第31話 忠臣は親友

 壁は本で敷き詰められている。

 窓から差し込む光を背に受け、スリランカは書類でいっぱいになった机に向かって仕事をしていた。

 黒淵の眼鏡は顔に似合っていないが、その姿勢は真剣そのもの。

 淡々と書類を見つめれば、すぐさま印鑑を押す。

 その作業を終えれば、数字に埋もれた紙を見て苦渋する。

 とにかくこの繰り返しだ。


「相変わらず暗い顔してますね。王様」


 突然の声に、スリランカはとっさに『短い棒』を取ると、その先から『炎』を噴き出した。

 炎はやがて赤い縁取りがされた鋭利な刃へと変化していく。

 刃が二尺くらいまで伸びると、反りのない『直刀』と化した。

 刀を構えて用心する眼差しには男が写っている。

 スリランカは男が誰なのかを理解すると、一息ついてから刃を消滅させた。

 そして、刀を下ろした。


「……ルーファス。何時からそこにいた?」

「ノックはしたし、『失礼します』も言ったぞ?」


 目の前にいたのはルーファスという金髪の男で、スリランカの家臣だ。

 家臣らしく正装した姿で、書類を片手に笑みを浮かべている。

 完全に引っ掛かった。

 スリランカの憤りが顔に浮かんだ。


「そんな怖い顔するなよ。ガキの頃からの付き合いだろ?」

「俺、一応王様だぞ」

「失礼しました。国王陛下」


 引き気味のスリランカ。

 ビシッと拳を左胸に当て敬意を表するルーファス。

 しかし態度はともかく、何故か声色を低くして敬礼する素振り如何にもがわざとらしい。

 なので、スリランカの顔が余計に曇る。

 決まった所で、ルーファスは拳を下ろして自然体となる。


「まあでも、警戒心は良い事だぞ」

「……ふん」

「それよりも、大事な報告があるんだ」

「何だ?」


 すると、ルーファスは持っていた書類の一部をスリランカへ渡す。

 書類を受け取ったスリランカは目を細めた。


「これは?」

「昨夜魔獣が出現した様だ」

「被害者はいたのか?」

「食われて死んだ人間が一人。その直後に高校生二人が襲われた。それも――」


 ルーファスは間を置き、重く呟いた。


「リールフだ」

「何……!?」

「ガールフレンドを送っている最中に襲われた様で、何とか抵抗して撃退したみたいだ」

「何でそれを早く言わなかった!?」


 スリランカは書類を叩きつけながら、立ち上がった。

 確かに昨日の内に報告すべき内容だ。

 剣幕になるのも無理はない。

 それに対してルーファスは冷静に訳を語った。


「夜中だったし、あの後俺も合流して事情聴取に付き合った」

「それで、リールフ君は今日どうしたんだ?」

「怪我はあったが、大した事はない。今日は『学校行かなくていい』って伝えたから家で引き籠っている」 

「……つ、強いな」


 魔獣に襲われたのなら、普通次の日は外に出たくない。

 寧ろ籠っていたい。

 そんなリールフの心の強さにスリランカはある種の敬意を感じ、剣幕から落ち着きを取り戻し、腰を下ろした。


「それで、状況は?」

「今もカメリア騎士団が調査をしている所。詳しい事はわかっていない」

「リールフ君は、他に何か言ってたか?」

「アイツが言うには、魔獣は黒い煙の体をした蛇みたいな奴だったらしい」

「黒い……煙? 悪霊みたいなものか?」

「わからない。ただその魔獣は他の生物に入り込んで乗っ取る能力を持っていた様だ」

「そいつは恐ろしいな……しかし、無事で良かった」

「ああ。俺も聞いた時は胸が苦しくなったよ」


 すると、スリランカはルーファスの手元を見た。

 小さな閃光。

 左手の書類に数センチの焦げが入り込んでいる。

 ルーファスの眉間は皺を寄せておらず、寧ろ口元が歪んで少しだけ微笑んでいる様だ。


 だが、スリランカには今どんな気持ちなのかがわかった。


 子供が襲われて悔しい親などいない。

 話をここで切り上げ、スリランカは仕事へ戻る。

 再び書類に手を付けると、今度は筆で書き込んだ。

 一方で、ルーファスには気掛かりがあった。

 ここに来てからスリランカは俯いた顔をしている。

 少しばかり怒鳴ったが、もう元の暗い表情だ。

 今度はこちらから訪ねてみた。


