『親子の章』
第30話 この心、親知らず
「もう行くのか?」
「……うん」
王宮の玄関で、目元に隈を浮かばせた学生服のダージリンが靴紐を結びながら、父スリランカと会話をしていた。
スリランカは威儀のある正装で整えており、目からは誠実さも伝わってくるが、背を向けた息子にはどうもたどたどしい動作が止まらない様子。
間を置きながらも、何とか思い浮かんだ話題を出して会話を繋げるが、その都度ダージリンには冷たく返された。
「最近、学校行くの速いな。何か良い事でもあったのか?」
「別に」
「そ、そうか――道に、気を付けろよ? 突然馬車とかが突っ込んだりして来たら……」
「大丈夫だよ」
スリランカの言葉は全部ダージリンの背に受け止められ、届いている気にならなかった。
氷の様に冷えて鉄の様に硬い。
ある筈のない巨大な壁がスリランカには見えた。
壁の向こうにいる愛しい息子に手を差し伸ばしてあげたい。
スリランカは口ごもりながらも、懸命に話題を繋げた。
少しずつ。
息子の心を温めようと頑張った。
「な、なあ、やりたい事がないなら、その、行きたいとかはあるか? 例えばニットウの温泉巡りに行くとか」
「別にない」
「父さんが、色んな所に連れてくぞ?」
「仕事はどうするの? 父さんはこの国の王様なんだよ? 僕より優先すべき事があるんじゃないの?」
避けられている様な息子の返事。
伸ばした手を払われた気分だ。
込み上がる苛立ちに身体が震えるも、何とか優しく口を動かした。
「仕事は――何とかする。今はお前の事を優先したい」
「……父さん、僕は別に不満なんかないよ。今のままで満足してる。でも――」
靴を履き終えると、ダージリンは振り向いた。
そして、スリランカに向けて口元を少し歪ませた。
「姉さんと兄さんに会いに行きたい。 それで、皆で一緒に何処か行きたい」
「そ、そうだな。エアーシャ達も出来れば一緒が良いよな……」
「姉さん達も、きっと喜ぶと思う」
「ああ。なるべく近いうちに行けると良いな」
一回だけ頷くダージリンに、スリランカは微笑んだ。
親子ともに笑う姿はこの世の何よりも美しく見え、壁際で見守っていたセバスティアンも自然に顔が緩み、共に見ていた侍女も満面の笑みが隠せなかった。
「何だか、良い雰囲気になっていますね」
「そうですね。王子が小さかった頃が思い浮かびます」
「え、セバスさん、泣いているのですか?」
「い、いえ、最近目がシパシパしておりまして……」
ハンカチを片手に、セバスティアンは目元を拭いた。
どんどん酷くなる泣きっ面に侍女が困惑する中、ダージリンが鞄を持った。
そして、一歩二歩と玄関の扉に近づくと、ドアノブへ手を伸ばした。
「一昨日は、すまなかった」
その言葉に、二人の光が瞬く間に消えた。
暗い声のスリランカ。
ドアノブに手を掛けたまま、ダージリンは止まる。
振り向かなかったのは多分、父が今どんな顔しているのかが想像つかず、謝っている姿を見たくないからだ。
あの時怒ったのは、自分自身が逃げている所為なのに。
――僕の方こそごめんなさい。
その一言は胸の中で拘束され、口に出なかった。
口を震わせながら、スリランカの話を背中で聞く。
「ただ、これだけは言わせてくれ。あの爆発事件の真実は明かされる。お前はその時受け入れる事が難しいと思う」
あの大爆発の事は触れて欲しくない。
何も思い出せないし、思い出したくない。
ドアノブを握った手は震えだし、手の中から汗が溢れて来る。
記憶にない出来事に戦慄する。
まるで心は覚えている様だった。
「忘れたいと言っていたが、多分嫌でも知るはずだ。その時になったら――」
「行ってきます」
逃げるダージリン。
扉は二人の思いを絶つ様に強く閉ざされた。
バタン。
孤独に立つスリランカは歯を噛みしめながら拳を揺らし、目玉も端から赤く染まっていった。
――行かないでくれ。何処にも。
壁は少し崩れた。
でも、二人を絶つ扉がそこにあった。
悔しさに耐えながらスリランカは歩き出す。
途中、離れた場所で見守っていたセバスティアン達は、気にも留めずに通り過ぎるスリランカが心配になり、その背中を見つめた。
「どうしたんでしょう? 凄く、仲良さそうに話してましたのに……」
不安げに眉を下ろす侍女に、溜息を吐きつつ眼鏡を拭くセバスティアン。
その二人には、自らの瞳を見せない様に力強く進むスリランカ。
やらなくてはいけない仕事の為に。
カメリアの王は、今日も国と民の為に働き始める。
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