第44話 英雄の一歩

 体の中心から煙が立ち上がり、ヤーグルは白い目を剥き出しにしていた。

 地面で横たわる姿に気配はない。

 もう、完全に倒されてしまっている。

 トドメを見届けたシレット達は立ち尽くしている。


 アクバルは腰を曲げながら腕を抑えており、ブランドンは今、自身を縛っていた鎖から強引に抜けだした。

 リールフは首に手を添えている。

 そして、ダージリンは未だ燃え上がる手を払った。


「や、やった……のか?」


 鎖を投げ捨てたブランドンが呟く。

 確かに倒れているし、もう、動いていない。

 精々、体が走る様にピクピクと反応しているだけ。

 生気を失せた目。


「助かったんだ……私達、生きてる!」

「どうなってんのよ。本当に。何が起きてんのよ?」

「助かったから別に良いじゃん! ねえ! シレット!」

「う、うん。でも……」


 少し晴れたフラウアに対して、テレーズとシレットはまだ顔を曇らせている。

 特に曇りが厚いのはシレットだ。


 ――ありがとう。シレット。


 彼はどこかで、私と会った事がある。

 だけど、どこだろうか。

 あの低い声から伝わる反響。

 わからない。


「……アイツら、一体何だったの?」

「MAD。有名な犯罪組織だ」

「それもそうだけど、何の目的があってこんな事……何か、『王子』がどうのこうのって言ってたけど……」


 側に立ちながら、ミーナはリールフに話しかけた。

 ミーナも未だ、戸惑いが隠せていない様だ。


「それ、本当……!?」

「え?」


 ダージリンはミーナの方へ向いた。


「ああ、確かに言ってた。お前に何の関係があるか知らねぇけどな」


 割り込む様にリールフが答える。

 さっき、校舎で襲った悪人達はこう言っていた。


 ――アールグレイ王家である国王とそのガキを殺す事が俺らの任務。お前の親父も、もうすぐぶっ殺されるだろう。


 目的の二人を殺す為だけに、奴らは大勢の、尊い命を奪い、捨てた。

 残酷過ぎる。

 頭に来るやり方でもあり、胸を痛ませる酷い仕打ちだ。


 脳が伝える死にゆく人の姿。

 ダージリンの拳が震えていく。

 悲痛な叫びが聞こえた様な気がした。


「ぐああああああああああああああああああああ!」


 突然の奇声。

 ダージリンは振り向くと倒れた筈のヤーグルが短剣を向け、迫っていた。

 間一髪で短剣を持つヤーグルの両手を捕らえるも、相手は刺そうとして力を入れて来る。


 最後の力はとても強かった。

 だが、刃が刺したのはダージリンではない。

 胸から広がる冷たい金属。

 ダージリンは絶句した。


「な、んだよ……」


 短剣はヤーグルを貫いていた。

 争いの末に、ダージリンは誤って刺してしまったのだ。

 一歩、二歩と足を下げ、胸から滴る血が掌に止まっていく。

 ヤーグルは顔を上げ、口を曲げて歯を出した。


「精々、殺しを楽しめ……ふひひひ……ふははは……」


 最高に狂った笑みを浮かべていた。

 悪魔の笑顔。

 ヤーグルは背中から崩れ落ちると、大量の血がグラウンドに染み込んだ。

 黒く染まった地面は地獄への通り道。

 その場にいる全員が凍り付いた。

 眼がピクピクと動き、気色の悪い汗が額から頬へ降りていく。


 これが『悪』なのか。


 ダージリンの腕が震えた。

 今、人を殺した事を自覚し、胸に沸き上がる後悔と恐怖に押し潰される。

 違う。

 これは僕が悪いんじゃない。

 向こうが突っ込んで来たから結果的にそうなったんだ。

 それなのに、掌から全身に走る震えは止まらない。


 ――人を、殺した。


「貴方のせいじゃない」


 ハッと頭を上げると、シレットが目の前にいた。

 彼女の顔は腫れ上がっており、口元からは血も流れている。

 更に螺旋状の痣が酷く、首に現れていた。