「どうした? また子供の事か?」

「……まあ、な」


 憤りが消えて、目を落とすスリランカに、今度はルーファスが鼻で一息付いた。


「スリランカ、いつも言っているが、考え方を変えてみたらどうだ? あの年の子供は『自分は何なのか』とかって自問自答するもんだし、別に珍しい事じゃないよ」


 ルーファスからの助言に、スリランカは軽く溜息を吐いた。

 充満した心の煙は払えなかった様だ。

 ルーファスは後ろ頭を掻きながら、何を伝えようかと考える。

 そして、思いついた事を口に出した。


「リールフだって、家じゃ可愛くねえぞ? 生意気に生意気を掛けたって感じだ。今は皆反抗期だから別に大丈夫だよ」

「そうかな……」


 変わらず、スリランカは顔を曇らせたままだが、ルーファスは話を続けた。


「そりゃあ、まあ、上の子達と違って、ダージリン君は物静かで人見知りもするから、お前に遠慮しているのかもしれない。それに、お前最近まで鬼の様に厳しくシツケていたんだろ?」

「ああ」

「だったら尚更だ。今は素直じゃないだけさ」

「……実は、ダージリンを怒らせてしまった」


 筆を置き、作業を止める。

 呆気に取られるルーファス。

 スリランカは指を絡ませながら語り始めた。


「え? 何があったんだ?」

「半年ぐらい前に、サンチャ村付近の山で起きた事件の事でな……」

「ああ。あの大爆発か。ダージリンも現場にいたっていう」

「ルーファス、俺はあれを、ただの事故とか自然現象だとは思えないんだ」

「まあ、一国の王子様が巻き込まれた程だからな」

「事件直後、ダージリンの手には誰かのブレスレットが握られていた。聞いた所によると友達が突然失踪したらしい。多分、そのブレスレットは友達の物で、あの爆発に巻き込まれてしまったんだろう」

「そいつは気の毒だ。何でダージリンにばかり……」

「ああ。あの場にダージリンの他に『何者』かがいたのかもしれない。ダージリンを巻き込ませた奴がいるのなら俺は許せない」


 焦燥が込み上げ、喉が燃え上がる。

 絡まった指が互いを強く引き合う。

 そして震えた。


「真実はあるはずだ。俺は夕食の後、ダージリンに爆発について何か思い出せたかと聞いてみた」


 すると、スリランカは静かに目を瞑った。

 燃え上がる様な声も一変して、精力が伝わらない大人しいものとなる。

 手の力も弱くなっていく。


「だけど、ダージリンはこう言った」



 ――嫌な事は全部忘れたい。

 ――思い出したら『人』は戻って来るの?

 ――来ないでしょ?

 ――死んだ人はもう存在しないんだよ。

 ――だから、もう忘れよう?



「俺は、返す言葉が見つからなかった。いや、あったかもしれないが言う資格がなかった」


 怒気に震えた拳が徐々に抑えられ静かに開いていく。

 開いた両手で額を支えながら、スリランカは顔を隠した。


「ダージリンの為にしていた事が……余計なお世話だったな」


 真実の為に返って不快にさせてしまった。

 あの時の顔は涙すら浮かんでなかった。

 闇の中にいる息子は父が伸ばした手を握ろうとせず、小さくなる様に身体を丸めている。

 だから、悲しみが伝わった。


「ダージリンはもう、俺の届かない場所にいるのかもしれない。俺は親失格だな」

「そんなは事ない」


 強い一言。

 スリランカは顔を上げると、ルーファスの固い眼差しが写った。

 そして、彼からの励ましを受けた。


「お前はこうやって王としての仕事を全うしているじゃないか。父親としては情けない所はあるかもしれない。俺だってそうだ。でもその前に、お前は立派な大人だよ」

「……すまないルーファス。こんなくだらん愚痴に」


 スリランカは口元を僅かに歪ませた。

 割れ欠けた心に破片が戻った様だ。

 応える様にルーファスも微笑み、呟いた。


「やっぱり子供には『母親』が必要だよな――」


 ルーファスは振り返り、書類を振った。

 扉を開け、部屋を出る姿を見届けた。

 再び一人になるスリランカ。

 窓から差し込んでいた太陽が、丁度雲の下に隠れ、部屋の中が影に包まれた。

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