第16話 絶ちたい嬉しみ

 傾いた陽光が石畳の道路を照らしている。

広い公道には四輪車が荷物を乗せて走り、両端の歩道には仕事を終えた人達が帰路に着いていた。

 ダージリンは、帰り道が同じだった事もあり、何だかんだ言いつつもシレットと一緒に下校していた。


「……あの、帰り道、一緒だったんだね」

「うん。そうだよ」


 その二言だけ語ると、また静かに歩き続ける。

 ダージリンは、リュックの帯をたまに握りながら、シレットを一瞬見るのを繰り返し、思わず目が合いそうになれば、すぐに逸らす。

 ――女の子と帰るのなんて、久しぶりだな

 沈黙が続くくらいならばと、勇気を振り絞り再び口を開けた。


「……な、何も聞かないの?」

「何が?」

「……僕の噂とか、その、色々と」

「ダージリン君が王子様だとか?」

「……うん」

「そんなの、皆知ってる事だから態々聞かないよ」

「……あ、ま、まあ、そう、だよね」


 苦笑いしつつも、少し黙ってから何を聞こうかと考え、自分なりにコミュニケーションを取ろうとした。


「……どうして」

「え?」

「どうして、数学教えてくれたの? 見ず知らずの僕に」

「それは――ダージリン君がどんな人かって少し気になったから、かな?」


 シレットは少し溜めながら答え、その後も語り続けた。


「ほら、お姉さん達の話題はよく聞くけど、ダージリン君はさ、あまり目立とうとしないよね?」

「…う、うん」

「だから、何となくだけど気にはなってたんだよね。それで偶々スダップ先生からお願い事を聞いて『良い機会かな?』と思って、引き受けたって事」


 道の途中に咲く一輪の白い花を触りながら、今日の出来事を語った。


「噂だけじゃわかんない事だってあるし。それに皆が口を揃えてダージリン君の…」


 ――落ちこぼれの末っ子だ。

 ――姫様達が可哀そう。

 ――隔離されてるから良かったよな。いたら皆にいじめられるし。

 ――よせよ。お前王家に消されるぜ。


 脳裏を横切る心無き声達。

 途中で言葉を失ったシレットだが、ダージリンは彼女が急に悲しげな顔になったのを見て、それがどんな内容だったのかが察しが付き、共に俯いた。


「でも、今日初めて会話したけど、凄く楽しかったよ。ダージリン君」


 先に口を開いたのはシレットだった。

 立ち上がり、ダージリンの方へ振り向くと紫の瞳を輝かせながら笑顔で答えた。

 ダージリンの胸が少し温かくなった。

 ――この人は、理解してくれるの……?


「これから、仲良くなれるといいね」


 スッと穏やかに出されたシレットの手がダージリンの視界に入る。

自分のとは明らかに違う小さくて白みのある柔らかそうな手は思わず握りたくなりそうだ。

 しかし、ダージリンはグッと握りしめながら差し伸べかけた手を引っ込めた。

 ――駄目だ。もう、これ以上は……


「……あの、気持ちだけで―――嬉しいよ」

「え……?」


 震えた声。

 過去の記憶が脳裏に映し出され、ダージリンの目を熱くさせた。

 シレットから逃げる様に目を細めて俯くが、彼女は今どんな目をしていたのかがわかった。

 ――泣いてる……?


「……ゴメン。友達は……もう作りたくないんだ」


 疑惑から確信に変わった。涙は落ちなかったが、その目は赤くとも闇の様に深い感情が詰まっていた。


「でも、僕の為に数学教えてくれてありがとう」


 震えた喉を堪えて喋るダージリン。

 目にグッと力を入れ、無理矢理にでも口角を上げて振舞う。


「今日の事はずっと忘れない。だからシレットは、今いる友達を……」


 声を張って喋り続けるが、徐々にその勢いは失っていき最後には、


「……大切に……して」


 と、いつもの憂鬱な自分に戻っていた。

 冷たい風が二人の間を通る。

 草花が静かに揺れ、シレットの長い髪をもなびく。

 返す言葉が見つからないシレットはただ立ち尽くすしかなかった。

 悲しみよりも唖然とした気持ちが強く、握手を交わそうとした手も既に握りしめられ、下ろされていた。

 夕日がダージリンの顔を差し、細めていた目を余計に閉じさせる。


「……じ、じゃあ、僕、こっちだから」

「――待って!」


 ダージリンは立ち去ろうとした時、シレットの叫びが彼の足を止めた。

 驚きのあまり、振り向く事すら忘れて硬直する。


「ま、また明日、ね」


 優しい声が拳を震わせ、胸を痛ませた。

 溢れてくる悲しみをグッと堪え、ダージリンは再び歩き出す。

 そして、夜の訪れを知らせるかの様に道路にぶら下がるランプ達がひとつ、ふたつと明かりを灯し始めたのであった。

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