 だが、シレットは苦しい様子を見せていない。


「貴方が助けに来てくれなかったら、私は多分死んでた。だから、私達の英雄だよ」


 シレットの微笑み。

 初めて会った時は邪魔な笑顔でしかなかった。

 もう、『好き』という感情を抱きたくない。

 友達はいらないし、『あの子』への想いも早く捨てたかった。

 だけど今は、嬉しい気がする。

 ある言葉が、曇っていた心を綺麗に流してくれた。


 ――英雄。


 弱くて情けなかった自分が、そう呼ばれる時が来るとは。


 ――貴方は、希望なのです。


 スダップ先生の言葉が思い浮かぶ。

 ダージリンは拳を握りしめ、震えを絶った。


「ね、ねえ、あれ見て!」


 突然フラウアが叫んだ。

 彼女が指した先には、煙が舞い上がっている。

 ダージリンはすぐに気付いた。

 そう、あの方角には自分の家。

 つまりステュアート城がある方向だ。


 ――行かなくては。


 ダージリンは腰を低くし、膝を限界まで曲げる。

 そして、一気に膝を開いた時には体は空を舞っていた。


「ぱ、パンツが見えちゃう……」

「あ、おい! お前一体、結局誰なんだよ!」


 勢いよく揺れるスカート。

 中身が見えない様に、フラウアはしっかりと押さえつける。

 ブランドンは腕を伸ばしながら叫んだが、既に姿は小さく、その声が届く事はなかった。


「せや! こうしちゃあいられへん! ダージリン、はよ探さな!」

「ああ! そうだ! 一番重要な奴だ!」

「自分ら! 暇ならちょう手伝え! 一国の王子が死ぬかもしれへんやぞ!」


 アクバルとブランドンは急いで校舎へ戻った。

 続く様にシレット、フラウアが駆け出し、テレーズは少々胡散臭く眉をしかめながらも後を付いて行く。

 一方で、リールフとミーナはダージリンが飛んで行った方をただ眺めた。


「あの人、スピルシャンって呼ばれていたけど……リールフ?」


 ミーナが顔を覗き込むと、リールフは険しい表情を浮かべていた。

 沸き上がる欲望。

 あれが精霊の力なのか。

 目に写った炎は神秘の輝き。

 俺ならば、もっと上手く使い熟せる。

 リールフは生唾を飲み込んだ。














 屋根から屋根へ、ダージリンは飛蝗の様に飛んで行く。

 下を見れば、城を見て人々が戸惑っている。

 やはり何かあったのだ。

 城門までもう少し。

 ダージリンは屋根から飛び降りた。


 目の前に広がるのは木々がへし折れ、鉄屑が散らばる城門。

 大きな力で強引に開けたのか。

 急いで中へ入り、中庭周辺を確認すると、やはり酷い有り様だ。

 しっかりと手入れされていた花や樹木が原型を残さず踏み潰され、豪快に折れている。

 花壇だった筈のレンガも粉々に砕けていた。

 横を通り過ぎる度、力尽きた兵士が次々映っていく。


(ルーファスさん!)


 屋敷へ入ると、家臣であるルーファスが血を流して倒れている。

 ダージリンは急いで駆け寄り、体を起こした。


「う、うぅ……」


 良かった。

 まだ意識はある。

 楽な姿勢を取らせた後、カーテンの一部を切り、その布で止血を行う。

 これで少しはマシになった筈だ。


「ありがとう。き、君は?」

「動かないでください。傷が開いてしまいます。他に誰か生存者は?」

「わ、わからない。不意を突かれて、皆……」

「……ここで休んでいてください。他に助かった人がいないか探してきます」


 ルーファスをその場に待たせ、ダージリンは探索を再開する。

 他に誰かいないかと、辺りを見渡しながら慎重に歩く。

 廊下の向こうから聞こえて来る女性の泣き声。

 聞き覚えがあった。


(ルピアさん?)


 人影が二人あった。

 一人はルピアで、膝を崩しながら涙を零し、鼻水を啜っている。

 もう一人は紳士服を着た老人だ。

 ルピアの近くで倒れている。


(せ、セバス!)


