシを取りに行くんです。行きませんか?」

「サンチャ村……」


 顔色が青く染まった。

 急にダージリンの顔色が変わったので、ユータは声を失ってしまう。

 しかし、胸の奥を引き締めて、ユータは聞いた。


「……い、嫌ですか?」

「そんな事ないよ。ユータ君からのお招きなんだ。快く受け取るよ」

「あ、ありがとう、ございます」


 ダージリンは青く染まった顔を何とか明るくさせた。

 ユータも嬉しそうだ。

 こうして、小さなお客様との一時が終わり、ユータは帰路に付く。

 礼儀良くお辞儀するユータにダージリンは門外で手を振った。

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