第58話 悲哀の戦果

 焼き落ちるバラハタを無視して、ダージリンはスーザンの元へ走った。

 彼女を抱き起こすと、胸には横に裂かれた傷と穴が貫いており、更に背中にも刺された痕が残っていた。


「スーザン! スーザン! スーザン!」


 ダージリンが叫ぶと、漸くスーザンの目が開いた。

 だが、その目に活気はない。

 虚ろに染まっていた。

 空いた胸を両手で塞ごうとするが、溢れる血は止まらない。

 それでもダージリンは彼女の名を叫んだ。

 彼女を『向こう側』に行かせない為に。


「も、もういいよ……大丈夫だから」

「しっかりするんだ! すぐに助けが来る! もう少し堪えて!」

「何にも、感じないんだ……今私の胸に手を当てているけど、全然くすぐったくない」

「気をしっかり持って! 大丈夫だ! 必ず助かる!」

「無理だよ。わかるんだ。力がどんどん、抜けているから……」

「僕の目の前で、死のうとするなぁぁぁぁぁ!!」


 怒声を上げるダージリンだが、それでスーザンの容態が変わる事は無かった。

 彼女の意識はどんどん薄くなり、胸から流れ出る血も止まらない。

 そして豪雨の所為で、スーザンの血は辺り一面を染めていく。

 ダージリンは左手を胸から離し、スーザンの冷たい手を握った。


「お願いだから生きて。生きてくれ!」


 濡れていくダージリン。

 スピルシャンの仮面から光る瞳に、豪雨が染み込み落ちていく。

 そこには炎など無く、あるのは水浸しになった廃墟と二人の影。


 命の灯火が消えていく。


 右手と左手から確かにそう感じた。

 弱まっていくスーザンの火を強くしたいのに、自分にはどうしようも出来ない。

 人を救う力が無いんだ。


「ビギンズ……いや、ダージリン」


 スーザンの脆い腕が伸び、ダージリンの、スピルシャンの顔を撫でた。


「これは涙かな? それとも雨で濡れているだけかな? まあ、いいや」


 ゆっくりと撫でながら、スーザンは微笑む。


 ――泣かないでよ。王子様でしょ? みんなの憧れなんだよ?


 ――あんたの事よく知らないけど、独りぼっちだったんだよね。皆から嫌われていたんだよね。


 ――だけど、うちは凄く感謝してるよ。学校で助けてくれた事、うちに自信を取り戻してくれた事。あんたは全然嫌な奴じゃない。


 優しく語りかける笑顔。

 それは、暖炉に灯された光の様であった。


「や、やめてよ。僕はそんな、価値のある男じゃない!」


 思いが爆発する。

 ダージリンはスーザンの頭を抱えながら、悔しさを混ぜて怒鳴った。


「火の幻想術すらろくに起こせなかったし、精霊の力を手に入れても、誰かを守る事すら出来ない。僕の乳母さんが死んでから、大切な人が次々と消えていくんだ。父さんも――スダップ先生も――!」


 ――そして、大好きだった『あの娘』も。


「だったら、頑張りなよ! 最初から全て上手く行くなんて事、無いんだからさ!」


 スーザンもまた、胸元を掴み、力を込めて叫んだ。

 その叫びは、ダージリンを思わず引かせてしまう程だった。

 真っ直ぐな瞳には、スーザンの炎が残されている。

 だが、炎は今、消えてしまった。

 胸元を掴んでいた手が落ちて、スーザンは僅かな声で喋る。


 ――時間が無いから、最後のお願いをするね。



「……何?」


 落ちていく手を掴み、ダージリンは聞いた。


 ――お父さん、ごめんなさい。これからも、ずっとずっと、大好きだよ。


 ダージリンが深く頷いたのを確認すると、スーザンは満面の笑みを浮かべた。

 そして、彼女の火は消えた。

 生気の無い瞳。

 冷えた手で閉ざすと、穏やかな顔が浮かんでいた。

 父が死んだ時と同じだった。

 きっと、後悔の無い生き方だったんだろう。

 暫くスーザンの顔を覗いていると、雨の向こうから多くの人影が入って来た。

 金属が激しく揺れている。


「カメリア騎士団だ!」


 甲冑を纏い、剣を手にした騎士達が現れた。

 しかし、彼らが目にしたのは激戦の跡だった。

 破れた屋根から落ちて来る雨水。

 そして、眠る少女を横に抱えた噂の英雄が、こちらを見ていた。


「お、お前は、スピルシャンビギンズ!」

「この娘を、お父さんの所へ帰してください」

「待て! ここで何があったんだ!」


 隊長と思しき騎士にダージリンは預けると、騎士達の間を通りながら廃墟を出た。

 騎士達の問いに答えず、ダージリンは雨の中へ消えていく。

 水溜まりに映る英雄を、波紋が消していく。

 その波紋を広げる水溜まりを一歩ずつ、ダージリンは踏み潰した。


 豪雨に包まれたカメリア王国。


 時計台が悲しく響いていく。

 カフェの中では店主が一人、食器を拭いていた。

 騎士団に保護された男は、消えた大きな命を待ち続けていた。


 泥を踏み込む足。

 体が異常に熱くて、重い。

 生きている心地がしない。


「く、クソ、こ、こんな事になるとは」


 バラハタは両足を引き摺る様に進んでいた。

 傷跡に雨が染み込み、痛みが走る。

 もうこれ以上、進むのは無理だ。

 バラハタは木陰の下へ入り、膝を下ろした。


「初めまして。バラハタさん」


 朦朧する意識の中、バラハタを呼ぶ女の声。

 顔を上げると、傘を差して、コートを着た白い女がそこにいた。


「誰だお前は?」

「貴方の依頼人よ」

「そうか、あんたがミレッジか」


 傘の裏側から、ミレッジの冷たい顔が浮かんでいた。


「その様子だと、大分激しい戦いだった様ね」

「……ああ」

「スピルシャンは殺せたの?」


 バラハタは答えない。

 ミレッジは一息付いて「そう」と呟いた。


「邪魔が入ってな。奴らの連携が凄まじかった」

「確かに。その右腕を見ればわかるわ」

「ガキを殺したつもりが、まさか反撃されるとはな……」

「ガキ?」

「ああ。小娘を餌にスピルシャンビギンズをおびき寄せたが、途中からその娘が援護に加わった。そいつから始末したんだが、最後まで往生際の悪い奴だった」

「……そう」

「だが、スピルシャンビギンズの手はこれでわかった。このままじゃあ俺の気が収まらねぇ。腕を完治させたら奴の首をアンタに持って行く」

「その必要はないわ」


 突然、バラハタの周りが急激に寒くなった。

 脚から白く固まっていく。

 焼けた右腕も凍て付き始めた。

 驚きのあまり、バラハタは顔を上げると、そこには吹雪を纏ったミレッジが冷たく見下していた。


「な、何の真似だ!?」

「貴方はビギンズよりも、関係ない人間を選んでしまった。それだけよ」


 吹雪が渦を描きながら突き進んでいく。

 バラハタの口と鼻が吹雪によって覆われた。

 喉へ入り込んだ雪が肺を凍らせ、呼吸と体温を奪っていく。

 バラハタは痙攣を起こしながら、白目を剥き出しにして倒れた。

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