 ダージリンは、老人がセバスだという事がすぐにわかった。

 二人の元へ急ぎ、セバスを起こし。体を揺らす。

 しかし、幾ら揺らしてもセバスは起きなかった。


 突然現れた赤い仮装の男に、ルピアは泣くのを止め、目を丸くする。

 よくわからないが、彼は味方の様だ。

 あの銀色に輝く仮面から光る瞳がそれを物語っている。

 落ち着きを取り戻し、ルピアは口を開いた。


「だ、大丈夫です。き、気を失っている、だけです」

「何があったの? 一体?」

「あ、悪人が、突然現れて私達を襲ったんです。それで、国王様は私達を守ろうと……」

「……それで、どうなったの?」

「お、王座の間から、凄い音が聞こえました。き、きっとそこに……」

「わかった。セバスを頼む」

「は、はい」


 ルピアにセバスを任せて、ダージリンは王座へ向かう。

 全力疾走したおかげで、すぐに着く事が出来た。

 目の前に佇む王座への扉は自分の三倍くらいは高い。

 今までならば、良くて部屋の手前、悪ければ途中の廊下で息を切らしてしまっただろう。


 だが、今は平気だ。


 ここまで来るのに飛んだり跳ねたりしたが、まだ動ける余裕がある。

 これも、スピルシャンという力のおかげか。

 いや、どうでも良い事を考えている暇はない。

 ダージリンはドアノブに手を掛けた。


「置いて来たの? ヤーグルを?」

「はい。話を聞かずに飛び出すばかりなので見限る事にしました。クビに出来る口実は出来たと思います」

「……そうね。正直私も面倒だとは思っていたし。良いんじゃない?」


 開けようとした時、中から男と女の声が聞こえた。

 男の声に聞き覚えがある。

 ダージリンは音を立てない様に気を付けて、扉を少し開けて様子を見た。

 王座の上に立つ二人の影。


 男はすぐにわかった。


 先程までヤーグルと共にいた男、名前は確かルークと言っていた。

 だが、もう一人いる女はわからない。

 ただ、歯痒い事をしていた。

 国の長、国王しか座る事が許されない王座を楽しんでいる。


「それにしても、王様のお席って座り心地良いのね」

「そ、そうですか……?」


 女は手摺を撫で回した。

 滑らかに掌が走り、高級感というものが確かにあった。

 椅子の座り心地も良い。


 これならば、長時間座っていても腰が耐えられる。

 その感想をルークに話すが、彼はどうもしっくり来ていない。

 或いは興味のない反応をしている。


「……彼かしら? 突然現れた救世主ってのは?」


 女は王座の向こうにいる存在に気付いた。

 ルークは振り向くと、先程のスピルシャンがそこにいた。

 女の問いに頷く。


「そこは、父さんしか座れない場所だ」

「あ、ごめんなさい。ちょっとした憧れだったの。王座って座れるものじゃないから」


 跳ねる様に立ち上がり、女はルークと共に王座の段から降りた。


「ヤーグルを倒したのは貴方? 彼奴はどうなったのかしら?」

「……鎖の男なら、死んだ」

「……そうでしょうね。死んで当然の輩だから」

「そんな事はどうでもいい。父さんは? 王様はどうした……!?」

「王様なら、もう『始末』したわ。ほら、そこにいる」


 込み上がる怒りが一気に頂点に達した。

 満身創痍のスリランカ。

 力尽きた体、胸には深い穴があり、そこからドクドクと血が溢れていた。

 刀を握りかけた手が僅かに動いている。


 父が死ぬのは時間の問題だった。

 ダージリンの怒りが炎へと変わり、周囲を焼いた。

 反面、女は微笑みながら少しずつダージリンに迫る。

 丁度いい所で、その足を止めた。


「貴方も、スピルシャン?」

「……わからないけど、皆がそう呼んでる」

「……じゃあ、『先輩』として教えてあげるわ」


 女の周りに現れる純白の結晶。


「『精霊じぶんの力』に自惚れない事よ」


 凍える冷気から現れる人らしき顔。

 それは、人間ではない。

 まるで幽霊の様だった。

 その女の名は、ミレッジ・ハイリと云う。

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